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第3話 BE MAD
3.
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リビングに航を連れていったあと、実那都は部屋からひとそろいの勉強道具を持っておりてきた。キッチンに入ってスムージーをグラスに注いで、すでに注いでいた麦茶を一緒に持ってリビングに行く。
航はソファではなく床に敷いたラグの上に座っていて、実那都はソファの間にあるテーブルにスムージーを置いた。テーブルを挟んで航の正面に座りこむ。
その間に、航は買ってきたドーナツを袋から出していて、実那都にひとつ渡した。
「やっぱりドーナツ」
「文句云うならやんねぇぞ」
「文句じゃないから! 食べる」
実那都は渡されたドーナツを奪い返されないように引き寄せると、航はふんと鼻を鳴らして、取りあげようと伸ばしかけていた手を引っこめた。
実那都は麦茶をひと口飲んで、いただきます、とさっそくドーナツを頬張った。
「美味しい」
航はいつの間にか実那都の好みまで把握している。最近、実那都が好きな、もちもちした食感のドーナツを選んで買ってきている気がする。
「なんだよ、この粒粒」
グラスを上からだったり横からだったり眺めていた航は怪訝そうにつぶやいた。
「それ、チアシードっていうの。健康とかダイエットにいいんだって。りんごとか、あと野菜も入ってるよ」
「おれ、健康だし、ダイエット必要ねぇし」
ぶつぶつと独り言みたいに云うのが可笑しくて実那都が吹きだすと、航は笑みを浮かべつつもため息をついた。
「戻った」
言葉はわかっても意味のわからない言葉を吐く。
「戻ったって?」
実那都が訊ねても、航は肩をすくめて答えず――
「おまえはなんで麦茶なんだよ」
と、実那都のグラスを指差した。
「航から電話あったときに飲もうと思って用意してたの。スムージーは妹のだから。加純、可愛いでしょ。まだ背が高くなりそうだし、お母さんは加純をモデルとかアイドルにしたいって思ってるかも」
実那都は普通に喋ったつもりだけれど、航は一大事を聞いたかのように顔をしかめ、考えこんだ気配で黙りこむ。しばらくして、わたしはスムージーあんまり好きじゃないし、と付け加えると、ようやく航は口を開いた。
「妹、あれ自分のスマホか?」
「そうだよ。妹が私立行ってるって話したよね? 学校、スマホ持ってて当然て感じみたい」
「一台も二台も変わんねぇ気がするけどな」
「なくても困ってない。妹を見てると、ますますお母さんに縛られてるし、いつでもどこにいても捕まえられるって思うと持ってないほうがマシかも」
航は考えめぐるように宙に目を向け、それから実那都に目を戻した。
「さっき、なんかおまえの雰囲気が違ってた」
「え? ……さっき?」
「親がいるとき、緊張してるとか遠慮してるって云ったらヘンだけどさ、云いたいことを云ってねぇ、そんな感じだ」
「好きじゃないから」
「親のことが?」
「航んちは仲いい?」
質問返しは話を逸らそうとしていることが露骨だと自分でも思う。けれど、航は首をかすかにひねっただけで追及する様子はない。
「ベタベタはしてねぇ。ケンカもするし、けど、云いたいことは云うし……普通だろ」
「航のお母さん、きれいだよね。似てるっていうか、このまえ見たとき航のお母さんだぁって思った。航と違って上品そうだけど」
文句でも云うかと思ったのに航はそうせず、窺うように首をかしげた。
「なんだよ、容姿にコンプレックスでもあんのか」
「べつにそういうことじゃなくて。……自分では普通だって思ってるけど、もしかして普通以下?」
「おれにお世辞を期待してんなら無駄だ」
「わかってるよ。そういうつもりで云ったんじゃないし……」
「んじゃあ……」
航はにやりとして前のめりになると、手を伸ばして実那都の頭の後ろにまわした。後頭部を支えられて、ぐっと引き寄せられ、実那都も前のめりになった。慌てて麦茶のグラスをつかむ。
「実那都はほっとけねぇくらい、マジで可愛い」
ふたりの顔は二十センチも離れていないくらいの至近距離にある。航の瞳にびっくり眼の実那都が映っているのが見えた。
その瞳を通して航には実那都がどんなふうに映っているのだろう。
航は実那都の瞳からわずかに上へと目を逸らし、まっすぐにそろえたぱっつんの前髪、それから顎下までのボブスタイルという、顔を縁取る髪へと視線は移る。ピーチ色のくちびるは下のほうが少し厚めで、航はそこから丸めの鼻先へと上って、そしてアーモンド型の二重の目に戻ってきた。
顔のパーツはケチをつけるほど悪くはないのかもしれない。けれど、こんなふうにまじまじと間近で見られるのに耐えられるほどきれいでも可愛くもない。
「やっぱり航、お世辞云ってる」
「云わねぇ」
「じゃあ……身びいき? ひいき目?」
「かもな。けど、おれが実那都に云うことに嘘はねぇ。本気だ」
頬が緩み、実那都はくすくすと笑いだす。
すると、頭の後ろに添えた航の手に力がこもり、さらにふたりの顔が近づいた。
文句を云いたいときだったり実那都の関心を引くためだったり、航が焦点がぶれるほど近い距離に迫ってくるのははじめてではないけれど、やはり実那都の笑顔は驚きに変わる。航の手にそれ以上の力が加わることはなく、逆に手が緩んで離れていった。
「人の目のないとこでふたりってヤバいな」
航は苦笑いをした。
何が云いたいのかは考えこむまでもなくわかった。ふたりきりだということが急に浮き彫りになる。どうしよう。早くなった鼓動が聞こえてしまうのではないかと実那都は焦った。
鼓動は聞こえていないまでも、実那都の昂った緊張感は見抜かれている。航は自信たっぷりな人しかしない、顎をくいっと上げるしぐさでくちびるを歪めるように笑った。
「ドーナツ食ったら、勉強だぞ」
「持ってきた?」
実那都の質問に航は帆布のブレッドバッグを持ちあげてみせる。
「親が厳しいとか、いざってときは口実に使えると思って持ってきた。役に立っただろ」
「バッグの中、ドーナツだらけかと思った」
「は?」
と、惚けたのは一瞬、航は、そんなことあるかよ、と笑いだした。
「今度は航んちに行ってもいい?」
「親がいていいなら。じゃないと、おかしなことやるかもしんねぇ」
航がほのめかしていることは、また実那都を焦らせた。それを知ってか知らずか。
「これ、おまえが飲め。おれはこっちがいい」
航は実那都が飲みかけていた麦茶を取ってスムージーと入れ替えた。
「スムージーの材料費、麦茶よりずっと高いのに」
「おまえ、ダイエットは必要ねぇけど、長生きはしろ」
実那都はぷっと吹きだした。
「まだ中三だよ。倍以上は寿命あると思う」
「三倍あったって足りねぇけどな」
いまの年齢に三倍上乗せしても平均寿命よりは若いけれど、航が云っている意味は違うような気がした。
航はソファではなく床に敷いたラグの上に座っていて、実那都はソファの間にあるテーブルにスムージーを置いた。テーブルを挟んで航の正面に座りこむ。
その間に、航は買ってきたドーナツを袋から出していて、実那都にひとつ渡した。
「やっぱりドーナツ」
「文句云うならやんねぇぞ」
「文句じゃないから! 食べる」
実那都は渡されたドーナツを奪い返されないように引き寄せると、航はふんと鼻を鳴らして、取りあげようと伸ばしかけていた手を引っこめた。
実那都は麦茶をひと口飲んで、いただきます、とさっそくドーナツを頬張った。
「美味しい」
航はいつの間にか実那都の好みまで把握している。最近、実那都が好きな、もちもちした食感のドーナツを選んで買ってきている気がする。
「なんだよ、この粒粒」
グラスを上からだったり横からだったり眺めていた航は怪訝そうにつぶやいた。
「それ、チアシードっていうの。健康とかダイエットにいいんだって。りんごとか、あと野菜も入ってるよ」
「おれ、健康だし、ダイエット必要ねぇし」
ぶつぶつと独り言みたいに云うのが可笑しくて実那都が吹きだすと、航は笑みを浮かべつつもため息をついた。
「戻った」
言葉はわかっても意味のわからない言葉を吐く。
「戻ったって?」
実那都が訊ねても、航は肩をすくめて答えず――
「おまえはなんで麦茶なんだよ」
と、実那都のグラスを指差した。
「航から電話あったときに飲もうと思って用意してたの。スムージーは妹のだから。加純、可愛いでしょ。まだ背が高くなりそうだし、お母さんは加純をモデルとかアイドルにしたいって思ってるかも」
実那都は普通に喋ったつもりだけれど、航は一大事を聞いたかのように顔をしかめ、考えこんだ気配で黙りこむ。しばらくして、わたしはスムージーあんまり好きじゃないし、と付け加えると、ようやく航は口を開いた。
「妹、あれ自分のスマホか?」
「そうだよ。妹が私立行ってるって話したよね? 学校、スマホ持ってて当然て感じみたい」
「一台も二台も変わんねぇ気がするけどな」
「なくても困ってない。妹を見てると、ますますお母さんに縛られてるし、いつでもどこにいても捕まえられるって思うと持ってないほうがマシかも」
航は考えめぐるように宙に目を向け、それから実那都に目を戻した。
「さっき、なんかおまえの雰囲気が違ってた」
「え? ……さっき?」
「親がいるとき、緊張してるとか遠慮してるって云ったらヘンだけどさ、云いたいことを云ってねぇ、そんな感じだ」
「好きじゃないから」
「親のことが?」
「航んちは仲いい?」
質問返しは話を逸らそうとしていることが露骨だと自分でも思う。けれど、航は首をかすかにひねっただけで追及する様子はない。
「ベタベタはしてねぇ。ケンカもするし、けど、云いたいことは云うし……普通だろ」
「航のお母さん、きれいだよね。似てるっていうか、このまえ見たとき航のお母さんだぁって思った。航と違って上品そうだけど」
文句でも云うかと思ったのに航はそうせず、窺うように首をかしげた。
「なんだよ、容姿にコンプレックスでもあんのか」
「べつにそういうことじゃなくて。……自分では普通だって思ってるけど、もしかして普通以下?」
「おれにお世辞を期待してんなら無駄だ」
「わかってるよ。そういうつもりで云ったんじゃないし……」
「んじゃあ……」
航はにやりとして前のめりになると、手を伸ばして実那都の頭の後ろにまわした。後頭部を支えられて、ぐっと引き寄せられ、実那都も前のめりになった。慌てて麦茶のグラスをつかむ。
「実那都はほっとけねぇくらい、マジで可愛い」
ふたりの顔は二十センチも離れていないくらいの至近距離にある。航の瞳にびっくり眼の実那都が映っているのが見えた。
その瞳を通して航には実那都がどんなふうに映っているのだろう。
航は実那都の瞳からわずかに上へと目を逸らし、まっすぐにそろえたぱっつんの前髪、それから顎下までのボブスタイルという、顔を縁取る髪へと視線は移る。ピーチ色のくちびるは下のほうが少し厚めで、航はそこから丸めの鼻先へと上って、そしてアーモンド型の二重の目に戻ってきた。
顔のパーツはケチをつけるほど悪くはないのかもしれない。けれど、こんなふうにまじまじと間近で見られるのに耐えられるほどきれいでも可愛くもない。
「やっぱり航、お世辞云ってる」
「云わねぇ」
「じゃあ……身びいき? ひいき目?」
「かもな。けど、おれが実那都に云うことに嘘はねぇ。本気だ」
頬が緩み、実那都はくすくすと笑いだす。
すると、頭の後ろに添えた航の手に力がこもり、さらにふたりの顔が近づいた。
文句を云いたいときだったり実那都の関心を引くためだったり、航が焦点がぶれるほど近い距離に迫ってくるのははじめてではないけれど、やはり実那都の笑顔は驚きに変わる。航の手にそれ以上の力が加わることはなく、逆に手が緩んで離れていった。
「人の目のないとこでふたりってヤバいな」
航は苦笑いをした。
何が云いたいのかは考えこむまでもなくわかった。ふたりきりだということが急に浮き彫りになる。どうしよう。早くなった鼓動が聞こえてしまうのではないかと実那都は焦った。
鼓動は聞こえていないまでも、実那都の昂った緊張感は見抜かれている。航は自信たっぷりな人しかしない、顎をくいっと上げるしぐさでくちびるを歪めるように笑った。
「ドーナツ食ったら、勉強だぞ」
「持ってきた?」
実那都の質問に航は帆布のブレッドバッグを持ちあげてみせる。
「親が厳しいとか、いざってときは口実に使えると思って持ってきた。役に立っただろ」
「バッグの中、ドーナツだらけかと思った」
「は?」
と、惚けたのは一瞬、航は、そんなことあるかよ、と笑いだした。
「今度は航んちに行ってもいい?」
「親がいていいなら。じゃないと、おかしなことやるかもしんねぇ」
航がほのめかしていることは、また実那都を焦らせた。それを知ってか知らずか。
「これ、おまえが飲め。おれはこっちがいい」
航は実那都が飲みかけていた麦茶を取ってスムージーと入れ替えた。
「スムージーの材料費、麦茶よりずっと高いのに」
「おまえ、ダイエットは必要ねぇけど、長生きはしろ」
実那都はぷっと吹きだした。
「まだ中三だよ。倍以上は寿命あると思う」
「三倍あったって足りねぇけどな」
いまの年齢に三倍上乗せしても平均寿命よりは若いけれど、航が云っている意味は違うような気がした。
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