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第2章 身の程知らず
3.セカンドキス
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このビルにはフレックスタイム制を取る企業が多いというのは、最近になって桔平から教えてもらったことだ。だからレガーロには時間に関係なく、コーヒーだけにはとどまらず食事を取る人が多い。
土日になるとぐっと客は減るのだが、平日は客が絶えず、朱実は足を止める暇もあまりない。
今日も二時をすぎたが店内はほぼ満杯で、またドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
朱実はトレイを厨房のカウンターに置き、来客に声をかけながら店内に戻った。
「お二人様ですか……」
人の数だけ把握して訊ねるさなか、そのうちの片方が顔見知りであることに気づく。
「あ、愛結さん、こんにちは」
「こんにちは。あとで二人来るんだけど」
「わかりました。こちらへどうぞ」
担当する四人掛けのテーブルに案内すると、朱実はウォーターサーバーに向かった。
顔や名前を覚えるのは苦手でも、仕事になると何度も見かけているうちに自然と憶えてくる。愛結の場合、パーティで会ってもピンと来なかったから、常連客ではない。事実、パーティ以来、一カ月がたったけれど愛結が来店したのははじめてだ。
水とメニュー表を持っていくと、愛結は駅で鉢合わせしたときのように、朱実を頭から膝丈の制服の裾まで一巡して眺めた。
「朱実さん、二十五日は空いてる?」
「二十五日? 来週の金曜日ですか?」
「そう」
朱実はカレンダーを脳裡に浮かべた。二十五日は、もう一人の給仕アルバイトの人からクリスマスイブに休みがほしいと相談され、シフトを組み直して休みになったんだった。
「仕事は休みですけど……」
「じゃあ、またパーティに来て。クリスマスパーティだから、人数も多いし、このまえよりはちょっと派手だけど楽しいから。いいでしょ? それとも桔平に誘われてる?」
「いえ、それはありませんけど……」
「そうよね。パーティが決まったのは昨日だし、わたしが誘わなくても桔平から誘われるわね」
「あの、でも……」
朱実が云いかけているにもかかわらず、愛結は三度め、視線を外すというやり方でさえぎった。
「美奈、この人が桔平お気に入りの朱実さん」
愛結は向かいに座る彼女に話しかけた。
紹介の仕方に戸惑い、朱実は「いえ」と否定しかけたものの、愛結は眼中になく続けた。
「ね、美奈は自信を持っていいんじゃない?」
それはどういう意味だろう。考え至るまえに愛結はテーブルの傍に立つ朱実を見上げた。
「高階さん、最初の日、送ってくれたんだよね?」
「はい」
「ほら。朱実さんがいいんだから美奈がダメなわけないでしょ。高階さんと対等にできると思う。朱実さん、朱実さんがいると美奈が心強いと思うの。だからクリスマスパーティは絶対参加ね」
美奈は愛結に比べたら地味に映るかもしれないが、それは比べる相手を間違っているだけのことで、朱実みたいに並みの容姿のなかにいれば彼女は抜きんでる。要するに、朱実は侮辱されているのだ。それを意図しての発言かといえば疑うまでもなくそのとおりだろう。けれど、侮辱と取るほど朱実はプライドを持っていない。
「愛結、勇気づけてくれるのはいいけど」
美奈は中途半端に言葉を切り、呆れたようにため息をついた。愛結の発言が失礼なことはわかっているようで、朱実に目を向けると。
「ごめんなさいね。愛結に悪気はないの。ただ子供っぽいだけだから」
美奈は朱実に申し訳なさそうに云った。けれど、満更じゃないといったふうに、その微笑には余裕が見えた。
「失礼ね!」
愛結はくちびるを尖らせ、抗議をした。すると。
「そのとおりだろう」
突然、加わってきたのは桔平の声だった。
振り向くと桔平と、その後ろに紫己がいる。来客には気づいていたが、このふたりだとは思わなかった。朱実は慌てて一礼した。
「いらっしゃいませ」
観葉植物と間仕切りのせいで目につかず、そのうえ、ここはちょうど出入り口からは死角になる。愛結は特に変化はないが、美奈のほうは慌てた素振りで立ちあがり、朱実に続いて、こんにちは、と挨拶をした。
「桔平、高階さん、座って」
愛結は、桔平に自分の隣を、紫己に美奈の隣を、それぞれに指差して取り仕切った。
「お水をお持ちします」
うなずくような礼をすると、朱実はすぐさま奥に戻った。
再びウォーターサーバーのまえに立って、コップが水で満ちていくのを見るともなく見ながらため息をつく。
桔平に会うと、ほしかったプレゼントをもらったような気分になる。その日一日が終わるまでという短い時間で消えてしまうが、幸せという感覚を教えられる。一方で、落ち着かない。最低限のメイクが崩れていないかとか、白い襟が歪んでいないかとか、詰まらないことが気になる。
よく見られたいという欲張りは、好きで好かれたいという気持ちがあるからだ。ふさわしくないとか、恋は必要ないとか、そんな朱実のポリシーとは相容れない。
そう云い聞かせても助けにもならず役にも立たず、桔平が来たときからそうであるように水を運ぶときも必要以上に緊張した。
テーブルに行くと、朱実が離れていた間に注文は決まったようで、それを聞きながら書き留めた。その間、視線を感じていたと思うのは自意識過剰がなせる技なのか。そうするのは桔平ではなく――。
「いま聞いたよ。朱実ちゃん、クリスマスパーティ参加してくれるんだって? 断る時間が取れないように、ぎりぎりで誘おうって思ってたのにな。お節介な魔女がいた」
「魔女? それ、あんまりいい響きに聞こえないんだけど」
「あたりまえだ。よけいなお世話だって云ってる」
桔平と愛結の関係は不思議だ。このまえは、わがままだと云いながら桔平は愛結の意に沿った。かと思えば、いまみたいにずばりと突き放す。そんな仕打ちに堪えることなく、愛結は逆におもしろがってくすっと笑う。
何をやっても嫌われることはない。互いにそんなふうに思っているみたいな自信が見える。
案の定、桔平は気が抜けたように小さく笑い、不快感はその顔から一瞬にして消えた。そうして朱実に視線を戻す。
「まあ、朱実ちゃんが来てくれるんならいいけど。みんなが承認だ。キャンセルはナシだよ」
「高階さんも行くでしょ?」
愛結が訊ねると、紫己は朱実から彼女へと目を転じた。
「ああ。付き合いは会社のなかだけでは足りないからな」
朱実はそっと息をつく。ほっとしたのは、やっと紫己の関心が朱実からほかのことに移ったからだ。関心というよりも観察なのかもしれない。それくらい、紫己はじっと朱実を見ていた。
「高階さんて生真面目。めずらしいよね。だれかさんとは大違い」
「遠回しでもなんでもない。だれかさんじゃなくて、おれだってはっきり云えばいい」
桔平は薄笑いをして自ら認めた。
「桔平は自覚してるだけでもマシ」
桔平は呆れて肩をそびやかし、それに対抗するように愛結はふざけて首をすくめる。それからまた紫己へと向かった。
「それで。よかったら、高階さん、彼女――美奈をエスコートしてほしいんだけど。そしたら」
と、途中でいったん口を閉じると、愛結はまえのめりになって声を落とす。
「静華さん対策にも役に立つと思う」
紫己はわずかに顔をしかめ、桔平を見やった。
「おまえ、喋ったのか」
「隠し事とは思わなかった」
「べつに隠し事じゃない。けど、わざわざ云うことでもない。まあ、スキャンダル好きなおまえたちの口をふさぐことなんてできないだろうけどな」
「ひどい云い様だ」
桔平は大げさに手を広げて見せた。紫己は首を振りつつ、口を歪めた。
「確かに、だれか横にいれば彼女避けにはなる」
紫己の言葉を受け、隣に座った美奈は愛結と顔を見合わせてこっそり笑っている。
最初はなんのことかと思ったが、静華を避けるために美奈を利用するということらしい。利用される側の彼女のほうがあからさまに喜んでいる。
静華の気持ちはあからさまで紫己は社交上、それを容認している。あの日、エレベーターのなかで桔平と紫己の会話を聞かなければ、少なくとも朱実は恋人関係だと思ったままかもしれない。内実、紫己はうんざりしている。こういう付き合い方はまったく理解できない。ただ、自分の惨めさを差し置いて朱実は静華を気の毒に思った。
七時間後、いつものとおり、朱実は九時まえくらいに仕事を終わって、ほかの人よりも少しさきにレガーロを出た。
時間もたてば考えも理性的になって、やはりパーティは断ることにした。愛結が派手と云うからには、ちょっとどころではなく本当にちゃんとしたパーティかもしれなかった。壁の花になるのが落ちで、そうなってもかまわないがそのまえに状況を避けるという手もある。
デートの誘いも保留にしたままであり、到底、桔平の付き合いに付き合えそうもないことを考えると、ここできっぱり終わりにしたほうがいいのだ。
そう決意しながら、朱実はため息を漏らす。
「朱実ちゃん」
エレベーターの横を通りすぎる間際、いきなり名前を呼ばれて朱実は悲鳴をあげそうになった。
足を止めて声のしたほうを振り向くと、桔平が階段スペースのところにいて、朱実に向かって手招きをする。すくんだ足がその手に釣られるように動いた。
近くに行くと腕を取られ、桔平は階段スペースのなかに導いた。ここは夜になると特に、利用されることはほぼない。
「……岡田さん?」
「昼間のこと、悪かったね」
「え?」
「愛結だよ。ひどいとまではいかなくても、傷つくようなことを云ってた」
朱実は目を丸くして桔平を見上げた。
「……聞かれてたんですか」
「わりと早くからいた」
愛結の礼儀を欠いた発言よりも、聞かれていたという恥ずかしさのほうが――それが桔平だからこそ――朱実にとっては痛い。それに、なぜ愛結のしたことを桔平が謝る必要があるのかまったくわからない。
「傷ついてません。大丈夫です」
桔平は、それならいいけど、と朱実の様子を窺いながら首を傾けた。
「愛結とおれは義理の兄妹なんだ」
「え?」
「愛結の父親とおれの母親が二年まえ、再婚したんだ。だから義理。といっても、姓は変えてないから普通は他人だと思うだろうけど。再婚当時、おれたちももう子供じゃなかったし、ふたりともそういう選択をした。仲が悪いわけじゃない」
桔平は驚くようなことを告白した。そのせいで、決意が揺らいでしまう。
「……仲が悪くないのはわかります」
朱実がそう云うと、桔平は可笑しそうに笑った。
「パーティ、断ろうって思ってただろう?」
見透かされていた。だからこそ、朱実を説得するのに愛結との関係を打ち明けたのか。
「だれが参加してもいいんだ。畏まることはない」
「でも……」
反論しようとした朱実は、桔平が躰を押しつけてきて中断させられた。
無意識に後ずさりしたが、そこはもう壁で、一歩しかかなわなかった。
桔平は顔を傾け、上体を折る。目を閉じた直後に、ふわりとくちびるがふさがれた。
いま、ファーストキスのようにちょっとでは終わらない。それどころか、舌がくちびるを割って朱実のなかに侵入してくる。上唇をすくって吸いつかれると、躰全体がぷるっとふるえた。
どうやって呼吸をしていいのかままならずに喘いでしまい、口が開くと同時に桔平はすかさず舌を奥へと潜らせた。自由に舐めまわされると、くすぐったくて心地いい。朱実の感覚は痺れるような陶酔を憶えていく。
やがて、桔平はゆっくりと離れていった。
「二十五日はまた待ち合わせしようか。いい?」
朱実は矛盾した自分を持て余している。
気づけばうなずいていた。
土日になるとぐっと客は減るのだが、平日は客が絶えず、朱実は足を止める暇もあまりない。
今日も二時をすぎたが店内はほぼ満杯で、またドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
朱実はトレイを厨房のカウンターに置き、来客に声をかけながら店内に戻った。
「お二人様ですか……」
人の数だけ把握して訊ねるさなか、そのうちの片方が顔見知りであることに気づく。
「あ、愛結さん、こんにちは」
「こんにちは。あとで二人来るんだけど」
「わかりました。こちらへどうぞ」
担当する四人掛けのテーブルに案内すると、朱実はウォーターサーバーに向かった。
顔や名前を覚えるのは苦手でも、仕事になると何度も見かけているうちに自然と憶えてくる。愛結の場合、パーティで会ってもピンと来なかったから、常連客ではない。事実、パーティ以来、一カ月がたったけれど愛結が来店したのははじめてだ。
水とメニュー表を持っていくと、愛結は駅で鉢合わせしたときのように、朱実を頭から膝丈の制服の裾まで一巡して眺めた。
「朱実さん、二十五日は空いてる?」
「二十五日? 来週の金曜日ですか?」
「そう」
朱実はカレンダーを脳裡に浮かべた。二十五日は、もう一人の給仕アルバイトの人からクリスマスイブに休みがほしいと相談され、シフトを組み直して休みになったんだった。
「仕事は休みですけど……」
「じゃあ、またパーティに来て。クリスマスパーティだから、人数も多いし、このまえよりはちょっと派手だけど楽しいから。いいでしょ? それとも桔平に誘われてる?」
「いえ、それはありませんけど……」
「そうよね。パーティが決まったのは昨日だし、わたしが誘わなくても桔平から誘われるわね」
「あの、でも……」
朱実が云いかけているにもかかわらず、愛結は三度め、視線を外すというやり方でさえぎった。
「美奈、この人が桔平お気に入りの朱実さん」
愛結は向かいに座る彼女に話しかけた。
紹介の仕方に戸惑い、朱実は「いえ」と否定しかけたものの、愛結は眼中になく続けた。
「ね、美奈は自信を持っていいんじゃない?」
それはどういう意味だろう。考え至るまえに愛結はテーブルの傍に立つ朱実を見上げた。
「高階さん、最初の日、送ってくれたんだよね?」
「はい」
「ほら。朱実さんがいいんだから美奈がダメなわけないでしょ。高階さんと対等にできると思う。朱実さん、朱実さんがいると美奈が心強いと思うの。だからクリスマスパーティは絶対参加ね」
美奈は愛結に比べたら地味に映るかもしれないが、それは比べる相手を間違っているだけのことで、朱実みたいに並みの容姿のなかにいれば彼女は抜きんでる。要するに、朱実は侮辱されているのだ。それを意図しての発言かといえば疑うまでもなくそのとおりだろう。けれど、侮辱と取るほど朱実はプライドを持っていない。
「愛結、勇気づけてくれるのはいいけど」
美奈は中途半端に言葉を切り、呆れたようにため息をついた。愛結の発言が失礼なことはわかっているようで、朱実に目を向けると。
「ごめんなさいね。愛結に悪気はないの。ただ子供っぽいだけだから」
美奈は朱実に申し訳なさそうに云った。けれど、満更じゃないといったふうに、その微笑には余裕が見えた。
「失礼ね!」
愛結はくちびるを尖らせ、抗議をした。すると。
「そのとおりだろう」
突然、加わってきたのは桔平の声だった。
振り向くと桔平と、その後ろに紫己がいる。来客には気づいていたが、このふたりだとは思わなかった。朱実は慌てて一礼した。
「いらっしゃいませ」
観葉植物と間仕切りのせいで目につかず、そのうえ、ここはちょうど出入り口からは死角になる。愛結は特に変化はないが、美奈のほうは慌てた素振りで立ちあがり、朱実に続いて、こんにちは、と挨拶をした。
「桔平、高階さん、座って」
愛結は、桔平に自分の隣を、紫己に美奈の隣を、それぞれに指差して取り仕切った。
「お水をお持ちします」
うなずくような礼をすると、朱実はすぐさま奥に戻った。
再びウォーターサーバーのまえに立って、コップが水で満ちていくのを見るともなく見ながらため息をつく。
桔平に会うと、ほしかったプレゼントをもらったような気分になる。その日一日が終わるまでという短い時間で消えてしまうが、幸せという感覚を教えられる。一方で、落ち着かない。最低限のメイクが崩れていないかとか、白い襟が歪んでいないかとか、詰まらないことが気になる。
よく見られたいという欲張りは、好きで好かれたいという気持ちがあるからだ。ふさわしくないとか、恋は必要ないとか、そんな朱実のポリシーとは相容れない。
そう云い聞かせても助けにもならず役にも立たず、桔平が来たときからそうであるように水を運ぶときも必要以上に緊張した。
テーブルに行くと、朱実が離れていた間に注文は決まったようで、それを聞きながら書き留めた。その間、視線を感じていたと思うのは自意識過剰がなせる技なのか。そうするのは桔平ではなく――。
「いま聞いたよ。朱実ちゃん、クリスマスパーティ参加してくれるんだって? 断る時間が取れないように、ぎりぎりで誘おうって思ってたのにな。お節介な魔女がいた」
「魔女? それ、あんまりいい響きに聞こえないんだけど」
「あたりまえだ。よけいなお世話だって云ってる」
桔平と愛結の関係は不思議だ。このまえは、わがままだと云いながら桔平は愛結の意に沿った。かと思えば、いまみたいにずばりと突き放す。そんな仕打ちに堪えることなく、愛結は逆におもしろがってくすっと笑う。
何をやっても嫌われることはない。互いにそんなふうに思っているみたいな自信が見える。
案の定、桔平は気が抜けたように小さく笑い、不快感はその顔から一瞬にして消えた。そうして朱実に視線を戻す。
「まあ、朱実ちゃんが来てくれるんならいいけど。みんなが承認だ。キャンセルはナシだよ」
「高階さんも行くでしょ?」
愛結が訊ねると、紫己は朱実から彼女へと目を転じた。
「ああ。付き合いは会社のなかだけでは足りないからな」
朱実はそっと息をつく。ほっとしたのは、やっと紫己の関心が朱実からほかのことに移ったからだ。関心というよりも観察なのかもしれない。それくらい、紫己はじっと朱実を見ていた。
「高階さんて生真面目。めずらしいよね。だれかさんとは大違い」
「遠回しでもなんでもない。だれかさんじゃなくて、おれだってはっきり云えばいい」
桔平は薄笑いをして自ら認めた。
「桔平は自覚してるだけでもマシ」
桔平は呆れて肩をそびやかし、それに対抗するように愛結はふざけて首をすくめる。それからまた紫己へと向かった。
「それで。よかったら、高階さん、彼女――美奈をエスコートしてほしいんだけど。そしたら」
と、途中でいったん口を閉じると、愛結はまえのめりになって声を落とす。
「静華さん対策にも役に立つと思う」
紫己はわずかに顔をしかめ、桔平を見やった。
「おまえ、喋ったのか」
「隠し事とは思わなかった」
「べつに隠し事じゃない。けど、わざわざ云うことでもない。まあ、スキャンダル好きなおまえたちの口をふさぐことなんてできないだろうけどな」
「ひどい云い様だ」
桔平は大げさに手を広げて見せた。紫己は首を振りつつ、口を歪めた。
「確かに、だれか横にいれば彼女避けにはなる」
紫己の言葉を受け、隣に座った美奈は愛結と顔を見合わせてこっそり笑っている。
最初はなんのことかと思ったが、静華を避けるために美奈を利用するということらしい。利用される側の彼女のほうがあからさまに喜んでいる。
静華の気持ちはあからさまで紫己は社交上、それを容認している。あの日、エレベーターのなかで桔平と紫己の会話を聞かなければ、少なくとも朱実は恋人関係だと思ったままかもしれない。内実、紫己はうんざりしている。こういう付き合い方はまったく理解できない。ただ、自分の惨めさを差し置いて朱実は静華を気の毒に思った。
七時間後、いつものとおり、朱実は九時まえくらいに仕事を終わって、ほかの人よりも少しさきにレガーロを出た。
時間もたてば考えも理性的になって、やはりパーティは断ることにした。愛結が派手と云うからには、ちょっとどころではなく本当にちゃんとしたパーティかもしれなかった。壁の花になるのが落ちで、そうなってもかまわないがそのまえに状況を避けるという手もある。
デートの誘いも保留にしたままであり、到底、桔平の付き合いに付き合えそうもないことを考えると、ここできっぱり終わりにしたほうがいいのだ。
そう決意しながら、朱実はため息を漏らす。
「朱実ちゃん」
エレベーターの横を通りすぎる間際、いきなり名前を呼ばれて朱実は悲鳴をあげそうになった。
足を止めて声のしたほうを振り向くと、桔平が階段スペースのところにいて、朱実に向かって手招きをする。すくんだ足がその手に釣られるように動いた。
近くに行くと腕を取られ、桔平は階段スペースのなかに導いた。ここは夜になると特に、利用されることはほぼない。
「……岡田さん?」
「昼間のこと、悪かったね」
「え?」
「愛結だよ。ひどいとまではいかなくても、傷つくようなことを云ってた」
朱実は目を丸くして桔平を見上げた。
「……聞かれてたんですか」
「わりと早くからいた」
愛結の礼儀を欠いた発言よりも、聞かれていたという恥ずかしさのほうが――それが桔平だからこそ――朱実にとっては痛い。それに、なぜ愛結のしたことを桔平が謝る必要があるのかまったくわからない。
「傷ついてません。大丈夫です」
桔平は、それならいいけど、と朱実の様子を窺いながら首を傾けた。
「愛結とおれは義理の兄妹なんだ」
「え?」
「愛結の父親とおれの母親が二年まえ、再婚したんだ。だから義理。といっても、姓は変えてないから普通は他人だと思うだろうけど。再婚当時、おれたちももう子供じゃなかったし、ふたりともそういう選択をした。仲が悪いわけじゃない」
桔平は驚くようなことを告白した。そのせいで、決意が揺らいでしまう。
「……仲が悪くないのはわかります」
朱実がそう云うと、桔平は可笑しそうに笑った。
「パーティ、断ろうって思ってただろう?」
見透かされていた。だからこそ、朱実を説得するのに愛結との関係を打ち明けたのか。
「だれが参加してもいいんだ。畏まることはない」
「でも……」
反論しようとした朱実は、桔平が躰を押しつけてきて中断させられた。
無意識に後ずさりしたが、そこはもう壁で、一歩しかかなわなかった。
桔平は顔を傾け、上体を折る。目を閉じた直後に、ふわりとくちびるがふさがれた。
いま、ファーストキスのようにちょっとでは終わらない。それどころか、舌がくちびるを割って朱実のなかに侵入してくる。上唇をすくって吸いつかれると、躰全体がぷるっとふるえた。
どうやって呼吸をしていいのかままならずに喘いでしまい、口が開くと同時に桔平はすかさず舌を奥へと潜らせた。自由に舐めまわされると、くすぐったくて心地いい。朱実の感覚は痺れるような陶酔を憶えていく。
やがて、桔平はゆっくりと離れていった。
「二十五日はまた待ち合わせしようか。いい?」
朱実は矛盾した自分を持て余している。
気づけばうなずいていた。
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