皇子は愛を秘匿できない~抱き溺れる愚者~

奏井れゆな

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Outro 呪縛はあとのお楽しみ

2.

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「凪乃羽、皇帝への呪縛が解けたとしても大丈夫よ」
 フィリルは根拠が確かにあるかのごとく、凪乃羽を力づける。
「ほんとに?」
「そう。凪乃羽は力の使い方がわからないのではなくて、安心できないから解けていないだけ。皇帝が横暴であるかぎり呪縛は続くし、解けたときも、皇帝に魔が差すようなことがあったらまた凪乃羽によって呪縛が発動される。力とはそういう意思が働いた結果よ」
 フィリルが云ったことは、ひとまず凪乃羽を安心させた。
「つまり、凪乃羽を怒らせないことだ」
「ヴァンフリー、貴方も例外じゃなくてよ? 浮気でもしようものなら、いくら一瞬にして消えることができるとしても、凪乃羽の呪縛にかかったらそれも無理なんじゃないかしら」
 エムは母親ぶりを発揮してヴァンフリーに釘を刺した。
 凪乃羽はヴァンフリーの“失言”を思いだした。不特定多数の女性と関わったことをほのめかしたことがある。凪乃羽は頭を傾け、ヴァンフリーを覗きこんでみた。そうしたところで、ヴァンフリーの思考が見抜けるはずもない。
 逆に、ヴァンフリーは見透かすように笑った。周囲の失笑を耳にしても、それを跳ね返すようにわずかに顎をしゃくってあしらっている。
「母上の云う浮気の定義はわかりませんが、単純に解釈するなら、そもそもだれかに執心したこともない。よって、いかにも浮気の常習者のように云われるのは心外です。凪乃羽には凪乃羽しかなれない」
「まったく、こっちが恥ずかしくなるわ」
 ラヴィが茶々を入れると、フィリルがくすくすと笑う。
「ヴァンフリー皇子の愚か者ぶりは見せかけなのよね。愚かじゃなく、その反対で賢い。そんなふうに演じられるくらい理性的だから、めったなことでは入れ込まない。そうでしょう?」
「それは、凪乃羽に対してそうあってほしいという、母親としての希望なのか?」
「姉としてもね」
「はっ、さすがに姉上だと云っておこう」
「凪乃羽はわたくしの孫でもあるのだから、間違いを起こそうものなら覚悟なさい」
 初見のときにエムから感じた冷ややかさはすっかりなくなった。そのときは、ただ毅然として見えるよう振る舞っていたのだろう。ここでは、凪乃羽はローエンの娘としてではなく、フィリルの娘として歓迎されている。いまのエムの言葉でそんなふうに確信が持てた。
「おれをだれの子だと思っているんですか。数えきれないほどの時を経て、奪い返した男と、それを待ちわびていた女、そのふたりの子供ですよ」
「加えてもう一つ、ヴァンフリーと凪乃羽には離れられない理由がある。フィリル、そうだろう?」
 タロが口を挟み、同意を求められたフィリルはすぐに思い立ったようで、悪戯っぽく笑った。
「はい。すべては天啓から始まったわ。あの日、タロ様が選んだカードは二十三番めで、出たカードはわたし――運命の輪だった。二十三番めは一周して輪にする存在、つまり、〇番と二十三番めは重なる存在で離れられないの」
 凪乃羽が驚く傍らで、ヴァンフリーは興じた気配を消して気に喰わないとばかりに顔をしかめた。
「ロード・タロ、一連の苦難は貴方が仕組んだことだと?」
 ヴァンフリーは二日前と同じようにタロを責め立てた。
 タロは吐息を漏らしてゆっくりと首を横に振った。
「フィリルが見る天啓は私の手を離れている。知っているだろう、私の力は、ローエンが選びあげた上人たちにゆだねた。残ったのは魂のみ、それをワールに宿したのだ。ローエンに対抗するにはそれしか方法はなかった」
「だからといって、凪乃羽とヴァンフリーを利用するなんて、わたしの知っているタロ様ではないわ」
 批難めいたフィリルの言葉がよほど身に堪えたのか、タロはあからさまに肩を落とした。
「どうかしていた。それは認めよう。ヴァンフリーの云うとおり、崖から落ちたあのときのように、私はおまえの傍についていればよかったのだ」
「それなら、最初からやり直すべきでしょう?」
「森に戻ってくれるか」
「区切りがついたら。それでかまいませんか」
 フィリルはちらりと凪乃羽を見やった。どこか思惑ありげだが、すぐにタロに目を戻して悪戯っぽく微笑んだ。ずっと憂いを帯びていたタロの表情はわずかに晴れた。
 上人も、その上にいた神も心情は人と変わりないようだ。
「堕落するべき時がやっと来た」
 感慨深く口にしたタロと違い、フィリルはただ可笑しそうに笑いだした。
「でもタロ様」
 微笑ましいような光景に一件落着といった安堵感が漂うなか、ムーンは不思議そうに首をかしげる。
「どうした」
「ヴァンフリー皇子と凪乃羽の子供は二十四番めだよ。飛びだしちゃいそうだけど」
「なるほど。だが、愛のもとに生まれてくる子だ。輪をそこで結びつけてくれる」
「素敵だわ。それはぜひとも聖典に記しておかなくては」
 ラヴィの母、プリエスが真っ先にはしゃぐような声をあげた。新しい上人の逸話を史上にどう表そうと考えあぐねていた彼女は、いたく感嘆した様子で独り何度もうなずいている。
「いつ生まれるの?」
 スターはムーンに期待に満ちた顔を向けた。
 凪乃羽が身ごもっていることを、いち早く察していたのはムーンだった。月の満ち欠けが人に影響することは、凪乃羽も聞いたことがある。意味深だったムーンの言葉もいまになって符合した。
「生まれてもいいくらい大きくなったら生まれるよ」
 ムーンの答えはいかにも適当だ。凪乃羽の知識によれば十月十日《とつきとおか》だが、それにはおさまらないような曖昧さを感じつつ、ムーンの口調からはそうなる根拠も覗ける。
「ムーン、どれくらいしたら生まれるって決まってないの?」
「わからないよ。上人から生まれた上人はヴァンフリーだけだし、皇帝はハングの子だって最初は知らなかったわけだろう。ハングが囚われたあとに生まれて……民に比べるとずいぶんと遅くに生まれたよ。どれくらいって訊かれても、昔のことだし、わからないけど」
 最後にムーンは、おそらく来るだろう質問を予測し、先回りして答えた。そして、唯一、上人として子を産んだエムを見やると首をかしげた。
 そうして無言の問いを向けられたエムは宙に目をやり、遙か昔のことに思いを馳せ、それからムーンに向かうと同じように首をかしげた。
「そう、フィリルのときよりも、身ごもっていると感じてから胎動を感じたり、おなかがふくらんだり、生まれてくるまでに時間がかかったわ」
「なんだかたいへんそう」
 凪乃羽が戸惑いつつ本音を漏らすと――
「大丈夫」
 と、口をそろえたようにいくつもその言葉が重なった。そのあとには、自分がついてるといった心強くなるせりふが口々に発せられた。
 そのなかでフィリルが慮った様子で凪乃羽を見つめる。
「上人に限って死ぬことはないけど、たいへんなことには変わりないわ。今夜は城下町にお出かけすることだし、ヴァンフリー、凪乃羽は少し休ませてあげて」
「ああ、そうしよう」
 ヴァンフリーは立ちあがり、凪乃羽がそうするのを腕に手を添えて手伝った。
 城下町におりて、民のにぎわいに加わって楽しみたいと云いだしたのはフィリルだ。実際にフィリルとワールが現れれば大騒ぎになりそうだけれど、それさえも楽しむ気だろう。あとで、と言葉を交わしてひとまず別れた。
 永遠の子供たちが道案内を率先して、ヴァンフリーと凪乃羽は一瞬のうちにウラヌス邸に戻った。
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