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第1章 Cross-Border~越境~
11.
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何をする気だ? 怖れと不安しかない状況下、祐仁はテーブルからスプーンを取り、パエリアをすくって颯天の口もとに持ってきた。
食べろと云っているのだろうが、あまりにも無防備な気がして、颯天は口を閉じたままでいた。もっとも、この恰好以上に無防備なことはなく、いまさらだが、従順になるのもすぐには難しい。
「口を開けろ」
痺れを切らしたのか、祐仁の声は静かすぎて不気味とさえ感じるが、颯天は反抗的な眼差しできっと祐仁を見上げる。
「まだ何も話は聞いてません。弟が本当に大丈夫だっていう保証はどこにあるんですか」
さっきからスプーンを差しだしたまま祐仁は微動だにしない。それがさらに静止した気配になった。怒ったのか。祐仁はどんなに尊大で強引であろうが乱暴ではなかった。もしも本気で怒ったときは、容赦なく非情になれるのではないか。
怯みそうになるも、どうにか目を逸らさずに対峙していると、祐仁はふっと吐息を漏らして可笑しそうにした。
「ごまかして押し倒すつもりだったけど、おまえは見込んだとおり堅実だな」
「見込んだとおりって……?」
「どんな状況でも理性を働かせる余力があるってことだ。ますます手に入れたくなった」
「……どういう意味ですか」
「あらゆる意味だ」
祐仁の応えはやはりごまかしであって答えではない。
「納得できません」
「おれのことはどう聞いてる?」
祐仁が唐突にそんなことを問いかけてきたのは話を逸らすためか、颯天は眉間にしわを寄せた。
「どうって?」
「噂でもいい。何者だと思ってる? おれを頼ってくる根拠があったはずだ。おれがいくら助けになると云っても、相手がやくざとなれば普通の人間は頼ってこないだろう。当てにならないと思うよりも、おまえなら迷惑はかけられないと思うだろうし」
祐仁は颯天をわかったような、そして買い被ったようなことを云い、促すように首をひねった。
「……裏社会の大物の愛人だって聞きました」
颯天は少しためらったすえ率直に答えた。
一方で、祐仁はためらわずにうなずいて肯定した。
「なら、おまえが期待したとおり、弟を助けられた理由も見当はつくだろう」
「本当なんですか」
「おまえが考えているよりも、おれのバックはでかい。無論、対極にある凛堂会よりもな。心配しなくていい」
「けど……」
「“けど”、なんだ?」
「朔間さん、そのバックの人に借りつくったんじゃないですか。やっぱり迷惑かけてるとか……」
颯天は尻切れとんぼになり、そして唖然と祐仁を見つめた。
祐仁はいままでになく笑いこけている。腹を抱えそうな勢いで、止めないといつまで笑っていそうだ。
「朔間さん、なんなんですか」
たまらず颯天は少々不機嫌に声をかけた。
それでも祐仁は無理だというように首を横に振って笑っていたが、やがて名残惜しいように笑みはおさまっていき、祐仁は息をついた。
「窮地に追いこまれてるくせにおれの心配するって、颯天、おまえはどこまでお人好しなんだ? こっちのほうが心配になる。けど、おまえはやっぱり可愛い。忠実な下部にぴったりだな」
「おれは本気で……」
「心配無用だ。おれのこともおまえの弟のことも」
笑った名残を顔に宿したまま祐仁はきっぱりと受け合うと、キッチンに行った。冷蔵庫の開閉音がして、すぐに戻ってくると、持っていたガラスの器をテーブルに置く。そうして、テーブルに斜めに腰を引っかけると、いったんパエリアの器に戻していたスプーンを取って、また颯天に差しだした。
「食べろ」
祐仁のひと言は命令にもかかわらず、心なしかやさしさを感じさせる。颯天を従順な気にさせた。戸惑いは残りつつも口を開き、颯天はわずかに前のめりになってスプーンを咥えた。
食べている間、祐仁の目が颯天から離れることはない。もとい、テレビを見ながら食事をする颯天の家とは違ってここは静かで、祐仁が関心を持つ対象は颯天に限られる。颯天のほうが目のやり場に困った。見られながら食べる習慣はなく、味がよくわからないのはきっと気が張っているからだ。
「朔間さんは食べないんですか」
椀子そばのように次々に口もとに向けられるスプーンの合間を狙って、颯天は早口で云った。
「あとで食べる。……ゆっくり、な」
祐仁は思わせぶりに付け加えた。
スプーンを置いた祐仁は、今度はスペアリブを摘まんで颯天の口に近づけた。颯天は祐仁が持つスペアリブに食いつき、顔を背けるようにしながら肉を咬みちぎった。
颯天が食べきると、祐仁は残った骨を空っぽのプレートに捨てる。向き直った祐仁はおもむろに手を差しだした。指先が颯天の口もとすれすれのところで止まる。
問うように見上げると――
「手が汚れた。舐めてくれ」
祐仁は新たな命令を放ち、颯天が躊躇したのは一瞬、口を開けて祐仁の指先を口に含んだ。
食べろと云っているのだろうが、あまりにも無防備な気がして、颯天は口を閉じたままでいた。もっとも、この恰好以上に無防備なことはなく、いまさらだが、従順になるのもすぐには難しい。
「口を開けろ」
痺れを切らしたのか、祐仁の声は静かすぎて不気味とさえ感じるが、颯天は反抗的な眼差しできっと祐仁を見上げる。
「まだ何も話は聞いてません。弟が本当に大丈夫だっていう保証はどこにあるんですか」
さっきからスプーンを差しだしたまま祐仁は微動だにしない。それがさらに静止した気配になった。怒ったのか。祐仁はどんなに尊大で強引であろうが乱暴ではなかった。もしも本気で怒ったときは、容赦なく非情になれるのではないか。
怯みそうになるも、どうにか目を逸らさずに対峙していると、祐仁はふっと吐息を漏らして可笑しそうにした。
「ごまかして押し倒すつもりだったけど、おまえは見込んだとおり堅実だな」
「見込んだとおりって……?」
「どんな状況でも理性を働かせる余力があるってことだ。ますます手に入れたくなった」
「……どういう意味ですか」
「あらゆる意味だ」
祐仁の応えはやはりごまかしであって答えではない。
「納得できません」
「おれのことはどう聞いてる?」
祐仁が唐突にそんなことを問いかけてきたのは話を逸らすためか、颯天は眉間にしわを寄せた。
「どうって?」
「噂でもいい。何者だと思ってる? おれを頼ってくる根拠があったはずだ。おれがいくら助けになると云っても、相手がやくざとなれば普通の人間は頼ってこないだろう。当てにならないと思うよりも、おまえなら迷惑はかけられないと思うだろうし」
祐仁は颯天をわかったような、そして買い被ったようなことを云い、促すように首をひねった。
「……裏社会の大物の愛人だって聞きました」
颯天は少しためらったすえ率直に答えた。
一方で、祐仁はためらわずにうなずいて肯定した。
「なら、おまえが期待したとおり、弟を助けられた理由も見当はつくだろう」
「本当なんですか」
「おまえが考えているよりも、おれのバックはでかい。無論、対極にある凛堂会よりもな。心配しなくていい」
「けど……」
「“けど”、なんだ?」
「朔間さん、そのバックの人に借りつくったんじゃないですか。やっぱり迷惑かけてるとか……」
颯天は尻切れとんぼになり、そして唖然と祐仁を見つめた。
祐仁はいままでになく笑いこけている。腹を抱えそうな勢いで、止めないといつまで笑っていそうだ。
「朔間さん、なんなんですか」
たまらず颯天は少々不機嫌に声をかけた。
それでも祐仁は無理だというように首を横に振って笑っていたが、やがて名残惜しいように笑みはおさまっていき、祐仁は息をついた。
「窮地に追いこまれてるくせにおれの心配するって、颯天、おまえはどこまでお人好しなんだ? こっちのほうが心配になる。けど、おまえはやっぱり可愛い。忠実な下部にぴったりだな」
「おれは本気で……」
「心配無用だ。おれのこともおまえの弟のことも」
笑った名残を顔に宿したまま祐仁はきっぱりと受け合うと、キッチンに行った。冷蔵庫の開閉音がして、すぐに戻ってくると、持っていたガラスの器をテーブルに置く。そうして、テーブルに斜めに腰を引っかけると、いったんパエリアの器に戻していたスプーンを取って、また颯天に差しだした。
「食べろ」
祐仁のひと言は命令にもかかわらず、心なしかやさしさを感じさせる。颯天を従順な気にさせた。戸惑いは残りつつも口を開き、颯天はわずかに前のめりになってスプーンを咥えた。
食べている間、祐仁の目が颯天から離れることはない。もとい、テレビを見ながら食事をする颯天の家とは違ってここは静かで、祐仁が関心を持つ対象は颯天に限られる。颯天のほうが目のやり場に困った。見られながら食べる習慣はなく、味がよくわからないのはきっと気が張っているからだ。
「朔間さんは食べないんですか」
椀子そばのように次々に口もとに向けられるスプーンの合間を狙って、颯天は早口で云った。
「あとで食べる。……ゆっくり、な」
祐仁は思わせぶりに付け加えた。
スプーンを置いた祐仁は、今度はスペアリブを摘まんで颯天の口に近づけた。颯天は祐仁が持つスペアリブに食いつき、顔を背けるようにしながら肉を咬みちぎった。
颯天が食べきると、祐仁は残った骨を空っぽのプレートに捨てる。向き直った祐仁はおもむろに手を差しだした。指先が颯天の口もとすれすれのところで止まる。
問うように見上げると――
「手が汚れた。舐めてくれ」
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