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第4章 unfairのちfair
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梓沙と、壮輔のことを話すのは一週間もたつことなく二度めだ。正しくは、梓沙たちの問題にとどまらない。別のところに派生して、道仁まで巻きこんだ事態になった。
「梓沙、犬飼さんが来たの。どういうこと?」
琴子は梓沙の部屋に入って照明をつけると、口調を強めて無理やり起こした。
雨風は帰宅した九時半をすぎてもまだおさまっていない。琴子は焦るような、もやもやした気分で帰ったのに、肝心の梓沙は、時折、窓が風に揺さぶられる音も気に留めることなく、のん気にももうベッドに入っていた。
「何よ、眠たいんだけど」
悪びれることもなく、梓沙は面倒くさそうに云い、おもむろに起きあがった。引っ張り起こしたいもどかしさをやりすごし、琴子はベッドまで行って腰かけた。
「梓沙、どういうつもりで何をやってるの?」
「ちょっと待って」
梓沙は顔をしかめ、その云い方は一方的に逆上する相手をなだめるようで、まるで琴子のほうに非があるとばかりに振る舞う。
確かに、逆上する一歩手前だ。ただし、梓沙には無謀なところがあって、琴子はそれを容認して、あるいは片棒を担いできた、その自己責任は免れない。
「えっと……犬飼が琴子のところへ来たって云ったよね。……ああ、そっか、壮輔、喋っちゃったんだ」
梓沙はいつもと変わりなくあっけらかんとしている。それでも嫌気が差すほど腹が立たないのは、琴子がちゃんと梓沙を知っているからだ。いや、腹が立つ点はひとつある。事前に話してくれなかったことだ。そうした理由は、琴子を巻きこみたくなかったこと、反対されるとわかっていたこと、その二点だろう。
「“喋っちゃった”じゃないよ。何をやってるの? ますます壮輔さんと仲直りできなくなるよ? 梓沙は自分から嫌われるようなことやってる」
「琴子、的外れ。仲直りなんてできないよ。わたしの経歴は変えようがないんだから。壮輔の価値観が変わるしかない。それは不可能」
「そんなこと……」
「男性不信も一種の価値観でしょ。結局、わたしたちは変えられてないじゃない。男とうまくいかないことがあってもまた踏みだせるならともかく、琴子は完全に男を避けるようになった。里見さんがすごく奇異で奇特な人だったから、いま付き合えてるけど」
違う? とそんな様で梓沙は首をかしげた。
「どっちにしても恨まれるような脅迫はよくない」
「わかってる」
「だったら……」
「必要なの!」
互いが互いをさえぎりながら、梓沙の断固とした口調で締められ、ふたりともが沈黙した。
何が必要なのか、琴子は考えめぐって、一方で梓沙はその答えを待っている。大事は何が必要かではなく、なんのために必要かだ。簡単には揺るぎそうのない意志が、梓沙の気配に現れている。犬飼のときもそうだったけれど、梓沙が脅迫を考えるのにはれっきとした理由があって、むやみに利益を得るためではない。
「梓沙、三千万も必要なことって何?」
「妊娠したの」
琴子が問いかけた言葉は正解だったのか、梓沙はあっさりと理由を打ち明けた。にもかかわらず、琴子は一瞬、理解ができなかった。
「……妊娠?」
目を丸くして驚きをあらわにした琴子と対照的に、梓沙は風邪をひいたくらいにあっさりとして、微笑すら浮かべている。
「そう。検査薬で反応が出て、昨日、病院に行ってきた」
梓沙は続けて、疑ってそうだから、と琴子の顔を見て云い、ベッドのすぐ横に据えたチェストに手を伸ばした。スマホを取りあげ、その下にあった紙を取って琴子に差しだした。
手に取ると、それは紙ではなくモノトーンの写真のようだが、何が写っているのか琴子にはさっぱり見極められない。ただ、赤ちゃんがいる証拠として示されたことはわかった。
「壮輔さんには云ったの?」
「云って何か変わる? 第一、わたしは壮輔を騙したから。生理痛で飲んでる薬が避妊薬にもなるからって云って、避妊させなかった。付き合い始めてから薬は飲んでないし、それまで妊娠してないから信じてたと思うけど」
「梓沙、どういうつもりで……」
琴子は云いかけてやめた。梓沙の嘘がどういうつもりだったか、いまさら訊かなくても結婚を狙っていたことを梓沙は明言していた。
「じゃあ、壮輔さんには教えないで、お金だけ慰謝料としてもらうつもり? 三千万も? お金なんかあとでいいじゃない。嫌われたり恨まれたり、ほんとにそうなるのは壮輔さんに話してからでも遅くない。壮輔さんには知る権利があるよ」
「琴子の云ってることは正しいけどそれだけで、現実には役に立たない。考えてみて。ただでさえキャバ嬢だったことを嫌悪してるのに、嘘を吐いて赤ちゃんができたなんて云ったら、やっぱり嫌われるよ。つまり結果は同じ。だから、せめて子供まで嫌悪されないようにしたいの。知らなきゃ、嫌うこともないじゃない?」
梓沙の云い分を聞いているうちに、琴子はまた目を見開いた。
「梓沙、それって……赤ちゃんを産んで独りで育てるって云ってるの?」
梓沙と、壮輔のことを話すのは一週間もたつことなく二度めだ。正しくは、梓沙たちの問題にとどまらない。別のところに派生して、道仁まで巻きこんだ事態になった。
「梓沙、犬飼さんが来たの。どういうこと?」
琴子は梓沙の部屋に入って照明をつけると、口調を強めて無理やり起こした。
雨風は帰宅した九時半をすぎてもまだおさまっていない。琴子は焦るような、もやもやした気分で帰ったのに、肝心の梓沙は、時折、窓が風に揺さぶられる音も気に留めることなく、のん気にももうベッドに入っていた。
「何よ、眠たいんだけど」
悪びれることもなく、梓沙は面倒くさそうに云い、おもむろに起きあがった。引っ張り起こしたいもどかしさをやりすごし、琴子はベッドまで行って腰かけた。
「梓沙、どういうつもりで何をやってるの?」
「ちょっと待って」
梓沙は顔をしかめ、その云い方は一方的に逆上する相手をなだめるようで、まるで琴子のほうに非があるとばかりに振る舞う。
確かに、逆上する一歩手前だ。ただし、梓沙には無謀なところがあって、琴子はそれを容認して、あるいは片棒を担いできた、その自己責任は免れない。
「えっと……犬飼が琴子のところへ来たって云ったよね。……ああ、そっか、壮輔、喋っちゃったんだ」
梓沙はいつもと変わりなくあっけらかんとしている。それでも嫌気が差すほど腹が立たないのは、琴子がちゃんと梓沙を知っているからだ。いや、腹が立つ点はひとつある。事前に話してくれなかったことだ。そうした理由は、琴子を巻きこみたくなかったこと、反対されるとわかっていたこと、その二点だろう。
「“喋っちゃった”じゃないよ。何をやってるの? ますます壮輔さんと仲直りできなくなるよ? 梓沙は自分から嫌われるようなことやってる」
「琴子、的外れ。仲直りなんてできないよ。わたしの経歴は変えようがないんだから。壮輔の価値観が変わるしかない。それは不可能」
「そんなこと……」
「男性不信も一種の価値観でしょ。結局、わたしたちは変えられてないじゃない。男とうまくいかないことがあってもまた踏みだせるならともかく、琴子は完全に男を避けるようになった。里見さんがすごく奇異で奇特な人だったから、いま付き合えてるけど」
違う? とそんな様で梓沙は首をかしげた。
「どっちにしても恨まれるような脅迫はよくない」
「わかってる」
「だったら……」
「必要なの!」
互いが互いをさえぎりながら、梓沙の断固とした口調で締められ、ふたりともが沈黙した。
何が必要なのか、琴子は考えめぐって、一方で梓沙はその答えを待っている。大事は何が必要かではなく、なんのために必要かだ。簡単には揺るぎそうのない意志が、梓沙の気配に現れている。犬飼のときもそうだったけれど、梓沙が脅迫を考えるのにはれっきとした理由があって、むやみに利益を得るためではない。
「梓沙、三千万も必要なことって何?」
「妊娠したの」
琴子が問いかけた言葉は正解だったのか、梓沙はあっさりと理由を打ち明けた。にもかかわらず、琴子は一瞬、理解ができなかった。
「……妊娠?」
目を丸くして驚きをあらわにした琴子と対照的に、梓沙は風邪をひいたくらいにあっさりとして、微笑すら浮かべている。
「そう。検査薬で反応が出て、昨日、病院に行ってきた」
梓沙は続けて、疑ってそうだから、と琴子の顔を見て云い、ベッドのすぐ横に据えたチェストに手を伸ばした。スマホを取りあげ、その下にあった紙を取って琴子に差しだした。
手に取ると、それは紙ではなくモノトーンの写真のようだが、何が写っているのか琴子にはさっぱり見極められない。ただ、赤ちゃんがいる証拠として示されたことはわかった。
「壮輔さんには云ったの?」
「云って何か変わる? 第一、わたしは壮輔を騙したから。生理痛で飲んでる薬が避妊薬にもなるからって云って、避妊させなかった。付き合い始めてから薬は飲んでないし、それまで妊娠してないから信じてたと思うけど」
「梓沙、どういうつもりで……」
琴子は云いかけてやめた。梓沙の嘘がどういうつもりだったか、いまさら訊かなくても結婚を狙っていたことを梓沙は明言していた。
「じゃあ、壮輔さんには教えないで、お金だけ慰謝料としてもらうつもり? 三千万も? お金なんかあとでいいじゃない。嫌われたり恨まれたり、ほんとにそうなるのは壮輔さんに話してからでも遅くない。壮輔さんには知る権利があるよ」
「琴子の云ってることは正しいけどそれだけで、現実には役に立たない。考えてみて。ただでさえキャバ嬢だったことを嫌悪してるのに、嘘を吐いて赤ちゃんができたなんて云ったら、やっぱり嫌われるよ。つまり結果は同じ。だから、せめて子供まで嫌悪されないようにしたいの。知らなきゃ、嫌うこともないじゃない?」
梓沙の云い分を聞いているうちに、琴子はまた目を見開いた。
「梓沙、それって……赤ちゃんを産んで独りで育てるって云ってるの?」
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