恋愛コンプライアンス

奏井れゆな

文字の大きさ
上 下
53 / 64
第4章 unfairのちfair

21.

しおりを挟む
    *

 悶々としながらも琴子は仕事をこなして終業時刻まで乗りきった。異動前の資料課にいたら、急かされる仕事もなく、手につかないまま給料泥棒と云われるところだ。
 資料課が、滝沢が云った『腰掛けさん』用の部署だったことはいまさらよくわかる。琴子がそこに割り当てられたのは、犬飼の縁者、もしくは知人としてだろう。例えば友人の娘とか、そんな云い訳はできる。もっといえば、犬飼本人の力ではなくて玉城家を頼ったのかもしれない。滝沢から聞くまで気づきもしなかったけれど、腰掛け用の部署だからこそ周囲は野暮なことを訊かない。
 琴子がその立場に置かれ、梓沙をそうできなくてプラヴィカスタマに配属したのは、万が一、今回のように身元調査が入ったときに、人の耳には聞こえの悪いバイト歴があったからかもしれない。何かあったときは、琴子が犬飼の知り合いで、梓沙はそのまた友人だと云えばすむ。
 昨夜からいろんなことを考えて、琴子はそんな結論を導きだした。
 よけいな思考を頭の隅に押しやり、依頼のあったデータ分析の表作成が一段落すると、琴子はソフトを閉じた。琴子はデスクの隅に置いていたスマホを取って、道仁に労いと用件だけのメッセージを送った。
 戦略室の十月月初のミーティングは定例どおり午後からあって、道仁は出席しているはず。在社しているだろうと踏んだとおり、『いま相談したいことがあるの』という琴子のメッセージに、そう時間を置かずして『了解、ちょっとだけ待ってくれ』と折り返し連絡が来た。
 その『ちょっと』という時間を待つのに落ち着かない。琴子は仕事のスケジュールと優先順位を確かめ直した。明日は、カスタマから九月のクレームデータが各社に送られると同時にホールディングスにも送られてくる。それを社内で共有するための作業が待っている。
 琴子は日付ごとにやるべきことを付箋に書いて、デスクトップの端に貼りつけた。最後の一枚を貼りかけたとき、スマホから音が鳴ってメッセージの着信を知らせた。
『いつもの会議室で』
 誘ったのは琴子のほうだが、一気に湧いた焦心は消す術がない。気を落ち着かせようとついたため息は少しふるえている。
「休憩取ります」
 だれにともなく云って琴子は、スマホと一緒に、引き出しの中から取りだした鍵を持って会議室に向かった。
 二十七階に移動して待ち合わせた会議室の前に来ると、琴子はスマホの画面に保存していた、昨夜撮ったばかりの写真を映しだす。やはり赤ちゃんの姿には見えないけれど、いま琴子の決心を支えてくれているのは、産まれてくる梓沙の子の存在だ。
 ドアノブに手を伸ばしたとたん、すっと横から別の手に追い抜かれた。琴子は驚いて息を呑んだまま、手をたどってその主の顔を振り仰いだ。道仁に違いなく。
「息をしてない」
 道仁はからかった気配で首をひねり、琴子に忠告すると、入って、とドアを開けて琴子をさきに促した。
 会議室に入ると琴子は無意識に窓際に向かう。台風一過で、今日はすこぶる天気がよかったけれど、入ったとたん自動で照明が点灯して窓ガラスは鏡になってしまい、空の様子はうまく捉えられない。
 振り向くと、後から入った道仁は入り口に立って、ドアに背中を預けている。近くに来る様子も椅子に座る様子もなく、まるで逃げ道をふさぐようだ。そんなふうに思うのは、琴子の心底に閉塞感があるからだろう。道仁としては、単に“相談”という言葉に応じて、客観的な距離を保っているだけなのかもしれない。
「……忙しい?」
「忙しくなかったら終わりだな。どっちにしろ、琴子から誘われるのははじめてだし、おれにとって優先事項の上位に来るのは必然だ」
 琴子の滑稽な質問に、道仁はおもしろがって答えた。その実、予期しないことを聞かされると予感して、わざとそうしているようにも見える。
「呼びだしてごめんなさい」
「だから、無理やり連れてこられたわけじゃない。琴子が相談というからにはよっぽどのことだ。話して」
 何も話さないうちから、道仁には受け入れようというやさしさ、あるいは寛容さ、そして包容力が窺える。それがいま琴子だけに向けられているものなら、いずれ琴子ではないだれかが道仁のそんな気持ちを独占できるということ。まだありもしないことを考えて、苦しくてたまらなくなる。いつの間に、こんなに道仁を好きになったのだろう。
「道仁さんには知ってほしいことがある。わたしがプラヴィに入社できたのは、ある人を脅したから。実力じゃない。卑怯な手段でわたしはいまここにいる」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

隠れドS上司の過剰な溺愛には逆らえません

如月 そら
恋愛
旧題:隠れドS上司はTL作家を所望する! 【書籍化】 2023/5/17 『隠れドS上司の過剰な溺愛には逆らえません』としてエタニティブックス様より書籍化❤️ たくさんの応援のお陰です❣️✨感謝です(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎) 🍀WEB小説作家の小島陽菜乃はいわゆるTL作家だ。  けれど、最近はある理由から評価が低迷していた。それは未経験ゆえのリアリティのなさ。  さまざまな資料を駆使し執筆してきたものの、評価が辛いのは否定できない。 そんな時、陽菜乃は会社の倉庫で上司が同僚といたしているのを見てしまう。 「隠れて覗き見なんてしてたら、興奮しないか?」  真面目そうな上司だと思っていたのに︎!! ……でもちょっと待って。 こんなに慣れているのなら教えてもらえばいいんじゃないの!?  けれど上司の森野英は慣れているなんてもんじゃなくて……!? ※普段より、ややえちえち多めです。苦手な方は避けてくださいね。(えちえち多めなんですけど、可愛くてきゅんなえちを目指しました✨) ※くれぐれも!くれぐれもフィクションです‼️( •̀ω•́ )✧ ※感想欄がネタバレありとなっておりますので注意⚠️です。感想は大歓迎です❣️ありがとうございます(*ᴗˬᴗ)💕

クールな御曹司の溺愛ペットになりました

あさの紅茶
恋愛
旧題:クールな御曹司の溺愛ペット やばい、やばい、やばい。 非常にやばい。 片山千咲(22) 大学を卒業後、未だ就職決まらず。 「もー、夏菜の会社で雇ってよぉ」 親友の夏菜に泣きつくも、呆れられるばかり。 なのに……。 「就職先が決まらないらしいな。だったら俺の手伝いをしないか?」 塚本一成(27) 夏菜のお兄さんからのまさかの打診。 高校生の時、一成さんに告白して玉砕している私。 いや、それはちょっと……と遠慮していたんだけど、親からのプレッシャーに負けて働くことに。 とっくに気持ちの整理はできているはずだったのに、一成さんの大人の魅力にあてられてドキドキが止まらない……。 ********** このお話は他のサイトにも掲載しています

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

小野寺社長のお気に入り

茜色
恋愛
朝岡渚(あさおかなぎさ)、28歳。小さなイベント企画会社に転職して以来、社長のアシスタント兼お守り役として振り回される毎日。34歳の社長・小野寺貢(おのでらみつぐ)は、ルックスは良いが生活態度はいい加減、デリカシーに欠ける困った男。 悪天候の夜、残業で家に帰れなくなった渚は小野寺と応接室で仮眠をとることに。思いがけず緊張する渚に、「おまえ、あんまり男を知らないだろう」と小野寺が突然迫ってきて・・・。 ☆全19話です。「オフィスラブ」と謳っていますが、あまりオフィスっぽくありません。 ☆「ムーンライトノベルズ」様にも掲載しています。

冷徹上司の、甘い秘密。

青花美来
恋愛
うちの冷徹上司は、何故か私にだけ甘い。 「頼む。……この事は誰にも言わないでくれ」 「別に誰も気にしませんよ?」 「いや俺が気にする」 ひょんなことから、課長の秘密を知ってしまいました。 ※同作品の全年齢対象のものを他サイト様にて公開、完結しております。

恋煩いの幸せレシピ ~社長と秘密の恋始めます~

神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
会社に内緒でダブルワークをしている芽生は、アルバイト先の居酒屋で自身が勤める会社の社長に遭遇。 一般社員の顔なんて覚えていないはずと思っていたのが間違いで、気が付けば、クビの代わりに週末に家政婦の仕事をすることに!? 美味しいご飯と家族と仕事と夢。 能天気色気無し女子が、横暴な俺様社長と繰り広げる、お料理恋愛ラブコメ。 ※注意※ 2020年執筆作品 ◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。 ◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。 ◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。 ◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。 ◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。

狂愛的ロマンス〜孤高の若頭の狂気めいた執着愛〜

羽村美海
恋愛
 古式ゆかしき華道の家元のお嬢様である美桜は、ある事情から、家をもりたてる駒となれるよう厳しく育てられてきた。  とうとうその日を迎え、見合いのため格式高い高級料亭の一室に赴いていた美桜は貞操の危機に見舞われる。  そこに現れた男により救われた美桜だったが、それがきっかけで思いがけない展開にーー  住む世界が違い、交わることのなかったはずの尊の不器用な優しさに触れ惹かれていく美桜の行き着く先は……? ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ ✧天澤美桜•20歳✧ 古式ゆかしき華道の家元の世間知らずな鳥籠のお嬢様 ✧九條 尊•30歳✧ 誰もが知るIT企業の経営者だが、実は裏社会の皇帝として畏れられている日本最大の極道組織泣く子も黙る極心会の若頭 ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ *西雲ササメ様より素敵な表紙をご提供頂きました✨ ※TL小説です。設定上強引な展開もあるので閲覧にはご注意ください。 ※設定や登場する人物、団体、グループの名称等全てフィクションです。 ※随時概要含め本文の改稿や修正等をしています。 ✧ ✧連載期間22.4.29〜22.7.7 ✧ ✧22.3.14 エブリスタ様にて先行公開✧ 【第15回らぶドロップス恋愛小説コンテスト一次選考通過作品です。コンテストの結果が出たので再公開しました。※エブリスタ様限定でヤス視点のSS公開中】

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

処理中です...