皇子は愛を秘匿できない~抱き溺れる愚者~

奏井れゆな

文字の大きさ
上 下
80 / 83
Outro 呪縛はあとのお楽しみ

2.

しおりを挟む
「凪乃羽、皇帝への呪縛が解けたとしても大丈夫よ」
 フィリルは根拠が確かにあるかのごとく、凪乃羽を力づける。
「ほんとに?」
「そう。凪乃羽は力の使い方がわからないのではなくて、安心できないから解けていないだけ。皇帝が横暴であるかぎり呪縛は続くし、解けたときも、皇帝に魔が差すようなことがあったらまた凪乃羽によって呪縛が発動される。力とはそういう意思が働いた結果よ」
 フィリルが云ったことは、ひとまず凪乃羽を安心させた。
「つまり、凪乃羽を怒らせないことだ」
「ヴァンフリー、貴方も例外じゃなくてよ? 浮気でもしようものなら、いくら一瞬にして消えることができるとしても、凪乃羽の呪縛にかかったらそれも無理なんじゃないかしら」
 エムは母親ぶりを発揮してヴァンフリーに釘を刺した。
 凪乃羽はヴァンフリーの“失言”を思いだした。不特定多数の女性と関わったことをほのめかしたことがある。凪乃羽は頭を傾け、ヴァンフリーを覗きこんでみた。そうしたところで、ヴァンフリーの思考が見抜けるはずもない。
 逆に、ヴァンフリーは見透かすように笑った。周囲の失笑を耳にしても、それを跳ね返すようにわずかに顎をしゃくってあしらっている。
「母上の云う浮気の定義はわかりませんが、単純に解釈するなら、そもそもだれかに執心したこともない。よって、いかにも浮気の常習者のように云われるのは心外です。凪乃羽には凪乃羽しかなれない」
「まったく、こっちが恥ずかしくなるわ」
 ラヴィが茶々を入れると、フィリルがくすくすと笑う。
「ヴァンフリー皇子の愚か者ぶりは見せかけなのよね。愚かじゃなく、その反対で賢い。そんなふうに演じられるくらい理性的だから、めったなことでは入れ込まない。そうでしょう?」
「それは、凪乃羽に対してそうあってほしいという、母親としての希望なのか?」
「姉としてもね」
「はっ、さすがに姉上だと云っておこう」
「凪乃羽はわたくしの孫でもあるのだから、間違いを起こそうものなら覚悟なさい」
 初見のときにエムから感じた冷ややかさはすっかりなくなった。そのときは、ただ毅然として見えるよう振る舞っていたのだろう。ここでは、凪乃羽はローエンの娘としてではなく、フィリルの娘として歓迎されている。いまのエムの言葉でそんなふうに確信が持てた。
「おれをだれの子だと思っているんですか。数えきれないほどの時を経て、奪い返した男と、それを待ちわびていた女、そのふたりの子供ですよ」
「加えてもう一つ、ヴァンフリーと凪乃羽には離れられない理由がある。フィリル、そうだろう?」
 タロが口を挟み、同意を求められたフィリルはすぐに思い立ったようで、悪戯っぽく笑った。
「はい。すべては天啓から始まったわ。あの日、タロ様が選んだカードは二十三番めで、出たカードはわたし――運命の輪だった。二十三番めは一周して輪にする存在、つまり、〇番と二十三番めは重なる存在で離れられないの」
 凪乃羽が驚く傍らで、ヴァンフリーは興じた気配を消して気に喰わないとばかりに顔をしかめた。
「ロード・タロ、一連の苦難は貴方が仕組んだことだと?」
 ヴァンフリーは二日前と同じようにタロを責め立てた。
 タロは吐息を漏らしてゆっくりと首を横に振った。
「フィリルが見る天啓は私の手を離れている。知っているだろう、私の力は、ローエンが選びあげた上人たちにゆだねた。残ったのは魂のみ、それをワールに宿したのだ。ローエンに対抗するにはそれしか方法はなかった」
「だからといって、凪乃羽とヴァンフリーを利用するなんて、わたしの知っているタロ様ではないわ」
 批難めいたフィリルの言葉がよほど身に堪えたのか、タロはあからさまに肩を落とした。
「どうかしていた。それは認めよう。ヴァンフリーの云うとおり、崖から落ちたあのときのように、私はおまえの傍についていればよかったのだ」
「それなら、最初からやり直すべきでしょう?」
「森に戻ってくれるか」
「区切りがついたら。それでかまいませんか」
 フィリルはちらりと凪乃羽を見やった。どこか思惑ありげだが、すぐにタロに目を戻して悪戯っぽく微笑んだ。ずっと憂いを帯びていたタロの表情はわずかに晴れた。
 上人も、その上にいた神も心情は人と変わりないようだ。
「堕落するべき時がやっと来た」
 感慨深く口にしたタロと違い、フィリルはただ可笑しそうに笑いだした。
「でもタロ様」
 微笑ましいような光景に一件落着といった安堵感が漂うなか、ムーンは不思議そうに首をかしげる。
「どうした」
「ヴァンフリー皇子と凪乃羽の子供は二十四番めだよ。飛びだしちゃいそうだけど」
「なるほど。だが、愛のもとに生まれてくる子だ。輪をそこで結びつけてくれる」
「素敵だわ。それはぜひとも聖典に記しておかなくては」
 ラヴィの母、プリエスが真っ先にはしゃぐような声をあげた。新しい上人の逸話を史上にどう表そうと考えあぐねていた彼女は、いたく感嘆した様子で独り何度もうなずいている。
「いつ生まれるの?」
 スターはムーンに期待に満ちた顔を向けた。
 凪乃羽が身ごもっていることを、いち早く察していたのはムーンだった。月の満ち欠けが人に影響することは、凪乃羽も聞いたことがある。意味深だったムーンの言葉もいまになって符合した。
「生まれてもいいくらい大きくなったら生まれるよ」
 ムーンの答えはいかにも適当だ。凪乃羽の知識によれば十月十日《とつきとおか》だが、それにはおさまらないような曖昧さを感じつつ、ムーンの口調からはそうなる根拠も覗ける。
「ムーン、どれくらいしたら生まれるって決まってないの?」
「わからないよ。上人から生まれた上人はヴァンフリーだけだし、皇帝はハングの子だって最初は知らなかったわけだろう。ハングが囚われたあとに生まれて……民に比べるとずいぶんと遅くに生まれたよ。どれくらいって訊かれても、昔のことだし、わからないけど」
 最後にムーンは、おそらく来るだろう質問を予測し、先回りして答えた。そして、唯一、上人として子を産んだエムを見やると首をかしげた。
 そうして無言の問いを向けられたエムは宙に目をやり、遙か昔のことに思いを馳せ、それからムーンに向かうと同じように首をかしげた。
「そう、フィリルのときよりも、身ごもっていると感じてから胎動を感じたり、おなかがふくらんだり、生まれてくるまでに時間がかかったわ」
「なんだかたいへんそう」
 凪乃羽が戸惑いつつ本音を漏らすと――
「大丈夫」
 と、口をそろえたようにいくつもその言葉が重なった。そのあとには、自分がついてるといった心強くなるせりふが口々に発せられた。
 そのなかでフィリルが慮った様子で凪乃羽を見つめる。
「上人に限って死ぬことはないけど、たいへんなことには変わりないわ。今夜は城下町にお出かけすることだし、ヴァンフリー、凪乃羽は少し休ませてあげて」
「ああ、そうしよう」
 ヴァンフリーは立ちあがり、凪乃羽がそうするのを腕に手を添えて手伝った。
 城下町におりて、民のにぎわいに加わって楽しみたいと云いだしたのはフィリルだ。実際にフィリルとワールが現れれば大騒ぎになりそうだけれど、それさえも楽しむ気だろう。あとで、と言葉を交わしてひとまず別れた。
 永遠の子供たちが道案内を率先して、ヴァンフリーと凪乃羽は一瞬のうちにウラヌス邸に戻った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

処理中です...