恋愛コンプライアンス

奏井れゆな

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第4章 unfairのちfair

13.

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 ごめん。
 家に帰って琴子と顔を合わせた梓沙は開口一番、謝った。
「梓沙に謝られるようなこと、わたしは何もされてないよ」
 梓沙がタイミングよく淹れてくれていたコーヒーを一口飲んで、美味しい、と琴子が云うと、梓沙は小さく吹いた。
 心配して帰ったけれど、無理にではなく自然と笑った梓沙を見て琴子は少しほっとする。けれど、笑みはすぐに消えて、梓沙はわずかに肩をすくめて口を開いた。
「何もされてないことはないでしょ。琴子の幸せな時間を邪魔してる」
「幸せって……」
「強制されて里見さんのところに泊まったわけじゃないでしょ。流されてそうしてるわけでもない。そういう時間は幸せって云うんだよ」
 意地を張ってそうじゃないと否定ができる雰囲気ではない。琴子はコーヒーカップをテーブルに戻すと、梓沙をつぶさに見やった。
「昨日、玉城さんと会ったのって急だったよね? 身元調査のことで呼びだされたってこと?」
「そう。確かめるためにね。元キャバ嬢だってことも男を取っ替え引っ替えしてたことも、あっさり認めてあげたら絶句してたけど、お互いバージンでも童貞でもないってわかってるのに、何を期待してるんだろうね。笑っちゃった」
 そう云いつつ、梓沙は笑っていない。そのときどんな気持ちでいたのか、琴子には計り知れない。
「梓沙、認めるのはいいとしてちゃんと云い訳はした? 本当のことは云った?」
「だから、キャバ嬢だってことと男を取っ替え引っ替えしてたことは本当のことじゃない?」
「それは、表面上のほんとのこと。わたしが云ってるのは、ちゃんとした“本当のこと”と気持ちのことだよ」
「関係ないよ。セレブほど対面を大事にするから。表面の二つのことで充分、わたしは玉城家にとっては失格、クビってわけ」
 梓沙は、ともすれば達観しているように淡々とした素振りだけれど、傷心のすえに投げ遣りになっている。それは、表面上の事実は大したことがないくらい、梓沙の本質が奔放さとは相容れないからだ。
 犬飼との関係はとても褒められたことではない。けれど、ほかの付き合ってきた男たちとは深入りしていない。梓沙は夢中にさせて別れるということを繰り返していただけだ。悪質であっても、明言したとおり躰を“安売り”をしていたわけではない。梓沙が虚勢を張ってきたことを琴子は知っている。
「……まさか、クビって会社のことは違うよね?」
「そうなったら不当解雇で訴えるよ。過去のことといまは違うし、そもそもキャバ嬢だからって法律に触れるようなことしてない」
 梓沙の云うとおりで、仕事のことは心配ないとしても、いま妙に云いきった口調は何かを企んでいるように聞こえて、琴子は不安を抱いた。それに、ひとつ引っかかることがある。
「調査でバレたのはキャバ嬢のことだけじゃなくて、付き合ってた人たちのことも知られてたの?」
「壮輔に訊かれたからそうなんじゃない?」
「でも……身辺調査って一週間でそこまでわかるものなの?」
「壮輔はそう思ってるみたいだけど……電話で話したときはわたしもそう思ってたけど、よく考えたらパーティで紹介されるまでもなく、わたしと壮輔が付き合ったきっかけはマッチングアプリだから、以前から……マッチングがうまくいったとわかって調べてたかもしれない」
 根っからのセレブはセレブ。梓沙が云った言葉が強烈に迫ってきた。普通というよりも低い生活レベルの琴子と、根っからのセレブである道仁の間には埋めようのない差がある。わかってはいたけれど、実際に突きつけられ、いまさらくっきりと現実味を帯びた。
「でも……バイトは履歴が残ってるかもしれないけど、個人情報でしょ。それなのに……」
「それはたぶんお母さんのせい。お母さんは同じ水商売だよ、お母さんが云わなくてもお母さんの同僚とか、お母さんの過去の男とか、知ってる人はきっといる。数えきれないほど付き合ってた男たちがいるって大げさにバラしたのは、たぶんプラヴィカスタマの同期の女よ。入社一年めのときはけっこう話してて仲が良かったのに、いまはライバル視されてるって話したことあったでしょ、その子。親切に、その子が悪い噂を立ててるって教えた人もいる。でも、ほんとの親切じゃないよね。結局、マッチングアプリで付き合っても、ジェラシーを感じる人はいるんだよ」
 滝沢は、琴子と道仁の恋愛発展に期待を持っていて、すでに付き合っていると知っても純粋にゴシップを楽しむだけだろうけれど、ジェラシーを覚える人ももちろんいるだろう。壊したからといって自分がその立場になれるわけでもないのに、壊したがる人もいるだろう。壊れたら、そんな悪意を気持ちよくさせるだけだ。
「梓沙、玉城さんとはケンカしただけ? 家族が受けいれてくれないからって玉城さんもそうだとは限らないよね?」
「さあ、どうなんだろう」
 梓沙は他人事のように返事をするけれど、それだけ自分の傷に向き合えていないという裏返しに感じる。
「梓沙、自棄やけになるまえに努力してみて。いい?」
 梓沙は首をすくめるだけで、うなずくことも拒絶することもしない。迷っているよりは不安だったり怯えたりしている。琴子からはそんなふうに見えた。
「琴子、わたしの心配はしなくていいから、里見さんとちゃんとうまくいって」
「梓沙がうまくいかないなら、道仁さんとうまくいくはずない。でも、わたしが道仁さんとうまくいかなくなっても、それは梓沙のせいじゃない。玉城さんと道仁さんは同じだから」
 同じであることは、道仁の母親が早朝から訪ねてきたことで証明されている。悪意があろうとなかろうと、うまくいくはずがない、とその気持ちは心底にずっと燻ってきた。いまそれが表面化してくる。好物を後回しにして食べていた頃のように、ほかとは隔絶された空間に取り残されたような感覚に陥った。
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