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第2章 制御不能の狩り本能
1.
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『吉報あり! 昼休み、時間ある? 一緒に食べない?』
梓沙からそんなメッセージが来たのは、昼休みが始まる三十分前だった。
琴子は十二時きっかりにデスクの上を整理して、待ち合わせたカフェレストラン“ふぃっしゅパイ”に向かった。
フィッシュパイはイギリスの伝統料理らしいが、ふぃっしゅパイのメニューはイギリス料理に限らない。何度か来たことがあって、梓沙は琴子の好物も知っている。梓沙はさきに来てテイクアウトで注文してくれていた。
フィッシュパイを挟んだホットサンドとコーヒーを持って、オフィス街にある公園に入ると、運よく空いていたベンチに座った。
さっそく琴子はホットサンドを一口かじる。チーズ味のマッシュポテトとシーフードの風味がバランスよく合わさって、口の中に広がった。
「美味しい」
無意識に声に出た琴子の感想を梓沙が笑う。
「ほんと、琴子はそれ好きだよね」
「ホントに好きだから。それで吉報って?」
六月の終わり、梅雨入りしているけれど今日は青空が広がっている。そのすがすがしい開放感に同調するような笑顔が琴子に向けられた。
「うまくいったんだ」
「だからそれってなんのこと? 何がうまくいったの?」
「社内マッチングアプリ」
梓沙は端的に答えて、ふふふっと意味深に笑った。
すぐにぴんと来なかったのは、ふたりがそれらしい話をいままでやったことがないからだ。琴子は目を見開いた。
「梓沙、まさかマッチングアプリを使って成立したの?」
「当たり」
梓沙はまた、ふふふっと堪えきれないといった様子で笑った。
「登録してるなんてひと言も聞いてない」
「云ってないから」
梓沙は澄まして云い、手に持った生ハムサンドを頬張った。そして――
「美味しい」
と、琴子の真似をして声に出した。
ただ、その横顔を見ていると、『美味しい』という言葉の対象は生ハムサンドではなく別のところにあって、なお且つ達成感のようなものが滲みでている。
「梓沙、危ないことしてないって云ったよね?」
「云ったよ」
「真剣なの?」
「琴子、疑うね。まあ、琴子だから疑うっていうよりはわかってるんだろうけど、今度は本気。相手がだれかわかれば納得するんじゃない?」
「だから、だれなの、相手は?」
「玉城壮輔」
「……え?」
聞き間違いかとびっくり眼になった琴子を見て、梓沙は気味が悪いくらいに口角をめいっぱい上げて笑顔をつくった。
「やっぱり、会社は違ってもグループ会社だし、琴子も知ってるよね」
「……玉城一族の、玉城壮輔?」
「そう」
「それなら、グループ会社だからってことじゃなくて、グループ会社自体に関係する人だから、名前を聞けば見当がつくよ。それに、五月の最初の食事会のときに、話題になったから」
「話題って?」
梓沙がそこを気にするとは思わなくて、琴子は一瞬、返答するのに詰まった。
あのとき、里見は玉城についてリサーチしてかまわないようなことを云っていたけれど、琴子は関係ないと思ってそうしなかった。会話の前後を思いだすかぎり、いい話題とは云えなかった気がする。
「里見リーダーは里見一族だし、分家っていう同じ立場で年も近いから、玉城さんのことは自然に話題にのぼった感じ」
果たして、ごまかしはきいて、あーそっか、と梓沙は屈託なく納得をした。
いや、ほっとしている場合でもない。本気だと聞いても、それですんなり納得するほど、梓沙との付き合いは短くないし、浅くもない。
「梓沙、本気って何が本気なの?」
「せっかくだから玉の輿を狙ってもいいでしょ?」
「……それだけ?」
琴子が用心深く訊ねると、梓沙は可笑しそうにした。
「露骨に玉の輿を狙うって云うと、夢見てる段階のうちは軽くスルーされちゃうけど、リアルが前提になると、大抵の人はしたたかだって悪印象を抱く。でも、琴子は例外。そんなの生温いって思ってる」
「梓沙に関してはね」
云われた人によっては侮辱にも感じるだろう、率直すぎる言葉も、琴子が云えば梓沙の逆鱗に触れることはない。むしろ、梓沙は琴子を理解者だとして喜んでいる。
「でもね、琴子。今度はいつもとは違う。利用できるものは利用して、玉城壮輔のことは最後まで利用する」
最後まで、という言葉が結婚を含んで一生ということはすんなり理解できたのに、その前置きとして梓沙が云った『利用できるもの』という言葉に引っかかった。マッチングアプリのことだけではない気がする。琴子は梓沙をつぶさに見つめた。
梓沙は、肩甲骨の下まであるストレートの長い髪を後ろで一つに纏めていて、前髪で隠れた額のほかは剥きだしだ。絶世の美女とまではいかなくても、背が高ければすぐにでもモデルと間違われそうな容姿をしている。
マッチングアプリに外見重視という項目があるとしたら、梓沙が除外されることはまずない。そこまで考えると、引っかかったことが見えてくる。
数万という従業員がいるなかで、どれだけの人がマッチングアプリに登録をして、どれくらいの確率で条件が合うのか。
「梓沙、何かした?」
訊ねたとたん。
「さっすが、琴子。犬飼に協力してもらったの」
あっけらかんと梓沙が云ったことは、けっして危なくないとは云いきれないことだった。
梓沙からそんなメッセージが来たのは、昼休みが始まる三十分前だった。
琴子は十二時きっかりにデスクの上を整理して、待ち合わせたカフェレストラン“ふぃっしゅパイ”に向かった。
フィッシュパイはイギリスの伝統料理らしいが、ふぃっしゅパイのメニューはイギリス料理に限らない。何度か来たことがあって、梓沙は琴子の好物も知っている。梓沙はさきに来てテイクアウトで注文してくれていた。
フィッシュパイを挟んだホットサンドとコーヒーを持って、オフィス街にある公園に入ると、運よく空いていたベンチに座った。
さっそく琴子はホットサンドを一口かじる。チーズ味のマッシュポテトとシーフードの風味がバランスよく合わさって、口の中に広がった。
「美味しい」
無意識に声に出た琴子の感想を梓沙が笑う。
「ほんと、琴子はそれ好きだよね」
「ホントに好きだから。それで吉報って?」
六月の終わり、梅雨入りしているけれど今日は青空が広がっている。そのすがすがしい開放感に同調するような笑顔が琴子に向けられた。
「うまくいったんだ」
「だからそれってなんのこと? 何がうまくいったの?」
「社内マッチングアプリ」
梓沙は端的に答えて、ふふふっと意味深に笑った。
すぐにぴんと来なかったのは、ふたりがそれらしい話をいままでやったことがないからだ。琴子は目を見開いた。
「梓沙、まさかマッチングアプリを使って成立したの?」
「当たり」
梓沙はまた、ふふふっと堪えきれないといった様子で笑った。
「登録してるなんてひと言も聞いてない」
「云ってないから」
梓沙は澄まして云い、手に持った生ハムサンドを頬張った。そして――
「美味しい」
と、琴子の真似をして声に出した。
ただ、その横顔を見ていると、『美味しい』という言葉の対象は生ハムサンドではなく別のところにあって、なお且つ達成感のようなものが滲みでている。
「梓沙、危ないことしてないって云ったよね?」
「云ったよ」
「真剣なの?」
「琴子、疑うね。まあ、琴子だから疑うっていうよりはわかってるんだろうけど、今度は本気。相手がだれかわかれば納得するんじゃない?」
「だから、だれなの、相手は?」
「玉城壮輔」
「……え?」
聞き間違いかとびっくり眼になった琴子を見て、梓沙は気味が悪いくらいに口角をめいっぱい上げて笑顔をつくった。
「やっぱり、会社は違ってもグループ会社だし、琴子も知ってるよね」
「……玉城一族の、玉城壮輔?」
「そう」
「それなら、グループ会社だからってことじゃなくて、グループ会社自体に関係する人だから、名前を聞けば見当がつくよ。それに、五月の最初の食事会のときに、話題になったから」
「話題って?」
梓沙がそこを気にするとは思わなくて、琴子は一瞬、返答するのに詰まった。
あのとき、里見は玉城についてリサーチしてかまわないようなことを云っていたけれど、琴子は関係ないと思ってそうしなかった。会話の前後を思いだすかぎり、いい話題とは云えなかった気がする。
「里見リーダーは里見一族だし、分家っていう同じ立場で年も近いから、玉城さんのことは自然に話題にのぼった感じ」
果たして、ごまかしはきいて、あーそっか、と梓沙は屈託なく納得をした。
いや、ほっとしている場合でもない。本気だと聞いても、それですんなり納得するほど、梓沙との付き合いは短くないし、浅くもない。
「梓沙、本気って何が本気なの?」
「せっかくだから玉の輿を狙ってもいいでしょ?」
「……それだけ?」
琴子が用心深く訊ねると、梓沙は可笑しそうにした。
「露骨に玉の輿を狙うって云うと、夢見てる段階のうちは軽くスルーされちゃうけど、リアルが前提になると、大抵の人はしたたかだって悪印象を抱く。でも、琴子は例外。そんなの生温いって思ってる」
「梓沙に関してはね」
云われた人によっては侮辱にも感じるだろう、率直すぎる言葉も、琴子が云えば梓沙の逆鱗に触れることはない。むしろ、梓沙は琴子を理解者だとして喜んでいる。
「でもね、琴子。今度はいつもとは違う。利用できるものは利用して、玉城壮輔のことは最後まで利用する」
最後まで、という言葉が結婚を含んで一生ということはすんなり理解できたのに、その前置きとして梓沙が云った『利用できるもの』という言葉に引っかかった。マッチングアプリのことだけではない気がする。琴子は梓沙をつぶさに見つめた。
梓沙は、肩甲骨の下まであるストレートの長い髪を後ろで一つに纏めていて、前髪で隠れた額のほかは剥きだしだ。絶世の美女とまではいかなくても、背が高ければすぐにでもモデルと間違われそうな容姿をしている。
マッチングアプリに外見重視という項目があるとしたら、梓沙が除外されることはまずない。そこまで考えると、引っかかったことが見えてくる。
数万という従業員がいるなかで、どれだけの人がマッチングアプリに登録をして、どれくらいの確率で条件が合うのか。
「梓沙、何かした?」
訊ねたとたん。
「さっすが、琴子。犬飼に協力してもらったの」
あっけらかんと梓沙が云ったことは、けっして危なくないとは云いきれないことだった。
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