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第5章 いちばん近くていちばん遠い“愛してる”
22.
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服を脱ぐ間も、バスルームに向かう間も、そしてシャワーを浴びるときはドアを開けたままにして、どれだけ撮るのだろうというくらい響生はシャッター音を鳴らし続ける。
「環和……環和」
髪を洗っているなか、シャワー音に紛れて最初はよく聞きとれなかったが、二度め大きくなった声に環和は仰向けていた顔を戻して振り向いた。
「何?」
「濡れるのは嫌いでも、水泳を習って少しくらい躰を浮かせる術を身につけておくべきだ」
「無駄だと思う。泳ぎにいくってことはないし、このまえみたいに落っこちたらパニックになって、わたしは響生みたいに冷静になれないから役に立たない」
「冷静になれないから躰に憶えさせておくんだ」
「響生がいてくれるなら習ってもいいけど、ほかの人は信用できない」
お喋りをしながら連続していたシャッター音がふと途切れた。響生はカメラをおろして、レンズ越しではなく環和をじかに見つめた。
何に反応したのだろう。脳内で自分が発した言葉を反すうするとまもなく、環和は思い当たった。最後だと云われておきながら『いてくれるなら』と、それはまた会いたいと云っているふうに聞こえたかもしれない。意識していなかったけれど、本心じゃないとは否定もできない。気づけば現実をいとも簡単に押しのけて、時間を戻そうという響生の言葉に縋っていた。
「あ……ヘンな云い方したかも。深い意味はなくって――」
「あのふたりは信用するな」
気まずさを紛らそうとシャワーに向き直り、シャワーヘッドをホルダーから取りあげたとたんさえぎられて、そのうえ響生の言葉に驚いて環和はまた振り向いた。
「……え、あのふたりって?」
「京香と勇だ」
出し抜けにふたりの名前が出てきて、環和はびっくり眼で響生を見つめる。
「……京香さんに気をつけろって、まえに青田さんにも云われたけど……」
「恵が?」
「うん。響生がわかってるといいけどってことも云ってた」
響生は舌打ちをした。顔を険しくして気に喰わなそうな雰囲気だ。
「わかってたら写真を盗み取られるようなヘマはやらない。必然だったのか偶然だったのかはわからない。けど……必然だったら容赦しない」
「必然て何?」
「おまえが川に落ちたことだ」
環和はさらに目を見開いた。混乱しながらも目まぐるしく思考を働かせる。
「写真を盗み撮りするために、わたしが川に落ちたってこと? でもわたしが自分で……」
「違う、そうじゃなかっただろう」
響生がさえぎり、環和は首をかしげた。すると、響生は突然、洗面台のカウンターに置いていたタオルをつかんで環和のほうに投げた。反射的に目の前に来たタオルを受けとったとき、川に落ちたきっかけを思いだした。
「京香さん、わたしが川に落ちるようにゴーグルを投げたってこと?」
「そうだ。流されることを見越してやったとしたら最悪だな」
写真を撮るための必然だったとしても、まさかあんなふうに危険な目に遭うとは京香も思っていなかったはずだ。それを意図していたとしたら犯罪になる。仕事に執着している京香がそんなリスクを負うはずはない。そう思うのは願望にすぎないのか。
「京香さんと……付き合うの?」
気づいたときは訊ねていた。今日、ずっと引っかかっていて訊けなかった。
すぐに返事はなく、シャワーの音が虚しく沈黙を妨げている。
「必要な付き合いもある」
やっと答えた声は素っ気なく聞こえた。あえて、そんなふうに京香とのことを扱っていると暗に含んで示したのか。そうであってほしい。
「わたしには信用するなって云ったのに?」
「だから必要な付き合いだと云ってる」
「躰を張ってまで?」
「時間稼ぎだ」
響生は否定しなかった。なんの時間稼ぎなのかも教えてくれる気配ではない。
そうして、響生は深いため息をつき、環和、と云い聞かせるように呼んだ。
ふたりの時間はいつの間にか現実に戻っていた。響生はそれを咎めたんだろうが、いま話していたことは聞き流せるはずもなく、環和は簡単に切り替えはできない。
けれど、せっかく時間を戻せたのに――それは限られているのだから短くなってしまうのはもったいないと気づいて、ようやく咬みしめたくちびるを緩める。
「……青田さんは?」
環和は訊ねてみた。恵とのことも訊きたくて訊けなかった。
響生は怪訝そうに首を傾ける。
「……恵がなんだ」
「信用できる? 信用していい?」
「ああ。じゃなきゃ、こんな長い付き合いはしない」
「どういう関係?」
「友人……というよりも同胞という感じだな」
「同胞?」
「そうだ。お互い、一匹狼みたいなところがある。けど、狼は群れをなして生きていくのが本来だ。孤独を紛らわしているのかもしれない」
恵に嫉妬しないことはない。いま聞かされたことから切っても切れないという関係が見えて、やっぱり嫉妬する。
ただ、簡潔だが、京香のときと違って本当のことを隠し立てなく話してくれたことは感じとれた。
「青田さん、響生と同じで容赦ないけど悪い人じゃないって感じはしてる。でも京香さんは友だちになろうなんて思ったことない。だから、響生が心配しなくても、わたしは人を見る目あるよ」
響生は、「そうみたいだ」と鼻先で笑うと――
「もう出てこい。髪を乾かしたらスタジオにおりる」
と、また注文をつけた。
「環和……環和」
髪を洗っているなか、シャワー音に紛れて最初はよく聞きとれなかったが、二度め大きくなった声に環和は仰向けていた顔を戻して振り向いた。
「何?」
「濡れるのは嫌いでも、水泳を習って少しくらい躰を浮かせる術を身につけておくべきだ」
「無駄だと思う。泳ぎにいくってことはないし、このまえみたいに落っこちたらパニックになって、わたしは響生みたいに冷静になれないから役に立たない」
「冷静になれないから躰に憶えさせておくんだ」
「響生がいてくれるなら習ってもいいけど、ほかの人は信用できない」
お喋りをしながら連続していたシャッター音がふと途切れた。響生はカメラをおろして、レンズ越しではなく環和をじかに見つめた。
何に反応したのだろう。脳内で自分が発した言葉を反すうするとまもなく、環和は思い当たった。最後だと云われておきながら『いてくれるなら』と、それはまた会いたいと云っているふうに聞こえたかもしれない。意識していなかったけれど、本心じゃないとは否定もできない。気づけば現実をいとも簡単に押しのけて、時間を戻そうという響生の言葉に縋っていた。
「あ……ヘンな云い方したかも。深い意味はなくって――」
「あのふたりは信用するな」
気まずさを紛らそうとシャワーに向き直り、シャワーヘッドをホルダーから取りあげたとたんさえぎられて、そのうえ響生の言葉に驚いて環和はまた振り向いた。
「……え、あのふたりって?」
「京香と勇だ」
出し抜けにふたりの名前が出てきて、環和はびっくり眼で響生を見つめる。
「……京香さんに気をつけろって、まえに青田さんにも云われたけど……」
「恵が?」
「うん。響生がわかってるといいけどってことも云ってた」
響生は舌打ちをした。顔を険しくして気に喰わなそうな雰囲気だ。
「わかってたら写真を盗み取られるようなヘマはやらない。必然だったのか偶然だったのかはわからない。けど……必然だったら容赦しない」
「必然て何?」
「おまえが川に落ちたことだ」
環和はさらに目を見開いた。混乱しながらも目まぐるしく思考を働かせる。
「写真を盗み撮りするために、わたしが川に落ちたってこと? でもわたしが自分で……」
「違う、そうじゃなかっただろう」
響生がさえぎり、環和は首をかしげた。すると、響生は突然、洗面台のカウンターに置いていたタオルをつかんで環和のほうに投げた。反射的に目の前に来たタオルを受けとったとき、川に落ちたきっかけを思いだした。
「京香さん、わたしが川に落ちるようにゴーグルを投げたってこと?」
「そうだ。流されることを見越してやったとしたら最悪だな」
写真を撮るための必然だったとしても、まさかあんなふうに危険な目に遭うとは京香も思っていなかったはずだ。それを意図していたとしたら犯罪になる。仕事に執着している京香がそんなリスクを負うはずはない。そう思うのは願望にすぎないのか。
「京香さんと……付き合うの?」
気づいたときは訊ねていた。今日、ずっと引っかかっていて訊けなかった。
すぐに返事はなく、シャワーの音が虚しく沈黙を妨げている。
「必要な付き合いもある」
やっと答えた声は素っ気なく聞こえた。あえて、そんなふうに京香とのことを扱っていると暗に含んで示したのか。そうであってほしい。
「わたしには信用するなって云ったのに?」
「だから必要な付き合いだと云ってる」
「躰を張ってまで?」
「時間稼ぎだ」
響生は否定しなかった。なんの時間稼ぎなのかも教えてくれる気配ではない。
そうして、響生は深いため息をつき、環和、と云い聞かせるように呼んだ。
ふたりの時間はいつの間にか現実に戻っていた。響生はそれを咎めたんだろうが、いま話していたことは聞き流せるはずもなく、環和は簡単に切り替えはできない。
けれど、せっかく時間を戻せたのに――それは限られているのだから短くなってしまうのはもったいないと気づいて、ようやく咬みしめたくちびるを緩める。
「……青田さんは?」
環和は訊ねてみた。恵とのことも訊きたくて訊けなかった。
響生は怪訝そうに首を傾ける。
「……恵がなんだ」
「信用できる? 信用していい?」
「ああ。じゃなきゃ、こんな長い付き合いはしない」
「どういう関係?」
「友人……というよりも同胞という感じだな」
「同胞?」
「そうだ。お互い、一匹狼みたいなところがある。けど、狼は群れをなして生きていくのが本来だ。孤独を紛らわしているのかもしれない」
恵に嫉妬しないことはない。いま聞かされたことから切っても切れないという関係が見えて、やっぱり嫉妬する。
ただ、簡潔だが、京香のときと違って本当のことを隠し立てなく話してくれたことは感じとれた。
「青田さん、響生と同じで容赦ないけど悪い人じゃないって感じはしてる。でも京香さんは友だちになろうなんて思ったことない。だから、響生が心配しなくても、わたしは人を見る目あるよ」
響生は、「そうみたいだ」と鼻先で笑うと――
「もう出てこい。髪を乾かしたらスタジオにおりる」
と、また注文をつけた。
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