恋愛コンプライアンス

奏井れゆな

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第2章 制御不能の狩り本能

4.

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 五月にあった食事会に初めて参加したあと、二度めは六月に入ってまもなくセッティングされた。メンバーは変わらず、琴子はさほど緊張することもなく会話に交わり、帰る頃にはすっかりリラックスして楽しんだ。
 最初のとき時間どおりに終わって、それは土曜日にもかかわらず仕事に出ていたから長引かせないようにしたのだろうと思っていたけれど、やはり二度めもきっちりと二時間で終わった。ずるずるとならないから、だれもが楽しみ尽くしている、とそんな気がした。
 その前例があるから、今日の誘いも疑うことなく受けたのに、いま目の前では、里見が澄ましてメインの炭火焼きステーキにナイフを入れている。
 里見は目を伏せていても綺麗で、それだけ端整な顔立ちをしているのだ。長めにカットしたトップの髪は、分け目が中央からちょっとだけずれている。スタイリング剤が甘かったのか、少しこぼれてこめかみにかかり、色気という影を落としていた。
 見た目がよければそれだけで武器になる。少なくとも、平凡以下の人は手持ちのカードが一枚足りない。その点、里見が持っているのはエースのカードだ。
 里見は一口大にした牛肉を口に運んで、伏せていた瞼を上げていく。そのしぐさがもったいぶって見えるのは、琴子がへんに観察しているからだろうか。
 いや、観察というのは自分への子供騙しの言葉だ。真っ向から云えば、見惚みとれている。男性不信は心に対して抱くもので、見た目は関係ない。それを認めることなく自分をごまかせば、のちのちミスが生じる。
「ステーキは好きじゃない? 嫌いなものはそう明確にはないって聞いたけどな」
 琴子の手が止まっているのを見て、里見が問いかけた。
 梓沙が云うとおり、里見はすぎるほど気さくだ。悪くいえば、れ馴れしい。あまつさえ、いま『聞いた』と云ったとおり、二回めの食事会のときに食の好き嫌いを訊ねられ、それが今日のためだったのなら里見は抜かりがない。
「嫌いじゃなくて、量が多いと思っただけです。デザートを美味しく食べたいので、ここで満腹したくありません」
 不機嫌な琴子の返事に、里見は吹きだすように笑った。
 琴子は、気に喰わないといった態度を一貫している。人の解釈は自由で、だからこそ琴子のほうから好意があるなどと誤解を与えてはならない。そんな気持ちがあってのことだが、里見は一向に気にすることなく、むしろ織込み済みといった余裕しか見えてこない。
「男女不平等だって云われるようなことは避けるほうがいいと判断した。こと、伊伏さんに関しては。必然的に自分の量に合わせたんだ。それに、大は小を兼ねるって云うだろう」
 からかいを含みつつ、里見はステーキののったプレートを指差す。
「わたしがどんなふうに見えてるのか知りませんけど、男女間の身体的な差が埋められないことはわかってます。それが気に入らないって思うほど、フェミニストでもありませんから。それよりも、メニューの選択権を奪われてたことのほうが問題です」
「そこは大目に見てくれ。最後の手段だった」
「最後の手段?」
「予約してキャンセル料を払わなきゃいけないって泣きついたら、譲歩してくれる余地はあるだろう?」
 どんな状況であれ、だれに対しても里見が泣きつくシーンなど想像もつかない。ただ、口説くためのいくつかのパターンを用意していたことは確かだ。
「じゃあ、簡単でしたね、わたし」
 それは不本意だという以上に、拗ねているように聞こえたかもしれない。琴子は云ってしまってから、失敗だったと後悔する。里見の言動を気にしていると思われるのは心外だ。
「簡単だって? おれはいま、やっとプライベートに持ちこんだんだ。ここまで来るのに半年以上かけてきた。伊伏さんを攻略するには時間がかかるようだから」
「攻略って、ゲームに付き合う気はありませんから」
「ゲームのつもりはない。あえて云えば、本能がうずくってところだな」
「……本能、ですか」
「食欲と一緒だ。食欲は人間に限らず動物共通の本能だろう。同じように、少なくとも人間のオスに備わっているのはメスを獲得する本能だ」
「オスに備わっている本能は子孫を残すことだと思いますけど。メスを獲得するのはその通過点ですよね」
 里見は眉を跳ねあげたかと思うと、声に出して笑いだした。含み笑いに近く、こもった声だが、もとより周囲のテーブルから視線が送られるくらい里見は目立っていて、笑い声は否応なく人の興味を引いた。
「やけに毒を吐いて云い張るのは、男が絡んだ嫌な経験があるとか?」
「毒じゃありません。事実です。全然、可笑しくないですから」
「なるほど」
 琴子が質問に対する答えを避けたことに気づいているのかいないのか、里見は口癖で締め括った。否定しなかったことで、嫌な経験があると判断したのかもしれない。また失敗している。
 そうして、里見はおもむろに琴子のプレートを指差した。
「ステーキ、おれが食べてやろうか。残すのが忍びないなら」
 選択権があればグラム数を落として注文したのに、とそんな気持ちが琴子にはある。けれど、食べかけだ。ただし、残っているのは、ナイフで切り分けた塊で、口に運ぶフォークを付けたわけではない。
 いまでこそ普通に暮らせているけれど、琴子はどうにか生活が成り立つ程度の母子家庭で育ってきた。こと食べ物に関しては、無駄にしないようにと植えつけられている。琴子はプレートを里見のほうへと寄せて意思表示をした。
 里見はためらいもなくナイフとフォークでステーキを取りあげて、自分のプレートに移す。
 すると、たったそれだけの里見のしぐさが、急に親密すぎるように思えてくる。里見のプレートをねのけそうになる衝動が生まれ、琴子は手を握りしめて堪えた。
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