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第3章 男性不信
6.
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居たたまれないような沈黙がはびこる。実際には、波が海岸に打ち寄せていて無音ではない。琴子がそれだけ緊張しているのだ。取り消したい、とそんな気持ちがよぎった刹那。
「おれは、琴子が好きだ。まえの奴と比較にならないくらいな」
びっくり眼になった琴子の頬をくるみ、道仁は首を傾けながら顔を近づけた。顎をすくうように持ちあげられると、ぺたりとくちびるがくっつく。
その瞬間から無意識に止めていた呼吸が苦しくなって、琴子は口を開く。同時に、道仁はくちびるを浮かす。息をつくと、道仁は舌を出して琴子のくちびるを舐めていく。上から下へとひと巡りして道仁は顔を上げた。
「潮の味がする」
「……ほんとに?」
琴子が訊ねると、道仁は焦点が合わなくなる直前まで顔を近づけた。
「舐めてみて」
道仁は、琴子がその声に弱いと知ってか否か、囁き声で誘惑する。
会うたびにというわけではないものの、道仁の部屋に寄るたびに抱き合ってきた。しばしば触れたいという欲求に駆られることは否定できず、ただし、琴子から積極的になったことはない。そんなことは後にも先にもないと思ってきたけれど。
琴子はわずかにつま先立って舌先で道仁のくちびるに触れた。舌と舌が触れ合うキスは火傷しそうに熱く感じるけれど、いま舌で感じているのは人のやわらかさと、人肌のほのかな温かさだ。
道仁を倣ってくちびるの上から下へと舌を滑らせたあと、琴子は踵をおろした。
「潮の味なんてしない」
「だったら」
道仁は中途半端に言葉を切って琴子の頬に当てた手を放すと、胸もとにおろしてシャツワンピースのボタンを外し始めた。
「道仁さん!?」
「水着だろう? ここは海だし、恥ずかしいことも公然猥褻罪で捕まることもない」
「プールで泳ぐからって着てきたのに……」
「深くは入らない。夜光虫は赤潮の一部だからな、服に付くとニオイが取れないっていう。ちょっとナマっぽいニオイがするだろう? それでも光る海に入ってみたくない?」
その言葉に釣られて、琴子は青く光る海を見やった。ホテルの従業員から聞いた話では、ここに来たからといって、こんな現象が必ず見られるとは限らないという。しかも、いまはだれもいなくて、この絶景を独占できる。こんなチャンスはめったにない。
「入ってみたい」
「オーケー」
琴子からシャツワンピースを取り去って砂浜に放ると、Tシャツとハーフパンツの道仁はそのままの恰好で海に向かった。
手を繋いで海に入ると、足もとに波が纏わりつく。海風があるから、うだるような暑さは紛れているが暑いのにかわりはない。海水は躰の熱を冷ますのにちょうどいい温度だ。
道仁はゆっくりと海の奥に行き、すると、波の合間にふたりの周りできらきらと青い光の量が増した。
琴子の腿辺りの深さになったところまで来ると、道仁は立ち止まって向き合った。
「手を掻いてみて。刺激すると光る」
云いながら道仁が上体を折って、海水の中で円を描くように手を動かすと、そこに青い光が纏わりつく。
琴子が道仁の真似をすると、同じように青い光が琴子の腕を追いかけてくる。
「すごい。なんだか、魔法を使ってる気分」
「はっ。魔法か。琴子がそんなふうに云うとは思ってなかったな」
「“そんなふうに”って?」
「琴子はリアリストぶってるだろう。本当に“ぶってる”だけなんだな」
道仁の目に、琴子はどんなふうに映っているのだろう。琴子をリアリストと云うのなら、道仁のほうが過去を気にせず、未来を見据えてよりリアリストに感じている。
「わたしはリアリストっていうほど気取ってないし、なんのフリもしてない」
「まあ、そういうことでもいい」
琴子からするとまったく納得のいかない曖昧さで片づけ、道仁はしたり顔で笑う。月の灯りと海の中の青い光が水面で反射し、道仁の顔をまるで誘惑の堕天使に変えている。
あまりに道仁の前で琴子は不利だ。何かやり返せないかと考えていると、梓沙たちとの会話を思いだした。
「フリをしてるのは道仁さんのほう。ベタ惚れぶってる」
「フリで、琴子の過去の男のことまで気にしなくちゃならないのか」
琴子は目を見開いた。道仁は過去を気にしていないわけではないらしい。少なくとも琴子の過去は気になるようで、少しだけ不利な形勢は挽回できた。
「過去の男って……一番にならないと気がすまない? それとも独占欲を満たしたい?」
「残念ながら、どっちの気持ちもある。云うなら、さっきの見誤ってないという琴子の返事を聞いてますますその気持ちが増した。本当の琴子を見たい」
ああ云えばこう云う。道仁と話していると、そんな罠に嵌まっていることが多々ある。
「ニセモノのわたしなんていない」
「もとい、琴子のすべてが見たい」
やっぱり埒が明かない。琴子は身をかがめて両手で海水をすくうと、道仁の顔に引っかけた。
「クサいと、イイ男も台無し!」
云い捨てて、琴子は海岸線に沿って道仁から逃げた。後ろから笑い声が追いかけてくる。
逃げるといっても形だけで、走ったところで道仁から逃れるのはまず無理だ。琴子は足もとの青い点滅を楽しんで海の中を歩いていく。
波音が心地よいなかに、少し不自然な音が紛れこむ。それは道仁が海水を切るようにしてあとをついてくる音だろう。まもなく手が取られたかと思うと後ろに引かれて、必然的に琴子は立ち止まった。
「琴子は誘惑するのがうまいな」
「何もしてないけど……」
「おれを追いかけさせるのは琴子だけだ。躰のラインを丸出しにして、そのくせあと一歩のところを隠して想像力を掻き立てる」
琴子は目を丸くして、そうして吹きだすのを堪えきれなかった。
「想像力は道仁さんが勝手に使ってるだけ。水着ってそんなに嫌らしいもの? レストランで、お金がかかるデートでも惜しくないって云ったときも、昼間ビーチにいたときのことを想像してた?」
「琴子に限っては嫌らしい」
少しはプライドとか羞恥心とかあってもいいはずなのに、道仁は赤裸々でお手上げだ。
「いまの道仁さんを太田さんたちに見せたらがっかりしそう」
「はっ。仕事のときは違う。けど、琴子はおれをイイ男だって認めてるんだな」
「都合のいいところだけ聞いてる」
「賢い生き方だろう」
「余裕がないとそんな生き方はできない」
道仁は首をひねった。気に喰わないのか、何か疑問に思ったのか。口が開きかけ、何を云うかと思えば、琴子の口をふさいだ。
道仁の舌がくちびるを割り、口の中へとくぐらせて性急な様でまさぐる。今度は確かに、ほのかに潮の味がした。
琴子が喘ぐのにもかまわず道仁の舌は荒っぽくうごめいて、のぼせるまでに時間はかからなかった。出し抜けにキスが終わっても、口が閉じられないほど酔わされている。
「アツいな」
それが暑いのか熱いのか区別はつけられず、戻ろう、と道仁は琴子の手を引いて服を脱ぎ捨てた場所に向かった。
「おれは、琴子が好きだ。まえの奴と比較にならないくらいな」
びっくり眼になった琴子の頬をくるみ、道仁は首を傾けながら顔を近づけた。顎をすくうように持ちあげられると、ぺたりとくちびるがくっつく。
その瞬間から無意識に止めていた呼吸が苦しくなって、琴子は口を開く。同時に、道仁はくちびるを浮かす。息をつくと、道仁は舌を出して琴子のくちびるを舐めていく。上から下へとひと巡りして道仁は顔を上げた。
「潮の味がする」
「……ほんとに?」
琴子が訊ねると、道仁は焦点が合わなくなる直前まで顔を近づけた。
「舐めてみて」
道仁は、琴子がその声に弱いと知ってか否か、囁き声で誘惑する。
会うたびにというわけではないものの、道仁の部屋に寄るたびに抱き合ってきた。しばしば触れたいという欲求に駆られることは否定できず、ただし、琴子から積極的になったことはない。そんなことは後にも先にもないと思ってきたけれど。
琴子はわずかにつま先立って舌先で道仁のくちびるに触れた。舌と舌が触れ合うキスは火傷しそうに熱く感じるけれど、いま舌で感じているのは人のやわらかさと、人肌のほのかな温かさだ。
道仁を倣ってくちびるの上から下へと舌を滑らせたあと、琴子は踵をおろした。
「潮の味なんてしない」
「だったら」
道仁は中途半端に言葉を切って琴子の頬に当てた手を放すと、胸もとにおろしてシャツワンピースのボタンを外し始めた。
「道仁さん!?」
「水着だろう? ここは海だし、恥ずかしいことも公然猥褻罪で捕まることもない」
「プールで泳ぐからって着てきたのに……」
「深くは入らない。夜光虫は赤潮の一部だからな、服に付くとニオイが取れないっていう。ちょっとナマっぽいニオイがするだろう? それでも光る海に入ってみたくない?」
その言葉に釣られて、琴子は青く光る海を見やった。ホテルの従業員から聞いた話では、ここに来たからといって、こんな現象が必ず見られるとは限らないという。しかも、いまはだれもいなくて、この絶景を独占できる。こんなチャンスはめったにない。
「入ってみたい」
「オーケー」
琴子からシャツワンピースを取り去って砂浜に放ると、Tシャツとハーフパンツの道仁はそのままの恰好で海に向かった。
手を繋いで海に入ると、足もとに波が纏わりつく。海風があるから、うだるような暑さは紛れているが暑いのにかわりはない。海水は躰の熱を冷ますのにちょうどいい温度だ。
道仁はゆっくりと海の奥に行き、すると、波の合間にふたりの周りできらきらと青い光の量が増した。
琴子の腿辺りの深さになったところまで来ると、道仁は立ち止まって向き合った。
「手を掻いてみて。刺激すると光る」
云いながら道仁が上体を折って、海水の中で円を描くように手を動かすと、そこに青い光が纏わりつく。
琴子が道仁の真似をすると、同じように青い光が琴子の腕を追いかけてくる。
「すごい。なんだか、魔法を使ってる気分」
「はっ。魔法か。琴子がそんなふうに云うとは思ってなかったな」
「“そんなふうに”って?」
「琴子はリアリストぶってるだろう。本当に“ぶってる”だけなんだな」
道仁の目に、琴子はどんなふうに映っているのだろう。琴子をリアリストと云うのなら、道仁のほうが過去を気にせず、未来を見据えてよりリアリストに感じている。
「わたしはリアリストっていうほど気取ってないし、なんのフリもしてない」
「まあ、そういうことでもいい」
琴子からするとまったく納得のいかない曖昧さで片づけ、道仁はしたり顔で笑う。月の灯りと海の中の青い光が水面で反射し、道仁の顔をまるで誘惑の堕天使に変えている。
あまりに道仁の前で琴子は不利だ。何かやり返せないかと考えていると、梓沙たちとの会話を思いだした。
「フリをしてるのは道仁さんのほう。ベタ惚れぶってる」
「フリで、琴子の過去の男のことまで気にしなくちゃならないのか」
琴子は目を見開いた。道仁は過去を気にしていないわけではないらしい。少なくとも琴子の過去は気になるようで、少しだけ不利な形勢は挽回できた。
「過去の男って……一番にならないと気がすまない? それとも独占欲を満たしたい?」
「残念ながら、どっちの気持ちもある。云うなら、さっきの見誤ってないという琴子の返事を聞いてますますその気持ちが増した。本当の琴子を見たい」
ああ云えばこう云う。道仁と話していると、そんな罠に嵌まっていることが多々ある。
「ニセモノのわたしなんていない」
「もとい、琴子のすべてが見たい」
やっぱり埒が明かない。琴子は身をかがめて両手で海水をすくうと、道仁の顔に引っかけた。
「クサいと、イイ男も台無し!」
云い捨てて、琴子は海岸線に沿って道仁から逃げた。後ろから笑い声が追いかけてくる。
逃げるといっても形だけで、走ったところで道仁から逃れるのはまず無理だ。琴子は足もとの青い点滅を楽しんで海の中を歩いていく。
波音が心地よいなかに、少し不自然な音が紛れこむ。それは道仁が海水を切るようにしてあとをついてくる音だろう。まもなく手が取られたかと思うと後ろに引かれて、必然的に琴子は立ち止まった。
「琴子は誘惑するのがうまいな」
「何もしてないけど……」
「おれを追いかけさせるのは琴子だけだ。躰のラインを丸出しにして、そのくせあと一歩のところを隠して想像力を掻き立てる」
琴子は目を丸くして、そうして吹きだすのを堪えきれなかった。
「想像力は道仁さんが勝手に使ってるだけ。水着ってそんなに嫌らしいもの? レストランで、お金がかかるデートでも惜しくないって云ったときも、昼間ビーチにいたときのことを想像してた?」
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少しはプライドとか羞恥心とかあってもいいはずなのに、道仁は赤裸々でお手上げだ。
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「はっ。仕事のときは違う。けど、琴子はおれをイイ男だって認めてるんだな」
「都合のいいところだけ聞いてる」
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