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第6話 runaway love

7.

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「ただいま」
 家に入ると、帰りの遅かった父が独りダイニングテーブルで夕食を取っていた。リビングでは、買い物をしてきたのだろう、形は様々だが包装された紙袋や小箱がソファの間のテーブルの上に並べられていて、母と加純がそれらを確認し合っていた。
「おかえり」
 父が応じ、それではじめて実那都に気づいたように母が振り返って、おかえり、とどう見てもおざなりに声をかけた。
「お姉ちゃん、おかえり」
 おざなりなのは加純も同じだ。ただし、実那都に無関心なわけではなく、自分のことで手いっぱいのだ。いや、忙しいだけでなく、すぐそこに開けた自分の未来に期待を抱いている。
 それに比べて実那都は、期待はもちろん夢すらも抑制してきた。航があんなことを云うまでは。
 やってもいいこと――と航はそれを二番めだと云ったけれど、それを飛び越えて一番めがくっきりと実那都の中に浮かびあがった。そして、それには三番めが欠かせない。
 洗面所で手を洗ってから戻ると――
「明日、わたしも一緒に行かなきゃいけない?」
 加純が気が乗らないといった声音で母に問いかける。
「当然でしょ。あなたがお世話になった人だから、ご報告とお礼はちゃんとしておかなくちゃ。あと近所の幼なじみのお宅もね」
「え、近所まで?」
「あなたを見かけないっていちいち訊かれるのは面倒でしょ。お友だちの送別会までには間に合うようにするから」
 あーあ、と加純はがっかりしながらも、満更でもないといった響きが紛れこむ。
 こんなとき、実那都は加純が母に似てきたと思う。
 母は要するに自慢がしたくてたまらない。優位に立った気分でいる。加純はそんな母に感化されて、自信を持っている以上に自分を特別だと思い始めている。
 面と向かって攻撃する人はそうそういなくて、表面上のことであろうと人に褒めそやされるのはだれだって気分がいい。
「お父さん」
 呼びかけると、食事中の父は箸を止めて顔を上げた。
「ああ、なんだ」
「大学に行ってよかったって思う?」
 県内のマンモス校と云われる大学に通った父は、過去に思いを馳せたのか視線を宙にやり、そうしてから実那都に戻した。
「いまになると楽しかったことしか思いださないからな。苦労したのは就活くらいだろう。いい時代だったことは確かだ。友人も大学時代の奴が多い」
「高校とどっちが楽しい?」
「それは人によるだろう。サークルとかイベントに積極的に参加できるなら仲間とわいわいやって充実するだろうし、そうしなくても講義がひとつでも楽しめたり、興味を持てるものがあったり、それぞれが自由に学ぶ場所が大学というものだろう」
 そう云った父は何か云いたそうにして首をかしげた。
「わたし、大学に行ってもいい?」
 父に問われるまえに実那都のほうから訊ねた。
 父は驚きをそのまま顔に表し、そして口を開く。――刹那。
「実那都は就職するって云ってたじゃない」
 加純と一緒に贈り物の仕分け作業に集中していると思っていた母が口を出した。
 実那都がリビングを振り向くと、加純までもが興味を持ったように様子を窺っている。
「そのつもりだったけど、大学に行くのもいいかなって思って。高校の就職は工場が多いし、大学に行けば違った就職ができるかもし……」
「そんな余裕、うちにはないわよ。加純のことで精いっぱいなんだから」
 航が云ったとおり、実那都と加純の扱いには明らかに差がある。これがいままで黙って受け入れていた結果なのか。変えることはできるのか。いつもならここであきらめてしまうけれど、航の言葉を思いだして、それが実那都の背中を押した。
「奨学金もらって……」
「実那都の成績でいまから国立は無理だわ。家から通うとしても、私立にいくらかかると思ってるの?」
 実那都が云い終わらないうちにさえぎったのは、母がまったく賛成ではないからに違いない。考える余地もないと退けている。実那都の反抗心が煽られた。
「家からは通わない。東京に行きたいから」
 加純が東京に行く以上、実那都が引き合いに出すには、東京は絶好の場所になった。加純はよくて実那都はだめなのか。それがはっきりする。
「藍岬くんの影響?」
 覚悟をして返事を待っていた実那都には肩透かしの質問だった。
「……だったら何?」
「あの子、やりたい放題だっていうじゃない。最初にうちに来たときはしっかりしてる子だと思ったけど、我が強いだけだわ。お兄さんはストレートで貴友館から国立大の医学部に行って、いずれはお父さんの跡を継ぐみたいだけど、あの子は久築で適当にやってる……」
「違う! 航は適当になんてやってない!」
 母がそんなふうに受けとっているとは思っていなかった。否、普通に仲良く話せるようになった円花も一年前は高校のレベルを問題にしたのだから、航の実力を知らない母が誤解していても当然かもしれない。
 ただ、航が久築高校に通っていることに実那都が関わっているのは確かで、母の根拠のない発言を放っておけなかった。
「ちゃんとしてる子が、女の子のお尻を追っかけまわすようなことするかしら。さっきも一緒だったわよね。夜に男の子と一緒にいるなんて、近所の人に見られていい評判が立つわけないでしょ」
「航は、夜は危ないからって、時間が取れたときに送ってくれてるの。それのどこが悪いの!?」
 会いたいからとしか航は理由をつけないけれど、いま実那都が云った気持ちが半分くらい占めていることは云わなくても感じられる。それくらい航のことはわかっている。
「お母さん」
 と、意外にもなだめるように口を出した加純は、「久築中に行ってた子から聞いたことあるけど、航くんはお兄さんと一緒で頭がいいらしいよ」と航の肩を持った。
 母は顔をしかめて加純を一瞥する。普段は自分の娘を持てはやしすぎだと思うのに、実那都に関したことになると、加純にも不満を隠そうとしない。
「いずれにせよ、東京で大学生活なんて無理。学費に生活費が加わるなんて。加純はモデルの仕事があるからやっていけ……」
「わたしだってバイトする」
 母をさえぎって云い返しながら、実那都はそれ以上の母からの拒否を拒み、一方的に打ちきって廊下へと出るドアに向かった。
「航くん、東京に行くんだ。向こうに行けば……」
 独り言のような加純の声を背中に聞き、ドアが閉まったと同時に最後まで聞き遂げないままそのさきは途絶えた。
 いずれにせよ、と母の言葉を借りるなら、どんな苦労や苦悩があるとしても、航と一緒にいるほうがずっといい。
 実那都はふるえそうになったくちびるを咬み、寸前でそれを止めた。
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