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第4話 ヘルプレスネス~however,go~
8.
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航は自転車のロックを解錠すると、乗れよ、と後輪のほうに向かって顎をしゃくった。
「うん。航も良哉くんも自分の意志をちゃんと押し通せるってすごいね」
頭の中で考えるよりさきに口に出てしまうのは、それだけ航の前ではかまえていないということなのだろう。航は吹きだした。
「実那都からしたら意志に見えるんだろうけど、親からしたらわがままだってさ」
「それでも受け入れてもらえるように説得できてるってことはすごいことだと思う。わたしは……できないから」
航はつぶさに実那都を見つめ、それから首をひねるように傾けた。
「話せるなら聞く」
「……話すっていうほどのことじゃないから」
いま航が首をひねったのはさっきと違って、明らかに気に入らないといったしぐさだ。
「くだらないことを話せないって、いつまでも他人行儀にしてると襲うからな」
「襲う、って……」
目を丸くした実那都に航は顔をぐいっと近づけてくる。
「深ーい関係になれば他人のふりはできねぇだろ」
「その……深い関係ってメグさんとも他人じゃなかった?」
「は?」
実那都が口にしたことはよほど突飛だったらしく、航はきょとんとした。
終わったことだし、すっぱり別れられる程度の付き合いだったこともわかっているけれど、気にならないといったらいまでも嘘になる。
航の気が抜けたような顔が一転、にやりとふてぶてしい様に変わった。失言をしてしまったと実那都が気づいたのはそのときだ。
「なるほど。知らんふりじゃなくて、一人前に女のプライドか」
「……なんの話」
「おまえ、あの女との関係を知っても平気そうだったからな。それって、そこまでの関心がおれにないってことじゃね?」
「そんなことない」
実那都は驚きつつ、聞いたこともない外国語で云われて理解できないといったふうに首をかしげた。
「わかってる。見かけはそうでも……実は平気なふりをして嫉妬してたってことだ。つまり、実那都はおれが好きってことで」
航はわかりきっていることを実那都に云わせるべく、催促するように首を傾けた。
「嫌いって云ったことも思ったこともない」
素直じゃない肯定に航は可笑しそうにした。
「まあいいさ。帰るぞ。合格のお祝いするから実那都を連れてこいって、母さんから云われてる」
「ほんと?」
「来るだろ」
「うん!」
自分の家よりも航の家のほうが居心地がいい。そう思うのは甘えだとわかっているけれど、つい張りきってうなずいた。
航はつかの間、実那都の頭の天辺に手を被せる。実那都を安心させるしぐさだと承知していてそうする。癖のようにすっかり定着してしまって、実那都はそんなふうに感じている。
自転車を跨いだ航は後ろを向いて、無言で実那都を促した。
ハブステップに左足をのせて航の肩につかまると、実那都は後輪を跨いだ。
「いいよ」
実那都が云うと航はペダルを漕ぎ始め、自転車はよろけることもなく進みだす。
二人乗りは警察に見つかったら違反だと叱られるらしいけれど、立ったまま乗っているのは、航が立っているときの視界に近くて見晴らしがいいし、気候は三月の半ばでまだ風は冷たいけれど心地がいい。最初は怖かったのに、慣れてみると航にゆだねても大丈夫という安心感が得られて、だから心地のよさは心的な安堵感も関係しているように思う。
「航」
少し身をかがめて呼びかけると、航が斜め向いてちらりと実那都を見上げた。
「祐真くん、あのおばさんのところなら大丈夫だよね?」
「ああ。そんなヤワな奴じゃねぇし、何年かしたらおれらがびっくりするようなことやってるかもな」
「うん。良哉くんのことも、良哉くんには悪いかもだけど、一緒にまた高校行けるって知ってうれしかった」
「悪いってことはねぇ。あいつがそうしたかったんだ。憶えてるだろ、結局、引きこもった良哉のライバルの奴」
「うん」
「そいつ、家に行ってももう会ってくれないっつってた。祐真とも簡単に会えなくなる。祐真は別れじゃないって云ったけど――おれもそうじゃないって思ってるけど、会えなくなったらそのまんま連絡も取り合わなくなるっていうパターンはめずらしくねぇ。最初からいなかったみてぇになる。良哉はその可能性をちょっとでもなくしたいんだよ、たぶんな」
航はやっぱりよく見ている。
「わたしから見たら腐れ縁て感じで、切っても切れなさそうだけど」
「まあな」
手を通して航の肩が揺れが伝わってきて、笑っているのがわかった。
街中をしばらく走っていると、信号機が赤になって自転車を止め、航は実那都を振り向いた。
「実那都」
「うん、何?」
「心配とか不安とか、おまえのは先延ばしにしてもきっと解決しねぇでそのまんまなんだろうな。けどさ、おれがいつでも聞く気だってことは忘れんじゃねぇぞ」
「……わかってる」
「聞くだけじゃねぇ。なんとかする」
その声音が真剣であれば、眼差しもまっすぐで生真面目で、実那都は少し怖くなった。
「……大丈夫――」
「――じゃねぇだろ。祐真はさ、おれらになんも相談しねぇで自分で決めて東京に行った。おれが口出すことじゃねぇし、おれにできることはなんもねぇし、それでいいんだろうけどさぁ……」
実那都をさえぎった航はやるせないように言葉を途切れさせた。
「でも……さみしかった。祐真くんは独りでやっていけるんだろうけど……」
実那都があとを継ぐと、航は口もとを歪めた。
「そうだろ。わかってるじゃんか。実那都、独りでなんとかしようっていうのもわかるけどさ、せっかくおれがいるんだし、たまにはおまえの役に立ってるって思わせろ」
航が何かに感づいて気にかけていることはわかっていたけれど、そんなふうに思っているとは知らなかった。まるで傷ついているみたいだ。
口を開きかけると、航は実那都の答えを期待していなかったのか、それともちょうど青に信号が変わったからか、ちゃんとつかまってろ、と正面を向いてペダルを踏んだ。
反射的にぎゅっと航の肩をつかみ、実那都がかけるそんな負担にもびくともせず、航はスピードを増して、それから安定させた。風の冷たさも、ほぼ航が盾になって実那都をまともに襲うことはない。安定した足もとも風よけの盾も、実那都にとって航そのものに感じた。
実那都は声が届くように少し身をかがめる。
「航、航は役に立つとかそういうんじゃない。それ云うんだったら、わたしのほうが役に立ててない感じ」
「役になんて立たなくていい。好きってそういう気持ちから生まれるもんじゃねぇだろ」
「じゃあ、どういう気持ちから生まれるの?」
「そんなの、わかるかよ」
航が吐き捨てるように、あるいは投げやりに云うと、実那都はくすくすと笑った。
「わたしも航とおんなじ。一緒にいて、航はそれだけで力になってくれてるよ。航が好きだから。大好きだから」
「うわっ」
「きゃっ」
自転車が揺れ、実那都はとっさに航にしがみついた。
ぶれたハンドルのバランスをどうにか持ち直し、安定して間もなく航の躰からこわばりが解ける。
「実那都、タイミングを考えろよ。初告白で事故なんてシャレになんねぇ。せっかくの告白なのに、なんでこのタイミングなんだ」
後ろ半分の言葉はぶつぶつと独り言のようだ。可笑しくて、緊張していた実那都の躰も一気に緩む。
「すごく云いたかったから」
しがみついたまま、航の耳もとで応えると。
「……っくしょう、抱きしめてぇっ!」
航は航らしく、辺りかまわず愛を叫んだ。
「うん。航も良哉くんも自分の意志をちゃんと押し通せるってすごいね」
頭の中で考えるよりさきに口に出てしまうのは、それだけ航の前ではかまえていないということなのだろう。航は吹きだした。
「実那都からしたら意志に見えるんだろうけど、親からしたらわがままだってさ」
「それでも受け入れてもらえるように説得できてるってことはすごいことだと思う。わたしは……できないから」
航はつぶさに実那都を見つめ、それから首をひねるように傾けた。
「話せるなら聞く」
「……話すっていうほどのことじゃないから」
いま航が首をひねったのはさっきと違って、明らかに気に入らないといったしぐさだ。
「くだらないことを話せないって、いつまでも他人行儀にしてると襲うからな」
「襲う、って……」
目を丸くした実那都に航は顔をぐいっと近づけてくる。
「深ーい関係になれば他人のふりはできねぇだろ」
「その……深い関係ってメグさんとも他人じゃなかった?」
「は?」
実那都が口にしたことはよほど突飛だったらしく、航はきょとんとした。
終わったことだし、すっぱり別れられる程度の付き合いだったこともわかっているけれど、気にならないといったらいまでも嘘になる。
航の気が抜けたような顔が一転、にやりとふてぶてしい様に変わった。失言をしてしまったと実那都が気づいたのはそのときだ。
「なるほど。知らんふりじゃなくて、一人前に女のプライドか」
「……なんの話」
「おまえ、あの女との関係を知っても平気そうだったからな。それって、そこまでの関心がおれにないってことじゃね?」
「そんなことない」
実那都は驚きつつ、聞いたこともない外国語で云われて理解できないといったふうに首をかしげた。
「わかってる。見かけはそうでも……実は平気なふりをして嫉妬してたってことだ。つまり、実那都はおれが好きってことで」
航はわかりきっていることを実那都に云わせるべく、催促するように首を傾けた。
「嫌いって云ったことも思ったこともない」
素直じゃない肯定に航は可笑しそうにした。
「まあいいさ。帰るぞ。合格のお祝いするから実那都を連れてこいって、母さんから云われてる」
「ほんと?」
「来るだろ」
「うん!」
自分の家よりも航の家のほうが居心地がいい。そう思うのは甘えだとわかっているけれど、つい張りきってうなずいた。
航はつかの間、実那都の頭の天辺に手を被せる。実那都を安心させるしぐさだと承知していてそうする。癖のようにすっかり定着してしまって、実那都はそんなふうに感じている。
自転車を跨いだ航は後ろを向いて、無言で実那都を促した。
ハブステップに左足をのせて航の肩につかまると、実那都は後輪を跨いだ。
「いいよ」
実那都が云うと航はペダルを漕ぎ始め、自転車はよろけることもなく進みだす。
二人乗りは警察に見つかったら違反だと叱られるらしいけれど、立ったまま乗っているのは、航が立っているときの視界に近くて見晴らしがいいし、気候は三月の半ばでまだ風は冷たいけれど心地がいい。最初は怖かったのに、慣れてみると航にゆだねても大丈夫という安心感が得られて、だから心地のよさは心的な安堵感も関係しているように思う。
「航」
少し身をかがめて呼びかけると、航が斜め向いてちらりと実那都を見上げた。
「祐真くん、あのおばさんのところなら大丈夫だよね?」
「ああ。そんなヤワな奴じゃねぇし、何年かしたらおれらがびっくりするようなことやってるかもな」
「うん。良哉くんのことも、良哉くんには悪いかもだけど、一緒にまた高校行けるって知ってうれしかった」
「悪いってことはねぇ。あいつがそうしたかったんだ。憶えてるだろ、結局、引きこもった良哉のライバルの奴」
「うん」
「そいつ、家に行ってももう会ってくれないっつってた。祐真とも簡単に会えなくなる。祐真は別れじゃないって云ったけど――おれもそうじゃないって思ってるけど、会えなくなったらそのまんま連絡も取り合わなくなるっていうパターンはめずらしくねぇ。最初からいなかったみてぇになる。良哉はその可能性をちょっとでもなくしたいんだよ、たぶんな」
航はやっぱりよく見ている。
「わたしから見たら腐れ縁て感じで、切っても切れなさそうだけど」
「まあな」
手を通して航の肩が揺れが伝わってきて、笑っているのがわかった。
街中をしばらく走っていると、信号機が赤になって自転車を止め、航は実那都を振り向いた。
「実那都」
「うん、何?」
「心配とか不安とか、おまえのは先延ばしにしてもきっと解決しねぇでそのまんまなんだろうな。けどさ、おれがいつでも聞く気だってことは忘れんじゃねぇぞ」
「……わかってる」
「聞くだけじゃねぇ。なんとかする」
その声音が真剣であれば、眼差しもまっすぐで生真面目で、実那都は少し怖くなった。
「……大丈夫――」
「――じゃねぇだろ。祐真はさ、おれらになんも相談しねぇで自分で決めて東京に行った。おれが口出すことじゃねぇし、おれにできることはなんもねぇし、それでいいんだろうけどさぁ……」
実那都をさえぎった航はやるせないように言葉を途切れさせた。
「でも……さみしかった。祐真くんは独りでやっていけるんだろうけど……」
実那都があとを継ぐと、航は口もとを歪めた。
「そうだろ。わかってるじゃんか。実那都、独りでなんとかしようっていうのもわかるけどさ、せっかくおれがいるんだし、たまにはおまえの役に立ってるって思わせろ」
航が何かに感づいて気にかけていることはわかっていたけれど、そんなふうに思っているとは知らなかった。まるで傷ついているみたいだ。
口を開きかけると、航は実那都の答えを期待していなかったのか、それともちょうど青に信号が変わったからか、ちゃんとつかまってろ、と正面を向いてペダルを踏んだ。
反射的にぎゅっと航の肩をつかみ、実那都がかけるそんな負担にもびくともせず、航はスピードを増して、それから安定させた。風の冷たさも、ほぼ航が盾になって実那都をまともに襲うことはない。安定した足もとも風よけの盾も、実那都にとって航そのものに感じた。
実那都は声が届くように少し身をかがめる。
「航、航は役に立つとかそういうんじゃない。それ云うんだったら、わたしのほうが役に立ててない感じ」
「役になんて立たなくていい。好きってそういう気持ちから生まれるもんじゃねぇだろ」
「じゃあ、どういう気持ちから生まれるの?」
「そんなの、わかるかよ」
航が吐き捨てるように、あるいは投げやりに云うと、実那都はくすくすと笑った。
「わたしも航とおんなじ。一緒にいて、航はそれだけで力になってくれてるよ。航が好きだから。大好きだから」
「うわっ」
「きゃっ」
自転車が揺れ、実那都はとっさに航にしがみついた。
ぶれたハンドルのバランスをどうにか持ち直し、安定して間もなく航の躰からこわばりが解ける。
「実那都、タイミングを考えろよ。初告白で事故なんてシャレになんねぇ。せっかくの告白なのに、なんでこのタイミングなんだ」
後ろ半分の言葉はぶつぶつと独り言のようだ。可笑しくて、緊張していた実那都の躰も一気に緩む。
「すごく云いたかったから」
しがみついたまま、航の耳もとで応えると。
「……っくしょう、抱きしめてぇっ!」
航は航らしく、辺りかまわず愛を叫んだ。
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