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第1話 イノセンス
3.
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釣られた結果、電車で移動して実那都が付き合わされた場所は、博多駅前の広場だった。
学校から四つしか離れていないが、福岡の中心部ともあって、行き交う人は恰好だけでなく人種まで様々で、実那都の生活圏内にある駅とは雰囲気がまったく違う。
人が多くて、航と祐真が盾になっていなかったら、いまみたいに最短距離では到底たどり着けないだろう。三人は改札口からほぼ直進して外に出た。
六時半をすぎて、四月も終わりになるとまだ暗くはないけれど、まもなく太陽が沈む時刻だ。
「航、あそこのベンチ一個空いてっぞ」
祐真が広場の真ん中辺りにあるベンチを指差しながら、軽薄そうに、ラッキー! と口にした。
「なんでここだ」
連れられてきたのは実那都で、航は連れてきた側であるはずが、険しい声で問う。実那都ではなく祐真に向けた質問に違いなく。
「どこ行くつもりだったんだよ」
祐真は逆に問いかけた。
「カラオケとかスタジオとかじゃねぇのかよ」
航が応えると、祐真は呆れた面持ちで、「おまえ、わかってないな」と航の鼻先に人差し指を突きつける。
「真剣なら、最初から密室に連れこんで怖がらせるんじゃねぇよ。ちょっとは気を遣え」
祐真はそう云って、実那都を見やり、なあ? と話しかけた。
祐真が何をほのめかしているのか、実那都がぴんと来るまで数秒を要した。実は、そこまで考えずについてきた。いざ云われて考えてみれば、ふたりが強引に連れだしたからだという云い訳は立つものの、クラスメイトとはいえよく知りもしないふたりに連れまわされるなど無防備すぎる。
実那都はいま頃になって、ふたりの――いや、三人の噂話を思いだした。バンド活動をやっていること、それはだれの迷惑にも害にもならないけれど、もうひとつ、年上らしい女性とよく連んでいるという話はつまり女性との交遊が盛んだということだ。“交遊”という解釈がどこまで発展するのか、はたまた遊んでいるのか真剣なのかまでは、噂ではわからない。
実那都は無意識に航を見やると、すでに実那都へと向けられていた目に捕らわれた。航はじっと見て、それからふっと侮ったような笑みを漏らした。
「こいつはそこまで考えてねぇ」
実那都のかわりに航が答える。
「考えてなくても考えてやんのが“責任”てもんだろ」
航は云い返すにもぐうの音が出ないといった様子で言葉に詰まっている。
祐真は鼻先で笑い、実那都に目を向けた。
「なんか好きなもんは? カップル誕生のお祝いにおれがおごってやるよ。実那都ちゃん、何がいい? クレープとかパフェとか、渋いとこでなんとか饅頭でもいいけど」
「え……っと、でも……」
「祐真、おれはべつに襲う気はない。こいつは安全だ。少なくとも今日はな。だいたいが責任てなんだよ。おまえが勝手にあの真弓って女に云っただけだろうが」
実那都が戸惑っている間に、航がさっきの続きで云い返した。
「航、おまえのためを思って云ってやってんだよ。おまえが意味づける必要がないって証明してくれるんなら、おれはもう口出さねぇよ。“責任”から解放してやっていい」
「何、くだらねぇこと云ってんだ」
「それ、どっちの意味に取ればいいんだよ?」
電車のなかでは、せっかくのバースデープレゼントを真弓に渡してしまうという無下にした扱いを無責任だと、航が祐真を責めていたけれど、その仕返しとばかりに、祐真はいま航を煽っている。
またもや航は黙りこみ、祐真はふふんと鼻を鳴らす。
「実那都ちゃん、何がいい? 遠慮はナシだ。」
「おれはドーナツが食いてぇ。チョコかかったやつ」
実那都が返事するよりもさきに航が口を挟んだ。
「またそれか。よく飽きねぇな」
「いいじゃんか」
「航、まさかあっちがワンパターンてことはないよな」
「なんの話だ」
「せいぜい実那都ちゃんから飽きられないようになって話だ」
祐真は明らかにふざけていて、航の不機嫌さはマックスに達しそうだ。
「実那都ちゃんもドーナツでいい?」
どこ吹く風といった問いかけにうなずくと、祐真は少し身をかがめてためらいもなく実那都の手をつかんだ。
「じゃ、調達だ。航、おまえ、ベンチ確保してろよ」
「おまっ、なんで実那都を連れてくんだよ」
「金を出すのはおれ、おまえの好みは知ってるけど、実那都ちゃんのは知らねぇ。連れてくのがいちばん手っ取り早い」
祐真は理屈をこねて航の抗議を退け、実那都の手を引きながら再び駅構内へと向かった。
後ろを振り向いてみると仏頂面が見える。目が合うと、航はつかつかと足早にやってきた。
「祐真」
と呼びかけたのは立ち止まらせるためか、航は祐真ではなく実那都の正面にまわりこんで身をかがめる。それに釣られて実那都も正面に向き直ると、航の顔が間近に迫った。
「おまえ、祐真に隙を突かれるんじゃねぇぞ。こいつ、タラシだからな」
「タラシ、って……」
「タラシって自分のことだろ」
祐真にすかさず突っこまれ、航はきっと睨みつける。
それをものともせず――
「ふふん、せいぜい汚名返上がんばんな」
と、祐真は航を避けて実那都を連れていった。
くそっと背中の向こうで罵声が聞こえ、祐真は可笑しそうに笑う。
「あいつ、ガキだから、実那都ちゃん、振りまわされんだろうなぁ。けど、ガキだから強いって面もある」
どういう意味なのか、祐真は妙に大人びたことを云い、それからは、地下のドーナツ店に行ってそう時間がかかることもなく広場に戻るまで、一方的に航のことを喋っていた。
学校帰りの間食といえばハンバーガーよりもドーナツという、いかに航がドーナツ好きかという話がほとんどだった。航のイメージからすると意外だ。スイーツが好きというだけで、親近感が湧くなど単純すぎるけれど――と、そう思ったところで実那都ははたと気づく。
付き合う、ってどういうことだろう。
漠然とはわかるけれど、実那都と航が、と自分のことを考えるとよくわからなくなる。
思考が停止した実那都に同調するように祐真がふと足を止めた。斜め後ろを歩いていた実那都は、一歩追い越したところでそれに気づいて立ち止まった。
「さっそくだな」
振り向いたとたん、祐真は真正面を見ながらつぶやき――
「実那都ちゃん、ほら、“タラシくん”だ」
と指を指す。実那都はその指先を追ってみた。
そこにはベンチに座った航がいて、隣に女性がいる。女性はただ座っているだけではなく、明らかに航に話しかけていた。話しかけられていることに気づき、航は音楽でも聴いていたのか、イヤホンを耳から外している。
女性は二十代のOLっぽい。航は制服姿だから学生だとわかるけれど、もし私服だったら、隣の女性と大して歳の差は感じられないかもしれない。
女性の手が航の腕をつかみ、そのしぐさからすると航と彼女は知り合いじゃないかと思った。航は何やら言葉を発して、それから首を横に振って、女性の手から逃れるように立ちあがった。そうして、再び女性に向かい、何かを口にすると、こっちに向かってくる。
「へえ」
祐真が可笑しそうに、なお且つ感心したようにつぶやいた。
それが聞こえたかのように、航が顔を上げて実那都を捉えた。
学校から四つしか離れていないが、福岡の中心部ともあって、行き交う人は恰好だけでなく人種まで様々で、実那都の生活圏内にある駅とは雰囲気がまったく違う。
人が多くて、航と祐真が盾になっていなかったら、いまみたいに最短距離では到底たどり着けないだろう。三人は改札口からほぼ直進して外に出た。
六時半をすぎて、四月も終わりになるとまだ暗くはないけれど、まもなく太陽が沈む時刻だ。
「航、あそこのベンチ一個空いてっぞ」
祐真が広場の真ん中辺りにあるベンチを指差しながら、軽薄そうに、ラッキー! と口にした。
「なんでここだ」
連れられてきたのは実那都で、航は連れてきた側であるはずが、険しい声で問う。実那都ではなく祐真に向けた質問に違いなく。
「どこ行くつもりだったんだよ」
祐真は逆に問いかけた。
「カラオケとかスタジオとかじゃねぇのかよ」
航が応えると、祐真は呆れた面持ちで、「おまえ、わかってないな」と航の鼻先に人差し指を突きつける。
「真剣なら、最初から密室に連れこんで怖がらせるんじゃねぇよ。ちょっとは気を遣え」
祐真はそう云って、実那都を見やり、なあ? と話しかけた。
祐真が何をほのめかしているのか、実那都がぴんと来るまで数秒を要した。実は、そこまで考えずについてきた。いざ云われて考えてみれば、ふたりが強引に連れだしたからだという云い訳は立つものの、クラスメイトとはいえよく知りもしないふたりに連れまわされるなど無防備すぎる。
実那都はいま頃になって、ふたりの――いや、三人の噂話を思いだした。バンド活動をやっていること、それはだれの迷惑にも害にもならないけれど、もうひとつ、年上らしい女性とよく連んでいるという話はつまり女性との交遊が盛んだということだ。“交遊”という解釈がどこまで発展するのか、はたまた遊んでいるのか真剣なのかまでは、噂ではわからない。
実那都は無意識に航を見やると、すでに実那都へと向けられていた目に捕らわれた。航はじっと見て、それからふっと侮ったような笑みを漏らした。
「こいつはそこまで考えてねぇ」
実那都のかわりに航が答える。
「考えてなくても考えてやんのが“責任”てもんだろ」
航は云い返すにもぐうの音が出ないといった様子で言葉に詰まっている。
祐真は鼻先で笑い、実那都に目を向けた。
「なんか好きなもんは? カップル誕生のお祝いにおれがおごってやるよ。実那都ちゃん、何がいい? クレープとかパフェとか、渋いとこでなんとか饅頭でもいいけど」
「え……っと、でも……」
「祐真、おれはべつに襲う気はない。こいつは安全だ。少なくとも今日はな。だいたいが責任てなんだよ。おまえが勝手にあの真弓って女に云っただけだろうが」
実那都が戸惑っている間に、航がさっきの続きで云い返した。
「航、おまえのためを思って云ってやってんだよ。おまえが意味づける必要がないって証明してくれるんなら、おれはもう口出さねぇよ。“責任”から解放してやっていい」
「何、くだらねぇこと云ってんだ」
「それ、どっちの意味に取ればいいんだよ?」
電車のなかでは、せっかくのバースデープレゼントを真弓に渡してしまうという無下にした扱いを無責任だと、航が祐真を責めていたけれど、その仕返しとばかりに、祐真はいま航を煽っている。
またもや航は黙りこみ、祐真はふふんと鼻を鳴らす。
「実那都ちゃん、何がいい? 遠慮はナシだ。」
「おれはドーナツが食いてぇ。チョコかかったやつ」
実那都が返事するよりもさきに航が口を挟んだ。
「またそれか。よく飽きねぇな」
「いいじゃんか」
「航、まさかあっちがワンパターンてことはないよな」
「なんの話だ」
「せいぜい実那都ちゃんから飽きられないようになって話だ」
祐真は明らかにふざけていて、航の不機嫌さはマックスに達しそうだ。
「実那都ちゃんもドーナツでいい?」
どこ吹く風といった問いかけにうなずくと、祐真は少し身をかがめてためらいもなく実那都の手をつかんだ。
「じゃ、調達だ。航、おまえ、ベンチ確保してろよ」
「おまっ、なんで実那都を連れてくんだよ」
「金を出すのはおれ、おまえの好みは知ってるけど、実那都ちゃんのは知らねぇ。連れてくのがいちばん手っ取り早い」
祐真は理屈をこねて航の抗議を退け、実那都の手を引きながら再び駅構内へと向かった。
後ろを振り向いてみると仏頂面が見える。目が合うと、航はつかつかと足早にやってきた。
「祐真」
と呼びかけたのは立ち止まらせるためか、航は祐真ではなく実那都の正面にまわりこんで身をかがめる。それに釣られて実那都も正面に向き直ると、航の顔が間近に迫った。
「おまえ、祐真に隙を突かれるんじゃねぇぞ。こいつ、タラシだからな」
「タラシ、って……」
「タラシって自分のことだろ」
祐真にすかさず突っこまれ、航はきっと睨みつける。
それをものともせず――
「ふふん、せいぜい汚名返上がんばんな」
と、祐真は航を避けて実那都を連れていった。
くそっと背中の向こうで罵声が聞こえ、祐真は可笑しそうに笑う。
「あいつ、ガキだから、実那都ちゃん、振りまわされんだろうなぁ。けど、ガキだから強いって面もある」
どういう意味なのか、祐真は妙に大人びたことを云い、それからは、地下のドーナツ店に行ってそう時間がかかることもなく広場に戻るまで、一方的に航のことを喋っていた。
学校帰りの間食といえばハンバーガーよりもドーナツという、いかに航がドーナツ好きかという話がほとんどだった。航のイメージからすると意外だ。スイーツが好きというだけで、親近感が湧くなど単純すぎるけれど――と、そう思ったところで実那都ははたと気づく。
付き合う、ってどういうことだろう。
漠然とはわかるけれど、実那都と航が、と自分のことを考えるとよくわからなくなる。
思考が停止した実那都に同調するように祐真がふと足を止めた。斜め後ろを歩いていた実那都は、一歩追い越したところでそれに気づいて立ち止まった。
「さっそくだな」
振り向いたとたん、祐真は真正面を見ながらつぶやき――
「実那都ちゃん、ほら、“タラシくん”だ」
と指を指す。実那都はその指先を追ってみた。
そこにはベンチに座った航がいて、隣に女性がいる。女性はただ座っているだけではなく、明らかに航に話しかけていた。話しかけられていることに気づき、航は音楽でも聴いていたのか、イヤホンを耳から外している。
女性は二十代のOLっぽい。航は制服姿だから学生だとわかるけれど、もし私服だったら、隣の女性と大して歳の差は感じられないかもしれない。
女性の手が航の腕をつかみ、そのしぐさからすると航と彼女は知り合いじゃないかと思った。航は何やら言葉を発して、それから首を横に振って、女性の手から逃れるように立ちあがった。そうして、再び女性に向かい、何かを口にすると、こっちに向かってくる。
「へえ」
祐真が可笑しそうに、なお且つ感心したようにつぶやいた。
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