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第4章 unfairのちfair
16.
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どれくらい立ち尽くしていたのか、琴子、と声がしたと同時に視界に道仁が入ってきて、琴子はハッと我に返った。
犬飼が消え去ったエレベーターホールの方向から出てきた道仁は、すたすたと迫ってくる。なんのために自分が廊下にいるのか、道仁が目の前に立ち止まり、その首がかしぐのを見て琴子はようやく思いだした。
道仁は、下のコンビニで調達してきた、と手に持った袋を掲げた。
「この天気で外に出られないし、コンビニの残り物から選ぶしかなかった。文句はナシだ」
かまわないだろう? と道仁はまた首を傾けて同意を促す。
「わたしが食べ物に文句を云ったことある?」
琴子が問うと、道仁は記憶をたどっているのか目線を上げ、それから琴子に目を戻した。
「そういえば、ないな」
「食べられるものを食べられるだけでマシ。作られて売ってあるものなら、なおさら美味しくないはずないし」
それは自分でも理屈っぽく聞こえた。道仁に至っては、拗ねているようにも聞こえたかもしれない。切れ長の目がわずかに見開かれた。
「何か云い……」
道仁は云いかけてやめた。急にビジネスライクな眼差しに変化して、琴子の後方を見やる。すると、足音が聞こえだした。廊下に人が出てきたようだ。
「早く終わらせよう」
聞こえるようにというわざとらしさは見えないものの、道仁はいかにも仕事だと見せかけて云い、促すように顎をしゃくると身をひるがえした。
わかりました、と琴子もまた取り繕って道仁のあとに続いた。
犬飼の脅しが実行されれば、琴子と道仁の関係についてそういうことだったのか、とほかの社員にとって辻褄の合うことはたくさんあるだろう。琴子は心もとない気持ちのまま道仁についていき、エレベーターで二つ上のフロアに移動して会議室に入った。
「いままでゲリラ豪雨に閉じこめられることはあったけど、台風がまともに直撃して閉じこめられたのははじめてだったな」
コンビニで調達してきたコーヒーと卵サンドに唐揚げの箱をテーブルに出しながら、道仁はちらりと窓の外を見やった。
外はすでに暗くなっているうえ窓には雨が打ちつけている。室内の照明が邪魔して近隣のビルの灯りがかろうじて見えるくらいで、琴子が好む、羽ばたけるような広さを感じる景色とは程遠い。
「でも、こういう大きなビルだと揺れてもあんまり気にならない感じ。アパートだと窓がガタガタ鳴って音が怖いけど」
「超高層ビルは窓ガラスの質とか造りが違うからな」
「道仁さんのマンションも、超高層じゃないけどわたしのアパートとは造りが違う」
道仁は正面ではなく琴子の隣で椅子を引き、腰かけた。
「何が違う?」
琴子のほうに躰ごと向けて道仁は問う。
その問いはいまの会話からすればちぐはぐで噛み合っていない。惚けているのではなく、道仁はあえてポイントをずらした。そのことは察せられても、何を聞きたがっているのかはよくわからない。否、“よく”と付け加えたのは自分をごまかしたにすぎず、見当はついている。琴子が発した『違う』という言葉の本当の意味を、道仁は違えることなく理解しているのだ。
「だから、建物の構造が違う。道仁さんのマンションはこのビルみたいに頑丈そうだし」
気づかないふりをした琴子の返事に道仁はため息で応えた。そのため息以上に、道仁をがっかりさせる、あるいは呆れさせることがある。その後ろめたさとか、怯えとか、向き合う覚悟がまだ琴子にはない。
「食べよう」
道仁は一つのコーヒーを取って琴子の前に置くと、唐揚げの箱を開けた。ひと口サイズの唐揚げを一つ抓んで、琴子の口もとに近づける。
「子供じゃない」
顔を引きつつ琴子が道仁のしぐさに盾突くと、興じた笑みが返ってくる。
「子供扱いじゃない。甘やかしてる」
「自分で食べるから」
琴子は道仁が持った唐揚げを抓んで、取り返されないうちに素早く口に運んだ。道仁は肩をすくめると、自分も一つ取って口に入れた。
ふたりきりの室内でふたりとも食べているから静かなのは当然だけれど、話さないぶん琴子は犬飼との会話を思いだしてしまう。唐揚げはまるで味付けを忘れたように美味しさが感じられず、呑みこむまでにも時間がかかった。
道仁には話さなければならない、琴子が梓沙を説得できなかったら。いや、説得ができなかったときに、琴子ができることはひとつ、せめて会社をやめることしかない。そうしたら、道仁に話すこともなく、被害が及ぶこともない――のか。そんな肝心なことを犬飼に確かめていない。
道仁は、梓沙と壮輔の現状を知っているはずだ。壮輔が打ち明けなくとも、母親を通じて知っているはず。道仁がその話をすることはない。梓沙と壮輔のことはふたりの問題であり、口を出すことではないと考えているのだろうけれど――
琴子は道仁の考えを確かめようとしたのか、無意識に顔を向けたとたん道仁と目が合った。いつから琴子を見ていたのだろう。道仁からいつになく考えこんだ気配を感じる。
「これで……夕ごはん、これくらいで足りる?」
琴子は気まずさをごまかして訊ねた。
「それは一緒に帰ろうっていう誘いか?」
道仁は琴子の言葉にのってからかった。そうかと思うと、生真面目な様に変わって、ひと呼吸置いたのち口を開いた。
「梓沙ちゃんと壮輔が拗れているのは知っている。土曜日、お節介にも母が教えにきたからな。琴子が知らないはずはない。ふたりが解決することでおれたちが口出しすべきじゃないと判断して、琴子はあえて云わないんだろうと思っていた。おれも同じ考えだったから。土曜日はともかく、日曜日はドライブに誘ったのにフラれた。梓沙ちゃんをなぐさめるためだと思って強引に連れだすのはやめた。いま、おれは、梓沙ちゃんでも壮輔でもなく、琴子をなぐさめなきゃいけない気がしてるけど、どう?」
「……どう、って……」
「話してみる気ない? どんなことでも」
なだめるように云った道仁は、琴子が話さなくてもすでに知っているような云い方をした。
犬飼が消え去ったエレベーターホールの方向から出てきた道仁は、すたすたと迫ってくる。なんのために自分が廊下にいるのか、道仁が目の前に立ち止まり、その首がかしぐのを見て琴子はようやく思いだした。
道仁は、下のコンビニで調達してきた、と手に持った袋を掲げた。
「この天気で外に出られないし、コンビニの残り物から選ぶしかなかった。文句はナシだ」
かまわないだろう? と道仁はまた首を傾けて同意を促す。
「わたしが食べ物に文句を云ったことある?」
琴子が問うと、道仁は記憶をたどっているのか目線を上げ、それから琴子に目を戻した。
「そういえば、ないな」
「食べられるものを食べられるだけでマシ。作られて売ってあるものなら、なおさら美味しくないはずないし」
それは自分でも理屈っぽく聞こえた。道仁に至っては、拗ねているようにも聞こえたかもしれない。切れ長の目がわずかに見開かれた。
「何か云い……」
道仁は云いかけてやめた。急にビジネスライクな眼差しに変化して、琴子の後方を見やる。すると、足音が聞こえだした。廊下に人が出てきたようだ。
「早く終わらせよう」
聞こえるようにというわざとらしさは見えないものの、道仁はいかにも仕事だと見せかけて云い、促すように顎をしゃくると身をひるがえした。
わかりました、と琴子もまた取り繕って道仁のあとに続いた。
犬飼の脅しが実行されれば、琴子と道仁の関係についてそういうことだったのか、とほかの社員にとって辻褄の合うことはたくさんあるだろう。琴子は心もとない気持ちのまま道仁についていき、エレベーターで二つ上のフロアに移動して会議室に入った。
「いままでゲリラ豪雨に閉じこめられることはあったけど、台風がまともに直撃して閉じこめられたのははじめてだったな」
コンビニで調達してきたコーヒーと卵サンドに唐揚げの箱をテーブルに出しながら、道仁はちらりと窓の外を見やった。
外はすでに暗くなっているうえ窓には雨が打ちつけている。室内の照明が邪魔して近隣のビルの灯りがかろうじて見えるくらいで、琴子が好む、羽ばたけるような広さを感じる景色とは程遠い。
「でも、こういう大きなビルだと揺れてもあんまり気にならない感じ。アパートだと窓がガタガタ鳴って音が怖いけど」
「超高層ビルは窓ガラスの質とか造りが違うからな」
「道仁さんのマンションも、超高層じゃないけどわたしのアパートとは造りが違う」
道仁は正面ではなく琴子の隣で椅子を引き、腰かけた。
「何が違う?」
琴子のほうに躰ごと向けて道仁は問う。
その問いはいまの会話からすればちぐはぐで噛み合っていない。惚けているのではなく、道仁はあえてポイントをずらした。そのことは察せられても、何を聞きたがっているのかはよくわからない。否、“よく”と付け加えたのは自分をごまかしたにすぎず、見当はついている。琴子が発した『違う』という言葉の本当の意味を、道仁は違えることなく理解しているのだ。
「だから、建物の構造が違う。道仁さんのマンションはこのビルみたいに頑丈そうだし」
気づかないふりをした琴子の返事に道仁はため息で応えた。そのため息以上に、道仁をがっかりさせる、あるいは呆れさせることがある。その後ろめたさとか、怯えとか、向き合う覚悟がまだ琴子にはない。
「食べよう」
道仁は一つのコーヒーを取って琴子の前に置くと、唐揚げの箱を開けた。ひと口サイズの唐揚げを一つ抓んで、琴子の口もとに近づける。
「子供じゃない」
顔を引きつつ琴子が道仁のしぐさに盾突くと、興じた笑みが返ってくる。
「子供扱いじゃない。甘やかしてる」
「自分で食べるから」
琴子は道仁が持った唐揚げを抓んで、取り返されないうちに素早く口に運んだ。道仁は肩をすくめると、自分も一つ取って口に入れた。
ふたりきりの室内でふたりとも食べているから静かなのは当然だけれど、話さないぶん琴子は犬飼との会話を思いだしてしまう。唐揚げはまるで味付けを忘れたように美味しさが感じられず、呑みこむまでにも時間がかかった。
道仁には話さなければならない、琴子が梓沙を説得できなかったら。いや、説得ができなかったときに、琴子ができることはひとつ、せめて会社をやめることしかない。そうしたら、道仁に話すこともなく、被害が及ぶこともない――のか。そんな肝心なことを犬飼に確かめていない。
道仁は、梓沙と壮輔の現状を知っているはずだ。壮輔が打ち明けなくとも、母親を通じて知っているはず。道仁がその話をすることはない。梓沙と壮輔のことはふたりの問題であり、口を出すことではないと考えているのだろうけれど――
琴子は道仁の考えを確かめようとしたのか、無意識に顔を向けたとたん道仁と目が合った。いつから琴子を見ていたのだろう。道仁からいつになく考えこんだ気配を感じる。
「これで……夕ごはん、これくらいで足りる?」
琴子は気まずさをごまかして訊ねた。
「それは一緒に帰ろうっていう誘いか?」
道仁は琴子の言葉にのってからかった。そうかと思うと、生真面目な様に変わって、ひと呼吸置いたのち口を開いた。
「梓沙ちゃんと壮輔が拗れているのは知っている。土曜日、お節介にも母が教えにきたからな。琴子が知らないはずはない。ふたりが解決することでおれたちが口出しすべきじゃないと判断して、琴子はあえて云わないんだろうと思っていた。おれも同じ考えだったから。土曜日はともかく、日曜日はドライブに誘ったのにフラれた。梓沙ちゃんをなぐさめるためだと思って強引に連れだすのはやめた。いま、おれは、梓沙ちゃんでも壮輔でもなく、琴子をなぐさめなきゃいけない気がしてるけど、どう?」
「……どう、って……」
「話してみる気ない? どんなことでも」
なだめるように云った道仁は、琴子が話さなくてもすでに知っているような云い方をした。
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