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第8話 Love Call
4.
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休憩を挟んで航たちがまた練習に取りかかる一方で、実那都だけ夕方六時からのバイトに合わせてさきにスタジオを出た。
実那都がドーナツカフェでのバイトを始めたのは五月で、夏休みのいま、働く時間帯はばらばらだけれど、平均して一日六時間週六日でシフトを組んでもらっている。今日は夜十時まで、五時間のバイトだ。休憩時間にはメニューから二つ好きなものを選んで飲食できるという楽しみがある。
主な仕事は客の接待で、四カ月の経験を経てメニューも網羅したから、戸惑うことはあまりない。たまに、タイミングが悪く品切れになって、そのときさらにタイミング悪く非社会的な人に当たると、苦情を云われるだけ云われて気分が沈む一日になることもある。けれど、概ね苦になることなく励めている。
「実那都ちゃん、今日は買ってく?」
一組の客が帰ったあとテーブルをきれいにして販売スペースに戻ると、バイト仲間の轟木洸平がショーケースを指差して声をかけた。
壁にかかった時計を見ると、九時四十五分、もうすぐバイトも終わる。カフェ店は駅近くにあって営業時間は夜中の十二時までだ。客はまだそこそこにいる時間帯で、ショーケースのなかも種類はそろっている。
「はい、そのつもりです」
「新作が出たしね。カレシさんに食べさせたいとか、健気だなぁ」
轟木は冷やかすのではなく、うらやましそうに云う。
轟木が青南大学の一学年先輩だというのは、バイトを始めて間もなくわかった。航と同じ工学部の情報学科だけれど、学年が違うせいか、航はここに立ち寄って実那都に紹介されるまで面識はなかったという。
「轟木さんもカノジョさんに買っていったらどうですか。ドーナツが嫌いっていう人はめったにいないと思いますけど」
「いないんだよな、それが」
轟木は首をひねって残念そうに云い、実那都もまた首をかしげた。
「轟木さんに告白されたら断る人いない気がしますけど」
お世辞でもなんでもなく、轟木は背がほどほど高いし顔も甘めの、いわゆるイケメンで、一緒に働いているうえで性格にも悪いところは見当たらない。むしろ、青南大生だけあって仕事には抜かりがないし、教え方も適確でやさしかった。
轟木はおもしろがって吹くように笑う。
「実那都ちゃんに告白したら……」
「お姉ちゃん」
轟木が話しているさなか、背後でいかにも可愛い声がした。そういう呼び方も、その声も実那都には憶えがある。いや、憶えがあるというよりは耳に染みついている。
振り向くと、どんなに見た目や雰囲気が変わっても、伊達眼鏡をかけていても間違えることのない妹、加純がいた。
加純は小さく手を振ると、実那都を指差しながら隣にいる男性に話しかける。実那都のことを姉だとあらためて教えているのだろう。
その彼を観察してみると、“男性”と呼ぶには幼く、高校二年生の加純に年相応で、男の子といったほうがまだ似合う感じだ。
加純は中学二年生のとき、カレではないとわざわざ前置きをしたあとボーイフレンドだといって自撮りしたふたりの写真を実那都に見せた。それが最初で、東京にいる現在まで、ほぼ一年に一人くらいのペースで入れ替わり“ボーイフレンド”を見せられてきた。まるで年間行事だ。もちろん、母には内緒だという口止めが付随する。
ボーイフレンドは決まって容姿レベルが高い。今年は写真をやめて実物を見せに来たらしい。加純らしく、自分の隣にいて似合う、あるいは恥ずかしくない男の子だ。
彼は実那都に向かって軽く会釈したあと、『ばいばい』と手を振る加純を残して店を出ていった。名乗り合うことがなかったというのは即ち、一年後にまた違う“ボーイフレンド”の写真を見せられると確定したのかもしれない。
「加純、こんな遅くまで出歩いてるの?」
加純が近くに来ると、姉らしく――正直にいえば、母親が邪魔をして加純との関係が薄く、姉らしいとはどういうものか実那都にはよくわからないけれど、咎めてみると加純は可笑しそうに吹いた。
「仕事があるときは、この時間でも家に帰ってないときあるよ。ちゃんと云えば、仕事が終わって家に帰る途中くらいかな。今日はデート、夏休みが終わるし」
「デートって、事務所はオッケーしてるの?」
「友だちだから」
と、あっけらかんと答えた加純だったが、でも、と言葉を次いだときは思わせぶりに見えた。
「何?」
実那都が訊ねるのを待っていたかのように、加純はにっこりした。
「もうすぐ、友だちだとしても異性とのデートは控えなくちゃダメになるかも。仕事はモデルだけじゃなくなるから」
「どういうこと?」
「わたし、背が高くないからモデルの仕事っていっても限界あるじゃない? それで、ドラマデビューができそうなの。わたしが演劇の勉強してるのは知ってるでしょ」
加純は得意気だ。思うとおりに生きられているのだろう。
確かに、同年代向けのファッション雑誌では専属といっても限界があるのかもしれない。少なくとも、加純は満足していなかったのは知っている。
モデルになった始まりは母親のエゴだったはずが、いまや加純の意志でもあるのだ。俳優になるのは母の理想以上かもしれない。そう考えると、母は見る目があるということ。穿てば、その母に見棄てられた実那都は救いようがないということになるけれど。
「よぉ」
加純の背後に、今度は航が現れた。
スタジオからの帰り道、たぶん来るだろうとは思っていた。航が軽く手を上げて、実那都は笑って応えた。
それとほぼ同時に、加純が振り向いて、「航くん!」と浮き浮きした声で呼びかける。すると、実那都はこっそり嘆息した。
実那都がドーナツカフェでのバイトを始めたのは五月で、夏休みのいま、働く時間帯はばらばらだけれど、平均して一日六時間週六日でシフトを組んでもらっている。今日は夜十時まで、五時間のバイトだ。休憩時間にはメニューから二つ好きなものを選んで飲食できるという楽しみがある。
主な仕事は客の接待で、四カ月の経験を経てメニューも網羅したから、戸惑うことはあまりない。たまに、タイミングが悪く品切れになって、そのときさらにタイミング悪く非社会的な人に当たると、苦情を云われるだけ云われて気分が沈む一日になることもある。けれど、概ね苦になることなく励めている。
「実那都ちゃん、今日は買ってく?」
一組の客が帰ったあとテーブルをきれいにして販売スペースに戻ると、バイト仲間の轟木洸平がショーケースを指差して声をかけた。
壁にかかった時計を見ると、九時四十五分、もうすぐバイトも終わる。カフェ店は駅近くにあって営業時間は夜中の十二時までだ。客はまだそこそこにいる時間帯で、ショーケースのなかも種類はそろっている。
「はい、そのつもりです」
「新作が出たしね。カレシさんに食べさせたいとか、健気だなぁ」
轟木は冷やかすのではなく、うらやましそうに云う。
轟木が青南大学の一学年先輩だというのは、バイトを始めて間もなくわかった。航と同じ工学部の情報学科だけれど、学年が違うせいか、航はここに立ち寄って実那都に紹介されるまで面識はなかったという。
「轟木さんもカノジョさんに買っていったらどうですか。ドーナツが嫌いっていう人はめったにいないと思いますけど」
「いないんだよな、それが」
轟木は首をひねって残念そうに云い、実那都もまた首をかしげた。
「轟木さんに告白されたら断る人いない気がしますけど」
お世辞でもなんでもなく、轟木は背がほどほど高いし顔も甘めの、いわゆるイケメンで、一緒に働いているうえで性格にも悪いところは見当たらない。むしろ、青南大生だけあって仕事には抜かりがないし、教え方も適確でやさしかった。
轟木はおもしろがって吹くように笑う。
「実那都ちゃんに告白したら……」
「お姉ちゃん」
轟木が話しているさなか、背後でいかにも可愛い声がした。そういう呼び方も、その声も実那都には憶えがある。いや、憶えがあるというよりは耳に染みついている。
振り向くと、どんなに見た目や雰囲気が変わっても、伊達眼鏡をかけていても間違えることのない妹、加純がいた。
加純は小さく手を振ると、実那都を指差しながら隣にいる男性に話しかける。実那都のことを姉だとあらためて教えているのだろう。
その彼を観察してみると、“男性”と呼ぶには幼く、高校二年生の加純に年相応で、男の子といったほうがまだ似合う感じだ。
加純は中学二年生のとき、カレではないとわざわざ前置きをしたあとボーイフレンドだといって自撮りしたふたりの写真を実那都に見せた。それが最初で、東京にいる現在まで、ほぼ一年に一人くらいのペースで入れ替わり“ボーイフレンド”を見せられてきた。まるで年間行事だ。もちろん、母には内緒だという口止めが付随する。
ボーイフレンドは決まって容姿レベルが高い。今年は写真をやめて実物を見せに来たらしい。加純らしく、自分の隣にいて似合う、あるいは恥ずかしくない男の子だ。
彼は実那都に向かって軽く会釈したあと、『ばいばい』と手を振る加純を残して店を出ていった。名乗り合うことがなかったというのは即ち、一年後にまた違う“ボーイフレンド”の写真を見せられると確定したのかもしれない。
「加純、こんな遅くまで出歩いてるの?」
加純が近くに来ると、姉らしく――正直にいえば、母親が邪魔をして加純との関係が薄く、姉らしいとはどういうものか実那都にはよくわからないけれど、咎めてみると加純は可笑しそうに吹いた。
「仕事があるときは、この時間でも家に帰ってないときあるよ。ちゃんと云えば、仕事が終わって家に帰る途中くらいかな。今日はデート、夏休みが終わるし」
「デートって、事務所はオッケーしてるの?」
「友だちだから」
と、あっけらかんと答えた加純だったが、でも、と言葉を次いだときは思わせぶりに見えた。
「何?」
実那都が訊ねるのを待っていたかのように、加純はにっこりした。
「もうすぐ、友だちだとしても異性とのデートは控えなくちゃダメになるかも。仕事はモデルだけじゃなくなるから」
「どういうこと?」
「わたし、背が高くないからモデルの仕事っていっても限界あるじゃない? それで、ドラマデビューができそうなの。わたしが演劇の勉強してるのは知ってるでしょ」
加純は得意気だ。思うとおりに生きられているのだろう。
確かに、同年代向けのファッション雑誌では専属といっても限界があるのかもしれない。少なくとも、加純は満足していなかったのは知っている。
モデルになった始まりは母親のエゴだったはずが、いまや加純の意志でもあるのだ。俳優になるのは母の理想以上かもしれない。そう考えると、母は見る目があるということ。穿てば、その母に見棄てられた実那都は救いようがないということになるけれど。
「よぉ」
加純の背後に、今度は航が現れた。
スタジオからの帰り道、たぶん来るだろうとは思っていた。航が軽く手を上げて、実那都は笑って応えた。
それとほぼ同時に、加純が振り向いて、「航くん!」と浮き浮きした声で呼びかける。すると、実那都はこっそり嘆息した。
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