上 下
76 / 83
終章 赤裸の戀

7.

しおりを挟む
 これ以上、ヴァンフリーを傷つけるなど許さない。そんな意を持って心底から叫んだとき、凪乃羽は腹部の奥に火がともったような感触を覚えた。小さな熱は血流に乗って、瞬く間に躰中を巡る。それは、きっかけは抱かれたり口づけだったり、その幾度か経験した熱と同じだった。
「凪乃羽」
 熱は体温としてヴァンフリーに伝わっているのか、気遣わしげな声が凪乃羽を呼ぶ。
「熱い、の……」
 視界が潤んでいるのは熱のせいか、かすかにうなずいたヴァンフリーの向こうに、伸しかかるように身をかがめてくるローエンの影が映りこむ。
 ローエンは手に力を込める。そうすれば剣はヴァンフリーの躰にのめり込んでいくはずが、思うようにはならなかった。そこに頑丈な盾があるかのように痞えている。
 ぬ……。
 ローエンが唸ったとき――
 だめ!
 三度めは熱に囚われて言葉にならず、そのかわりに内心の叫びが解放の合図であったかのように熱が外へと迸った。
「ふ――」
 ローエンの口から、思いも寄らないといった面食らった吐息が漏れる。
 ローエンは剣から手を放し、かがめた身を起こして後ずさる。動いているのはローエンの意思ではなかった。凪乃羽とヴァンフリーには見えなかったが、その他の立会人たちの目には、さながら操人形と化して身のこなしはぎこちなく映っていた。
 そうして見えたものはもう一つ。
「凪乃羽……」
「フィリル!」
 ヴァンフリーの呼びかけは、多数の声に、さらには同じ名を発してさえぎられた。
「どなたか、ヴァンフリー皇子から剣を抜いてあげて」
 夢で聞いた声は、驚きの残響のなかいたわり深く響いた。
「デスティ」
 呆然と時間が止まったような気配のなか、鋭く発したのはハングだった。
「御意」
 足音が近づいてきてほんの傍で止まる。
 ヴァンフリーの肩越しに見ると、名を呼ぶだけでハングの命を理解し従ったデスティがそびえるように立っていた。
「ヴァンフリー皇子、よいか」
「ヴァン!」
「凪乃羽、大丈夫、だ……話しただろう、デスティは、闘いの達人、だ。急所を、知悉《ちしつ》している、ぶん……痛みを、軽減できる」
 ヴァンフリーは問うようにかすかに首をひねり、凪乃羽がうなずくのを待って、「デスティ、やって、くれ」と促した。
 いくら軽減できるとはいえ、痛覚が麻痺するわけではない。早速、デスティは実行したのだろう、ヴァンフリーは顔を引きつらせてかすかに呻いた。
 その痛みが伝染したように凪乃羽は顔をしかめた。痛みを取り去ることはできなくても、和らげることくらいできたらいいのに――と、そう思うよりもさきに凪乃羽は手を差し伸べていた。
 ヴァンフリーを貫いていた剣が徐々に引っこんで、剣先が短くなっていく。傷をかばうように腹部に当てていたヴァンフリーの手に手を重ねた。剣を握りしめていたその手は赤く濡れている。
 そうして、熱を帯びたと感じたのは気のせいか、重ねただけでわかった手の甲のこわばりが、ふと消えた。呻き声もしなくなり、凪乃羽の手の下からするりと抜けだした手は逆に凪乃羽の手の甲をくるんだ。
 伏せていた目を上向けてヴァンフリーを見上げると、どこか驚いたような眼差しが凪乃羽を見下ろしていた。
「ヴァン、ケガは……」
 大丈夫かと云いかけた凪乃羽をさえぎったのは、驚きから一転、可笑しそうにしたヴァンフリーの笑みだった。
「少なくとも、痛みはなくなった」
 ほかに何かあるのか、ヴァンフリーは『少なくとも』と前置きをした。痛みがないという言葉どおりに、先刻までの途切れ途切れの云い方はなくなり、話し方は至ってなめらかだ。
「もう少しだ」
 なんのことか、ヴァンフリーの言葉が理解できたのは――
「いいぞ」
 と、デスティが告げたときだ。慎重に引き抜かれていた剣がヴァンフリーの躰から取り去られたのだ。
 ヴァンフリーは大きく息をついた。ゆっくりと上体を起こしていきながら、繋いだ手を引いて凪乃羽の躰を引っ張りあげていく。すると、凪乃羽の腹部から、はらりと何かが落ちた。ヴァンフリーは空いた手でそれ――カードを拾う。
 ふたりは頭を突き合わせ、覗きこんでみる。予想したとおりタロットカードで、絵柄は運命の輪だった。裏返すと、凪乃羽が夢で見たカードと同じで真っ青の巨大な星が描かれている。ただ、夢にはなかった、引っ掻いたような傷が真ん中にある。
 ヴァンフリーはハッとして振り返った。
「フィリル?」
「ヴァンフリー皇子、ごきげんよう。そのとおり、それはわたしのカードよ。赤ん坊を守れたかしら」
「赤ん坊?」
「そう、凪乃羽のおなかにいる赤ん坊よ」
 怪訝そうにしたヴァンフリーの問いに、ともすれば無邪気そうにも見えるようなしぐさでフィリルは首をかしげた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

小野寺社長のお気に入り

茜色
恋愛
朝岡渚(あさおかなぎさ)、28歳。小さなイベント企画会社に転職して以来、社長のアシスタント兼お守り役として振り回される毎日。34歳の社長・小野寺貢(おのでらみつぐ)は、ルックスは良いが生活態度はいい加減、デリカシーに欠ける困った男。 悪天候の夜、残業で家に帰れなくなった渚は小野寺と応接室で仮眠をとることに。思いがけず緊張する渚に、「おまえ、あんまり男を知らないだろう」と小野寺が突然迫ってきて・・・。 ☆全19話です。「オフィスラブ」と謳っていますが、あまりオフィスっぽくありません。 ☆「ムーンライトノベルズ」様にも掲載しています。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...