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終章 赤裸の戀
6.
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く、そ……っ。
すぐ傍で、呻くように悪態が放たれる。
凪乃羽はただ呆然として、足もとにそびえたローエンを見上げた。
シュプリムグッドに来て目覚めたとき、ヴァンフリーの言葉はまったく理解できなかった。そのときに戻ったように、とっさにはローエンの言葉の意味が把握できなかった。しんと静まり返ったことにも気がまわらない。
そうして、間近で嘆息とも失笑ともつかない、あるいは淀んだ空気を一掃するように吐息が漏れた。
「だれが父親か、関係ない……凪乃羽はフィリルの娘だ……っ」
息苦しそうでありながらもヴァンフリーは激しく断じた。
ローエンの言葉を噛み砕けないうちに、またしても新たな秘密が明かされ、凪乃羽は混乱に晒される。
フィリルに娘がいて……それがわたし? それなら――
自ずと脳裡には一幕が甦る。父親がローエンなら、あの夢の残酷な出来事によって凪乃羽は誕生したのだ。
凪乃羽の存在は、呪縛という役割ではなく、単なる呪いの結果なのかもしれない。
「ローエン、これでフィリルに何があったか赤裸になった。まだ足掻くか」
当然ながらタロはすべてを知り、そのうえで事を運んできた。淡々と諭す言葉にローエンは鼻先で笑った。
「ロード・タロ、もう一つ、貴方が私に授けた力をお忘れのようだ。ワールに成り下がったいま、貴方もまた私に敵うことはない」
「ヴァンフリーの永遠をおまえが授けたというのなら、その力も有効だろうが、どうなのだ? ヴァンフリーは生まれながらにして上人だ。凪乃羽も然り」
「どちらでもかまわぬ。娘を人質に、永遠に傷を負い続けるか、逃亡して娘を失うか、ヴァンフリーにはその二つしか道はない」
クッと含み笑ったローエンは、さらに剣を振りかざし――
「娘とて、ヴァンフリーは人質になろう。私には何人たりとも逆らえぬのだ」
待ったなく、勢いをつけて振りおろした。
凪乃羽が身を乗りだしたのは本能だった。
そして、ヴァンフリーが痛みなど存在しないかのように瞬時にして動いたのも本能、もしくはそれよりも強い――なくしたくないという欲求だったかもしれない。
目前に剣先が迫った刹那、躰が抱きとられた次にはくるりとひっくり返されて、凪乃羽は床に転がっていた。見開いた目に、覆い被さったヴァンフリーが映る。端麗な顔貌が歪んだ。
ぐ、ふっ。
離れた場所からだれかが放った甲高い悲鳴よりも何よりも、一文字に結んだくちびるの隙間から堪えきれずに漏れた声が凪乃羽の耳に障った。
「ヴァンっ」
凪乃羽の声はかすれていて、真上から見下ろすヴァンフリーの耳に届いたかはわからない。
「凪、乃羽……付き合って、やるから、逃げるな……おれが、そぅ……云ったことを、憶えて、いるか……」
痛みを耐えているためか、それとも痛みを漏らさないようにするためか、ヴァンフリーは喰い縛った歯を緩めつつ痞えながら問うた。
その言葉に誘導されるように凪乃羽の記憶はそこへ向かって開いていく。
――このさきに何を聞かされようと、とそんな前置きのもと聞かされたときの場面が浮上した。
「憶えてる」
自分が“二十三番め”だと知って、課せられた役割も不透明なときにそう云ったヴァンフリーはやはりすべてを知っていたに違いなかった。
だからこそ、いまの言葉がその場しのぎではないと凪乃羽に教える。
「だったら……何も、嘆くことは、ない……ふたりの間には、何も、だれも、関係、ない。おまえが、おれと、いたいか、否か……どっち、だ……」
ヴァンフリーは対極の選択を迫る。
「ヴァンといる」
いたいという願望ではなく、いるという意思はヴァンフリーに伝わったらしく、くちびるを歪めた苦痛のなかに笑みが入り混じる。
「それで、いい――」
「くくっ、叶わぬことをほざくのもこれまでだ」
ぅ、ぐぅ――っ。
今度の呻き声は、痛みを与え続けられているように長引いた。
「ヴァンフリー、抗いなさいっ!」
エムが悲痛な声で訴えた。
「黙れ、エム。無駄だろう? ロード・タロによって私に刃向かわないよう、かけられた術が解けていないかぎり。ワールには解除は不可能だ」
「ローエン! ヴァンフリーへの術などはじめから存在しないわ! 貴方からヴァンフリーを守るためにそういうことにしただけ。フィリルを守るために、わたくしは貴方に従った。それと同じことよ。それを、自分の息子ではないとわかっていながら気づかないなんて、貴方は本当に“人”ではなくなったのね」
「ふっ。むしろ、私から守るために逆らわないよう術はかけられたと思っていたが。いまとなってはどちらでも同じだ。なんにせよ、数えきれず年を重ねてきて、なぜ“人”であることにこだわらなければならない?」
「こだわらずとも……空っぽの権威に、縋った、皇帝は、何事にも、気づかず、憐れだ……」
「黙れ」
ぐ、わぁ、――っ。
ローエンの激昂にヴァンフリーの断末魔のうめき声が重なった。
「ヴァンっ」
凪乃羽の両脇についていた手が片方だけ離れていくのと同時にヴァンフリーの躰がぐらつく。凪乃羽は先刻から躰が濡れていくような感触を覚えていた。それが突如として鮮明になった。
それが何か確かめようと起きあがろうとしたとたん。
「動くなっ」
ヴァンフリーは鋭く制した。
頭を上げた一瞬の間になんのためにヴァンフリーが手を放したのか、濡れた感触がなんによるものかを察し、凪乃羽は自分の鈍感さに絶望すら覚えた。
ローエンの剣はヴァンフリーの躰を貫き、それ以上に突き進まないよう、ヴァンフリーは素手で刃をつかんでいる。剣を伝う赤い滴りが手にかかり、そしてその量を増して凪乃羽の躰にこぼれていた。
凪乃羽をかばうことでヴァンフリーはよけいな犠牲を強いられている。ローエンが云った『もう一つの力』が永遠を与えることと相対する“奪うこと”で、もしいまそれがなされればヴァンフリーは死んでしまう。
「だめ――」
「凪乃羽っ」
「ふたり諸共――」
「だめっ!」
ローエンの発した脅嚇が云い終わらないうちに凪乃羽の悲響が轟いた。
すぐ傍で、呻くように悪態が放たれる。
凪乃羽はただ呆然として、足もとにそびえたローエンを見上げた。
シュプリムグッドに来て目覚めたとき、ヴァンフリーの言葉はまったく理解できなかった。そのときに戻ったように、とっさにはローエンの言葉の意味が把握できなかった。しんと静まり返ったことにも気がまわらない。
そうして、間近で嘆息とも失笑ともつかない、あるいは淀んだ空気を一掃するように吐息が漏れた。
「だれが父親か、関係ない……凪乃羽はフィリルの娘だ……っ」
息苦しそうでありながらもヴァンフリーは激しく断じた。
ローエンの言葉を噛み砕けないうちに、またしても新たな秘密が明かされ、凪乃羽は混乱に晒される。
フィリルに娘がいて……それがわたし? それなら――
自ずと脳裡には一幕が甦る。父親がローエンなら、あの夢の残酷な出来事によって凪乃羽は誕生したのだ。
凪乃羽の存在は、呪縛という役割ではなく、単なる呪いの結果なのかもしれない。
「ローエン、これでフィリルに何があったか赤裸になった。まだ足掻くか」
当然ながらタロはすべてを知り、そのうえで事を運んできた。淡々と諭す言葉にローエンは鼻先で笑った。
「ロード・タロ、もう一つ、貴方が私に授けた力をお忘れのようだ。ワールに成り下がったいま、貴方もまた私に敵うことはない」
「ヴァンフリーの永遠をおまえが授けたというのなら、その力も有効だろうが、どうなのだ? ヴァンフリーは生まれながらにして上人だ。凪乃羽も然り」
「どちらでもかまわぬ。娘を人質に、永遠に傷を負い続けるか、逃亡して娘を失うか、ヴァンフリーにはその二つしか道はない」
クッと含み笑ったローエンは、さらに剣を振りかざし――
「娘とて、ヴァンフリーは人質になろう。私には何人たりとも逆らえぬのだ」
待ったなく、勢いをつけて振りおろした。
凪乃羽が身を乗りだしたのは本能だった。
そして、ヴァンフリーが痛みなど存在しないかのように瞬時にして動いたのも本能、もしくはそれよりも強い――なくしたくないという欲求だったかもしれない。
目前に剣先が迫った刹那、躰が抱きとられた次にはくるりとひっくり返されて、凪乃羽は床に転がっていた。見開いた目に、覆い被さったヴァンフリーが映る。端麗な顔貌が歪んだ。
ぐ、ふっ。
離れた場所からだれかが放った甲高い悲鳴よりも何よりも、一文字に結んだくちびるの隙間から堪えきれずに漏れた声が凪乃羽の耳に障った。
「ヴァンっ」
凪乃羽の声はかすれていて、真上から見下ろすヴァンフリーの耳に届いたかはわからない。
「凪、乃羽……付き合って、やるから、逃げるな……おれが、そぅ……云ったことを、憶えて、いるか……」
痛みを耐えているためか、それとも痛みを漏らさないようにするためか、ヴァンフリーは喰い縛った歯を緩めつつ痞えながら問うた。
その言葉に誘導されるように凪乃羽の記憶はそこへ向かって開いていく。
――このさきに何を聞かされようと、とそんな前置きのもと聞かされたときの場面が浮上した。
「憶えてる」
自分が“二十三番め”だと知って、課せられた役割も不透明なときにそう云ったヴァンフリーはやはりすべてを知っていたに違いなかった。
だからこそ、いまの言葉がその場しのぎではないと凪乃羽に教える。
「だったら……何も、嘆くことは、ない……ふたりの間には、何も、だれも、関係、ない。おまえが、おれと、いたいか、否か……どっち、だ……」
ヴァンフリーは対極の選択を迫る。
「ヴァンといる」
いたいという願望ではなく、いるという意思はヴァンフリーに伝わったらしく、くちびるを歪めた苦痛のなかに笑みが入り混じる。
「それで、いい――」
「くくっ、叶わぬことをほざくのもこれまでだ」
ぅ、ぐぅ――っ。
今度の呻き声は、痛みを与え続けられているように長引いた。
「ヴァンフリー、抗いなさいっ!」
エムが悲痛な声で訴えた。
「黙れ、エム。無駄だろう? ロード・タロによって私に刃向かわないよう、かけられた術が解けていないかぎり。ワールには解除は不可能だ」
「ローエン! ヴァンフリーへの術などはじめから存在しないわ! 貴方からヴァンフリーを守るためにそういうことにしただけ。フィリルを守るために、わたくしは貴方に従った。それと同じことよ。それを、自分の息子ではないとわかっていながら気づかないなんて、貴方は本当に“人”ではなくなったのね」
「ふっ。むしろ、私から守るために逆らわないよう術はかけられたと思っていたが。いまとなってはどちらでも同じだ。なんにせよ、数えきれず年を重ねてきて、なぜ“人”であることにこだわらなければならない?」
「こだわらずとも……空っぽの権威に、縋った、皇帝は、何事にも、気づかず、憐れだ……」
「黙れ」
ぐ、わぁ、――っ。
ローエンの激昂にヴァンフリーの断末魔のうめき声が重なった。
「ヴァンっ」
凪乃羽の両脇についていた手が片方だけ離れていくのと同時にヴァンフリーの躰がぐらつく。凪乃羽は先刻から躰が濡れていくような感触を覚えていた。それが突如として鮮明になった。
それが何か確かめようと起きあがろうとしたとたん。
「動くなっ」
ヴァンフリーは鋭く制した。
頭を上げた一瞬の間になんのためにヴァンフリーが手を放したのか、濡れた感触がなんによるものかを察し、凪乃羽は自分の鈍感さに絶望すら覚えた。
ローエンの剣はヴァンフリーの躰を貫き、それ以上に突き進まないよう、ヴァンフリーは素手で刃をつかんでいる。剣を伝う赤い滴りが手にかかり、そしてその量を増して凪乃羽の躰にこぼれていた。
凪乃羽をかばうことでヴァンフリーはよけいな犠牲を強いられている。ローエンが云った『もう一つの力』が永遠を与えることと相対する“奪うこと”で、もしいまそれがなされればヴァンフリーは死んでしまう。
「だめ――」
「凪乃羽っ」
「ふたり諸共――」
「だめっ!」
ローエンの発した脅嚇が云い終わらないうちに凪乃羽の悲響が轟いた。
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