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第1話 イノセンス

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 航は実那都たちに気づいていなかったのだろう、驚いた顔をする。歩きながら目を逸らすようにそっぽを向き、すぐさま正面に視線を戻したときはもとの表情――少し不機嫌そうな顔に戻ってそこに立ち止まった。実那都と祐真が来るのを待っている。
「ベンチ、キープしとけっつったのに何やってんだ」
 祐真が責めると、航は顔をしかめ――
「邪魔が入った」
 と、ベンチのほうを指すように横を向いて顎をしゃくった。
「おれと実那都ちゃんのほうが邪魔なんじゃないのか」
「は? なんなんだよ、それ」
「一時間もあればすむだろ。おれと実那都ちゃんはそうだな、ドーナツ食べて、その辺うろついて時間潰せるさ」
 航はひどく眉間にしわを寄せ、睨む以上に目を細めた。
 祐真が何をほのめかしているのか、実那都が薄らと読みとれる部分はある。『タラシくん』と『邪魔』という言葉を繋ぎ合わせれば、航にベンチにいた彼女と付き合えばいいと、祐真は勧めているのだ。
 ……付き合う、って大げさに捉えていたけれど、もしかして今日に限って付き合うってこと?
 実那都は教室でのことを思い返しながらそんなことを考えてしまう。
「祐真、てめえ、いいかげんにしろよ」
 ひとしきり無言で威嚇したあと、低音の声が地鳴りを起こしているみたいに不気味に響いた。
「何、ガチになってんだよ」
「てめぇはさっき、おれに責任持てって云ったんだぞ。今度は無責任になれって云ってるのと同じだ。どっちなんだ」
「おまえはどっちなんだ?」
 航の問いかけに同じ言葉で祐真が悠然と問い返す。
 どうやっても航は祐真に云い負かされるだろうことは、この短い時間を一緒にいただけでもはっきりわかる。
「ねぇ、その子、祐真のカノジョなの? 航、今日は女連れてるから無理だって云ったけど」
 航が口を開きかけた刹那、女性の声が割りこんできた。航の背後から顔を覗かせるようにして現れたのは、服装を見るかぎりベンチにいた彼女と同一人物だ。
 二十代半ばか、実那都は美人だと勝手に想像していたけれど、遠目だけでなく近くで見てもきれいな人だ。年齢相応なのか、単純に自信を持っているせいか、実那都からするとずいぶんと大人に見えた。
「バカ云うな、こいつはおれのだ」
 割りこんできたときは歯牙にもかけないといった様で、実那都を一瞥しかしなかった彼女が、航の言葉を聞いてまじまじと実那都に見入る。その表情には自信以上にきつさが宿っていた。彼女はまるで実那都を脳内にインプットし終えたロボットのように、くるっと首をまわして祐真に目を向けた。
「ほんとなの?」
「らしいよ」
 女性は不満そうにわずかに顎を上向ける。
「祐真、わざわざ呼びつけてこれなの?」
「呼びつけてない。メグさん、『こっち出てくるの?』ってグループ送信してただろ。行くって返事しただけだ。このとおり、来ただろ」
 もしも航たちが年上の女性たちと連んでいるという噂が本当のことなら、メッセージでの会話の真意は、グループの間では“会おう”という暗黙の了解かもしれないし、それなら祐真の云い分は実那都からしても屁理屈にしか聞こえない。
 案の定、メグと呼ばれた女性は露骨に憤慨した表情を浮かべ――
「祐真、おまえ、マジでタチ悪いぜ」
 と、航は呆れ返っている。
 祐真は反省などする気もないように飄々ひょうひょうと肩をそびやかした。
「おれら受験生だしさ、航もこのとおりだ。メグさん、もう遊べないからグループ解消だって、そっち伝えといてよ」
「呆れちゃう。そんな簡単に別れられると思ってるの?」
「メグさんたちのほうがヤバイでしょ。おれら、未成年の中坊だし」
 悪びれることなく祐真は最終通告を云い渡す。
 メグはきれいな顔を歪め、そして、なぜか睨みつけられたのは実那都だ。亀みたいに首を縮めて萎縮しかけたとき、彼女との間にすっと盾が現れた。目の前に立ちはだかったのは航で、実那都の視界がさえぎられる。
「メグさん、祐真は脅すつもりじゃねぇ。それはおれが保証する。一年、お互いに楽しかったって終わってよくね?」
「祐真だけじゃない。航、あんたもタチ悪いよ」
 実那都のすぐ前で航が肩をすくめる。
 不自然な沈黙がはびこり、返事をしないことが返事なのか、やがてメグのほうが、いいわよ、とけっして納得しているふうではない声音で沈黙を破った。
「ほかの子には伝えておくけど、わたしがするのはそこまで。あとは知らないから」
 つんとした声で云い、メグは「カノジョ、気をつけなさいね」とそれは実那都への呼びかけだったのか、ヒールの音が立ち、そして遠ざかっていった。
 だれのため息か、実那都にも聞こえるくらいの大きな吐息が漏れている。
「祐真、おまえ、まさかあいつらと縁切るために実那都を利用したんじゃないだろうな」
「航、おまえ、頭悪くないよな」
 祐真はしゃあしゃあと肯定を示しながら応え、「けど航、実那都ちゃんも未成年だからな、これからどうなるのか知んねぇけど、別れる云い訳にはできねぇぞ」と航に釘を刺した。
「また責任を持ちだす気か。おれは責任て訳わかんねぇもんはどっちでもいい。けど、あの女たちとみてぇに、適当に付き合うなんてめんどくさいこと、もうやるかよ」
「つまり、意味ないって認めたわけだ」
 祐真はしてやったりといった様で放つと、実那都に目を向けた。
「おめでとう、実那都ちゃん」
 二度めの祝い言葉を云い、祐真は、ほら、とドーナツの入った袋を航に差しだした。
「じゃあな」
 航が受けとるなり、祐真はかわるがわるふたりを見て、駅のほうへとくるりと身をひるがえした。
「おいっ祐真……」
「おれは、気ぃ利くっつうの。邪魔者は退散、だろ」
 と流し目で後ろを見やると、祐真はおどけた様子で片手を上げて立ち去った。
「くそっ。あいつ、マジでおれたちを利用しやがった」
 航は不満たらたらといった気配でののしった。
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