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第1章 恋愛コンプラの盾
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夕方から始まることもあり、食事会とは名ばかりでアルコールがメインの飲み会だろうと思っていたら、それぞれが好みのアルコールを飲んではいるものの、言葉どおり食事がメインだった。
琴子は指定されたこの店――ダイニングレストラン“デジル”を利用したことはなく、地図アプリを頼りにたどり着いた。エントランスの構えを見たかぎり、騒々しさが似つかわしくないとは感じた。店内はバーの雰囲気がありつつも、やたらとにぎやかなうるささはない。オープンスペースながらも、椅子の配置だったり観葉植物だったり、グループごとに仕切るような工夫がなされて、それらが慣れ親しんだ空間をつくりだしていた。
「伊伏さん、お酒のおかわりは?」
楕円形のテーブルで、斜め向かいに座った里見がメニュー表を差しだした。
琴子のカクテルグラスは空になりかけている。食事会が親しい者同士であれば、遠慮なく自らメニューを取って注文するところだが、はっきり部外者といってもいい場面ではそうもいかない。会話に入るのにも気を遣う状況下、飲み物は手持ち無沙汰の助けになるが、そのぶん早く尽きてしまうという悪循環が発生していた。
「あ、じゃあ、おれも」
「わたしも次に行こっかな」
里見の勧めに乗る声があがって、琴子も頼みやすくなった。
「ありがとうございます」
テーブル越しにメニュー表を受けとろうとしたとき、素直にはそうできない一瞬があった。思わず里見の顔を見ると目が合った。
「このチームは自由参加、なお且つ会費制だというのは連絡していたとおりだ。ただし、違う部署から初参加した伊伏さんのぶんはおれが負担する」
「いえ、ちゃんと……」
「伊伏さん、遠慮するなって。おれたちの酒代もリーダーの驕りってのが通例だし」
「だから、里見リーダーはべろんべろんになりそうな居酒屋じゃなくて、こういうところを選ぶんですよね」
新規事業第一チームはリーダーを含み九人編成で、今日はその全員が参加している。仕事中はどうなのか知らないが、いま女性メンバーの一人、太田は砕けた口調で里見を無遠慮にからかった。
「ケチだっていいたいのか」
「充分に有り難いです」
太田が馬鹿丁寧に頭を下げると笑いが広がる。
「昔、勤めていた会社は、こういう場合、参加強制だったし、二次会三次会ってずるずる上司に引きずりまわされたもんだ」
そう云ったのは、五十二歳とチーム最年長でありサブリーダーの杉倉だ。
「いまもないとは云いきれないけど、杉倉さんの世代はそれがあたりまえって感じですよね。わたしの父もいま頃、そんなことを愚痴ってます」
「うちの親も同じ世代だ。けど、おれの父親は上司って立場になって、今時の若い奴は乗りが悪いって愚痴ってるよ」
「飲みに誘えばパワハラだもんな」
「正直に云えば、いまみたいなチームで集まるぶんにはいいけど、戦略室全体でってなったらちょっと苦痛かも」
「あ、それ同感。トップが気を利かせて早々と退散してくれるようになったからマシだけど」
「それ、里見リーダーの前で云う?」
太田の突っこみにハッとした空気になったのは一瞬、次には失笑が満ちた。
里見は興じた様子でくちびるを歪めた。
「トップに身内がいるのは確かだ。けど、告げ口をしたところでおれにはなんの利にもならない。裸の王様なんてみっともないだろう」
里見は肩をすくめた。取り繕うのでもなく本心なのは伝わってくる。
「それは最悪」
「でも、裸の里見リーダーが見たいって人はいるんじゃない?」
「想像しないでくれ」
云われたら想像するものだ。そんな脳の癖を遮断するべく、里見は即行で釘を刺した。また失笑がはびこるなか、その目が琴子を見やる。焦ったふうでもなく、それどころか余裕綽々で思わせぶりにも見える。
何をほのめかしているのだろう。想像するにも、情報量が少なすぎて琴子には思い浮かばない。
「それって逆ハラじゃないのかよ」
「ちょっと違うと思うけど」
「まあ、うちに社内恋愛禁止っていうルールがなければ、里見リーダーは仕事に集中できていなかっただろうな」
杉倉はおもしろがって里見を揶揄した。
「ほんと。里見リーダーと近づくには会社辞めないといけないって、賭けですよね。里見リーダーはリーダーで、仕事に熱中して出会いの場がなさそうですけど、もしかして独身派ですか」
「それ、諸にハラスメント発言だな」
里見に対して遠慮のない太田だが、不適切な発言だと指摘されると、あ、といった面持ちになって首をかしげた。
「里見リーダー、避けたほうがいいです?」
「おれはそこまで神経質な人間じゃない。ただし、答えたくないことはノーコメントだ」
ついでに云えば、と言葉を継ぎながら里見はちらりと琴子に目を向けた。
「独身派でもないし、かといって遊ぶ時間もない」
「つまり、付き合うときは真剣に結婚を考えるってことですよね」
里見はわずかに首をひねった。肯定にも否定にも見えるが――
「だれかしらと時間を共有するのは気を遣う。家族間でもそうだし、いまだってそうだ。レベルが違うだけで。いまの共有は仕事に役に立つ。友人との集まりは気晴らしになる。けど、いいかげんな関係は不毛だ」
いくら強引に誘われたとしても、琴子にはこの食事会への出席を断る権利もあった。憂うつでも参加したのは、里見がチームのなかでどんな接し方をしているのか知りたかったのだ。
いまの里見には軽薄さの欠片もない。半年前までイメージしていたとおりだ。すると、どういうつもりで琴子の前であんなふうに軽薄になるのか、ますます謎だ。いいかげんでありたくないと云っているのに。
夕方から始まることもあり、食事会とは名ばかりでアルコールがメインの飲み会だろうと思っていたら、それぞれが好みのアルコールを飲んではいるものの、言葉どおり食事がメインだった。
琴子は指定されたこの店――ダイニングレストラン“デジル”を利用したことはなく、地図アプリを頼りにたどり着いた。エントランスの構えを見たかぎり、騒々しさが似つかわしくないとは感じた。店内はバーの雰囲気がありつつも、やたらとにぎやかなうるささはない。オープンスペースながらも、椅子の配置だったり観葉植物だったり、グループごとに仕切るような工夫がなされて、それらが慣れ親しんだ空間をつくりだしていた。
「伊伏さん、お酒のおかわりは?」
楕円形のテーブルで、斜め向かいに座った里見がメニュー表を差しだした。
琴子のカクテルグラスは空になりかけている。食事会が親しい者同士であれば、遠慮なく自らメニューを取って注文するところだが、はっきり部外者といってもいい場面ではそうもいかない。会話に入るのにも気を遣う状況下、飲み物は手持ち無沙汰の助けになるが、そのぶん早く尽きてしまうという悪循環が発生していた。
「あ、じゃあ、おれも」
「わたしも次に行こっかな」
里見の勧めに乗る声があがって、琴子も頼みやすくなった。
「ありがとうございます」
テーブル越しにメニュー表を受けとろうとしたとき、素直にはそうできない一瞬があった。思わず里見の顔を見ると目が合った。
「このチームは自由参加、なお且つ会費制だというのは連絡していたとおりだ。ただし、違う部署から初参加した伊伏さんのぶんはおれが負担する」
「いえ、ちゃんと……」
「伊伏さん、遠慮するなって。おれたちの酒代もリーダーの驕りってのが通例だし」
「だから、里見リーダーはべろんべろんになりそうな居酒屋じゃなくて、こういうところを選ぶんですよね」
新規事業第一チームはリーダーを含み九人編成で、今日はその全員が参加している。仕事中はどうなのか知らないが、いま女性メンバーの一人、太田は砕けた口調で里見を無遠慮にからかった。
「ケチだっていいたいのか」
「充分に有り難いです」
太田が馬鹿丁寧に頭を下げると笑いが広がる。
「昔、勤めていた会社は、こういう場合、参加強制だったし、二次会三次会ってずるずる上司に引きずりまわされたもんだ」
そう云ったのは、五十二歳とチーム最年長でありサブリーダーの杉倉だ。
「いまもないとは云いきれないけど、杉倉さんの世代はそれがあたりまえって感じですよね。わたしの父もいま頃、そんなことを愚痴ってます」
「うちの親も同じ世代だ。けど、おれの父親は上司って立場になって、今時の若い奴は乗りが悪いって愚痴ってるよ」
「飲みに誘えばパワハラだもんな」
「正直に云えば、いまみたいなチームで集まるぶんにはいいけど、戦略室全体でってなったらちょっと苦痛かも」
「あ、それ同感。トップが気を利かせて早々と退散してくれるようになったからマシだけど」
「それ、里見リーダーの前で云う?」
太田の突っこみにハッとした空気になったのは一瞬、次には失笑が満ちた。
里見は興じた様子でくちびるを歪めた。
「トップに身内がいるのは確かだ。けど、告げ口をしたところでおれにはなんの利にもならない。裸の王様なんてみっともないだろう」
里見は肩をすくめた。取り繕うのでもなく本心なのは伝わってくる。
「それは最悪」
「でも、裸の里見リーダーが見たいって人はいるんじゃない?」
「想像しないでくれ」
云われたら想像するものだ。そんな脳の癖を遮断するべく、里見は即行で釘を刺した。また失笑がはびこるなか、その目が琴子を見やる。焦ったふうでもなく、それどころか余裕綽々で思わせぶりにも見える。
何をほのめかしているのだろう。想像するにも、情報量が少なすぎて琴子には思い浮かばない。
「それって逆ハラじゃないのかよ」
「ちょっと違うと思うけど」
「まあ、うちに社内恋愛禁止っていうルールがなければ、里見リーダーは仕事に集中できていなかっただろうな」
杉倉はおもしろがって里見を揶揄した。
「ほんと。里見リーダーと近づくには会社辞めないといけないって、賭けですよね。里見リーダーはリーダーで、仕事に熱中して出会いの場がなさそうですけど、もしかして独身派ですか」
「それ、諸にハラスメント発言だな」
里見に対して遠慮のない太田だが、不適切な発言だと指摘されると、あ、といった面持ちになって首をかしげた。
「里見リーダー、避けたほうがいいです?」
「おれはそこまで神経質な人間じゃない。ただし、答えたくないことはノーコメントだ」
ついでに云えば、と言葉を継ぎながら里見はちらりと琴子に目を向けた。
「独身派でもないし、かといって遊ぶ時間もない」
「つまり、付き合うときは真剣に結婚を考えるってことですよね」
里見はわずかに首をひねった。肯定にも否定にも見えるが――
「だれかしらと時間を共有するのは気を遣う。家族間でもそうだし、いまだってそうだ。レベルが違うだけで。いまの共有は仕事に役に立つ。友人との集まりは気晴らしになる。けど、いいかげんな関係は不毛だ」
いくら強引に誘われたとしても、琴子にはこの食事会への出席を断る権利もあった。憂うつでも参加したのは、里見がチームのなかでどんな接し方をしているのか知りたかったのだ。
いまの里見には軽薄さの欠片もない。半年前までイメージしていたとおりだ。すると、どういうつもりで琴子の前であんなふうに軽薄になるのか、ますます謎だ。いいかげんでありたくないと云っているのに。
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