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第5話 恋の身の丈

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 西崎家の前で自転車が止まると、それまで風を受けて心地よかった空気が一気に熱を帯びて感じた。
「気をつけろよ」
 実那都がハブステップから降りようとすると、口癖みたいに航が声をかける。
「うん」
 高校から西崎家までの距離は、別方向に変わったけれど中学のときと同じくらいだ。逆に航は遠くなった。部活はふたりともやっていなくて、大抵は一緒に帰る。実那都の家は航の家と高校の間にあって、一緒に帰っても中学のときみたいに遠回りをさせることにはならない。
 一年のときも航とはクラスが違って、進路でクラス分けされる以上、もう一緒にはなれなくて、そのぶん、放課後の教室で宿題をやる時間とその帰り道、補うようにお喋りをする。時間を稼ぐみたいに歩いて帰ることのほうが多いけれど、今日は先生に見つからないように学校を出て、途中から二人乗りで帰ってきた。
 自転車から降りて航の肩から手を放すと、実那都は航の斜め前にまわりこんだ。
「ありがとう」
 航はひょいと肩をすくめた。
「明日は一時に駅で待ち合わせな」
「あ、でも、ホントにわたしが行っても大丈夫?」
「練習の邪魔するんならともかく、そういうの、おまえやらねぇだろ」
「そんなことしないけど」
「女連れで来てる奴もいる。ちゃんと実那都を連れていくって云ってるし、それに、明日は久築高の女も来るっつってたな」
「そうなんだ。航の知ってる人?」
「訊いてねぇ」
 バンドの助っ人に呼ばれた航は、音楽には熱心でも、ほかのことはどうでもいいのだ。実那都は航の無頓着ぶりに笑った。
「わかった。ちゃんと行く」
 返事をすると航の右腕が上がりかけ、察したとおりに実那都の頭の天辺に手のひらがのった。瞬間的に首をすくめてしまうと。
「なんだよ」
 航はいつにない実那都の反応に気づくと、わずかに首をかしげながら顔を覗きこみ、怪訝そうに訊ねた。
「な、なんでもない。ちょっとびっくりしただけ」
 昼休みの話の後遺症だ。航と触れ合うことを意識しすぎている。実をいえば、自転車の二人乗りもためらったのだ。疲れてんだろうし、と今日は航が二人乗りだと云いだして、そのときの実那都が感じた一瞬の躊躇を航は気づかなかったのか、それとも見逃してくれたのか。
 実那都に関するかぎり、無頓着という言葉は航にとって程遠い。少なくとも、いまの実那都の反応はあからさまで、やりすごすには不自然すぎて、航はそうできなかったのかもしれない。
「びっくりって、実那都、まさか……」
「あ、航くん!」
 航が云いかけていたのをさえぎったのは加純だった。
 航の手が頭の上から離れていき、実那都は声のしたほうを振り向く。玄関から加純が出てきていて、そのあとから母が現れる。
「あら、帰ったの。おかえりなさい。藍岬くん、こんにちは」
「ただいま」
「こんにちは」
 実那都と航がほぼ同時に母に応じている間に加純は駆けてきて門扉を開けると、通せんぼをするように自転車の前に立った。母は車庫のほうへと向かっている。
「よお。加純ちゃん、相変わらず元気だな」
「元気っていうと子供っぽくない? もう十五になってるんだけど」
 加純は口を尖らせて――それこそ子供っぽいのに、文句を云いつつもうれしそうにする。
「誕生日、いつだっけ」
「四月五日だよ」
「へぇ。なんか春休み中の誕生日ってビミョーだな」
「そうなの! クラス替えがあるから忘れられてること多いんだよ。お姉ちゃんはいいよね。航くんからお祝いしてもらえるんでしょ」
「そうだね」
「わたしも航くんから、おめでとうって云ってもらえたらうれしいかも」
 実那都の返事は必要だったのか否か、加純は首をすくめるようにして航に催促した。
 しっかりと自信を築いている加純は周りを見る余裕もできたようで、姉との違いを意識している。だれからも可愛がられるから、甘え方も上手だ。
「誕生日おめでとう、加純ちゃん」
「ありがとう」
 加純はめいっぱいの――というよりはとびっきりの笑顔を見せた。いや、“見せびらかした”だろうか。
「お母さんとどっか行くのか?」
「そ、お仕事」
「仕事?」
 航が驚いたように目を見開くと、加純は首をかしげ、ちらりと実那都を見やってまた航に目を戻した。
「お姉ちゃんから聞いてない? いまはちゃんと“カスミ”って名前が出るモデルの仕事してるの。今日は打ち合わせだけど」
「へぇ、すごいじゃんか」
「だから、わたし、航くんみたいなカレシが欲しいんだけどいまはつくれないんだよ」
「はっ。そりゃそうだろうな。学校と仕事じゃあ時間なさそうだし」
 加純はわずかにくちびるを尖らせた。
「まあね」
 さっきまでのように『そうなの!』でもなく『そ』でもない、曖昧な返事は何か意味が潜んでいるようだった。
「加純、遅れちゃうわよ」
 車のエンジンをかけた母は、待ちくたびれて声をかけた。
「はあい」
 のんびりした返事をして、加純は航ににっこりと笑いかける。
「じゃあね、航くん」
「ああ。気をつけてな」
「ありがと!」
 加純は胸もとで手を振る。姉の実那都から見ても可愛いしぐさだ。
「実那都、夕ごはん、カレーでいいから、お父さんに食べさせてちょうだい」
 加純が車に向かうさなか、母が云い、実那都はうなずいて返事をした。
 車が発進し、敷地から道路へと出る間、加純は手を振っていた。きっとそうする対象に実那都は入っていない。
「加純ちゃん、ガチでモデルやってんのか」
 実那都は車が走り去った方向から航へと目を戻した。
「そうみたい。四月から土日はだいたい撮影だっていって出かけてる。平日でも打ち合わせとかで、学校帰ってから出ることあるし」
「だからなのか」
「何が?」
 独り納得したような航の言葉に、実那都の首がかしぐ。
「さっきのさ……。二年になって、早く帰ろうってするときあるからさ、なんだろうって思ってた。夕ごはん作ってるからだ」
「うん。簡単なのしか作れないけど……ちゃんとしたの作れるようになったら航にお弁当作ってきてあげる」
「食えんだろうな」
「今日のお弁当、航に分けた卵焼き、美味しくなかった?」
「あれはどんぴしゃだ……って、もしかして、おまえが作ったのか」
「そう! 航は甘い卵焼きが好きだって云ってたから、お砂糖いっぱい入れてみた。今日は全部自分で作ってみたんだよ」
 航は驚いた顔で実那都を見つめ、それからつと何か思考を巡らせるように宙に視線を向け、また実那都に戻した。
「地味なとこでがんばってんな、おまえ」
「地味って……」
 実那都が文句を云いかけると、航は笑いだし、今度はすくむ間もなくまた頭に手を置いた。
「大丈夫だって。地味なとこも好きだからさ」
「……そういう褒め方ってある?」
「あり! じゃあ、……あ、今日、真弓ちゃんが云ってたけど、なんかされてんだったらちゃんと云えよな」
「何かされてるって?」
「真弓ちゃん、やっかみ我慢すればっつってただろ。もし実那都におれのことでなんか云う奴いたらちゃんと云えってことだ」
「大丈夫。航と良哉くんを敵にまわしたがる人いないって、真弓、云ってたよ」
 航は、ふん、と当然だとばかりに鼻先で笑った。
「じゃあ、また明日な」
「うん、気をつけて帰って!」
 自転車で走りかけた航はちらりと振り向いて笑ってみせると、前を向きながら片手を上げて軽く振った。
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