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第4章 unfairのちfair
20.
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「そのつもりだよ」
梓沙はためらうこともなく、いとも簡単にうなずいた。
「でも……」
と云いかけたのは果たして反論だったのか、琴子は口にする言葉が見つからなくて続けられなかった。
琴子とて、中絶するものと決めつけて訊ねたつもりはない。経済的に苦労した母子家庭で育った梓沙が、独りで子育てをするなど無謀な選択はしないだろう、とまずそう思ったのだ。
「三千万は養育費みたいなものよ。社会人になるまで子供が困ることのないように。これが犬飼だったら、無理だって殺されそうだけど、壮輔は違う」
「犬飼さんはマッチングのこと云ってたけど、壮輔さんは今日で会社をやめるんだよ。脅迫しても、もうコンプライアンスとは関係なくなる」
「でも、“元プラヴィ社員”だよ。それに、琴子はパーティに出てないからわからないだろうけど、本家だろうと分家だろうと、玉城家も里見家もブランド意識が高いの。見栄じゃなくて体面を大事にしてる。やめたあとだって関係ない。わたしが曝露すれば玉城家の名が傷つくのは確か」
だから梓沙の身辺調査が必要だったのだろう。けれど、体面を気にするなら梓沙と壮輔の間に子供がいるとわかって、それを放っておくだろうか。放っておかないとして玉城家が産む産まないのどちらを選択するのか、それは心もとない。
いまはっきりしているのは、梓沙が独りで子供を産んで育てる気でいることだ。
琴子には、自分が梓沙と壮輔の間に立って関係を修復できるとは思えない。それなら、ほかにできることは――
「梓沙、脅迫は取り消して」
「嫌。子供にはちゃんと……」
「わたしがお父さん役するよ。梓沙は産休とか育休とか、ちゃんと取って。ふたりでだったらなんとかなる。子育ても手伝うし、ふたりとも仕事で休めないときは、お母さんにも頼めると思う」
梓沙の顔は見る見るうちに驚きに満ちた。雑魚だらけの手持ちのカードに、予想だにしない切り札を発見したような様だ。けれど、それは見間違いだったかのように、すぐに梓沙から驚きは消え去った。かわりに、深刻な事柄にもかかわらず失笑した。
「琴子、いまのビジョンから欠けてるものない?」
「欠けてるもの?」
「そう、いま云った琴子の未来像には道仁さんが欠けてるよ。道仁さんて三十になるでしょ。結婚を意識しててもおかしくないよ。琴子のほうが曖昧で、道仁さんのほうはその気って感じするかな」
付き合うことの延長上に結婚が控えていることは、もちろん多くの恋愛がそうだろう。琴子の場合は、梓沙が云うように曖昧で、週末の半同棲が当然のようになっていても、夢を抱くことも思い描くこともできなかった。なぜか、その理由はいまはっきりした。結婚が現実になるわけがないからだ。
「それはない」
琴子が云いきると、梓沙は怪訝そうにしながら、だめだよ、と首を横に振った。
「琴子はそうしなくちゃ。道仁さんみたいな人、二度と現れないよ」
今度は琴子が首を横に振った。
「犬飼さんは、わたしと道仁さんの関係を知ってる。手を引かないと、コンプラ違反で訴えるって。そうされたら、いまの企画に道仁さんは携われなくなるし、会社自体を異動しなきゃいけない可能性もある。道仁さんを巻きこみたくない。道仁さんには……」
「ちょっと待って」
琴子が話すさなか、何やら気にかかったように考えめぐらせていた梓沙は唐突にさえぎった。思考を整理する時間を要し、それから用心深い様子で梓沙は口を開いた。
「もしかして、わたしが壮輔を脅迫したから、琴子が逆に脅されてるってこと?」
「もしかしないでもそう。犬飼さん、堪忍袋の緒が切れたって感じ。梓沙とのことがバレてもかまわないのか、そうしたら壮輔さんにバレることになるから絶対に云わないってことにかけてるのか、ひょっとしたら、共倒れでもかまわないって思ってるかもしれないけど」
「ごめん、琴子……」
「梓沙、わたしには謝る必要ない。でも、道仁さんに謝るようなことをしちゃだめ。それに、わたしにやめさせるようなことしたくないなら、脅迫は取り消して。プラヴィみたいに条件のいい会社にはなかなか入れない。それは、わたしたちがいちばんわかってるはずでしょ。このままプラヴィにいられるなら、ふたりでやっていけるよ。ううん、赤ちゃんも、三人で」
梓沙は引き止めるかのごとく琴子の腕をつかみ、慌てた素振りで何度も首を横に振った。
「待って。わたしが脅迫を取り消したら、犬飼も訴えないでしょ。そしたら道仁さんと……」
「わたしには無理。梓沙が証明してくれたじゃない。わたしたちと向こう側は世界がかけ離れてる。梓沙が取り消したとしても犬飼さんに弱み握られてるのは変わらないし、だから、犬飼さんにしたことを道仁さんに話す。梓沙との関係は云わないよ。ほかの人との関係を知って、梓沙と協力して脅したってことだけ云うから。いいでしょ? そしたら、道仁さんもわたしが嫌になって、それで終わり。道仁さんには未来が開けている。それを邪魔したくない」
「わたしはもう悪者だから話していいけど……」
梓沙は迷うようにしながら中途半端に言葉を切り、しばらく考えこむと――
「もし道仁さんがだめでも、琴子はわたしに縛られなくていい。次にだれかと出会ったときは……」
「わたしは、梓沙と赤ちゃんを置いていく気ないから。それに、梓沙がいまさっき云ったじゃない。道仁さんみたいな宝くじに簡単には当たらないでしょ」
一瞬、時間が静止したように梓沙の表情が止まり、そして、深刻だった面持ちから一転してぷっと吹きだした。釣られたように琴子も吹きだしたけれど、うつ然とした気分を払拭したいがためにそうせずにはいられないだけで、心境はそれとは程遠い。きっと梓沙も同じだ。
明日――そう決意しながら、道仁の顔を見て云いだせるのか、琴子は幸せの境地から弾かれたように途方にくれた。
梓沙はためらうこともなく、いとも簡単にうなずいた。
「でも……」
と云いかけたのは果たして反論だったのか、琴子は口にする言葉が見つからなくて続けられなかった。
琴子とて、中絶するものと決めつけて訊ねたつもりはない。経済的に苦労した母子家庭で育った梓沙が、独りで子育てをするなど無謀な選択はしないだろう、とまずそう思ったのだ。
「三千万は養育費みたいなものよ。社会人になるまで子供が困ることのないように。これが犬飼だったら、無理だって殺されそうだけど、壮輔は違う」
「犬飼さんはマッチングのこと云ってたけど、壮輔さんは今日で会社をやめるんだよ。脅迫しても、もうコンプライアンスとは関係なくなる」
「でも、“元プラヴィ社員”だよ。それに、琴子はパーティに出てないからわからないだろうけど、本家だろうと分家だろうと、玉城家も里見家もブランド意識が高いの。見栄じゃなくて体面を大事にしてる。やめたあとだって関係ない。わたしが曝露すれば玉城家の名が傷つくのは確か」
だから梓沙の身辺調査が必要だったのだろう。けれど、体面を気にするなら梓沙と壮輔の間に子供がいるとわかって、それを放っておくだろうか。放っておかないとして玉城家が産む産まないのどちらを選択するのか、それは心もとない。
いまはっきりしているのは、梓沙が独りで子供を産んで育てる気でいることだ。
琴子には、自分が梓沙と壮輔の間に立って関係を修復できるとは思えない。それなら、ほかにできることは――
「梓沙、脅迫は取り消して」
「嫌。子供にはちゃんと……」
「わたしがお父さん役するよ。梓沙は産休とか育休とか、ちゃんと取って。ふたりでだったらなんとかなる。子育ても手伝うし、ふたりとも仕事で休めないときは、お母さんにも頼めると思う」
梓沙の顔は見る見るうちに驚きに満ちた。雑魚だらけの手持ちのカードに、予想だにしない切り札を発見したような様だ。けれど、それは見間違いだったかのように、すぐに梓沙から驚きは消え去った。かわりに、深刻な事柄にもかかわらず失笑した。
「琴子、いまのビジョンから欠けてるものない?」
「欠けてるもの?」
「そう、いま云った琴子の未来像には道仁さんが欠けてるよ。道仁さんて三十になるでしょ。結婚を意識しててもおかしくないよ。琴子のほうが曖昧で、道仁さんのほうはその気って感じするかな」
付き合うことの延長上に結婚が控えていることは、もちろん多くの恋愛がそうだろう。琴子の場合は、梓沙が云うように曖昧で、週末の半同棲が当然のようになっていても、夢を抱くことも思い描くこともできなかった。なぜか、その理由はいまはっきりした。結婚が現実になるわけがないからだ。
「それはない」
琴子が云いきると、梓沙は怪訝そうにしながら、だめだよ、と首を横に振った。
「琴子はそうしなくちゃ。道仁さんみたいな人、二度と現れないよ」
今度は琴子が首を横に振った。
「犬飼さんは、わたしと道仁さんの関係を知ってる。手を引かないと、コンプラ違反で訴えるって。そうされたら、いまの企画に道仁さんは携われなくなるし、会社自体を異動しなきゃいけない可能性もある。道仁さんを巻きこみたくない。道仁さんには……」
「ちょっと待って」
琴子が話すさなか、何やら気にかかったように考えめぐらせていた梓沙は唐突にさえぎった。思考を整理する時間を要し、それから用心深い様子で梓沙は口を開いた。
「もしかして、わたしが壮輔を脅迫したから、琴子が逆に脅されてるってこと?」
「もしかしないでもそう。犬飼さん、堪忍袋の緒が切れたって感じ。梓沙とのことがバレてもかまわないのか、そうしたら壮輔さんにバレることになるから絶対に云わないってことにかけてるのか、ひょっとしたら、共倒れでもかまわないって思ってるかもしれないけど」
「ごめん、琴子……」
「梓沙、わたしには謝る必要ない。でも、道仁さんに謝るようなことをしちゃだめ。それに、わたしにやめさせるようなことしたくないなら、脅迫は取り消して。プラヴィみたいに条件のいい会社にはなかなか入れない。それは、わたしたちがいちばんわかってるはずでしょ。このままプラヴィにいられるなら、ふたりでやっていけるよ。ううん、赤ちゃんも、三人で」
梓沙は引き止めるかのごとく琴子の腕をつかみ、慌てた素振りで何度も首を横に振った。
「待って。わたしが脅迫を取り消したら、犬飼も訴えないでしょ。そしたら道仁さんと……」
「わたしには無理。梓沙が証明してくれたじゃない。わたしたちと向こう側は世界がかけ離れてる。梓沙が取り消したとしても犬飼さんに弱み握られてるのは変わらないし、だから、犬飼さんにしたことを道仁さんに話す。梓沙との関係は云わないよ。ほかの人との関係を知って、梓沙と協力して脅したってことだけ云うから。いいでしょ? そしたら、道仁さんもわたしが嫌になって、それで終わり。道仁さんには未来が開けている。それを邪魔したくない」
「わたしはもう悪者だから話していいけど……」
梓沙は迷うようにしながら中途半端に言葉を切り、しばらく考えこむと――
「もし道仁さんがだめでも、琴子はわたしに縛られなくていい。次にだれかと出会ったときは……」
「わたしは、梓沙と赤ちゃんを置いていく気ないから。それに、梓沙がいまさっき云ったじゃない。道仁さんみたいな宝くじに簡単には当たらないでしょ」
一瞬、時間が静止したように梓沙の表情が止まり、そして、深刻だった面持ちから一転してぷっと吹きだした。釣られたように琴子も吹きだしたけれど、うつ然とした気分を払拭したいがためにそうせずにはいられないだけで、心境はそれとは程遠い。きっと梓沙も同じだ。
明日――そう決意しながら、道仁の顔を見て云いだせるのか、琴子は幸せの境地から弾かれたように途方にくれた。
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