皇子は愛を秘匿できない~抱き溺れる愚者~

奏井れゆな

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Outro 呪縛はあとのお楽しみ

5.

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「凪乃羽」
 ヴァンフリーの声が聞こえたと同時に、遠くのほうからも凪乃羽の名が連呼された。
 薄らと目が覚めて状況を把握するまでに少しの時間を要し、そうして思いだすとパッと目覚めた。
「ヴァン、わたし……」
「おれの口づけは、眠りの誘惑には惨敗だ」
 ヴァンフリーは凪乃羽を責め、けれどそれはわざとだとわかっている。
「そんなことない」
「そう願っている」
 ヴァンフリーはにやりとして凪乃羽が起きあがるのを手伝った。
「凪乃羽、早く出てきて!」
「でないと、入ってしまうわよ!」
 閨のすぐ向こうからフィリルとエムの声が続いて、凪乃羽を急かす。
 何事かとヴァンフリーに目を向けると、凪乃羽はその姿を見て目を丸くした。
 ヴァンフリーの羽織がいつになく煌びやかだ。臙脂色という基本の色は同じでも、所々に金の糸が織り込まれ、縁取りはそれがふんだんに使われている。
「おまえも着替えろというお達しだ」
「え?」
 どういうことか、訊く暇は与えられず、凪乃羽はヴァンフリーに連れられて廊下に出た。
 すると、今度は待ちかねていたようにフィリルとエムに手を引っ張られて別の部屋に連れていかれる。あれよあれよという間に着ていた服を脱がされ、次にはまた服を着せられる。その後はエムによって髪が結いあげられた。
 自分がどうなっているのか、くちびるに紅《べに》を差されたあと、いざ鏡に映った自分を見せられて凪乃羽は戸惑うことしきりだ。いま躰に纏っている真っ白な服は、上半身が胸のふくらみを強調するようにぴたりとしているのに対して、下半身は腰の高い位置から裾に向かって段々に布が重ねられ、ふわりとしている。
「お母さん、これって……」
「そう。ウエディングドレスよ。昨日、ペンタにお願いして、急いでつくってもらったの。地球の儀式は楽しかったわ。上人の結婚なんて素敵じゃない? 民に見てもらいましょう」
 城下町に行きたいと云いだしたのはフィリルだったが、こんな策略があるとは思いもしなかった。エムも凪乃羽を眺めつつ、フィリルに賛成だとばかりに何度もうなずいている。
「凪乃羽のお披露目としては最高の機会だわ。これはわたくしから皇子妃の証しとして」
 驚きも覚めやらぬうちにエムは凪乃羽の頭にティアラを飾った。
「完璧だわ」
「ヴァンフリー皇子はどんな顔をするかしら」
 自分の言葉にわくわくした様でフィリルは部屋の扉を開けた。
「入っていらっしゃい」
 エムの誘いで部屋に入ったヴァンフリーは探すまでもなく凪乃羽を捉えると、わずかに目を見開き、そうして眩しい光でも当てられたかのように目を細めた。
「ヴァン……どう?」
「云うことはない。――つまり、言葉にできないほど」
 と、中途半端で言葉を切ったヴァンフリーはゆっくりと歩み寄り、凪乃羽の前で上体をかがめ――
「欲情させられる」
 と囁いた。
「ヴァン!」
「聞こえてるわ、ヴァンフリー。はしたないことは民の前では控えなさい」
 エムは至って冷静にヴァンフリーを諭し、凪乃羽は独り顔を赤らめる。
「ヴァンフリー皇子、凪乃羽が生まれたことに感謝することね」
「フィリルに云われるまでもない。ロード・タロが心情まで予知していたとは思わないが、タロの計らいがおれにとって吉と働いたことは確かだ」
「ありがとう」
 フィリルは満面の笑みを浮かべた。ヴァンフリーがタロに不満を持っていたことを懸念していたのだろう、笑みのなかにほっとした安堵も覗く。
「これは私からだ、ヴァンフリー」
 口を出す頃合いを待っていたのか足音がないまま、ヴァンフリーの背後からハングが姿を現した。差しだされた手にあるのは、柄と剣身の繋ぎに紋章のような装飾が施された大剣だ。
「探したんですか」
「おまえが隠したと云っていたあの泉の洞窟に入ったら導かれた」
 ハングは可笑しそうに云う。
「だからこそ、持つべき者が持つのでは?」
「欲がないな。私はしばらくエムと国を観てまわる。統治後の帝国を私は知らないからな。父として、はじめておまえにしてやれることだ。統治に導いたこの剣はおまえが持っておけ。これを持つ者が真の覇者だ」
「そうやって自分は悠々自適、押しつける気ではないでしょうね」
 ヴァンフリーの懸念を聞き、ハングは屈託なく哄笑した。ハングもまた、いま安堵する一人だろう。はじめて会ったときとは別人のように穏やかな気配を放っている。
「時は長い。いずれは戻る。そうせずとも、おまえたちの子が誕生すれば会いたくもなろう?」
「承知しました。フィリルもタロがいる森に戻る。やっと、邪魔者はいなくなった」
 ヴァンフリーは剣を受けとりながら、悪びれることもなく厚顔無恥なことを吐く。
「ヴァン!」
「早く行きましょう。民が待っているんでしょう」
 凪乃羽が咎めたのを無視して、ヴァンフリーは与った剣を腰もとに取りつけながら親たちをさきに促した。
「早く終わらせたいのね」
 フィリルはからかうことを怠らず、三人はさっそく出ていった。
「ヴァン、結婚式って知ってたの?」
「凪乃羽と一緒に昼寝をしてたら叩き起こされた。見世物になる時間だ。だが」
「何?」
「あとでじっくりと楽しませてもらう。覚悟しておけ」
 なんなら――と、魅惑的な様を通り越して、悪の囁きのように声を潜め――
「凪乃羽になら、主導権を握られるのも一興だ。おれを呪縛して、好きなようにしてもいい」
「好きなように、って……」
「おれに愛はあるか?」
「愛しかない」
 凪乃羽は即答するとヴァンフリーはうなずき、それからにやりと口を歪めた。
 抱き寄せたかと思うと、ヴァンフリーは凪乃羽の腰に手をまわして、互いの躰の中心を密着させ――
「あらゆる口づけを望む」
 愚者らしいとでもいうべきか、ヴァンフリーは恥も外聞もない、嫌らしい誘いをほのめかした。
 凪乃羽のほうが恥ずかしくなる時点で不利だと思うけれど――
「あとのお楽しみだ、ずっとあとの。おれたちの愛には永遠が約束されている」
 ヴァンフリーは断固として宣言したあと、契りを交わすように凪乃羽のくちびるにぺたりと口づけた。
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