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第4章 二十三番めの呪縛
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「ジャッジ、再生は進んでいるか」
接見の間において、中央の朱色の絨毯を囲むように置かれた椅子に座る面々のうち、名指しで呼ばれたジャッジは返事のまえに軽く会釈をする。
肝心の会釈を向けられたローエンは、アルカヌム城を形成する水晶を通してそこに映る下界を見るともなく見ている。椅子の袖に肘をつき、その手の親指の先で顎を支える姿は物憂げでありながら、その実、気配から虚実を見極めようと耳を澄ましていた。
「はい、大気がまもなく飽和しますので、そうすれば一夜にして地球は水で満たされるでしょう」
「うむ。それで――」
と、ローエンは正面へと向き直り、視線でデヴィンを捉えた。
「下界の噂はどうなっている」
「はい、確実に広まっています」
ローエンが顔を険しく変えたのはほんのかすかだったが、普段からめったに表情が動くことはなく、デヴィンはかすかに身じろぎをして、ですが――と続けた。
「噂というのは尾ひれがつくものです。我々は言わずもがな、民とてそれくらいの智は得ているでしょう」
「噂とはいえ皇帝を貶めるなど言語道断、民に統制をゆだねた恩恵を忘れ、少々図に乗りすぎですな。キャリオット、そろそろ圧政に転じたらいかがか」
ローエンのかわりに顔をしかめたジャスティは、常より革の鎧を纏うキャリオットを見やった。
キャリオットは賛同しかねるといったふうに首を横に振った。
「弾圧はいつでもけっこう。それよりも、ロード・タロの気まぐれに我々はいつまで付き合わされるのでしょう。二十三番めの存在とはいったい何者なのです? 噂の種を撒いたのは、おそらくハングでしょう。彼が消えた直後から噂は広まった。そのハングを解放したのは、ロードとしか考えられません。我々のなかにそのようなことをする者はいない。ましてや密閉された牢獄に我々は侵入できないのです。ロード・タロを探しだすべきでは……」
「それができるのはフィリルだけでしょう。そのフィリルはいない」
「そこですな」
「そこ、とは?」
「フィリルの眠りは、ロード・タロが自分の居場所を突きとめられないようにするためだったのでは?」
「だが、泉の底で眠りについていたフィリルは消えた」
「それもまたロード・タロが連れ去ったとしたら……」
「即ち、潮時を示しているのでは……?」
と、話を進めていた上人たちはそこですっと息を呑んだ。そのいくつもの双眸がいっせいにローエンに集まる。それを泰然と受けとめ、ローエンはおもむろに口を開く。
「呪いはロード・タロの戯れだ。かつても――私がロード・タロと出会った当時も、ロードは退屈していたのだ。それと同じだ。畏れることも私のことを憂う必要もない」
うなずいた者もいれば、肩の荷が下りたように吐息を漏らす者もいる。安堵するよりは、己に云い聞かせているのだろう。
もしくは――。
ローエンは苦々しく舌打ちをしたい心境であったが心底におさめる。
己の行いは、無聊のすえに――退屈しのぎのすえに凝りとして無聊を――うっとうしさを極めた。退屈が招く無闇さはろくな結果を生まない。ロード・タロとて同じだった。タロはそうしたすえ、ローエンという絶対君主を生んだ。それをろくな結果ではないと談ずるには、己のことだけにやすやすと賛するにも難いが、いまタロは身に沁みているだろう。
そうしてローエンもまた――。
己の無聊の顛末をタロの戯れだと欺き、秘匿とした行く末をどういざなうのか。
「ヴァンフリーはどうしている?」
ローエンは再びデヴィンを見やった。
「先刻、めずらしく城下町に現れました。下界の女を伴っていましたが、大層ご執心な様子でしたね」
「いい気なものだ」
ローエンがつぶやくと、マジェスは同意を示すように幾度かうなずいた、が――
「らしいと表す以外ないですな……」
と、マジェスの言葉は語尾を濁すように終わった。ローエンの双眸がじろりと射止めたからだ。
「マジェス、おまえは遥か昔のヴァンフリーの所業を憶えてはおらぬとみえる」
マジェスは目を見開いた。焦点は宙に浮いたかと思うとローエンを捉える。
「ああ……あれは、若気の至りというものでは……」
「若気の至り、だと? 見た目が十の歳だろうと、すでに何百年と生きたうえでの所業だ」
ヴァンフリーが父親であるローエンに刃向かったのは、記憶の奥底に沈むほど遥か昔のことだ。そうして、他の上人と異なり、影ではなく躰ごと、それが未知の場所であろうと瞬時にして移動できることを、罰として地下牢に幽閉した直後に知った。
それが、能力の開花のきっかけとなったのか、そうだとすれば皮肉だ。
罰を与えた起因は、ローエンが玉座の傍らに飾っていた剣をヴァンフリーが持ちだし、なくしたことに因る。永遠の子供たちの手助けのもと、森のなかに迷いこみ、剣を振りまわして木々を切り刻んだすえ、永遠の子供たちと遊びほうけているうちにどこかに置き忘れたという。
永遠の子供たちとともに幽閉したのち、ヴァンフリー独りが地下牢を抜けだし、そして父親であるローエンに、どこからか調達した粗雑な剣を向け、永遠の子供たちの解放を迫った。
そのときヴァンフリーは、上人を傷つけはしても命を奪うことまではかなわないことを知っていたが、果たしてローエンがそれをできると知っていたのか否か。いずれにしろ、息子だからこそか、ヴァンフリーは他の上人にはない、ローエンに楯突く気質を持つことの証明がなされた。
「ローエン皇帝、ですが、父親に逆らうことのないよう、ロード・タロによってヴァンフリー皇子は術を施されている。奔放さだけが残ったわけですから、愚行は致し方ないことと……」
「そのロード・タロがお遊びを始めた。術が解除されたとも考えられる」
「……それは……」
マジェスは言葉に詰まり、そうして――
「もう一人いる」
唐突につぶやいたのはデヴィンだった。
「もう一人、とは?」
キャリオットが怪訝そうに問い質す。
「ハングを解放できる者ですよ。実体のないロード・タロよりも、ヴァンフリー皇子のほうが現実的なのでは?」
驚きに息を呑んだのは全員ではなかった。
一人だけ、真逆に薄笑いに任せて息をつく。それはローエンに違いなく。
「ヴァンフリーの勝手にはさせぬ」
「いかがなさいます?」
「捕らえる」
「しかし、ヴァンフリー皇子の能力は……」
「まずはそのご執心の女とやらを捕らえればいい。それで釣れなければ別の手を考える」
ローエンは云い放ち、終わりだというかわりに手を上げ、振り払うしぐさで上人たちを追い払った。
密議はヴァンフリー側につく可能性のある者を排除したが、厄介なのは果たしてだれか。
「そろそろ方の付け時か」
宙を睨めつけ、ローエンは発した。
*
ラヴィが去ったあと、ヴァンフリーはつと凪乃羽から視線を外し、後ろへと通り越した。
「セギー、夕食はすぐ部屋に運んでくれ」
「承知いたしました」
凪乃羽の背後で足音が聞こえだし、遠ざかっていった。入れ替わりに、ヴァンフリーが足音を伴って近づいてくる。
凪乃羽は一歩、無意識に退いた。
それを見てヴァンフリーは立ち止まる。
「凪乃羽」
その呼びかけにはどんな気持ちがこもっているのか。ヴァンフリーが続けるよりもさきに、凪乃羽は口を開いた。
「皇帝の思惑って……地球が滅びたのは……わたしのせい?」
「ジャッジ、再生は進んでいるか」
接見の間において、中央の朱色の絨毯を囲むように置かれた椅子に座る面々のうち、名指しで呼ばれたジャッジは返事のまえに軽く会釈をする。
肝心の会釈を向けられたローエンは、アルカヌム城を形成する水晶を通してそこに映る下界を見るともなく見ている。椅子の袖に肘をつき、その手の親指の先で顎を支える姿は物憂げでありながら、その実、気配から虚実を見極めようと耳を澄ましていた。
「はい、大気がまもなく飽和しますので、そうすれば一夜にして地球は水で満たされるでしょう」
「うむ。それで――」
と、ローエンは正面へと向き直り、視線でデヴィンを捉えた。
「下界の噂はどうなっている」
「はい、確実に広まっています」
ローエンが顔を険しく変えたのはほんのかすかだったが、普段からめったに表情が動くことはなく、デヴィンはかすかに身じろぎをして、ですが――と続けた。
「噂というのは尾ひれがつくものです。我々は言わずもがな、民とてそれくらいの智は得ているでしょう」
「噂とはいえ皇帝を貶めるなど言語道断、民に統制をゆだねた恩恵を忘れ、少々図に乗りすぎですな。キャリオット、そろそろ圧政に転じたらいかがか」
ローエンのかわりに顔をしかめたジャスティは、常より革の鎧を纏うキャリオットを見やった。
キャリオットは賛同しかねるといったふうに首を横に振った。
「弾圧はいつでもけっこう。それよりも、ロード・タロの気まぐれに我々はいつまで付き合わされるのでしょう。二十三番めの存在とはいったい何者なのです? 噂の種を撒いたのは、おそらくハングでしょう。彼が消えた直後から噂は広まった。そのハングを解放したのは、ロードとしか考えられません。我々のなかにそのようなことをする者はいない。ましてや密閉された牢獄に我々は侵入できないのです。ロード・タロを探しだすべきでは……」
「それができるのはフィリルだけでしょう。そのフィリルはいない」
「そこですな」
「そこ、とは?」
「フィリルの眠りは、ロード・タロが自分の居場所を突きとめられないようにするためだったのでは?」
「だが、泉の底で眠りについていたフィリルは消えた」
「それもまたロード・タロが連れ去ったとしたら……」
「即ち、潮時を示しているのでは……?」
と、話を進めていた上人たちはそこですっと息を呑んだ。そのいくつもの双眸がいっせいにローエンに集まる。それを泰然と受けとめ、ローエンはおもむろに口を開く。
「呪いはロード・タロの戯れだ。かつても――私がロード・タロと出会った当時も、ロードは退屈していたのだ。それと同じだ。畏れることも私のことを憂う必要もない」
うなずいた者もいれば、肩の荷が下りたように吐息を漏らす者もいる。安堵するよりは、己に云い聞かせているのだろう。
もしくは――。
ローエンは苦々しく舌打ちをしたい心境であったが心底におさめる。
己の行いは、無聊のすえに――退屈しのぎのすえに凝りとして無聊を――うっとうしさを極めた。退屈が招く無闇さはろくな結果を生まない。ロード・タロとて同じだった。タロはそうしたすえ、ローエンという絶対君主を生んだ。それをろくな結果ではないと談ずるには、己のことだけにやすやすと賛するにも難いが、いまタロは身に沁みているだろう。
そうしてローエンもまた――。
己の無聊の顛末をタロの戯れだと欺き、秘匿とした行く末をどういざなうのか。
「ヴァンフリーはどうしている?」
ローエンは再びデヴィンを見やった。
「先刻、めずらしく城下町に現れました。下界の女を伴っていましたが、大層ご執心な様子でしたね」
「いい気なものだ」
ローエンがつぶやくと、マジェスは同意を示すように幾度かうなずいた、が――
「らしいと表す以外ないですな……」
と、マジェスの言葉は語尾を濁すように終わった。ローエンの双眸がじろりと射止めたからだ。
「マジェス、おまえは遥か昔のヴァンフリーの所業を憶えてはおらぬとみえる」
マジェスは目を見開いた。焦点は宙に浮いたかと思うとローエンを捉える。
「ああ……あれは、若気の至りというものでは……」
「若気の至り、だと? 見た目が十の歳だろうと、すでに何百年と生きたうえでの所業だ」
ヴァンフリーが父親であるローエンに刃向かったのは、記憶の奥底に沈むほど遥か昔のことだ。そうして、他の上人と異なり、影ではなく躰ごと、それが未知の場所であろうと瞬時にして移動できることを、罰として地下牢に幽閉した直後に知った。
それが、能力の開花のきっかけとなったのか、そうだとすれば皮肉だ。
罰を与えた起因は、ローエンが玉座の傍らに飾っていた剣をヴァンフリーが持ちだし、なくしたことに因る。永遠の子供たちの手助けのもと、森のなかに迷いこみ、剣を振りまわして木々を切り刻んだすえ、永遠の子供たちと遊びほうけているうちにどこかに置き忘れたという。
永遠の子供たちとともに幽閉したのち、ヴァンフリー独りが地下牢を抜けだし、そして父親であるローエンに、どこからか調達した粗雑な剣を向け、永遠の子供たちの解放を迫った。
そのときヴァンフリーは、上人を傷つけはしても命を奪うことまではかなわないことを知っていたが、果たしてローエンがそれをできると知っていたのか否か。いずれにしろ、息子だからこそか、ヴァンフリーは他の上人にはない、ローエンに楯突く気質を持つことの証明がなされた。
「ローエン皇帝、ですが、父親に逆らうことのないよう、ロード・タロによってヴァンフリー皇子は術を施されている。奔放さだけが残ったわけですから、愚行は致し方ないことと……」
「そのロード・タロがお遊びを始めた。術が解除されたとも考えられる」
「……それは……」
マジェスは言葉に詰まり、そうして――
「もう一人いる」
唐突につぶやいたのはデヴィンだった。
「もう一人、とは?」
キャリオットが怪訝そうに問い質す。
「ハングを解放できる者ですよ。実体のないロード・タロよりも、ヴァンフリー皇子のほうが現実的なのでは?」
驚きに息を呑んだのは全員ではなかった。
一人だけ、真逆に薄笑いに任せて息をつく。それはローエンに違いなく。
「ヴァンフリーの勝手にはさせぬ」
「いかがなさいます?」
「捕らえる」
「しかし、ヴァンフリー皇子の能力は……」
「まずはそのご執心の女とやらを捕らえればいい。それで釣れなければ別の手を考える」
ローエンは云い放ち、終わりだというかわりに手を上げ、振り払うしぐさで上人たちを追い払った。
密議はヴァンフリー側につく可能性のある者を排除したが、厄介なのは果たしてだれか。
「そろそろ方の付け時か」
宙を睨めつけ、ローエンは発した。
*
ラヴィが去ったあと、ヴァンフリーはつと凪乃羽から視線を外し、後ろへと通り越した。
「セギー、夕食はすぐ部屋に運んでくれ」
「承知いたしました」
凪乃羽の背後で足音が聞こえだし、遠ざかっていった。入れ替わりに、ヴァンフリーが足音を伴って近づいてくる。
凪乃羽は一歩、無意識に退いた。
それを見てヴァンフリーは立ち止まる。
「凪乃羽」
その呼びかけにはどんな気持ちがこもっているのか。ヴァンフリーが続けるよりもさきに、凪乃羽は口を開いた。
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