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第4章 二十三番めの呪縛
19.
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ヴァンフリーはエロファンに向けてうなずくと――
「子供たちに合図をしたら、すぐに戻るよ」
と、エロファンは凪乃羽に云い残して背中を向けると森の奥に行った。
口を開きかけると、ヴァンフリーが人差し指を立てて凪乃羽のくちびるに置いた。
そうしてまもなく。
「皇帝陛下、皇子の家はこの先よ」
甲高い声が森のなかから響き渡った。凪乃羽たちに聞こえるよう、わざと声を張りあげたのか、それはスターの声だった。
わかっていたこととはいえ、凪乃羽はびくっと肩を揺らす。人差し指を立てた手が凪乃羽のくちびるから離れていく。その手はもう片方の手と一緒に、腰もとに巻きつくようにしながら凪乃羽を引き寄せる。躰はヴァンフリーの腕で隠ぺいするように囲われた。
程なく乱れた足音が聞きとれて、人の気配も感じとれた。足音が乱れて聞こえたのは、『ご一行』とエロファンが云ったとおり、ローエンが独りで訪れたわけではないからだ。
足音が近づくにつれ、凪乃羽の躰が緊張にこわばる。それがすぐ近くに来たとき、姿を感知されないよう、ヴァンフリーは腕に抱えた凪乃羽ごと一歩二歩とわずかずつ移動する。入り乱れた足音はやがて森の門としてそびえる大木の間を超えた。
「皇子はずいぶんと辺鄙なところに住み処を構えたものですな」
のんびりした声はだれだろう。その言葉を受けてか、一つ、ぴたりと足音が止まった。伴って、追従していた足音もしなくなった。
「辺鄙だが――」
中途半端にいったん途切れた、たったひと言が発せられた刹那、凪乃羽はびくっとして身をすくめた。ヴァンフリーの声は惑わせるように抑揚のきいた、艶っぽい声だが、同じ低い声でもその声には威圧感しかない。そして、聞き覚えがあった。
凪乃羽を抱くヴァンフリーの腕がきつくなる。それは警告だろうか。縛りつけるきつさは凪乃羽の動揺をなだめる効果をもたらして、大丈夫、と声にするかわりに腕に躰をゆだねた。
「――アルカヌム城からは一切覗けることなく、なお且つ、風光明媚だ。城から見る風光に引けを取らぬほどな」
広大な庭の向こうを見やっているのだろう、ローエンに違いない声は淡々としつつ、皮肉も込められている。
「手順はわかっているな」
「もちろんです。人間の堕落はこの眼が逃さない。上人と色に耽るなど、分不相応にも程がある」
堕落と眼といったら、十五番の悪魔、デヴィンだ。そして、分不相応だという対象は凪乃羽に違いなかった。
「行くぞ」
轟くようなかけ声の直後、歩みだしたのだろう、重い鎧を着たようなゆさりゆさりとした摩擦音がやけに目立つ。
足音が遠ざかり、そして聞こえなくなったとき、ようやくヴァンフリーの腕が緩んだ。
それを見計らったように、エロファンと永遠の子供たちが現れた。
「ヴァンフリー、大丈夫なのか」
エロファンは案じつつ、ウラヌス邸のほうに向けて顎をしゃくった。
凪乃羽からはヴァンフリーが盾になっていて、皇帝ご一行の姿はまったく見えないが、エロファンのしぐさから邸宅に向かっていることは察せられる。
「さあな。確実に云えるのは、皇帝が焦っているということだ」
「確かに」
ヴァンフリーは薄く笑うと、永遠の子供たちに目を転じた。
「サン、ムーン、スター、凪乃羽の案内を頼む」
「わかった」
サンが応じる一方で、ムーンは何か云いたそうにしている。そう感じたのは凪乃羽だけではなく、子供たちを見渡していたヴァンフリーはムーンに目を留めた。ムーンはその視線を受けとめたあと、凪乃羽をちらりと見やってまたヴァンフリーと目を合わせた。
「ムーン?」
「皇子、凪乃羽を放しちゃだめだよ。それが皇子を守ることになるから」
ヴァンフリーはムーンの言葉に眉を跳ねあげた。
「おれが凪乃羽に守られるのか?」
「皇子は女の子をバカにしてる!」
スターがすかさず反論の声をあげると――
「しーっ」
ムーンが慌てて静かにするよう諌めると、スターは自分の手で自分の口をふさいだ。
「スター、女だからとバカにしているつもりはない。おれはそんなに非力かと問うただけだ。まあ、愚か者だとは否定しないが。ムーン、心しておこう」
ムーンがうなずくのを見届け、ヴァンフリーは、あとで、と凪乃羽に言葉をかけた。返事を待たずに大木の裏側にまわる。一周して出てくるでもなく、ヴァンフリーは消えてしまった。
急いだせいか、しばしの別れはあまりにあっさりとして、がっかりとさみしいような気になりながら、凪乃羽は大木の裏側にまわって確かめてみた。やはりヴァンフリーの姿は跡形もない。その様子を見ていたエロファンがくすりと笑った。
「まだ慣れないのか?」
「自分にできないことに簡単には慣れません」
フフフッと笑みをこぼしたエロファンは、さて、とわずかに慮ったような面持ちに切り替えた。
「永遠の子供たちといれば凪乃羽が見つかることはない。私は城に帰って様子を見るとしよう。子供たち、頼むよ」
「わかってるってば」
ヴァンフリーに続いてエロファンと、サンは二度も云われたことが気に喰わず、むっつりと返事をした。
エロファンは笑いながら凪乃羽を見やった。
「気をつけて」
ありがとうございます、という凪乃羽の返事は伝わったのか、エロファンは宙に溶けるように消えた。
「凪乃羽、行くよ」
サンが首を傾けて森のなかへと促した。
「はい。お願いね」
「任せて!」
スターが凪乃羽の手に自分の手を滑りこませて繋ぐ。
歩き始めると、スターの反対隣を行くムーンが凪乃羽を覗きこんだ。
「凪乃羽、凪乃羽はだれよりも自分を守るべきだよ。それが凪乃羽とそのだれかのためだから」
ムーンは謎かけのようなことを口にする。
「ムーン……」
凪乃羽はムーンの言葉に気を取られて――
「預言どおりだな」
と、ハングの声を聞くまで、そこがレーツェルの泉なのかはわからないが、少なくとも泉へと一瞬にしてたどり着いていたことに気づかなかった。
「子供たちに合図をしたら、すぐに戻るよ」
と、エロファンは凪乃羽に云い残して背中を向けると森の奥に行った。
口を開きかけると、ヴァンフリーが人差し指を立てて凪乃羽のくちびるに置いた。
そうしてまもなく。
「皇帝陛下、皇子の家はこの先よ」
甲高い声が森のなかから響き渡った。凪乃羽たちに聞こえるよう、わざと声を張りあげたのか、それはスターの声だった。
わかっていたこととはいえ、凪乃羽はびくっと肩を揺らす。人差し指を立てた手が凪乃羽のくちびるから離れていく。その手はもう片方の手と一緒に、腰もとに巻きつくようにしながら凪乃羽を引き寄せる。躰はヴァンフリーの腕で隠ぺいするように囲われた。
程なく乱れた足音が聞きとれて、人の気配も感じとれた。足音が乱れて聞こえたのは、『ご一行』とエロファンが云ったとおり、ローエンが独りで訪れたわけではないからだ。
足音が近づくにつれ、凪乃羽の躰が緊張にこわばる。それがすぐ近くに来たとき、姿を感知されないよう、ヴァンフリーは腕に抱えた凪乃羽ごと一歩二歩とわずかずつ移動する。入り乱れた足音はやがて森の門としてそびえる大木の間を超えた。
「皇子はずいぶんと辺鄙なところに住み処を構えたものですな」
のんびりした声はだれだろう。その言葉を受けてか、一つ、ぴたりと足音が止まった。伴って、追従していた足音もしなくなった。
「辺鄙だが――」
中途半端にいったん途切れた、たったひと言が発せられた刹那、凪乃羽はびくっとして身をすくめた。ヴァンフリーの声は惑わせるように抑揚のきいた、艶っぽい声だが、同じ低い声でもその声には威圧感しかない。そして、聞き覚えがあった。
凪乃羽を抱くヴァンフリーの腕がきつくなる。それは警告だろうか。縛りつけるきつさは凪乃羽の動揺をなだめる効果をもたらして、大丈夫、と声にするかわりに腕に躰をゆだねた。
「――アルカヌム城からは一切覗けることなく、なお且つ、風光明媚だ。城から見る風光に引けを取らぬほどな」
広大な庭の向こうを見やっているのだろう、ローエンに違いない声は淡々としつつ、皮肉も込められている。
「手順はわかっているな」
「もちろんです。人間の堕落はこの眼が逃さない。上人と色に耽るなど、分不相応にも程がある」
堕落と眼といったら、十五番の悪魔、デヴィンだ。そして、分不相応だという対象は凪乃羽に違いなかった。
「行くぞ」
轟くようなかけ声の直後、歩みだしたのだろう、重い鎧を着たようなゆさりゆさりとした摩擦音がやけに目立つ。
足音が遠ざかり、そして聞こえなくなったとき、ようやくヴァンフリーの腕が緩んだ。
それを見計らったように、エロファンと永遠の子供たちが現れた。
「ヴァンフリー、大丈夫なのか」
エロファンは案じつつ、ウラヌス邸のほうに向けて顎をしゃくった。
凪乃羽からはヴァンフリーが盾になっていて、皇帝ご一行の姿はまったく見えないが、エロファンのしぐさから邸宅に向かっていることは察せられる。
「さあな。確実に云えるのは、皇帝が焦っているということだ」
「確かに」
ヴァンフリーは薄く笑うと、永遠の子供たちに目を転じた。
「サン、ムーン、スター、凪乃羽の案内を頼む」
「わかった」
サンが応じる一方で、ムーンは何か云いたそうにしている。そう感じたのは凪乃羽だけではなく、子供たちを見渡していたヴァンフリーはムーンに目を留めた。ムーンはその視線を受けとめたあと、凪乃羽をちらりと見やってまたヴァンフリーと目を合わせた。
「ムーン?」
「皇子、凪乃羽を放しちゃだめだよ。それが皇子を守ることになるから」
ヴァンフリーはムーンの言葉に眉を跳ねあげた。
「おれが凪乃羽に守られるのか?」
「皇子は女の子をバカにしてる!」
スターがすかさず反論の声をあげると――
「しーっ」
ムーンが慌てて静かにするよう諌めると、スターは自分の手で自分の口をふさいだ。
「スター、女だからとバカにしているつもりはない。おれはそんなに非力かと問うただけだ。まあ、愚か者だとは否定しないが。ムーン、心しておこう」
ムーンがうなずくのを見届け、ヴァンフリーは、あとで、と凪乃羽に言葉をかけた。返事を待たずに大木の裏側にまわる。一周して出てくるでもなく、ヴァンフリーは消えてしまった。
急いだせいか、しばしの別れはあまりにあっさりとして、がっかりとさみしいような気になりながら、凪乃羽は大木の裏側にまわって確かめてみた。やはりヴァンフリーの姿は跡形もない。その様子を見ていたエロファンがくすりと笑った。
「まだ慣れないのか?」
「自分にできないことに簡単には慣れません」
フフフッと笑みをこぼしたエロファンは、さて、とわずかに慮ったような面持ちに切り替えた。
「永遠の子供たちといれば凪乃羽が見つかることはない。私は城に帰って様子を見るとしよう。子供たち、頼むよ」
「わかってるってば」
ヴァンフリーに続いてエロファンと、サンは二度も云われたことが気に喰わず、むっつりと返事をした。
エロファンは笑いながら凪乃羽を見やった。
「気をつけて」
ありがとうございます、という凪乃羽の返事は伝わったのか、エロファンは宙に溶けるように消えた。
「凪乃羽、行くよ」
サンが首を傾けて森のなかへと促した。
「はい。お願いね」
「任せて!」
スターが凪乃羽の手に自分の手を滑りこませて繋ぐ。
歩き始めると、スターの反対隣を行くムーンが凪乃羽を覗きこんだ。
「凪乃羽、凪乃羽はだれよりも自分を守るべきだよ。それが凪乃羽とそのだれかのためだから」
ムーンは謎かけのようなことを口にする。
「ムーン……」
凪乃羽はムーンの言葉に気を取られて――
「預言どおりだな」
と、ハングの声を聞くまで、そこがレーツェルの泉なのかはわからないが、少なくとも泉へと一瞬にしてたどり着いていたことに気づかなかった。
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