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第4話 ヘルプレスネス~however,go~
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実那都はシャープペンシルを置いて、かわりにケーキフォークを持ってケーキを引き寄せた。
航が吐息を漏らすように笑っているのは、シャープペンシルを壊れ物のように慎重に扱っているからだろう。
昨日はサンタクロースを信じているのかと冗談のつもりで航に云ったくせに、現金にも、実那都にとって航からのクリスマスプレゼントは魔法のシャープペンシルだ。これで勉強をすれば、実那都のかわりに記憶してくれそうで、解けない問題にぶつかっても勝手に動きだしてくれるかもしれない。ばかげているけれど、そんなふうに思えてしまう。
実那都は航のからかいに気づかないふりをしつつ、フォークをケーキの中に埋没させていった。
ホールで買ったクリスマスケーキを切り分けてくれたのだろう。マシュマロのような白い生クリームに埋もれるようにして、『メリークリスマス』と英語で書かれたチョコのプレートがのっかっている。
「美味しい」
一口頬張ると実那都の口もとが綻ぶ。
直後、出かけてくるわね、とキッチンから声が聞こえてきて、実那都は味わうまもなく呑みこんで、いってらっしゃい、と声をかけた。
あらためて二口め、ゆっくりと食べた。
ふたりきりになると、とりわけ縁里が音を立てていたわけでもないのに、急にしんと静まった気がする。ひょっとしたら、雪が降っているからかもしれない。
木枠を使った格子のガラス窓の向こうを見ると、クリスマスらしくぼたん雪が降り続いている。昼になって訪れたときはまだ緑色をしていた庭が白く変わりつつあった。
「おまえんち、クリスマスケーキ食べるのってイヴか?」
「だいたいね。終業式と重なるから、ご褒美って感じ?」
二口めを食べながら、実那都は横顔に視線を感じる。目を向けると、つぶさに見つめるような眼差しに合った。
「何? クリームついた?」
「じゃ、今年も昨日食べたのか」
実那都の問いかけは聞こえていたのか否か、わざわざなぜそんなことを確かめたがるのだろう。いや、航はまさに“確かめたい”のだと感じた。
はじめて航が西崎家に来たとき、それとなく云ったことから航はおおよそのことを見当つけているのだ。航は絶対にばかではなくて、むしろ頭が良すぎる。そして、気が利きすぎて、気を遣わせているような気がして実那都はちょっと後悔している。
「ちゃんと食べたよ。うちは、今年はロールケーキっぽい形のチョコクリームだった。航んちはイヴじゃなくて今日食べるのが普通?」
「おれんちもイヴが普通だな。おまえが来るって云ってたから、母さんが別に買ってきた」
「……ほんと?」
びっくり眼の実那都を、航はなぜだかじっと見つめる。やっぱり観察しているように感じた。俄に身構えてしまう。すると、それに感づいたかのように、不自然に沈黙していた航はふっと笑う。
「昨日はうちもチョコだった。おれんち、みんな甘党だからな、二日連続でケーキが出てもだれも文句云わねぇ」
「お父さんも甘党なの?」
「そういう感じじゃねぇよな。ああ見えて、酒もあんまり飲めない、親父は根っからの甘党だ」
「もしかして、お母さんのほうがお酒飲めちゃう?」
「ああ。甘いもんも好きだけど、どんだけ呑んでも酔っぱらわねぇくらい強いな」
実那都は目を丸くして、それからくすくすと笑いだす。航はそんな実那都を見てにやりとくちびるを歪めた。
縁里は、常日頃から我の強い息子二人を相手にしているせいだろうか、いかにも女性らしい美しさを備えているけれど、内面はわりとさばさばして頼りがいのある感じだ。
そういう女性の夫になる人はどんな人だろう、と思っていたら、藍岬家に来ること三回め、休日に重なって航の父親と初対面した。
航の父親は眼科の開業医で、母親は外出好きな専業主婦、航より二つ上の兄は貴友館高校の二年生で父親の跡を継ぐらしい。
航も兄の克海も、縁里が云うとおり、乱暴ではないけれど言動が荒っぽい。だから、そう厳格な人ではないのだと想像していた。実際に会ってみると、口を開くまでは厳格な人、話してみると物腰がやわらかく、息子たちとは正反対に落ち着きはらった品の良さが見受けられた。
航が大人になって言葉遣いに気をつけて喋るようになったら、きっとそっくりになるんじゃないかと思う。
克海と渚沙には藍岬家で一度だけ会った。克海が貴友館に行きながらカノジョがいて付き合う時間があるというのは、それだけ余裕があるからに違いない。
縁里は航と変わらないように克海と接していたし、実那都と変わらないように渚沙に接していた。その変わらなさを不思議だと感じる実那都の感覚がおかしいのか、藍岬家が稀に仲が良すぎるのか、どちらだろう。
「なんだよ」
夕方になって暗くなるまえに藍岬家を出、歩道から、邸宅というよりももっと大きい豪邸といった雰囲気の家を振り返っていると、航が怪訝そうに声をかけた。
朝から降っていた雪は昼間になって本格的に雪模様になった。縁里の早めに買い物に行くという判断は正しかった。道路にも積もりかけている。そんな雪景色のなかで、モダンな藍岬家は幻想的に映る。庭にあった背の高い木もクリスマスカラーだったグリーンから、綿で覆ったように白くなった。
「航の家を見てると、うち、やっと家を建てたって感じだなぁって思って」
「なんだそれ」
「うちの場合は、コレもできないアレもできないって削っていってたけど、航んちは、コレもしたいアレもしたいって全部詰めこんでる感じがするから」
航は声を出して笑った。
「幼稚園に行ってた頃に建ったからな、よくわかんねぇけど、母さんは思いどおりにしてるだろうな」
「航って……」
実那都は云いかけてやめた。
開業医がどれだけの収入を得られるのか見当もつかない。藍岬家はこの辺りの――いや、この辺りに限らず西崎家の周囲を思い浮かべても、どの家とも違っていて、実那都は場違いな感が拭えないでいた。
航が吐息を漏らすように笑っているのは、シャープペンシルを壊れ物のように慎重に扱っているからだろう。
昨日はサンタクロースを信じているのかと冗談のつもりで航に云ったくせに、現金にも、実那都にとって航からのクリスマスプレゼントは魔法のシャープペンシルだ。これで勉強をすれば、実那都のかわりに記憶してくれそうで、解けない問題にぶつかっても勝手に動きだしてくれるかもしれない。ばかげているけれど、そんなふうに思えてしまう。
実那都は航のからかいに気づかないふりをしつつ、フォークをケーキの中に埋没させていった。
ホールで買ったクリスマスケーキを切り分けてくれたのだろう。マシュマロのような白い生クリームに埋もれるようにして、『メリークリスマス』と英語で書かれたチョコのプレートがのっかっている。
「美味しい」
一口頬張ると実那都の口もとが綻ぶ。
直後、出かけてくるわね、とキッチンから声が聞こえてきて、実那都は味わうまもなく呑みこんで、いってらっしゃい、と声をかけた。
あらためて二口め、ゆっくりと食べた。
ふたりきりになると、とりわけ縁里が音を立てていたわけでもないのに、急にしんと静まった気がする。ひょっとしたら、雪が降っているからかもしれない。
木枠を使った格子のガラス窓の向こうを見ると、クリスマスらしくぼたん雪が降り続いている。昼になって訪れたときはまだ緑色をしていた庭が白く変わりつつあった。
「おまえんち、クリスマスケーキ食べるのってイヴか?」
「だいたいね。終業式と重なるから、ご褒美って感じ?」
二口めを食べながら、実那都は横顔に視線を感じる。目を向けると、つぶさに見つめるような眼差しに合った。
「何? クリームついた?」
「じゃ、今年も昨日食べたのか」
実那都の問いかけは聞こえていたのか否か、わざわざなぜそんなことを確かめたがるのだろう。いや、航はまさに“確かめたい”のだと感じた。
はじめて航が西崎家に来たとき、それとなく云ったことから航はおおよそのことを見当つけているのだ。航は絶対にばかではなくて、むしろ頭が良すぎる。そして、気が利きすぎて、気を遣わせているような気がして実那都はちょっと後悔している。
「ちゃんと食べたよ。うちは、今年はロールケーキっぽい形のチョコクリームだった。航んちはイヴじゃなくて今日食べるのが普通?」
「おれんちもイヴが普通だな。おまえが来るって云ってたから、母さんが別に買ってきた」
「……ほんと?」
びっくり眼の実那都を、航はなぜだかじっと見つめる。やっぱり観察しているように感じた。俄に身構えてしまう。すると、それに感づいたかのように、不自然に沈黙していた航はふっと笑う。
「昨日はうちもチョコだった。おれんち、みんな甘党だからな、二日連続でケーキが出てもだれも文句云わねぇ」
「お父さんも甘党なの?」
「そういう感じじゃねぇよな。ああ見えて、酒もあんまり飲めない、親父は根っからの甘党だ」
「もしかして、お母さんのほうがお酒飲めちゃう?」
「ああ。甘いもんも好きだけど、どんだけ呑んでも酔っぱらわねぇくらい強いな」
実那都は目を丸くして、それからくすくすと笑いだす。航はそんな実那都を見てにやりとくちびるを歪めた。
縁里は、常日頃から我の強い息子二人を相手にしているせいだろうか、いかにも女性らしい美しさを備えているけれど、内面はわりとさばさばして頼りがいのある感じだ。
そういう女性の夫になる人はどんな人だろう、と思っていたら、藍岬家に来ること三回め、休日に重なって航の父親と初対面した。
航の父親は眼科の開業医で、母親は外出好きな専業主婦、航より二つ上の兄は貴友館高校の二年生で父親の跡を継ぐらしい。
航も兄の克海も、縁里が云うとおり、乱暴ではないけれど言動が荒っぽい。だから、そう厳格な人ではないのだと想像していた。実際に会ってみると、口を開くまでは厳格な人、話してみると物腰がやわらかく、息子たちとは正反対に落ち着きはらった品の良さが見受けられた。
航が大人になって言葉遣いに気をつけて喋るようになったら、きっとそっくりになるんじゃないかと思う。
克海と渚沙には藍岬家で一度だけ会った。克海が貴友館に行きながらカノジョがいて付き合う時間があるというのは、それだけ余裕があるからに違いない。
縁里は航と変わらないように克海と接していたし、実那都と変わらないように渚沙に接していた。その変わらなさを不思議だと感じる実那都の感覚がおかしいのか、藍岬家が稀に仲が良すぎるのか、どちらだろう。
「なんだよ」
夕方になって暗くなるまえに藍岬家を出、歩道から、邸宅というよりももっと大きい豪邸といった雰囲気の家を振り返っていると、航が怪訝そうに声をかけた。
朝から降っていた雪は昼間になって本格的に雪模様になった。縁里の早めに買い物に行くという判断は正しかった。道路にも積もりかけている。そんな雪景色のなかで、モダンな藍岬家は幻想的に映る。庭にあった背の高い木もクリスマスカラーだったグリーンから、綿で覆ったように白くなった。
「航の家を見てると、うち、やっと家を建てたって感じだなぁって思って」
「なんだそれ」
「うちの場合は、コレもできないアレもできないって削っていってたけど、航んちは、コレもしたいアレもしたいって全部詰めこんでる感じがするから」
航は声を出して笑った。
「幼稚園に行ってた頃に建ったからな、よくわかんねぇけど、母さんは思いどおりにしてるだろうな」
「航って……」
実那都は云いかけてやめた。
開業医がどれだけの収入を得られるのか見当もつかない。藍岬家はこの辺りの――いや、この辺りに限らず西崎家の周囲を思い浮かべても、どの家とも違っていて、実那都は場違いな感が拭えないでいた。
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