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第2章 制御不能の狩り本能
2.
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犬飼は、グループ会社の一つ、プラヴィコンプライアンスの管理部部門で部長という役職に就いている。グループ内のマッチングアプリを管理しているのはプラヴィコンプライアンス社で、その責任者が犬飼だ。
一方で梓沙は、プラヴィカスタマ社でカスタマーサービスのオペレーターの仕事に就いている。
会社も違えば、梓沙は役職でも責任者でもなく、犬飼とは立場も違う。本来ならふたりに接点はない。接点は、玉里Pravyにまったく縁のなかった大学時代の四年前にある。
出会ったのは梓沙のバイト先で、三カ月間だけふたりは親密な付き合いをしていた。
「協力って……違うよね?」
琴子の疑ってかかった質問に、梓沙は少し迷ったように目を泳がせ、それからあっさりと観念してため息をついた。
「正確にいえば、脅したかも」
「梓沙、そうするのはあのとき、一度だけって云ったよね? 二度めやったら、犬飼さんは三度めがあるって思うよ」
「犬飼さんがそう思ったからって何? 三度めでわたしを殺しちゃうとか? 琴子、それはドラマの見すぎでしょ」
梓沙はケラケラと笑って、憂慮した琴子をあしらった。
「ドラマの話よりも、世の中はヘンな事件がいっぱいあるじゃない」
「だから、お金をゆするとかいうんならヘンな事件になるかもしれないけど、わたしたち、犬飼にできることしか頼んでないよ」
梓沙は悪びれることなく、『わたしたち』と琴子を巻きこんだ。それに真っ向から反論できないのは、一度め、梓沙の説得に乗って共謀者になったからだ。
犬飼は当時もいまも既婚者で、梓沙とははっきり不倫の関係だ。そのとき、それが発覚したところで無名の梓沙に失うものがなくても、優良企業の取締役でもある犬飼には失えないものがあった。いまも立場的には、犬飼のほうがリスクは大きい。
できることしか頼んでいないというのは本当だ。けれど、頼むに当たって脅迫したことにはかわりなく、そして琴子は、そのことに疾しさを覚えないほど無神経でもない。
「でも、次があって、その三度めの脅迫がお金になるかもしれないってことを、犬飼さんがまったく考えないと思う? そんな保証はどこにもないよ」
「琴子、よく考えてみて。いまは逆に、犬飼のほうがわたしの脅迫ネタを手に入れたんだよ。犬飼は、玉城壮輔とマッチングするようにちょっと操作しただけ。玉城壮輔にそれがバレたら困るのはわたし。うまくいくことをいちばん願っているのは犬飼だよね、きっと」
梓沙は厄介なことをやってのける。大胆だが、ばかではない。梓沙の云うとおり、犬飼がほっとしている可能性はあった。本当にうまくいくのなら。
けれど、梓沙はうまくいくことを信じている。どこからそんな確証を得ているのか。利用するできるものがまだほかにあって、それが確かにするのかもしれない。
――と考えていると、琴子は一カ月前の梓沙の言葉を思いだす。
「梓沙、まえに云ってたよね。わたしが里見リーダーと付き合えば都合がいいって、どういうこと?」
「だって、友だちが里見家の人と付き合っていれば、わたしも信用されるでしょ。無下には扱えなくなるし、もともとAIが相性を保証してくれてるんだから、琴子たちが付き合えば、玉城のお坊ちゃんの背中を押すのは確か」
梓沙の『お坊ちゃん』という云い方には揶揄した響きが感じられる。
「梓沙」
と、呼びかけたとき、琴子は近くに人の気配を感じた。もちろん、オフィス街で平日の昼間、公園を横切る人も多く、人の気配は終始ある。ただ、いまは超能力が備わったように視線みたいなものを感じとった。
「お疲れ」
その方向を振り向いたのと同時に声をかけられる。そうしたのは里見だった。顔を見るまでもなく、ほんの一語でもその声を聞けば疑いようがない。
視線が勘違いではなかったからといって、琴子にはなんのメリットもない。むしろ、梓沙といままで話していた内容が内容だけに、リスクしか感じられない。
「お疲れさまです。……どうされたんですか」
「はっ。あからさまに迷惑顔をしないでくれ。外回りから戻る途中に伊伏さんが見えた。そしたら、差し入れがしたくなった。それだけだ」
里見は、琴子が受けとらないと思ったのか、梓沙のほうに持っていたものを差しだした。その袋には、近くのアイスクリーム専門店の名が入っている。
「わぁ、ありがとうございます!」
「迷惑なら持って帰るけど」
やはり里見は計算していて、断るはずのない梓沙のほうに訊ね――
「とんでもないです。遠慮なくいただきます」
と、梓沙もまた算段があるわけで、受けとらないはずがない。
「伊伏さんの友だち?」
「琴子とは中学からの友だちでもあり、同居人でもあります。あと、グループ会社としては同期です。プラヴィカスタマの浜路梓沙です」
「へぇ。縁があるわけだ。おれは伊伏さんと同じホールディングスの里見だ、里見道仁。よろしく」
「よろしくお願いします。ついでに琴子のことも」
梓沙は無遠慮に付け加え、里見はおもしろがってひょいと片方の眉を跳ねあげる。
「梓沙」
「心強いな」
琴子をさえぎるように里見は梓沙に応じた。ちらりと琴子を見やると、片側だけ口角を上げて挑んでくる。すぐさま梓沙に目を戻した。
「なかなか伊伏さんが反応なくて困ってる。まずは友情からっていう余地くらいあってもいいだろう?」
「確かに」
「味方がいるとはありがたいな。今度、食事とか一緒に出かけてくれると助かる。なんなら浜路さんのカレが一緒でも」
「それは願ったりです」
「梓沙」
琴子が制しようとするも、梓沙の顔を見れば聞くわけがないと明々白々だ。
「いいじゃない。大勢で遊ぶなんて学生のとき以来だし。里見さん、その節は声をかけてください」
「オーケー。じゃあ、昼休みは残り時間少ないけど、ごゆっくり」
里見は身をひるがえす。かと思うと、すぐに振り返った。
「伊伏さん、今日の食事会、忘れないように」
返事を期待するのではなく念を押すようで、里見は軽くうなずくしぐさをして立ち去った。
一方で梓沙は、プラヴィカスタマ社でカスタマーサービスのオペレーターの仕事に就いている。
会社も違えば、梓沙は役職でも責任者でもなく、犬飼とは立場も違う。本来ならふたりに接点はない。接点は、玉里Pravyにまったく縁のなかった大学時代の四年前にある。
出会ったのは梓沙のバイト先で、三カ月間だけふたりは親密な付き合いをしていた。
「協力って……違うよね?」
琴子の疑ってかかった質問に、梓沙は少し迷ったように目を泳がせ、それからあっさりと観念してため息をついた。
「正確にいえば、脅したかも」
「梓沙、そうするのはあのとき、一度だけって云ったよね? 二度めやったら、犬飼さんは三度めがあるって思うよ」
「犬飼さんがそう思ったからって何? 三度めでわたしを殺しちゃうとか? 琴子、それはドラマの見すぎでしょ」
梓沙はケラケラと笑って、憂慮した琴子をあしらった。
「ドラマの話よりも、世の中はヘンな事件がいっぱいあるじゃない」
「だから、お金をゆするとかいうんならヘンな事件になるかもしれないけど、わたしたち、犬飼にできることしか頼んでないよ」
梓沙は悪びれることなく、『わたしたち』と琴子を巻きこんだ。それに真っ向から反論できないのは、一度め、梓沙の説得に乗って共謀者になったからだ。
犬飼は当時もいまも既婚者で、梓沙とははっきり不倫の関係だ。そのとき、それが発覚したところで無名の梓沙に失うものがなくても、優良企業の取締役でもある犬飼には失えないものがあった。いまも立場的には、犬飼のほうがリスクは大きい。
できることしか頼んでいないというのは本当だ。けれど、頼むに当たって脅迫したことにはかわりなく、そして琴子は、そのことに疾しさを覚えないほど無神経でもない。
「でも、次があって、その三度めの脅迫がお金になるかもしれないってことを、犬飼さんがまったく考えないと思う? そんな保証はどこにもないよ」
「琴子、よく考えてみて。いまは逆に、犬飼のほうがわたしの脅迫ネタを手に入れたんだよ。犬飼は、玉城壮輔とマッチングするようにちょっと操作しただけ。玉城壮輔にそれがバレたら困るのはわたし。うまくいくことをいちばん願っているのは犬飼だよね、きっと」
梓沙は厄介なことをやってのける。大胆だが、ばかではない。梓沙の云うとおり、犬飼がほっとしている可能性はあった。本当にうまくいくのなら。
けれど、梓沙はうまくいくことを信じている。どこからそんな確証を得ているのか。利用するできるものがまだほかにあって、それが確かにするのかもしれない。
――と考えていると、琴子は一カ月前の梓沙の言葉を思いだす。
「梓沙、まえに云ってたよね。わたしが里見リーダーと付き合えば都合がいいって、どういうこと?」
「だって、友だちが里見家の人と付き合っていれば、わたしも信用されるでしょ。無下には扱えなくなるし、もともとAIが相性を保証してくれてるんだから、琴子たちが付き合えば、玉城のお坊ちゃんの背中を押すのは確か」
梓沙の『お坊ちゃん』という云い方には揶揄した響きが感じられる。
「梓沙」
と、呼びかけたとき、琴子は近くに人の気配を感じた。もちろん、オフィス街で平日の昼間、公園を横切る人も多く、人の気配は終始ある。ただ、いまは超能力が備わったように視線みたいなものを感じとった。
「お疲れ」
その方向を振り向いたのと同時に声をかけられる。そうしたのは里見だった。顔を見るまでもなく、ほんの一語でもその声を聞けば疑いようがない。
視線が勘違いではなかったからといって、琴子にはなんのメリットもない。むしろ、梓沙といままで話していた内容が内容だけに、リスクしか感じられない。
「お疲れさまです。……どうされたんですか」
「はっ。あからさまに迷惑顔をしないでくれ。外回りから戻る途中に伊伏さんが見えた。そしたら、差し入れがしたくなった。それだけだ」
里見は、琴子が受けとらないと思ったのか、梓沙のほうに持っていたものを差しだした。その袋には、近くのアイスクリーム専門店の名が入っている。
「わぁ、ありがとうございます!」
「迷惑なら持って帰るけど」
やはり里見は計算していて、断るはずのない梓沙のほうに訊ね――
「とんでもないです。遠慮なくいただきます」
と、梓沙もまた算段があるわけで、受けとらないはずがない。
「伊伏さんの友だち?」
「琴子とは中学からの友だちでもあり、同居人でもあります。あと、グループ会社としては同期です。プラヴィカスタマの浜路梓沙です」
「へぇ。縁があるわけだ。おれは伊伏さんと同じホールディングスの里見だ、里見道仁。よろしく」
「よろしくお願いします。ついでに琴子のことも」
梓沙は無遠慮に付け加え、里見はおもしろがってひょいと片方の眉を跳ねあげる。
「梓沙」
「心強いな」
琴子をさえぎるように里見は梓沙に応じた。ちらりと琴子を見やると、片側だけ口角を上げて挑んでくる。すぐさま梓沙に目を戻した。
「なかなか伊伏さんが反応なくて困ってる。まずは友情からっていう余地くらいあってもいいだろう?」
「確かに」
「味方がいるとはありがたいな。今度、食事とか一緒に出かけてくれると助かる。なんなら浜路さんのカレが一緒でも」
「それは願ったりです」
「梓沙」
琴子が制しようとするも、梓沙の顔を見れば聞くわけがないと明々白々だ。
「いいじゃない。大勢で遊ぶなんて学生のとき以来だし。里見さん、その節は声をかけてください」
「オーケー。じゃあ、昼休みは残り時間少ないけど、ごゆっくり」
里見は身をひるがえす。かと思うと、すぐに振り返った。
「伊伏さん、今日の食事会、忘れないように」
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