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Outro 呪縛はあとのお楽しみ
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「フィリルを遠ざけたのは皇帝ではなく母だ。皇帝を自分のすべてとし、ほかのだれにも――娘にも目を向けない。そうやって母はフィリルの永遠を守った。そもそも、フィリルはハングの娘ではない」
「え?」
「母はあのとおりの人だ。ハングが見初めてもおかしくない。戦乱中に捕虜となったが、それ以前に、ある部族の長から無理やり娶られていた。ハングはそのとき身重だった母の意思を確認して連れだした。捕虜といってもハングがそうして戦のなかを同行させたのは、保護すべき者ばかりだった。捕虜という立場に置いておけば襲撃があってもその対象にはならない、安全な場所だったからだ。シュプリムグッドを制覇し、統治へと進んでいる間にフィリルは生まれてハングは母娘ともに囲っていた」
「そのときに、ヴァンはエム皇妃のおなかの中に生まれてきた……憶えてる?」
「さすがに記憶は生まれてからのことしかない」
ヴァンフリーは呆れたように首を振り、答えを聞いた凪乃羽は、そうなの? とがっかりした。
「わたしとヴァンの子、いつ生まれるかわからないってムーンは云ってた。ヴァンがおなかの中にいたときのことを憶えてたら、参考になるかもって思ったのに」
凪乃羽の声には不安が潜んでいる。鋭く察したヴァンフリーは、ブーツを脱ぐと片肘をついて隣に横たわると、凪乃羽の腹部に手を当てた。
「死ぬことはない」
「ヴァンは大丈夫だって云ってくれない。泉でも。みんな云ってくれたのに」
「上人は死ぬことはなくても痛みはある。知っているだろう。それに、出産の経験はなくとも、ラクじゃないという知識は持ってるはずだ」
「……心配してます?」
「そうじゃなかったら、この気持ちはなんだ」
遠回しの云い方に凪乃羽は笑う。
「ヴァンのあの痛みに比べたらきっとなんでもない。……たぶん」
あとから自信なく付け加えると、今度はヴァンフリーが失笑した。
「大丈夫だ」
現金だが、ヴァンフリーが口にしたとたん凪乃羽は心強くなる。うなずくと、うっとりするような微笑が応えた。
「ヴァン、皇帝の呪縛が解けたら……父親といってもどんなふうに接していけばいいのか、距離がわからない感じ。でも、そのときもヴァンがいてくれれば大丈夫って思えそう」
「思えそう、ではなく、思える、だ」
ヴァンフリーは細かく指摘して云い変えた。
「ありがとう、ヴァン。たくさんそう云いたいことをしてもらってる。だから、珈琲はおかえしの贈り物。シュプリムグッドでも珈琲が飲めるようになってうれしい?」
「ああ。楽しみが増えた」
「よかった」
ヴァンフリーは口を歪め――
「さて」
気持ちを切り替えたようにつぶやかれた言葉は思わせぶりだ。
「……何かある?」
「もう一つ、楽しみをくれても惜しくはないだろう。むしろ、おれのほうが与える側ともいえるが」
顔を近づけながら云い放つなり、ヴァンフリーはふたりのくちびるを重ねた。
んっ。
息を整える間もなく凪乃羽は喘いだ。その隙をついて、熱い舌が口の中に入ってくる。そうしながら吸いつかれると、蕩けだす感覚に侵された。口づけは性急でも攻めるのでもない。待ち侘びたすえ、ようやく巡り会えたとばかりに確かめ、戯れ合うようだ。
あまりに甘ったるく、服の裾を捲りあげられていることにも、ヴァンフリーの手が脚から腹部へと這いあがっていることにも気づかず、凪乃羽は突然、胸の先を抓まれてぴくりと背中を浮かせた。放った悲鳴は合わせたくちびるの間でくぐもり、ヴァンフリーが呑みこんだ。
すぐに手は腹部におりていき、愛おしげなしぐさでそこを撫でる。何もかもが緩やかなのは宿る子を気遣ってのことか、凪乃羽はただ心地よくのぼせていく。そんな快楽のなか、舌を甘噛みされて吸いつかれたとたん、意識が融けだしていった。
身を任せるというよりは反応がないことに気づき、ヴァンフリーは吸着音を立てながらおもむろに顔を上げた。
「凪乃羽」
瞼を閉じた凪乃羽は、呼びかけてもぴくりともしない。胸に手を当てれば規則的に上下する。無論、上人である凪乃羽の鼓動が止まるはずもない。
「はっ」
ヴァンフリーの口から、笑みともため息ともつかない吐息が漏れた。
よく眠るのは身ごもっているせいだというのは判明している。皇帝の問題が解消されたいま、心置きなく抱き尽くそうと思うも、母親と姉、そして父親の滞在が邪魔して叶えられていない。
やっとふたりきりになったはずが、今度はふたりの子に邪魔されようとは――。
「すべて手に入れた代償が“お預け”か」
ヴァンフリーは力尽きたように笑い、独りごちた。
子を望んだのは、ヴァンフリーの心底の成り行きだ。意図も疾しさもない。
フィリルの身に起こったことでローエンに禍が降りかかろうと、それは身から出た錆だとしか思っていなかった。ローエンから、その禍が二十三番めの存在によってもたらされると聞いたときに、夢と結びつけ、はじめてそれがフィリルとローエンの間に生まれた子ではないかと見当がついた。
本来はヴァンフリーの立ち位置であるローエンの子――凪乃羽はだが、何よりもフィリルの子であった。
ローエンのことは父として憧憬していた頃もあったが、大層、大事にしていた剣がローエンのものではないと知ったとき、その気持ちは消えた。上人を支配し、のさばるだけの皇帝は不要であり、それなら、ローエンを皇帝の座から引きずりおろし、真の自由という勝利を得る。凪乃羽を探しだしたときのその勝利した感覚はすぐに薄れた。
あとは凪乃羽に打ち明けたとおりだ。
さきは長い。それ以上に、永遠だ。いくらでも抱く時間はあるが、そうしたい気持ちには落差があるとしか思えないほど、凪乃羽の寝顔は安らかで満ち足りているように見えた。
ヴァンフリーは凪乃羽の顔を見つめて再びため息をつくとその躰に布をかけ、自らも横になって目を閉じた。
「え?」
「母はあのとおりの人だ。ハングが見初めてもおかしくない。戦乱中に捕虜となったが、それ以前に、ある部族の長から無理やり娶られていた。ハングはそのとき身重だった母の意思を確認して連れだした。捕虜といってもハングがそうして戦のなかを同行させたのは、保護すべき者ばかりだった。捕虜という立場に置いておけば襲撃があってもその対象にはならない、安全な場所だったからだ。シュプリムグッドを制覇し、統治へと進んでいる間にフィリルは生まれてハングは母娘ともに囲っていた」
「そのときに、ヴァンはエム皇妃のおなかの中に生まれてきた……憶えてる?」
「さすがに記憶は生まれてからのことしかない」
ヴァンフリーは呆れたように首を振り、答えを聞いた凪乃羽は、そうなの? とがっかりした。
「わたしとヴァンの子、いつ生まれるかわからないってムーンは云ってた。ヴァンがおなかの中にいたときのことを憶えてたら、参考になるかもって思ったのに」
凪乃羽の声には不安が潜んでいる。鋭く察したヴァンフリーは、ブーツを脱ぐと片肘をついて隣に横たわると、凪乃羽の腹部に手を当てた。
「死ぬことはない」
「ヴァンは大丈夫だって云ってくれない。泉でも。みんな云ってくれたのに」
「上人は死ぬことはなくても痛みはある。知っているだろう。それに、出産の経験はなくとも、ラクじゃないという知識は持ってるはずだ」
「……心配してます?」
「そうじゃなかったら、この気持ちはなんだ」
遠回しの云い方に凪乃羽は笑う。
「ヴァンのあの痛みに比べたらきっとなんでもない。……たぶん」
あとから自信なく付け加えると、今度はヴァンフリーが失笑した。
「大丈夫だ」
現金だが、ヴァンフリーが口にしたとたん凪乃羽は心強くなる。うなずくと、うっとりするような微笑が応えた。
「ヴァン、皇帝の呪縛が解けたら……父親といってもどんなふうに接していけばいいのか、距離がわからない感じ。でも、そのときもヴァンがいてくれれば大丈夫って思えそう」
「思えそう、ではなく、思える、だ」
ヴァンフリーは細かく指摘して云い変えた。
「ありがとう、ヴァン。たくさんそう云いたいことをしてもらってる。だから、珈琲はおかえしの贈り物。シュプリムグッドでも珈琲が飲めるようになってうれしい?」
「ああ。楽しみが増えた」
「よかった」
ヴァンフリーは口を歪め――
「さて」
気持ちを切り替えたようにつぶやかれた言葉は思わせぶりだ。
「……何かある?」
「もう一つ、楽しみをくれても惜しくはないだろう。むしろ、おれのほうが与える側ともいえるが」
顔を近づけながら云い放つなり、ヴァンフリーはふたりのくちびるを重ねた。
んっ。
息を整える間もなく凪乃羽は喘いだ。その隙をついて、熱い舌が口の中に入ってくる。そうしながら吸いつかれると、蕩けだす感覚に侵された。口づけは性急でも攻めるのでもない。待ち侘びたすえ、ようやく巡り会えたとばかりに確かめ、戯れ合うようだ。
あまりに甘ったるく、服の裾を捲りあげられていることにも、ヴァンフリーの手が脚から腹部へと這いあがっていることにも気づかず、凪乃羽は突然、胸の先を抓まれてぴくりと背中を浮かせた。放った悲鳴は合わせたくちびるの間でくぐもり、ヴァンフリーが呑みこんだ。
すぐに手は腹部におりていき、愛おしげなしぐさでそこを撫でる。何もかもが緩やかなのは宿る子を気遣ってのことか、凪乃羽はただ心地よくのぼせていく。そんな快楽のなか、舌を甘噛みされて吸いつかれたとたん、意識が融けだしていった。
身を任せるというよりは反応がないことに気づき、ヴァンフリーは吸着音を立てながらおもむろに顔を上げた。
「凪乃羽」
瞼を閉じた凪乃羽は、呼びかけてもぴくりともしない。胸に手を当てれば規則的に上下する。無論、上人である凪乃羽の鼓動が止まるはずもない。
「はっ」
ヴァンフリーの口から、笑みともため息ともつかない吐息が漏れた。
よく眠るのは身ごもっているせいだというのは判明している。皇帝の問題が解消されたいま、心置きなく抱き尽くそうと思うも、母親と姉、そして父親の滞在が邪魔して叶えられていない。
やっとふたりきりになったはずが、今度はふたりの子に邪魔されようとは――。
「すべて手に入れた代償が“お預け”か」
ヴァンフリーは力尽きたように笑い、独りごちた。
子を望んだのは、ヴァンフリーの心底の成り行きだ。意図も疾しさもない。
フィリルの身に起こったことでローエンに禍が降りかかろうと、それは身から出た錆だとしか思っていなかった。ローエンから、その禍が二十三番めの存在によってもたらされると聞いたときに、夢と結びつけ、はじめてそれがフィリルとローエンの間に生まれた子ではないかと見当がついた。
本来はヴァンフリーの立ち位置であるローエンの子――凪乃羽はだが、何よりもフィリルの子であった。
ローエンのことは父として憧憬していた頃もあったが、大層、大事にしていた剣がローエンのものではないと知ったとき、その気持ちは消えた。上人を支配し、のさばるだけの皇帝は不要であり、それなら、ローエンを皇帝の座から引きずりおろし、真の自由という勝利を得る。凪乃羽を探しだしたときのその勝利した感覚はすぐに薄れた。
あとは凪乃羽に打ち明けたとおりだ。
さきは長い。それ以上に、永遠だ。いくらでも抱く時間はあるが、そうしたい気持ちには落差があるとしか思えないほど、凪乃羽の寝顔は安らかで満ち足りているように見えた。
ヴァンフリーは凪乃羽の顔を見つめて再びため息をつくとその躰に布をかけ、自らも横になって目を閉じた。
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