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第4章 二十三番めの呪縛
8.
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何がなんだかわからない。そんな状況は、ヴァンフリーと出会って以来、いくつもあった。あまつさえ、慣れないことばかりだ。いまもまた、凪乃羽は混乱に陥っている。思考力は機能せず、呼吸することすら忘れて耳だけを研ぎ澄ませた。
そうやって待ってみても、ヴァンフリーの返事は一向に聞こえてこない。そのうち凪乃羽は自分の名は空耳だったのではないかと思いだした。もしくは、聞き間違いか。
この世界に来てはじめての日、一つも聞きとれなかった言葉は戸惑うことがなく、仕組みはわからなくとも呆気ないほど簡単に通じている。それがたまには、性能が狂ってしまうこともあるのかもしれない。
そんな考えはばかばかしくもある。が、そう思っていないとこの状況は手に負えない。不安を超えて怖くなる。
「ヴァンフリー、うまく凪乃羽を手懐けてるじゃない。過保護すぎるほど甘やかして、あなたにそうされれば女はなびく。凪乃羽もその一人。あの様子だと、あなたは呪縛の力を思いどおりにできるんじゃない?」
応じないヴァンフリーに痺れを切らしたのか、ラヴィの声にはまた挑発が潜む。
「手懐けてなどいない。凪乃羽は何も知らない」
ヴァンフリーは、今度は挑発に乗せられたように即座に応じた。ただし、その云い分は凪乃羽にとっては曖昧だった。
知らないことはそのとおりだけれど、凪乃羽が期待したような言葉ではない。関係ない、とそれが凪乃羽の聞きたかった言葉だ。
ただし、俄には受け入れがたいだけで凪乃羽が関わっていることは、ハングに続き、いまヴァンフリーとラヴィの会話の間で凪乃羽の名が登場したことで認めざるを得なくなった。
どんなふうに凪乃羽は関わっているのだろう。
不安を閉じこめるように、胸の前で重ねていた手を握りしめた。凪乃羽の心境とは裏腹に、ラヴィのころころと転がるような笑い声が届く。
「“知らない”? 凪乃羽は違うって云わないのね?」
「ラヴィ、伊達に年を数えきれないほど生きているわけじゃないだろう。スターたちにしろ、見かけや喋り方は子供でも、子供を装っているだけでけっして子供じゃない。真の自由が欲しいというきみの言葉は嘘じゃないと信じただけだ。ラヴィ、その判断をおれは間違ってるか?」
「間違ってないわ。ほんとに凪乃羽は何も知らないの?」
「こっちに連れてくれば目覚めるかと思ったが……」
ヴァンフリーは言葉を濁して終わらせた。
「何も知らないままで、よく探し当てられたわね。それとも、皇帝の思惑どおり、壊れた地球で独り生き残ったから見つけられたの?」
「会えば感覚でわかる。それに、きみも気づいたんだろう、似てると?」
「そうよ。でもなぜそうなるの? いったい何があったの? 肝心なことが隠されてる。生まれるはずないのに。それとも、そうなったのもワールがいなくなったせい?」
「ラヴィ、さっききみ自身が云っただろう。自ずと見いだせるはずだ。むしろ、ラヴィはおもしろがっていた。得意分野だろう、だれがだれに関心を持っていたか。おれのことも含めて」
「え……」
ラヴィは絶句したように押し黙った。
凪乃羽にとってもあまりに情報量が多すぎて、纏められないどころか一つも処理ができなくて、脳内が思考することを放棄している。
「凪乃羽さま、お目覚めですね。お食事の準備ができておりますよ」
いきなり背後から声をかけられ、凪乃羽は呼吸音を立てるくらい驚いて息を呑んだ。聞き慣れたセギーの声で怯える必要はないのに、剣を突きつけられたように微動だにできない。おののいた理由ははっきりしている。盗み聞きしたところをヴァンフリーたちに気づかれたに違いないからだ。
背後からセギーの足音は聞こえなかったのに、正面からは足音が聞こえてくる。待ったというほどもなく、広間からヴァンフリーが廊下に現れた。
凪乃羽の顔を見、ヴァンフリーはひどく目を細めた。なじるように見えるのは、多少の後ろめたさを感じているせいだろう。
「凪乃羽がいるの?」
ラヴィの声はしても姿が現れることはない。それは影であるゆえ、ラヴィは広間から奥に入ったことがないために廊下に出てこられず、凪乃羽を見定めることもできないのだ。“影”ということの証明がなされたところで、感心することもなく、立ち尽くしているしかできない。
ヴァンフリーは凪乃羽から無理やり視線を剥がすようにして広間のほうに目を向けた。「おれを嗾けたのか」
「確信していたわけではないわ。お昼寝してるっていっても、普通に起きてる時間でしょ。あなたが動かなければ凪乃羽を動かすしかない。いいかげん、針の絨毯が敷かれたようなアルカヌム城にうんざりしてるの。どうにかなるまえにどうにかして」
「失せてくれ」
ヴァンフリーはぴしゃりと吐き捨てた。
「用はすんだから」
ラヴィは少しもへこたれていない。つんとして、なお且つ笑みを交えた声で返した。
そうして消えたのか、ヴァンフリーはラヴィに向かって睨めつけていた眼差しをそのまま正面に向けて凪乃羽に焦点を当てた。その口から漏らしたため息と同時に、眼差しからきつさはなくなり、ただ鋭さだけが残った。
そうやって待ってみても、ヴァンフリーの返事は一向に聞こえてこない。そのうち凪乃羽は自分の名は空耳だったのではないかと思いだした。もしくは、聞き間違いか。
この世界に来てはじめての日、一つも聞きとれなかった言葉は戸惑うことがなく、仕組みはわからなくとも呆気ないほど簡単に通じている。それがたまには、性能が狂ってしまうこともあるのかもしれない。
そんな考えはばかばかしくもある。が、そう思っていないとこの状況は手に負えない。不安を超えて怖くなる。
「ヴァンフリー、うまく凪乃羽を手懐けてるじゃない。過保護すぎるほど甘やかして、あなたにそうされれば女はなびく。凪乃羽もその一人。あの様子だと、あなたは呪縛の力を思いどおりにできるんじゃない?」
応じないヴァンフリーに痺れを切らしたのか、ラヴィの声にはまた挑発が潜む。
「手懐けてなどいない。凪乃羽は何も知らない」
ヴァンフリーは、今度は挑発に乗せられたように即座に応じた。ただし、その云い分は凪乃羽にとっては曖昧だった。
知らないことはそのとおりだけれど、凪乃羽が期待したような言葉ではない。関係ない、とそれが凪乃羽の聞きたかった言葉だ。
ただし、俄には受け入れがたいだけで凪乃羽が関わっていることは、ハングに続き、いまヴァンフリーとラヴィの会話の間で凪乃羽の名が登場したことで認めざるを得なくなった。
どんなふうに凪乃羽は関わっているのだろう。
不安を閉じこめるように、胸の前で重ねていた手を握りしめた。凪乃羽の心境とは裏腹に、ラヴィのころころと転がるような笑い声が届く。
「“知らない”? 凪乃羽は違うって云わないのね?」
「ラヴィ、伊達に年を数えきれないほど生きているわけじゃないだろう。スターたちにしろ、見かけや喋り方は子供でも、子供を装っているだけでけっして子供じゃない。真の自由が欲しいというきみの言葉は嘘じゃないと信じただけだ。ラヴィ、その判断をおれは間違ってるか?」
「間違ってないわ。ほんとに凪乃羽は何も知らないの?」
「こっちに連れてくれば目覚めるかと思ったが……」
ヴァンフリーは言葉を濁して終わらせた。
「何も知らないままで、よく探し当てられたわね。それとも、皇帝の思惑どおり、壊れた地球で独り生き残ったから見つけられたの?」
「会えば感覚でわかる。それに、きみも気づいたんだろう、似てると?」
「そうよ。でもなぜそうなるの? いったい何があったの? 肝心なことが隠されてる。生まれるはずないのに。それとも、そうなったのもワールがいなくなったせい?」
「ラヴィ、さっききみ自身が云っただろう。自ずと見いだせるはずだ。むしろ、ラヴィはおもしろがっていた。得意分野だろう、だれがだれに関心を持っていたか。おれのことも含めて」
「え……」
ラヴィは絶句したように押し黙った。
凪乃羽にとってもあまりに情報量が多すぎて、纏められないどころか一つも処理ができなくて、脳内が思考することを放棄している。
「凪乃羽さま、お目覚めですね。お食事の準備ができておりますよ」
いきなり背後から声をかけられ、凪乃羽は呼吸音を立てるくらい驚いて息を呑んだ。聞き慣れたセギーの声で怯える必要はないのに、剣を突きつけられたように微動だにできない。おののいた理由ははっきりしている。盗み聞きしたところをヴァンフリーたちに気づかれたに違いないからだ。
背後からセギーの足音は聞こえなかったのに、正面からは足音が聞こえてくる。待ったというほどもなく、広間からヴァンフリーが廊下に現れた。
凪乃羽の顔を見、ヴァンフリーはひどく目を細めた。なじるように見えるのは、多少の後ろめたさを感じているせいだろう。
「凪乃羽がいるの?」
ラヴィの声はしても姿が現れることはない。それは影であるゆえ、ラヴィは広間から奥に入ったことがないために廊下に出てこられず、凪乃羽を見定めることもできないのだ。“影”ということの証明がなされたところで、感心することもなく、立ち尽くしているしかできない。
ヴァンフリーは凪乃羽から無理やり視線を剥がすようにして広間のほうに目を向けた。「おれを嗾けたのか」
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