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第4章 unfairのちfair
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「ごめんなさい。そういうつもりじゃなくて……」
琴子はとっさに云いかけてためらい、すると、道仁はハッと力尽きたように笑う。
「琴子に素直になられると参る。琴子の手中に落ちた気分だ。たまにしか見られないから」
「からかわれるのは好きじゃない」
琴子が向きになって云い、道仁をおもしろがらせる。
「からかってない、本音だ。おれのダメージはチャラになった」
その弁明が信じられない理由はない。付き合ってまだ三カ月なのか、もう三カ月なのか、一緒にいるとき道仁は常に琴子を気にかけていて、以前の彼のようにうわの空といったことは瞬間もない。少なくともいまの道仁を信じられないとしたら愚かだと責められる。
「そう? わたしは……わたしが出席したらコンプラ違反してるってわかってしまうから……」
「なるほど、おれと別れろって云われるのが嫌だったわけだ」
おれと、と強調するところに道仁らしさがあって、揶揄されても思わず笑ってしまい、琴子は怒る気にはなれなかった。ただし、疑問はある。
「別れろって云われたらどうするの?」
道仁はわずかに目を見開いておどけた顔をする。深刻そうにも真剣そうにも見えない。ふざけているのではなく、そうなったときの筋書きがあるかのような余裕綽々といった気配が窺える。
「関係ない」
「関係ないって……それは道仁さんが“里見”だから?」
「創業者一族だからって規律違反を黙認するなら、今時、社内のみならず世間に漏れて袋叩きだろう? 一族の優遇は、社員採用がせいぜいだ。そのさき、出世するには実力を求められる」
「じゃあ、どうしてコンプラが関係ないって云えるの?」
琴子は問いかけながら、つい一時間前、滝沢と似たような会話をしたことを思いだした。滝沢は社内恋愛を楽しみたがっている。いま道仁の言葉を聞いてわかったけれど、道仁と同じように規律は関係ないと思っている節があった。もしかしたら、ふたりの根拠は一致しているのかもしれない。
「恋愛コンプライアンスがどうしてあると思う?」
と、やはり道仁は滝沢と同じことを問う。
「どうしてって、ハラスメントの対策でしょ」
琴子もまた滝沢に対して発したことと同じ答えを返した。
「そうだ。会社にとって恋愛コンプラは予防線だ。面倒が起きても、会社は社内恋愛を許していない、そうかざせばいい」
「それなのに、関係ないってことにどうしてなるの?」
「恋愛コンプラには抜け道がある。恋愛に会社を巻きこまないこと。それを守りさえすればいい。例えば、フラれたほうがハラスメントで訴えるとか、上司に当たる側が左遷を謀るとか、そういうゴタゴタを引き起こさないこと。つまり、恋愛中だってことを堂々とプラヴィコンプライアンスに直訴しておく。会社側としてはマッチングの結果にすればそれですむ話だ」
「……それってズルですよね。それが普通にまかり通ってるんだったらマッチングの意味がない気がする」
「あくまで、抜け道だ。そこに気づくか否か、それを利用するか否かは、当人の気持ち次第だ。少なくとも、貫き通す覚悟があるなら、どうやったら認めてもらえるのか模索するだろう」
「……道仁さんも模索した?」
「いまそう云った」
道仁は緩く笑みを浮かべる。琴子に何か察してほしいような気配を感じて、道仁の言葉を反すうした。
「……貫き通す、覚悟がある?」
「できるなら、琴子に覚悟してほしい」
「……え?」
「会社でオープンにする?」
琴子は目を丸くした。いままでその話をしていたのだけれど、具体的に道仁から発せられると戸惑ってしまう。
「いまは……無理だと思う。同じプロジェクトに関わってるし、チームのみんなと気まずくなりそう」
「そう云ってたら永遠に無理だ。またおれは琴子を指名するから」
「……もしかして、わたしの異動は道仁さんのせい?」
「進言はした」
琴子が疑っていたことを訊ねてみると、道仁はすまして肩をすくめた。まったくもって厄介な性格をしている。
「そういうの、公私混同じゃないの? 知られたらホントに袋叩きに遭いそう」
「実力を示せばいい。琴子はこの半年、充分応えている。それはおれのチームのみんなが認めているから安心していい。今日もアンケートに関していいアドバイスをもらった」
認めてもらうのはやっぱりうれしい。けれど。
「でも、それとオープンにすることは違う」
「案ずるより産むが易し、だ。ほぼ、知られていると思うけどな」
「……え?」
道仁は可笑しそうににやりと笑みを浮かべた。
「云っただろう、おれのチームは優秀だって。薄々勘づいてる奴はいる」
青くなっているのか赤くなっているのか、琴子は自分でも区別がつかない。
「どうしよう……」
「気にしなくていい。いつものとおり、琴子はクールでいられるだろう」
琴子をなだめつつ、道仁はどこか拗ねた口ぶりだ。
「そんなこと……」
「そんなことある。そろそろ戻らないと、不要な噂が立たないとも限らない」
琴子をさえぎった道仁は、打って変わって悪戯にちゃかす。
「じゃあ早く戻って!」
悲鳴じみて云うと、道仁は笑って立ちあがった。
「鍵、なくすなよ。またあとで」
夢中だと見せかけて、道仁こそクールだと琴子は思う。琴子はその反対で、クールに見せかけて、内心ではあたふたしている。
はじめて渡された鍵をテーブルから取って、手のひらでくるんで握りしめる。気を許していなければ道仁はこんなことはしない。もう充分、親密な気持ちでいるのに、これまで以上に身近に感じた。
琴子はとっさに云いかけてためらい、すると、道仁はハッと力尽きたように笑う。
「琴子に素直になられると参る。琴子の手中に落ちた気分だ。たまにしか見られないから」
「からかわれるのは好きじゃない」
琴子が向きになって云い、道仁をおもしろがらせる。
「からかってない、本音だ。おれのダメージはチャラになった」
その弁明が信じられない理由はない。付き合ってまだ三カ月なのか、もう三カ月なのか、一緒にいるとき道仁は常に琴子を気にかけていて、以前の彼のようにうわの空といったことは瞬間もない。少なくともいまの道仁を信じられないとしたら愚かだと責められる。
「そう? わたしは……わたしが出席したらコンプラ違反してるってわかってしまうから……」
「なるほど、おれと別れろって云われるのが嫌だったわけだ」
おれと、と強調するところに道仁らしさがあって、揶揄されても思わず笑ってしまい、琴子は怒る気にはなれなかった。ただし、疑問はある。
「別れろって云われたらどうするの?」
道仁はわずかに目を見開いておどけた顔をする。深刻そうにも真剣そうにも見えない。ふざけているのではなく、そうなったときの筋書きがあるかのような余裕綽々といった気配が窺える。
「関係ない」
「関係ないって……それは道仁さんが“里見”だから?」
「創業者一族だからって規律違反を黙認するなら、今時、社内のみならず世間に漏れて袋叩きだろう? 一族の優遇は、社員採用がせいぜいだ。そのさき、出世するには実力を求められる」
「じゃあ、どうしてコンプラが関係ないって云えるの?」
琴子は問いかけながら、つい一時間前、滝沢と似たような会話をしたことを思いだした。滝沢は社内恋愛を楽しみたがっている。いま道仁の言葉を聞いてわかったけれど、道仁と同じように規律は関係ないと思っている節があった。もしかしたら、ふたりの根拠は一致しているのかもしれない。
「恋愛コンプライアンスがどうしてあると思う?」
と、やはり道仁は滝沢と同じことを問う。
「どうしてって、ハラスメントの対策でしょ」
琴子もまた滝沢に対して発したことと同じ答えを返した。
「そうだ。会社にとって恋愛コンプラは予防線だ。面倒が起きても、会社は社内恋愛を許していない、そうかざせばいい」
「それなのに、関係ないってことにどうしてなるの?」
「恋愛コンプラには抜け道がある。恋愛に会社を巻きこまないこと。それを守りさえすればいい。例えば、フラれたほうがハラスメントで訴えるとか、上司に当たる側が左遷を謀るとか、そういうゴタゴタを引き起こさないこと。つまり、恋愛中だってことを堂々とプラヴィコンプライアンスに直訴しておく。会社側としてはマッチングの結果にすればそれですむ話だ」
「……それってズルですよね。それが普通にまかり通ってるんだったらマッチングの意味がない気がする」
「あくまで、抜け道だ。そこに気づくか否か、それを利用するか否かは、当人の気持ち次第だ。少なくとも、貫き通す覚悟があるなら、どうやったら認めてもらえるのか模索するだろう」
「……道仁さんも模索した?」
「いまそう云った」
道仁は緩く笑みを浮かべる。琴子に何か察してほしいような気配を感じて、道仁の言葉を反すうした。
「……貫き通す、覚悟がある?」
「できるなら、琴子に覚悟してほしい」
「……え?」
「会社でオープンにする?」
琴子は目を丸くした。いままでその話をしていたのだけれど、具体的に道仁から発せられると戸惑ってしまう。
「いまは……無理だと思う。同じプロジェクトに関わってるし、チームのみんなと気まずくなりそう」
「そう云ってたら永遠に無理だ。またおれは琴子を指名するから」
「……もしかして、わたしの異動は道仁さんのせい?」
「進言はした」
琴子が疑っていたことを訊ねてみると、道仁はすまして肩をすくめた。まったくもって厄介な性格をしている。
「そういうの、公私混同じゃないの? 知られたらホントに袋叩きに遭いそう」
「実力を示せばいい。琴子はこの半年、充分応えている。それはおれのチームのみんなが認めているから安心していい。今日もアンケートに関していいアドバイスをもらった」
認めてもらうのはやっぱりうれしい。けれど。
「でも、それとオープンにすることは違う」
「案ずるより産むが易し、だ。ほぼ、知られていると思うけどな」
「……え?」
道仁は可笑しそうににやりと笑みを浮かべた。
「云っただろう、おれのチームは優秀だって。薄々勘づいてる奴はいる」
青くなっているのか赤くなっているのか、琴子は自分でも区別がつかない。
「どうしよう……」
「気にしなくていい。いつものとおり、琴子はクールでいられるだろう」
琴子をなだめつつ、道仁はどこか拗ねた口ぶりだ。
「そんなこと……」
「そんなことある。そろそろ戻らないと、不要な噂が立たないとも限らない」
琴子をさえぎった道仁は、打って変わって悪戯にちゃかす。
「じゃあ早く戻って!」
悲鳴じみて云うと、道仁は笑って立ちあがった。
「鍵、なくすなよ。またあとで」
夢中だと見せかけて、道仁こそクールだと琴子は思う。琴子はその反対で、クールに見せかけて、内心ではあたふたしている。
はじめて渡された鍵をテーブルから取って、手のひらでくるんで握りしめる。気を許していなければ道仁はこんなことはしない。もう充分、親密な気持ちでいるのに、これまで以上に身近に感じた。
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