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Outro 呪縛はあとのお楽しみ

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 森のなか、木々に囲まれた原っぱは、穏やかな日和と相まって和気あいあいとした時が流れていた。凪乃羽にとっては今日が初見の上人もいる。けれど、気心が知れた間柄のように居心地は申し分ない。風に葉がそよいだり、水のせせらぎだったり、それらが癒やしをもたらしていることも心地よさの要因だろう。
「んー、いい香りですね」
 茶器に鼻を近づけ、ランスとタワーが口をそろえて云い――
「これ、本当に飲めるの? 腐りきった色にしか見えないけど?」
 ラヴィは難癖をつけて茶器を覗きこみ――
「不思議なものだな。香りと味が合っていない」
 茶器に口づけて中身を舌にのせたハングは宙を見て味わう。
「こういうのを美味しいって云うの?」
「苦くて飲めないや」
「ほんと、皇子の好み、ヘンじゃない?」
 それぞれが感想を述べ、締め括りに永遠の子供たちがばっさりと切った。
 それがあたりまえにあった世界では聞けなかった、『腐りきった色』という表現には笑わせられる。黒い飲み物はシュプリムグッドに存在しない。葡萄酒も黒に近く濃い色だけれど、光が差せば葡萄の色が透けて見える。
 好んでそれを口にしていたヴァンフリーは、可笑しそうにして薄く笑った。
「少しもヘンじゃない。向こうでは、香りだけで気分をよくする効果があると云っていた。おれも香りに惹かれて飲み始めた」
「そうよ。これを楽しめないなんて悲劇だわ。そのうち慣れたら、逆にやめられなくなるの、きっとね」
 フィリルがヴァンフリーの加勢をして希望的観測を宣言した。
 凪乃羽が生まれ育った世界にあたりまえにあった珈琲の木は、通常は成木になるまでに数年かかるところをランスとタワーによって急速に成長させられた。実は赤く色づいて、もう収穫まで漕ぎ着けた。
 珈琲の実から豆を取りだして天日干ししたり焙煎したり、時間のかかる様々な工程はほぼ上人たちの力を借りた。そうして、レーツェルの泉を前にしてお茶会を開くに至っている。天然の緑の絨毯に腰をおろしたり、立ったままだったり、上人たちは思い思いに満喫している様子だ。
「ですが」
 と、立ったままのランスは困った顔で、地に座りこんだフィリルを見やる。
「なあに?」
 フィリルが問うと、ランスは収穫した実の残りが入った籠を覗きこんだ。
「珈琲の実はあとこれだけですよ。味に慣れるためにはもっと多く豆が取れなくては。珈琲の木、一本から取れるのは一人当たり二杯分でしょうか」
「ランス、だったら木を増やしましょう。単純なことよ」
 フィリルは上人ゆえなのか、知未だった頃には考えられない気軽さで提案を出した。
 ランスとタワーは上体をのけ反らせるように顔を引き、滑稽なほど困惑ぶりをあらわにした。
 実のところ、はじめて珈琲の木を育てるに当たって、ランスとタワーは枯れないように、あるいは早く成長するように、ローエンを巡る騒動の裏で付きっきりで世話をしていた。寒暖の調整など試行錯誤があり、単純ではなかったことをついさっき聞かされたばかりだ。
「ついでに、民にも伝授したらどうだろう」
「あら、それはいい考えね。さすが、わたくしの息子だわ」
 エロファン、そしてエロファンを褒め称えた母親のストンは確か食物を統べる上人だ。
 民の間では、フィリルとワールが姿を現したという噂が巡り、呪いも含めて上人たちの異変はだれかの悪戯な噂話だったと解釈され、城下町にはもとのにぎわいが戻ったという。いまに限っては、お祭り騒ぎのように浮かれた雰囲気もあるようだ。そこに、上人からの新しい食の贈り物となれば楽しみが加わり、さらに心も躍るだろう。
「そうしたら、ランスもタワーも助かりますね」
 凪乃羽の言葉に、ふたりはそろってこっくりとうなずいた。育てるのはやはり面倒だったのか、それとも神経をすり減らす作業に辟易しているのか、その様子は大真面目で乗り気だ。
 水のせせらぎと笑いさざめく声が混じり合って、長閑な音が奏でられる。
「凪乃羽、さっそく民を利用する気か。確か、上人は面倒くさがりでわがままだと云っていたな。面倒なことは民に任せると?」
 最後、ヴァンフリーはあからさまに揶揄する。
 凪乃羽はすぐ隣を見やってかすかに口を尖らせた。
「面倒くさがりなんて云ってない」
「思ってるだろう」
「そんなことない。面倒くさがらずに、ヴァンはわたしの気分ややりたいことに付き合ってくれた。子供たちもランスもタワーも」
 凪乃羽が弁明しているうちに、ヴァンフリーは堪えきれないといった様で可笑しそうにした。
「云い訳をしなくてもわかっている。単純に珈琲が広まればいいと思ったうえで、ランスとタワーの労力に配慮したにすぎない」
「……わかってからかってる?」
 ヴァンフリーはにやりとして、無言のうちに認める。
「そういう睦言はねやでやったら? ヴァンフリーが無駄に傷を負うくらい、ばかみたいに愛があるってことは見せびらかさなくても、うんざりするほどわかってるから」
 ラヴィらしく、つんとした云い方はいくつもの失笑を誘う。凪乃羽が戸惑う横で、ヴァンフリーは平然と鼻先で笑ってあしらった。
「ねぇ、この珈琲ってさ、ローエン皇帝に飲ませたらどうなんだ? 気分よくなるんだろう」
「しっ。サン、皇帝の名前は……」
「サンもムーンも、きっと名前を云っても大丈夫。だって、ローエン皇帝は玉座から動けないんでしょう? ね、皇子」
 スターから答えを求められたヴァンフリーは肩をすくめた。
 ヴァンフリーが流した大量の血は幻想だったのかと思うくらい、翌日、傷を見たときにはきれいにふさがっていた。それが凪乃羽の力だと云われても、実感はまるでない。きょとんとした凪乃羽を見てヴァンフリーは笑っていた。
「そのようだな」
 凪乃羽を流し目で見やったヴァンフリーは、何か云いたげにくちびるを歪めた。明らかにおもしろがっている。
「力の使い方がわからなくて、そのままになってるだけ。いつか解けたときが怖いかも」
 凪乃羽は冗談半分でおどけて肩をすくめる。半分は本気でそんな不安を抱えている。
 何もかもが明らかになったのは、たった二日前のことだ。ローエンが父親だとわかっての様々な衝撃は薄れつつも尾を引いている。
 民にとどまらず上人からも怖れられている、あるいは嫌われている人が父親だった衝撃は、薄れても事実は変わらない。凪乃羽自身が忌み嫌われていないとしても、生まれた経緯は、ローエンが残忍で身勝手で最低な気質だという証明でしかない。ヴァンフリーははじめからそれを知っていて、それでも凪乃羽を守って――身を挺してまで守ってくれたこと、それ以上に“愛のもと”に子供を授かったことで、凪乃羽まで疎んじられる対象とはならないことを教えてくれた。
 フィリルとエムの凪乃羽に対する接し方も衝撃をなだめた。
 いまウラヌス邸にはフィリルがいて、そのフィリルを追うようにエムがいて、またそのエムを追ってハングがいる。三人ともローエンを憎んで当然だ。それなのに、凪乃羽を交えて話しているときにも邪険にすることがない。むしろ、シュプリムグッドでどうすごしてきたか、地球でどうだったか、女ばかりだと特にそんな会話が弾む。ヴァンフリーに云わせれば、会話というよりは“お喋り”だそうだ。
 この二日の間にいろんなことを考えているけれど、最も尾を引いているのは、ローエンが凪乃羽の父親であることは永遠に、まさに永遠にそれは変わらないということだった。
 父である私を抹殺するのか。ローエンはそう凪乃羽に問うた。だれに対しても抹殺など考えたこともない。ただ、抹殺しないまでも、ローエンはいま身動きができない。影さえも玉座から離れられないのだ。それが解けたとき、ローエンは凪乃羽に、もしくは凪乃羽以外のだれかにどんな仕打ちをするだろう。
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