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第3章 男性不信
8.
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琴子は水着を脱いで浴室に入ると、道仁と競うように手早く躰を洗って、丸いバスタブの中に入った。一方で、道仁はゆったりと泡立てたスポンジで躰を洗っていて、琴子はその無防備な後ろ姿をこっそり眺めた。
道仁の家に行くと大抵は一緒にシャワーを浴びる。それに慣れたところで琴子から羞恥心が消えるわけではなく、むしろ、その気持ちを悟られないよう平然と装っている。積極的になれないセックスも同様で、道仁が琴子の内気さを見抜いていないとは思っていない。いまのところ、琴子の小さなプライドを尊重してくれている。
それにしても、と琴子はひっそりと嘆息した。動作によって隆起する広い背中に、いかにも引き締まったヒップ、そして筋の浮かぶ脚と、嫌味なくらい隙のない躰だ。たまにジムに行き、家でも手軽にできるトレーニングをしているという。道仁曰く、躰が鈍れば頭も鈍る、らしい。
躰を鍛えているのはそのためだけだろうか。意地悪な疑問は――
「たいへんですね、いつも注目を浴びて。それとも、注目を浴びてないと物足りない?」
と、またもや道仁にとっては傍迷惑な不意打ちでしかない批難になって琴子の口から飛びだした。
シャワー音に紛れて聞こえていないように、とすぐさま後悔の祈りを捧げてみたものの、道仁は振り向いて琴子を一瞥したあと、わずかに首をひねる。背中から肩の揺れを見るかぎり、きっと笑ったのだ。
道仁はシャワーを浴びて泡を洗い流すと、躰ごとバスタブのほうを振り向いた。琴子は慌てて目を逸らす。赤裸々に躰を晒しているのは道仁であり、羞恥心を感じるとしたら道仁のはずなのに、なぜ琴子のほうが恥ずかしくなるのか、立場は不公平極まりない。
道仁は琴子と正面を向いてバスタブに浸かった。
「“浴びたい人”からは注目されてなかったけどな。どんな思考回路で出し抜けに責められなければならないのか、おれにはさっぱりわからないけど、いまの発言で確かなことは、いまの琴子はおれに注目してるってことだ」
墓穴を掘るとはこのことだ。
「そういうの、自意識過剰って云う」
なんとか切り返そうとしたけれど。
「おれが云ったんじゃない。琴子が云いだしたんだろう。おれはいったいだれから注目を浴びて批難されてるんだ?」
道仁の切り替えのほうが一枚も二枚もうわてだった。
「気づいていないわけない。会社でもそうだし、昼間もさっきも砂浜にいた彼女たちだってそう。わかってるから、道仁さんはずるいくらい隙を見せない」
云ってしまったものは取り消せない。プライドが頭をもたげたのは一瞬で、琴子はずっと云いたかったことをぶつけた。
道仁は可笑しそうに――ともすれば、うれしそうに笑った。
「琴子は矛盾してる。隙を見せたら寄ってくる。だから隙を見せない。それでなんで責められなきゃならないんだ? もっと云えば、琴子には隙を見せまくってるのにスルーされてる」
自分でも云いたいことが――道仁に何を要求することで、相対して何を不満に思っているのか、確かな結論に至っていない。
「わたしからは隙なんて見えない」
琴子を口説こうとしていることが道仁の隙なら、スルーしているという道仁の解釈は間違いないけれど、その隙をどう突けばいいのかまるでわからない。それは“隙が見えないこと”と同じだ。
道仁はきまりが悪くなるほど琴子の目を捉えて放さない。そうしながら、脳内ではきっと目まぐるしく思考が駆けめぐっている。やがて、慎重そうな気配で道仁は口を開いた。
「キスしていても彼女たちの声が聞こえたのは、琴子を守ろうとアンテナを張っているからだ。だから、そうする必要のない、この部屋にこもることにしたんだ。さっきだけじゃなくて、琴子と外にいるときは常にそう心得ている。無論、恋愛コンプラという障害壁のある会社にいるときも」
道仁の回答は完璧だ。完璧すぎることが不安を呼ぶ。道仁と並ぶには、琴子は隙だらけだ。
「琴子、隠れた盾からちゃんと出てくる気ない?」
黙りこんでいる琴子に、道仁はなだめるような声音で云った。
「ちゃんと、って……?」
「琴子が云う『よくある話』を教えてくれ」
道仁の家に行くと大抵は一緒にシャワーを浴びる。それに慣れたところで琴子から羞恥心が消えるわけではなく、むしろ、その気持ちを悟られないよう平然と装っている。積極的になれないセックスも同様で、道仁が琴子の内気さを見抜いていないとは思っていない。いまのところ、琴子の小さなプライドを尊重してくれている。
それにしても、と琴子はひっそりと嘆息した。動作によって隆起する広い背中に、いかにも引き締まったヒップ、そして筋の浮かぶ脚と、嫌味なくらい隙のない躰だ。たまにジムに行き、家でも手軽にできるトレーニングをしているという。道仁曰く、躰が鈍れば頭も鈍る、らしい。
躰を鍛えているのはそのためだけだろうか。意地悪な疑問は――
「たいへんですね、いつも注目を浴びて。それとも、注目を浴びてないと物足りない?」
と、またもや道仁にとっては傍迷惑な不意打ちでしかない批難になって琴子の口から飛びだした。
シャワー音に紛れて聞こえていないように、とすぐさま後悔の祈りを捧げてみたものの、道仁は振り向いて琴子を一瞥したあと、わずかに首をひねる。背中から肩の揺れを見るかぎり、きっと笑ったのだ。
道仁はシャワーを浴びて泡を洗い流すと、躰ごとバスタブのほうを振り向いた。琴子は慌てて目を逸らす。赤裸々に躰を晒しているのは道仁であり、羞恥心を感じるとしたら道仁のはずなのに、なぜ琴子のほうが恥ずかしくなるのか、立場は不公平極まりない。
道仁は琴子と正面を向いてバスタブに浸かった。
「“浴びたい人”からは注目されてなかったけどな。どんな思考回路で出し抜けに責められなければならないのか、おれにはさっぱりわからないけど、いまの発言で確かなことは、いまの琴子はおれに注目してるってことだ」
墓穴を掘るとはこのことだ。
「そういうの、自意識過剰って云う」
なんとか切り返そうとしたけれど。
「おれが云ったんじゃない。琴子が云いだしたんだろう。おれはいったいだれから注目を浴びて批難されてるんだ?」
道仁の切り替えのほうが一枚も二枚もうわてだった。
「気づいていないわけない。会社でもそうだし、昼間もさっきも砂浜にいた彼女たちだってそう。わかってるから、道仁さんはずるいくらい隙を見せない」
云ってしまったものは取り消せない。プライドが頭をもたげたのは一瞬で、琴子はずっと云いたかったことをぶつけた。
道仁は可笑しそうに――ともすれば、うれしそうに笑った。
「琴子は矛盾してる。隙を見せたら寄ってくる。だから隙を見せない。それでなんで責められなきゃならないんだ? もっと云えば、琴子には隙を見せまくってるのにスルーされてる」
自分でも云いたいことが――道仁に何を要求することで、相対して何を不満に思っているのか、確かな結論に至っていない。
「わたしからは隙なんて見えない」
琴子を口説こうとしていることが道仁の隙なら、スルーしているという道仁の解釈は間違いないけれど、その隙をどう突けばいいのかまるでわからない。それは“隙が見えないこと”と同じだ。
道仁はきまりが悪くなるほど琴子の目を捉えて放さない。そうしながら、脳内ではきっと目まぐるしく思考が駆けめぐっている。やがて、慎重そうな気配で道仁は口を開いた。
「キスしていても彼女たちの声が聞こえたのは、琴子を守ろうとアンテナを張っているからだ。だから、そうする必要のない、この部屋にこもることにしたんだ。さっきだけじゃなくて、琴子と外にいるときは常にそう心得ている。無論、恋愛コンプラという障害壁のある会社にいるときも」
道仁の回答は完璧だ。完璧すぎることが不安を呼ぶ。道仁と並ぶには、琴子は隙だらけだ。
「琴子、隠れた盾からちゃんと出てくる気ない?」
黙りこんでいる琴子に、道仁はなだめるような声音で云った。
「ちゃんと、って……?」
「琴子が云う『よくある話』を教えてくれ」
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