12 / 64
第2章 制御不能の狩り本能
4.
しおりを挟む
五月にあった食事会に初めて参加したあと、二度めは六月に入ってまもなくセッティングされた。メンバーは変わらず、琴子はさほど緊張することもなく会話に交わり、帰る頃にはすっかりリラックスして楽しんだ。
最初のとき時間どおりに終わって、それは土曜日にもかかわらず仕事に出ていたから長引かせないようにしたのだろうと思っていたけれど、やはり二度めもきっちりと二時間で終わった。ずるずるとならないから、だれもが楽しみ尽くしている、とそんな気がした。
その前例があるから、今日の誘いも疑うことなく受けたのに、いま目の前では、里見が澄ましてメインの炭火焼きステーキにナイフを入れている。
里見は目を伏せていても綺麗で、それだけ端整な顔立ちをしているのだ。長めにカットしたトップの髪は、分け目が中央からちょっとだけずれている。スタイリング剤が甘かったのか、少しこぼれてこめかみにかかり、色気という影を落としていた。
見た目がよければそれだけで武器になる。少なくとも、平凡以下の人は手持ちのカードが一枚足りない。その点、里見が持っているのはエースのカードだ。
里見は一口大にした牛肉を口に運んで、伏せていた瞼を上げていく。そのしぐさがもったいぶって見えるのは、琴子がへんに観察しているからだろうか。
いや、観察というのは自分への子供騙しの言葉だ。真っ向から云えば、見惚れている。男性不信は心に対して抱くもので、見た目は関係ない。それを認めることなく自分をごまかせば、のちのちミスが生じる。
「ステーキは好きじゃない? 嫌いなものはそう明確にはないって聞いたけどな」
琴子の手が止まっているのを見て、里見が問いかけた。
梓沙が云うとおり、里見はすぎるほど気さくだ。悪くいえば、馴れ馴れしい。あまつさえ、いま『聞いた』と云ったとおり、二回めの食事会のときに食の好き嫌いを訊ねられ、それが今日のためだったのなら里見は抜かりがない。
「嫌いじゃなくて、量が多いと思っただけです。デザートを美味しく食べたいので、ここで満腹したくありません」
不機嫌な琴子の返事に、里見は吹きだすように笑った。
琴子は、気に喰わないといった態度を一貫している。人の解釈は自由で、だからこそ琴子のほうから好意があるなどと誤解を与えてはならない。そんな気持ちがあってのことだが、里見は一向に気にすることなく、むしろ織込み済みといった余裕しか見えてこない。
「男女不平等だって云われるようなことは避けるほうがいいと判断した。こと、伊伏さんに関しては。必然的に自分の量に合わせたんだ。それに、大は小を兼ねるって云うだろう」
からかいを含みつつ、里見はステーキののったプレートを指差す。
「わたしがどんなふうに見えてるのか知りませんけど、男女間の身体的な差が埋められないことはわかってます。それが気に入らないって思うほど、フェミニストでもありませんから。それよりも、メニューの選択権を奪われてたことのほうが問題です」
「そこは大目に見てくれ。最後の手段だった」
「最後の手段?」
「予約してキャンセル料を払わなきゃいけないって泣きついたら、譲歩してくれる余地はあるだろう?」
どんな状況であれ、だれに対しても里見が泣きつくシーンなど想像もつかない。ただ、口説くためのいくつかのパターンを用意していたことは確かだ。
「じゃあ、簡単でしたね、わたし」
それは不本意だという以上に、拗ねているように聞こえたかもしれない。琴子は云ってしまってから、失敗だったと後悔する。里見の言動を気にしていると思われるのは心外だ。
「簡単だって? おれはいま、やっとプライベートに持ちこんだんだ。ここまで来るのに半年以上かけてきた。伊伏さんを攻略するには時間がかかるようだから」
「攻略って、ゲームに付き合う気はありませんから」
「ゲームのつもりはない。あえて云えば、本能が疼くってところだな」
「……本能、ですか」
「食欲と一緒だ。食欲は人間に限らず動物共通の本能だろう。同じように、少なくとも人間のオスに備わっているのはメスを獲得する本能だ」
「オスに備わっている本能は子孫を残すことだと思いますけど。メスを獲得するのはその通過点ですよね」
里見は眉を跳ねあげたかと思うと、声に出して笑いだした。含み笑いに近く、こもった声だが、もとより周囲のテーブルから視線が送られるくらい里見は目立っていて、笑い声は否応なく人の興味を引いた。
「やけに毒を吐いて云い張るのは、男が絡んだ嫌な経験があるとか?」
「毒じゃありません。事実です。全然、可笑しくないですから」
「なるほど」
琴子が質問に対する答えを避けたことに気づいているのかいないのか、里見は口癖で締め括った。否定しなかったことで、嫌な経験があると判断したのかもしれない。また失敗している。
そうして、里見はおもむろに琴子のプレートを指差した。
「ステーキ、おれが食べてやろうか。残すのが忍びないなら」
選択権があればグラム数を落として注文したのに、とそんな気持ちが琴子にはある。けれど、食べかけだ。ただし、残っているのは、ナイフで切り分けた塊で、口に運ぶフォークを付けたわけではない。
いまでこそ普通に暮らせているけれど、琴子はどうにか生活が成り立つ程度の母子家庭で育ってきた。こと食べ物に関しては、無駄にしないようにと植えつけられている。琴子はプレートを里見のほうへと寄せて意思表示をした。
里見はためらいもなくナイフとフォークでステーキを取りあげて、自分のプレートに移す。
すると、たったそれだけの里見のしぐさが、急に親密すぎるように思えてくる。里見のプレートを撥ねのけそうになる衝動が生まれ、琴子は手を握りしめて堪えた。
最初のとき時間どおりに終わって、それは土曜日にもかかわらず仕事に出ていたから長引かせないようにしたのだろうと思っていたけれど、やはり二度めもきっちりと二時間で終わった。ずるずるとならないから、だれもが楽しみ尽くしている、とそんな気がした。
その前例があるから、今日の誘いも疑うことなく受けたのに、いま目の前では、里見が澄ましてメインの炭火焼きステーキにナイフを入れている。
里見は目を伏せていても綺麗で、それだけ端整な顔立ちをしているのだ。長めにカットしたトップの髪は、分け目が中央からちょっとだけずれている。スタイリング剤が甘かったのか、少しこぼれてこめかみにかかり、色気という影を落としていた。
見た目がよければそれだけで武器になる。少なくとも、平凡以下の人は手持ちのカードが一枚足りない。その点、里見が持っているのはエースのカードだ。
里見は一口大にした牛肉を口に運んで、伏せていた瞼を上げていく。そのしぐさがもったいぶって見えるのは、琴子がへんに観察しているからだろうか。
いや、観察というのは自分への子供騙しの言葉だ。真っ向から云えば、見惚れている。男性不信は心に対して抱くもので、見た目は関係ない。それを認めることなく自分をごまかせば、のちのちミスが生じる。
「ステーキは好きじゃない? 嫌いなものはそう明確にはないって聞いたけどな」
琴子の手が止まっているのを見て、里見が問いかけた。
梓沙が云うとおり、里見はすぎるほど気さくだ。悪くいえば、馴れ馴れしい。あまつさえ、いま『聞いた』と云ったとおり、二回めの食事会のときに食の好き嫌いを訊ねられ、それが今日のためだったのなら里見は抜かりがない。
「嫌いじゃなくて、量が多いと思っただけです。デザートを美味しく食べたいので、ここで満腹したくありません」
不機嫌な琴子の返事に、里見は吹きだすように笑った。
琴子は、気に喰わないといった態度を一貫している。人の解釈は自由で、だからこそ琴子のほうから好意があるなどと誤解を与えてはならない。そんな気持ちがあってのことだが、里見は一向に気にすることなく、むしろ織込み済みといった余裕しか見えてこない。
「男女不平等だって云われるようなことは避けるほうがいいと判断した。こと、伊伏さんに関しては。必然的に自分の量に合わせたんだ。それに、大は小を兼ねるって云うだろう」
からかいを含みつつ、里見はステーキののったプレートを指差す。
「わたしがどんなふうに見えてるのか知りませんけど、男女間の身体的な差が埋められないことはわかってます。それが気に入らないって思うほど、フェミニストでもありませんから。それよりも、メニューの選択権を奪われてたことのほうが問題です」
「そこは大目に見てくれ。最後の手段だった」
「最後の手段?」
「予約してキャンセル料を払わなきゃいけないって泣きついたら、譲歩してくれる余地はあるだろう?」
どんな状況であれ、だれに対しても里見が泣きつくシーンなど想像もつかない。ただ、口説くためのいくつかのパターンを用意していたことは確かだ。
「じゃあ、簡単でしたね、わたし」
それは不本意だという以上に、拗ねているように聞こえたかもしれない。琴子は云ってしまってから、失敗だったと後悔する。里見の言動を気にしていると思われるのは心外だ。
「簡単だって? おれはいま、やっとプライベートに持ちこんだんだ。ここまで来るのに半年以上かけてきた。伊伏さんを攻略するには時間がかかるようだから」
「攻略って、ゲームに付き合う気はありませんから」
「ゲームのつもりはない。あえて云えば、本能が疼くってところだな」
「……本能、ですか」
「食欲と一緒だ。食欲は人間に限らず動物共通の本能だろう。同じように、少なくとも人間のオスに備わっているのはメスを獲得する本能だ」
「オスに備わっている本能は子孫を残すことだと思いますけど。メスを獲得するのはその通過点ですよね」
里見は眉を跳ねあげたかと思うと、声に出して笑いだした。含み笑いに近く、こもった声だが、もとより周囲のテーブルから視線が送られるくらい里見は目立っていて、笑い声は否応なく人の興味を引いた。
「やけに毒を吐いて云い張るのは、男が絡んだ嫌な経験があるとか?」
「毒じゃありません。事実です。全然、可笑しくないですから」
「なるほど」
琴子が質問に対する答えを避けたことに気づいているのかいないのか、里見は口癖で締め括った。否定しなかったことで、嫌な経験があると判断したのかもしれない。また失敗している。
そうして、里見はおもむろに琴子のプレートを指差した。
「ステーキ、おれが食べてやろうか。残すのが忍びないなら」
選択権があればグラム数を落として注文したのに、とそんな気持ちが琴子にはある。けれど、食べかけだ。ただし、残っているのは、ナイフで切り分けた塊で、口に運ぶフォークを付けたわけではない。
いまでこそ普通に暮らせているけれど、琴子はどうにか生活が成り立つ程度の母子家庭で育ってきた。こと食べ物に関しては、無駄にしないようにと植えつけられている。琴子はプレートを里見のほうへと寄せて意思表示をした。
里見はためらいもなくナイフとフォークでステーキを取りあげて、自分のプレートに移す。
すると、たったそれだけの里見のしぐさが、急に親密すぎるように思えてくる。里見のプレートを撥ねのけそうになる衝動が生まれ、琴子は手を握りしめて堪えた。
0
お気に入りに追加
251
あなたにおすすめの小説
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
10 sweet wedding
国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜
葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在
一緒にいるのに 言えない言葉
すれ違い、通り過ぎる二人の想いは
いつか重なるのだろうか…
心に秘めた想いを
いつか伝えてもいいのだろうか…
遠回りする幼馴染二人の恋の行方は?
幼い頃からいつも一緒にいた
幼馴染の朱里と瑛。
瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、
朱里を遠ざけようとする。
そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて…
・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・
栗田 朱里(21歳)… 大学生
桐生 瑛(21歳)… 大学生
桐生ホールディングス 御曹司
Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~
汐埼ゆたか
恋愛
絶え間なく溢れ出る涙は彼の唇に吸い取られ
慟哭だけが薄暗い部屋に沈んでいく。
その夜、彼女の絶望と悲しみをすくい取ったのは
仕事上でしか接点のない上司だった。
思っていることを口にするのが苦手
地味で大人しい司書
木ノ下 千紗子 (きのした ちさこ) (24)
×
真面目で優しい千紗子の上司
知的で容姿端麗な課長
雨宮 一彰 (あまみや かずあき) (29)
胸を締め付ける切ない想いを
抱えているのはいったいどちらなのか———
「叫んでも暴れてもいい、全部受け止めるから」
「君が笑っていられるなら、自分の気持ちなんてどうでもいい」
「その可愛い笑顔が戻るなら、俺は何でも出来そうだよ」
真摯でひたむきな愛が、傷付いた心を癒していく。
**********
►Attention
※他サイトからの転載(2018/11に書き上げたものです)
※表紙は「かんたん表紙メーカー2」様で作りました。
※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる