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第6話 runaway love
9.
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呼びだしたのは実那都のほうだ。けれど、いざ口にするにはきっかけが必要で、航が率直に話すよう促してくれたことは助かった。
「昨日、勢いで大学のこと話してみた。でも、ダメだった」
「勢いって……」
航は目を見開いて実那都の顔を覗くように首を傾けた。
「お母さんと加純が東京に行くまえに知り合いとか友だちとかに挨拶しなくちゃって楽しそうにしてたから、云いたくなった」
航はため息とまがうような笑い声を漏らす。大学進学がだめだったことにがっかりしている様子はなくて、おもしろがったように眉を跳ねあげて実那都を見やったあと、首を起こしてベンチにもたれかかった。
「へぇ。実那都はいつも冷静っぽいと思ってたけどさ、そういう衝動的なとこもあるわけだ」
「うん……それで失敗してるよ、わたしはずっと」
「どいうことだよ」
うん、と返事にならない返事をして、実那都はひとつ息をつく。短くて浅い吐息のなかに、希望も期待も紛らせて棄てた。安心する傍らでずっと感じていた不安を終わらせられる。そんな覚悟をしつつ口を開いた。
「小さい頃の……保育園の年長のときのこと。加純は小さい頃から可愛くて……わたしのことをほっといてるわけじゃないけど、それよりずっと大事にしてるってわかるくらい親は加純をかまってた。卒園式の日に、加純は――年少で同じ保育園に通ってて――熱を出したから、お母さんは来てくれなかったの。かわりにお父さんは来てくれたけど……。ほんとに看病しなくちゃならないくらいひどかったのか、そうじゃなかったのかはいまでもわからないけど……」
「けど、お母さんに来てもらいたいって気持ちは、おれにもわかる。わがままじゃねぇ。ちっせぇガキって父親より母親っていうじゃん。実際、泣いてるガキは大抵が『お父さあぁん』とは泣かねぇ」
航は両手をひらひらと泳がせつつ泣き真似をして、実那都は短くも、ふざけたその素振りについ笑ってしまった。
「わたしも聞いたことないかも」
「ああ」
航はニッとくちびるを歪めて相づちを打ち、実那都が切りだすのを待っている。笑ったことで少し気がらくになりながら実那都は続けた。
「そういえば、加純もそのとき具合が悪かったせいか、『お母さん』て泣いてた。お母さんはわたしの卒園式より、加純の病気に付き合って、わたしはそれで拗ねて意地悪になってた。小学校に入る準備も……筆箱とかバッグとか買い物するはずだったのに延期されたから。ちゃんとあとで連れていってもらったけど、わたしはいつまでも拗ねてて、加純に八つ当たりしたの。寝込むほどの病気じゃなくて、わたしに付き纏ってくる。だからよけいに腹が立って、加純を払いのけた。そこが階段の途中で……下から二段めくらいだったと思うけど、わたしは加純を突き落とした」
「ケガしたのか」
すぐ答えるには言葉が詰まり、ううん、と云うより早く、実那都は首を横に振った。
「大きなケガはしてない。打ち身とか、そんな感じだったと思う。病院にも行ってないし。わたしはごめんなさいって云えなかった」
階段の下で泣いている加純を見て、実那都は自分が何を思ったかよく憶えていない。いろんな感情がざわめいてはっきり名付けられないせいだ。
「それから親との関係がおかしくなったってことか」
しばらく沈黙がはびこったあと、航は独り言のようにつぶやいた。
「……うん。自業自得ってわかってるし、あきらめてるけど……腹が立つこともある。わたしは何も考えられないくらい衝動的になるし、悪いことをしても謝れないくらいひどい性格してる。わたしは醜いよ、いろんな意味で。隠してるだけ。でも、航は外側も内側も一緒。人が嫌がること、理不尽にはやらなくてきれい」
「何云ってんだよ」
軽く受け流すように航はそう云ったきり黙りこんだ。
何やってるの! いまの航と似たような言葉を吐いた母はあのとき、階段の三段めに立つ実那都を見上げた。きっとした眼差しは睨みつけるようにも見えた。そのときに謝ってしまえばよかったのかもしれない。怒られても当然なことをしたとわかっていた。ただ、納得のいかない拗ねた気持ちが素直さを奪い、逆に反感を生んで、そうするのを押しとどめた。
「実那都、おまえが醜いってことはねぇよ、いろんな意味で」
やがて航は実那都の言葉を借りてつぶやいた。それに、と続けたあと航は脱力したような笑みを漏らす。
「実那都は知ってるだろ。おれがきれいな人間じゃねぇこと」
「……え?」
「おれたちが付き合うってなった日のことを憶えてねぇのかよ」
航はのけ反るようにしていた上体を起こし、思わず振り向いた実那都の顔にぐっと顔を近づけた。焦点がかろうじて合う近距離で航を見つめたまま、なんのことか考えを巡らす。
「えっと……付き合えって強制したこと? でも、わたしは嫌がったっていうより戸惑ってただけ」
「――そうこないとな。強引に連れだしたことは認めっけど、そうしたことにおれはなんの疾しさもねぇから」
航は悪びれることなく、「そこじゃなくてさ」と実那都が出せなかった答えを自ら語りだした。
「思いださせたくねぇけど、おまえ、襲われたこと忘れたのかよ」
すぐにはぴんと来ることなく、航が云うとおり実那都はすっかり忘れていた。襲われたのは一度、メグという女性が記憶の中から浮上した。
「昨日、勢いで大学のこと話してみた。でも、ダメだった」
「勢いって……」
航は目を見開いて実那都の顔を覗くように首を傾けた。
「お母さんと加純が東京に行くまえに知り合いとか友だちとかに挨拶しなくちゃって楽しそうにしてたから、云いたくなった」
航はため息とまがうような笑い声を漏らす。大学進学がだめだったことにがっかりしている様子はなくて、おもしろがったように眉を跳ねあげて実那都を見やったあと、首を起こしてベンチにもたれかかった。
「へぇ。実那都はいつも冷静っぽいと思ってたけどさ、そういう衝動的なとこもあるわけだ」
「うん……それで失敗してるよ、わたしはずっと」
「どいうことだよ」
うん、と返事にならない返事をして、実那都はひとつ息をつく。短くて浅い吐息のなかに、希望も期待も紛らせて棄てた。安心する傍らでずっと感じていた不安を終わらせられる。そんな覚悟をしつつ口を開いた。
「小さい頃の……保育園の年長のときのこと。加純は小さい頃から可愛くて……わたしのことをほっといてるわけじゃないけど、それよりずっと大事にしてるってわかるくらい親は加純をかまってた。卒園式の日に、加純は――年少で同じ保育園に通ってて――熱を出したから、お母さんは来てくれなかったの。かわりにお父さんは来てくれたけど……。ほんとに看病しなくちゃならないくらいひどかったのか、そうじゃなかったのかはいまでもわからないけど……」
「けど、お母さんに来てもらいたいって気持ちは、おれにもわかる。わがままじゃねぇ。ちっせぇガキって父親より母親っていうじゃん。実際、泣いてるガキは大抵が『お父さあぁん』とは泣かねぇ」
航は両手をひらひらと泳がせつつ泣き真似をして、実那都は短くも、ふざけたその素振りについ笑ってしまった。
「わたしも聞いたことないかも」
「ああ」
航はニッとくちびるを歪めて相づちを打ち、実那都が切りだすのを待っている。笑ったことで少し気がらくになりながら実那都は続けた。
「そういえば、加純もそのとき具合が悪かったせいか、『お母さん』て泣いてた。お母さんはわたしの卒園式より、加純の病気に付き合って、わたしはそれで拗ねて意地悪になってた。小学校に入る準備も……筆箱とかバッグとか買い物するはずだったのに延期されたから。ちゃんとあとで連れていってもらったけど、わたしはいつまでも拗ねてて、加純に八つ当たりしたの。寝込むほどの病気じゃなくて、わたしに付き纏ってくる。だからよけいに腹が立って、加純を払いのけた。そこが階段の途中で……下から二段めくらいだったと思うけど、わたしは加純を突き落とした」
「ケガしたのか」
すぐ答えるには言葉が詰まり、ううん、と云うより早く、実那都は首を横に振った。
「大きなケガはしてない。打ち身とか、そんな感じだったと思う。病院にも行ってないし。わたしはごめんなさいって云えなかった」
階段の下で泣いている加純を見て、実那都は自分が何を思ったかよく憶えていない。いろんな感情がざわめいてはっきり名付けられないせいだ。
「それから親との関係がおかしくなったってことか」
しばらく沈黙がはびこったあと、航は独り言のようにつぶやいた。
「……うん。自業自得ってわかってるし、あきらめてるけど……腹が立つこともある。わたしは何も考えられないくらい衝動的になるし、悪いことをしても謝れないくらいひどい性格してる。わたしは醜いよ、いろんな意味で。隠してるだけ。でも、航は外側も内側も一緒。人が嫌がること、理不尽にはやらなくてきれい」
「何云ってんだよ」
軽く受け流すように航はそう云ったきり黙りこんだ。
何やってるの! いまの航と似たような言葉を吐いた母はあのとき、階段の三段めに立つ実那都を見上げた。きっとした眼差しは睨みつけるようにも見えた。そのときに謝ってしまえばよかったのかもしれない。怒られても当然なことをしたとわかっていた。ただ、納得のいかない拗ねた気持ちが素直さを奪い、逆に反感を生んで、そうするのを押しとどめた。
「実那都、おまえが醜いってことはねぇよ、いろんな意味で」
やがて航は実那都の言葉を借りてつぶやいた。それに、と続けたあと航は脱力したような笑みを漏らす。
「実那都は知ってるだろ。おれがきれいな人間じゃねぇこと」
「……え?」
「おれたちが付き合うってなった日のことを憶えてねぇのかよ」
航はのけ反るようにしていた上体を起こし、思わず振り向いた実那都の顔にぐっと顔を近づけた。焦点がかろうじて合う近距離で航を見つめたまま、なんのことか考えを巡らす。
「えっと……付き合えって強制したこと? でも、わたしは嫌がったっていうより戸惑ってただけ」
「――そうこないとな。強引に連れだしたことは認めっけど、そうしたことにおれはなんの疾しさもねぇから」
航は悪びれることなく、「そこじゃなくてさ」と実那都が出せなかった答えを自ら語りだした。
「思いださせたくねぇけど、おまえ、襲われたこと忘れたのかよ」
すぐにはぴんと来ることなく、航が云うとおり実那都はすっかり忘れていた。襲われたのは一度、メグという女性が記憶の中から浮上した。
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