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第2章 制御不能の狩り本能
6.
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歩く間、里見が一切口を開かないのは、琴子の気が変わるのを警戒してのことか。琴子からしても、何か云われたら心にもないことを返してしまうだろう。
心にもないこと?
それってなんだろう。
琴子は自問自答をした。
琴子の手をつかんで引っ張っている里見の手は、びくともしないくらいきつくて、大きくて、少し冷たい。こんな強引な手がなければ琴子は動かない。
けれど、肝心なのは琴子がどうしたいかということ。思考することをそっちのけで無意識が選んだ結果は、いまこうしていることで、それなのに琴子は自分がどうしたいかよくわかっていない。
駅が見えても里見はそこに向かうことなく進んでいく。十分くらい歩いただろうか、ビルを囲む低い塀の切れ間からエントランスアプローチに入りこんだ。脇にある丸いオブジェは石でつくられているのか、所々に飾られ、照明はあるものの暗がりで宙に浮いているように見える。
エントランスの上に掲げられたのは建物の名だろう、そのレタリングを見れば隅々までこだわりが見え、いかにも洗練されていた。
一つ扉を開けたところで、里見はリーダにカードキーをかざし、また扉が開く。エントランスホールは広く設けてあり、テーブルや椅子なども配置されているが、カウンターはない。それならホテルではなく、きっとマンションだ。
里見はまっすぐエレベーターに向かって、立ち止まった。
「あの、里見リーダー、もしかして家族の方がいらっしゃいます?」
「いる、いない、どっちがいいんだ?」
里見は琴子を見下ろして質問に質問で返した。はぐらかすためか、それとも探りを入れるためか。
「いらっしゃるなら手土産が必要じゃないかって思っただけです」
奇っ怪なものに遭遇したかのように里見は眉を跳ねあげ、それから可笑しそうにした。やがてエレベーターの扉が開いて、乗りこんだのち里見は最初の琴子の質問に答えた。
「この賃貸マンション自体は家族所有だ。おれはその一室を借りていて、家族はまったく別のところに住んでる」
里見と入れ替わるようにして、今度は琴子が目を丸くした。
「家族所有? 里見リーダーの部屋だけじゃなくて、この建物全体?」
「そうだ」
駅も近いし、外観は贅沢で、建物の周囲には庭のようなスペースも取られていた。ビルがいくつか見えるなかに建っていても、景観のよさがある程度は確保されているようだった。家賃はいったいどれくらいだろう。そんな下世話なことを考えたのはつかの間、琴子とは生活レベルがかけ離れていて、訊いたところで実感として理解できない気がした。
エレベーターのボタンは十一まであり、降りたのは八階だった。見たところ、ワンフロアは四つに区切られている。
里見に伴って家のなかに入ると、予想はしていたものの仕様を目にして琴子は呆気に取られた。琴子たちが住むアパートとは段違いに広いエントランスに、幅の広い廊下、そして奥にあるLDKはやたらと大きな空間に感じた。
「適当に座ってくれていい。ビールにワイン、グレープフルーツのソーダ割、コーヒー、紅茶、緑茶くらいなら用意できる」
里見はずらずらと飲み物を並べ立てる。
すると、急に琴子は緊張してしまった。
「……グレープフルーツのソーダ割をお願いします」
少し詰まってから希望を云うと、オーケー、と里見は軽く受け合って身をひるがえし、キッチンスペースに入った。
琴子は無意識にその後ろ姿を追う。
大学のときに付き合った人は、部屋に連れこむとセックスだけが目的のように、すぐさまベッドタイムに入っていた。虚しいような気になって、実際、終わったあとはますます虚しくなった。
里見の持ち帰り発言も、目的はそれだろうということは承知のうえで逆らわなかった。それなのに、琴子の経験とは違っている。がむしゃらな学生と、熟れた大人の違いだろうか。
ただ、それが虚しくないかといったら、そうではなく――
ここで何をしているんだろう。
琴子は別の虚しさを覚えた。
ペースが狂ってしまい、だから、いま何が起きているかが俄にくっきりと現実化して、琴子は戸惑ったすえに緊張している。
突っ立ったままアイランド型のキッチンを見やると、ここは里見のテリトリーなのだと実感させられた。なじんだ住み処に帰ってリラックスした里見は、ごく自然なしぐさでグラスを並べ、ジュースを注いでいる。里見の日常がそこにあった。
そんな空間で、ジュースを飲みながら語り合う?
琴子の中に、ステーキを譲ったときの撥ねのけたいという、あの衝動が甦った。
立ち尽くしているうちに、里見がグラスを持ってリビングのスペースに戻ってくる。琴子を見て問うように首を傾けた。
「どうした?」
その問いかけは慎重だ。あるいは何かを警戒している。
「違ってる気がしてきました。帰ります」
琴子は引き止められないよう、里見がどう思ったかも確認することなく、ぱっと身をひるがえした。足早に玄関に向かい、パンプスに足を入れかけたところで追いついた里見から腕を取られ、引かれた。
バランスがくずれると、里見がもう片方の腕もつかんで、琴子が転ぶまえに救った。いや、元はといえば、里見のせいで倒れかけたのだ。
琴子はそんな意を込めて里見を見上げたつもりが、里見はまったく意に介していない。
「待ってくれ。何が違ってる?」
「語り合うような時間はいりません。レストランで充分、気を遣ってもらいましたから」
里見は眉をひそめて、怪訝そうにしながら琴子を見つめた。そうしながら、頭の中は目まぐるしく回転しているのだろう。まもなくして里見は口を開いた。
「まえの奴からどんな扱いを受けたんだ?」
「特別なことは何もありません。普通です」
琴子の答えに対する不満か、里見はひどく顔をしかめた。嘆息を漏らして、何かを吹っきるように首を横に振った。
「普通か。それなら、おれの普通に付き合ってくれ。語り合い方はいくらでもある」
投げやりにも聞こえる口調で放ち、里見は琴子からバッグを奪うと廊下に放り、そしていきなり琴子の躰をすくった。
心にもないこと?
それってなんだろう。
琴子は自問自答をした。
琴子の手をつかんで引っ張っている里見の手は、びくともしないくらいきつくて、大きくて、少し冷たい。こんな強引な手がなければ琴子は動かない。
けれど、肝心なのは琴子がどうしたいかということ。思考することをそっちのけで無意識が選んだ結果は、いまこうしていることで、それなのに琴子は自分がどうしたいかよくわかっていない。
駅が見えても里見はそこに向かうことなく進んでいく。十分くらい歩いただろうか、ビルを囲む低い塀の切れ間からエントランスアプローチに入りこんだ。脇にある丸いオブジェは石でつくられているのか、所々に飾られ、照明はあるものの暗がりで宙に浮いているように見える。
エントランスの上に掲げられたのは建物の名だろう、そのレタリングを見れば隅々までこだわりが見え、いかにも洗練されていた。
一つ扉を開けたところで、里見はリーダにカードキーをかざし、また扉が開く。エントランスホールは広く設けてあり、テーブルや椅子なども配置されているが、カウンターはない。それならホテルではなく、きっとマンションだ。
里見はまっすぐエレベーターに向かって、立ち止まった。
「あの、里見リーダー、もしかして家族の方がいらっしゃいます?」
「いる、いない、どっちがいいんだ?」
里見は琴子を見下ろして質問に質問で返した。はぐらかすためか、それとも探りを入れるためか。
「いらっしゃるなら手土産が必要じゃないかって思っただけです」
奇っ怪なものに遭遇したかのように里見は眉を跳ねあげ、それから可笑しそうにした。やがてエレベーターの扉が開いて、乗りこんだのち里見は最初の琴子の質問に答えた。
「この賃貸マンション自体は家族所有だ。おれはその一室を借りていて、家族はまったく別のところに住んでる」
里見と入れ替わるようにして、今度は琴子が目を丸くした。
「家族所有? 里見リーダーの部屋だけじゃなくて、この建物全体?」
「そうだ」
駅も近いし、外観は贅沢で、建物の周囲には庭のようなスペースも取られていた。ビルがいくつか見えるなかに建っていても、景観のよさがある程度は確保されているようだった。家賃はいったいどれくらいだろう。そんな下世話なことを考えたのはつかの間、琴子とは生活レベルがかけ離れていて、訊いたところで実感として理解できない気がした。
エレベーターのボタンは十一まであり、降りたのは八階だった。見たところ、ワンフロアは四つに区切られている。
里見に伴って家のなかに入ると、予想はしていたものの仕様を目にして琴子は呆気に取られた。琴子たちが住むアパートとは段違いに広いエントランスに、幅の広い廊下、そして奥にあるLDKはやたらと大きな空間に感じた。
「適当に座ってくれていい。ビールにワイン、グレープフルーツのソーダ割、コーヒー、紅茶、緑茶くらいなら用意できる」
里見はずらずらと飲み物を並べ立てる。
すると、急に琴子は緊張してしまった。
「……グレープフルーツのソーダ割をお願いします」
少し詰まってから希望を云うと、オーケー、と里見は軽く受け合って身をひるがえし、キッチンスペースに入った。
琴子は無意識にその後ろ姿を追う。
大学のときに付き合った人は、部屋に連れこむとセックスだけが目的のように、すぐさまベッドタイムに入っていた。虚しいような気になって、実際、終わったあとはますます虚しくなった。
里見の持ち帰り発言も、目的はそれだろうということは承知のうえで逆らわなかった。それなのに、琴子の経験とは違っている。がむしゃらな学生と、熟れた大人の違いだろうか。
ただ、それが虚しくないかといったら、そうではなく――
ここで何をしているんだろう。
琴子は別の虚しさを覚えた。
ペースが狂ってしまい、だから、いま何が起きているかが俄にくっきりと現実化して、琴子は戸惑ったすえに緊張している。
突っ立ったままアイランド型のキッチンを見やると、ここは里見のテリトリーなのだと実感させられた。なじんだ住み処に帰ってリラックスした里見は、ごく自然なしぐさでグラスを並べ、ジュースを注いでいる。里見の日常がそこにあった。
そんな空間で、ジュースを飲みながら語り合う?
琴子の中に、ステーキを譲ったときの撥ねのけたいという、あの衝動が甦った。
立ち尽くしているうちに、里見がグラスを持ってリビングのスペースに戻ってくる。琴子を見て問うように首を傾けた。
「どうした?」
その問いかけは慎重だ。あるいは何かを警戒している。
「違ってる気がしてきました。帰ります」
琴子は引き止められないよう、里見がどう思ったかも確認することなく、ぱっと身をひるがえした。足早に玄関に向かい、パンプスに足を入れかけたところで追いついた里見から腕を取られ、引かれた。
バランスがくずれると、里見がもう片方の腕もつかんで、琴子が転ぶまえに救った。いや、元はといえば、里見のせいで倒れかけたのだ。
琴子はそんな意を込めて里見を見上げたつもりが、里見はまったく意に介していない。
「待ってくれ。何が違ってる?」
「語り合うような時間はいりません。レストランで充分、気を遣ってもらいましたから」
里見は眉をひそめて、怪訝そうにしながら琴子を見つめた。そうしながら、頭の中は目まぐるしく回転しているのだろう。まもなくして里見は口を開いた。
「まえの奴からどんな扱いを受けたんだ?」
「特別なことは何もありません。普通です」
琴子の答えに対する不満か、里見はひどく顔をしかめた。嘆息を漏らして、何かを吹っきるように首を横に振った。
「普通か。それなら、おれの普通に付き合ってくれ。語り合い方はいくらでもある」
投げやりにも聞こえる口調で放ち、里見は琴子からバッグを奪うと廊下に放り、そしていきなり琴子の躰をすくった。
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