恋愛コンプライアンス

奏井れゆな

文字の大きさ
上 下
36 / 64
第4章 unfairのちfair

4.

しおりを挟む
 ほんの傍で議事録に見入っている道仁を気にしないよう努めても難しい。それどころか、整髪料と道仁自身の香気が融合して琴子の鼻腔をくすぐり、香りに酔ってくらくらしてくる。すっかりなじんだ香りなのに、平気にはなれない。
 そもそも、こんなプライベートな距離感が間違っている。琴子はつい、引力が働いたかのように首を回したすえ、目の前に道仁の横顔があると抱きつきたくなる衝動に駆られた。額から鼻筋を通って顎先へ、その顎先から耳にかけてのラインが完璧すぎて、独り占めしたい欲求が湧くのだ。
 目が離せないうちに道仁が首を巡らせて、目を逸らせないうちに道仁と間近で目が合う。焦って取り繕う言葉も探せず、ただ、何か云わなくちゃ、と口を開いた刹那、道仁の首がかしいだ。なんだろうと思った次には琴子のくちびるがふさがれた。
 触れた直後に軽く吸いつくようにして道仁のくちびるは浮き、そしてもう一度ぺたりとくっついて、道仁は顔を離した。琴子は、くちびるが合わさった瞬間に反射的に閉じていた目を開ける。くちびるにかわって目が合うときまり悪い。
「……ここ、会社ですよ」
 さっきと同じ言葉を批難めいて発した。
「琴子が目の前で口を開けば、それはおれにとって誘惑だ」
 悪びれない応えが返ってくる。おまけに、道仁の無謀な行動を止めたいなら琴子は喋るなという、無茶振りがほのめかされている。
「それなら持ち場に戻ればいいのに。会議は終わりましたから」
「まだデータをもらってないけど」
 道仁は琴子の向う側のテーブルを指差した。
 そうだ、もともとは頼まれていたデータを渡すために、道仁から会議室に呼びだされたんだった。そのデータについても定例会の議題に出て、それで終わったつもりでいた。プリントアウトしてきた資料も、データの入ったUSBメモリもしっかりパソコンの横に置いたままだ。
 気が散った結果がこれだ。道仁と付き合うようになって三カ月、まだときめきはなくならず冷静でいられないのはあたりまえだろうか。琴子は顔を赤らめて――火照っているだけで実際に赤くなっているかはわからないけれど、資料の上にUSBメモリを載せて一緒に道仁の側に置きなおした。
 サンクス、と受けとった道仁は片側だけ腰を浮かす。スーツパンツのポケットの中に手を入れ、金属音がしたかと思うとそれを取りだして琴子に差しだした。道仁のマンションの鍵だ。
「ちょっと遅くなる。家で待っててくれ」
「わたしにも用事があるって思わない?」
 約束をしたわけでもなく、当然のように琴子が来るものと思っている道仁に、ちょっとした意地悪を云ってみた。好きだと認めても、素直になりきれない頑なさがまだ見え隠れしている。
 道仁はため息まがいで笑う。
「先週、会えなかったことを責めてるのか? おれはちゃんと一緒に来るかって誘った。断ったのは琴子だ。琴子を優先しなかったっていうより、できなかったことはわかってるだろう」
 先週は、里見家と玉城家の一族が集まりパーティが開かれた。二つの財閥が玉里として手を組んだ、いわば合併締結の記念日といったところだ。そんな大層な集まりに道仁と参加することがどう両家に受けとられ、特に道仁の家族に琴子の存在がどう捉えられるのかは想像もつかない。ましてや、恋愛コンプライアンスがある。
 一方で、梓沙は壮輔に誘われて、堂々とパーティに出席した。接客スキルとトークスキルはお手の物で、翌日になって梓沙から話を聞かされたかぎり、楽しんできたようだった。
「べつに、わたしは分からず屋じゃない」
「分からず屋じゃ確かに困るだろうけど、わがままなら――反抗的な態度はともかく、琴子のわがままを聞いてみたいかもな」
「反抗的って……」
「そうだろう? まあそこもおれは楽しんでるけどな。先週の件については、おれの側にも立ってみてくれ。琴子を誘ったすえ断られたダメージは半端ない。琴子がいまおれを信用しても、完全に安心してるとは思ってない。一度、根付いた不信を覆すのは簡単なことじゃないからな。だから、無理強いはしなかった。ただし、責めたいのはおれのほうだって云いたいくらいの、琴子に対する気持ちを持ってる」
 道仁が傷ついているとは少しも思っていなかった。自分のことばかり考えている。琴子はそんな自分にがっかりした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

隠れドS上司の過剰な溺愛には逆らえません

如月 そら
恋愛
旧題:隠れドS上司はTL作家を所望する! 【書籍化】 2023/5/17 『隠れドS上司の過剰な溺愛には逆らえません』としてエタニティブックス様より書籍化❤️ たくさんの応援のお陰です❣️✨感謝です(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎) 🍀WEB小説作家の小島陽菜乃はいわゆるTL作家だ。  けれど、最近はある理由から評価が低迷していた。それは未経験ゆえのリアリティのなさ。  さまざまな資料を駆使し執筆してきたものの、評価が辛いのは否定できない。 そんな時、陽菜乃は会社の倉庫で上司が同僚といたしているのを見てしまう。 「隠れて覗き見なんてしてたら、興奮しないか?」  真面目そうな上司だと思っていたのに︎!! ……でもちょっと待って。 こんなに慣れているのなら教えてもらえばいいんじゃないの!?  けれど上司の森野英は慣れているなんてもんじゃなくて……!? ※普段より、ややえちえち多めです。苦手な方は避けてくださいね。(えちえち多めなんですけど、可愛くてきゅんなえちを目指しました✨) ※くれぐれも!くれぐれもフィクションです‼️( •̀ω•́ )✧ ※感想欄がネタバレありとなっておりますので注意⚠️です。感想は大歓迎です❣️ありがとうございます(*ᴗˬᴗ)💕

クールな御曹司の溺愛ペットになりました

あさの紅茶
恋愛
旧題:クールな御曹司の溺愛ペット やばい、やばい、やばい。 非常にやばい。 片山千咲(22) 大学を卒業後、未だ就職決まらず。 「もー、夏菜の会社で雇ってよぉ」 親友の夏菜に泣きつくも、呆れられるばかり。 なのに……。 「就職先が決まらないらしいな。だったら俺の手伝いをしないか?」 塚本一成(27) 夏菜のお兄さんからのまさかの打診。 高校生の時、一成さんに告白して玉砕している私。 いや、それはちょっと……と遠慮していたんだけど、親からのプレッシャーに負けて働くことに。 とっくに気持ちの整理はできているはずだったのに、一成さんの大人の魅力にあてられてドキドキが止まらない……。 ********** このお話は他のサイトにも掲載しています

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

小野寺社長のお気に入り

茜色
恋愛
朝岡渚(あさおかなぎさ)、28歳。小さなイベント企画会社に転職して以来、社長のアシスタント兼お守り役として振り回される毎日。34歳の社長・小野寺貢(おのでらみつぐ)は、ルックスは良いが生活態度はいい加減、デリカシーに欠ける困った男。 悪天候の夜、残業で家に帰れなくなった渚は小野寺と応接室で仮眠をとることに。思いがけず緊張する渚に、「おまえ、あんまり男を知らないだろう」と小野寺が突然迫ってきて・・・。 ☆全19話です。「オフィスラブ」と謳っていますが、あまりオフィスっぽくありません。 ☆「ムーンライトノベルズ」様にも掲載しています。

恋煩いの幸せレシピ ~社長と秘密の恋始めます~

神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
会社に内緒でダブルワークをしている芽生は、アルバイト先の居酒屋で自身が勤める会社の社長に遭遇。 一般社員の顔なんて覚えていないはずと思っていたのが間違いで、気が付けば、クビの代わりに週末に家政婦の仕事をすることに!? 美味しいご飯と家族と仕事と夢。 能天気色気無し女子が、横暴な俺様社長と繰り広げる、お料理恋愛ラブコメ。 ※注意※ 2020年執筆作品 ◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。 ◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。 ◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。 ◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。 ◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。

狂愛的ロマンス〜孤高の若頭の狂気めいた執着愛〜

羽村美海
恋愛
 古式ゆかしき華道の家元のお嬢様である美桜は、ある事情から、家をもりたてる駒となれるよう厳しく育てられてきた。  とうとうその日を迎え、見合いのため格式高い高級料亭の一室に赴いていた美桜は貞操の危機に見舞われる。  そこに現れた男により救われた美桜だったが、それがきっかけで思いがけない展開にーー  住む世界が違い、交わることのなかったはずの尊の不器用な優しさに触れ惹かれていく美桜の行き着く先は……? ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ ✧天澤美桜•20歳✧ 古式ゆかしき華道の家元の世間知らずな鳥籠のお嬢様 ✧九條 尊•30歳✧ 誰もが知るIT企業の経営者だが、実は裏社会の皇帝として畏れられている日本最大の極道組織泣く子も黙る極心会の若頭 ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ *西雲ササメ様より素敵な表紙をご提供頂きました✨ ※TL小説です。設定上強引な展開もあるので閲覧にはご注意ください。 ※設定や登場する人物、団体、グループの名称等全てフィクションです。 ※随時概要含め本文の改稿や修正等をしています。 ✧ ✧連載期間22.4.29〜22.7.7 ✧ ✧22.3.14 エブリスタ様にて先行公開✧ 【第15回らぶドロップス恋愛小説コンテスト一次選考通過作品です。コンテストの結果が出たので再公開しました。※エブリスタ様限定でヤス視点のSS公開中】

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

冷徹上司の、甘い秘密。

青花美来
恋愛
うちの冷徹上司は、何故か私にだけ甘い。 「頼む。……この事は誰にも言わないでくれ」 「別に誰も気にしませんよ?」 「いや俺が気にする」 ひょんなことから、課長の秘密を知ってしまいました。 ※同作品の全年齢対象のものを他サイト様にて公開、完結しております。

処理中です...