49 / 83
第4章 二十三番めの呪縛
5.
しおりを挟む
ヴァンフリーは、広場を縁取るように店の連なった市場には行かず、店の合間にある細い通りに入りこんだ。すぐに道が交差した場所に出ると、広場を囲むようにつくられているらしい、緩やかに曲がった広い道に沿って歩く。
やがて目的の仕立て屋にたどり着いた。
木製の扉には、真鍮でできた天使の羽を思わせるようなドアノッカーがついている。それを軽く叩いて音を鳴らす、ヴァンフリーのしぐさは優雅に見えた。出てきた男はセギーに似て厳格な執事風だったけれど、ヴァンフリーを認識したと同時に相好をくずして丁重に挨拶をこなした。凪乃羽に向けた眼差しも温和で歓迎を示している。
案内されるままなかに入ると、生地を並べた棚があり、お針子が作業台に向かってせっせと手を動かしていた。
凪乃羽から見れば、店の雰囲気もつくりもアンティークだ。市場の雰囲気もそうだけれど、ただ、市場にあった店とは明らかに格が違うことはわかった。
お針子は目を上向けて客を見、すると、これでもかというほど顔を綻ばせた。
ほかに客は見当たらず、そこでヴァンフリーはあらためて凪乃羽とふたりを対面させた。迎えに出た男、バトがセギーの弟だと聞くと、凪乃羽は最初の印象どおりで納得した。お針子のペンタは妻で、夫婦水入らずで仕立て屋を営んでいるという。
ヴァンフリーが用件を云いつけるとお針子は快諾してうなずいた。
「果実酒を買ってこよう。焼き菓子を食べては喉も渇くだろう」
気を利かせているようで、それはきっと“ふり”だ。
「ヴァン、服をつくるのに付き合うのが退屈なんでしょ?」
凪乃羽が推し量った本音を口にしてみると、的中しているのかヴァンフリーは可笑しそうにした。
「何かあればすぐに飛んでくる。ヴァンと、おまえがそう呼べば。あのときのように忘れるな」
ヴァンフリーは促すように首をひねる。
何をほのめかしているのか、凪乃羽が把握したのは一瞬のちで、あのときは――天変地異に見舞われたときは冗談めかしていたけれど、おざなりの言葉ではなく本当に『ヴァン』と呼ぶだけで目の前に現れるのだとやっと理解に至った。
ヴァンフリーが自由に一瞬にして移動できることは、実際に見てもう知っている。いや、あのときも現に突然、ヴァンフリーは凪乃羽の前に現れた。しかも、宙に浮いて、だ。
「さっきみたいな乱暴な人が現れたらちゃんとそうする。またヴァンの闘いぶりが見たいから」
「あれは闘いとは云えない。戯れだ。おれとしても見せ足りないが、そういう輩が現れても困る。ここは上流階級しか入らない店だ、大丈夫とは思うが」
ヴァンフリーは興じること半分、あとの半分は懸念が窺える。店を出ると云ったときは大したこととは捉えていなかったのだろう。凪乃羽の何気ない言葉に影響されている。
「大丈夫。ヴァンがすごいってことはわかってるから」
はじめて町に降りて、そのうえ慣れない世界だ、そこに一人だけ取り残されれば不安になるところだけれど、バトとペンタがヴァンフリーの正体をわかっているから安心できる。
凪乃羽の声に淀みはないはずで――
「そのとおりだ」
吹くように吐息を漏らしたその笑みを見ると、懸念もなくなったように見える。
「じゃあ、いってらっしゃい」
「ああ。おまえが干からびるまえに戻ってくる」
ヴァンフリーは冗談めかして云い、頼む、とバトに声をかけて出ていった。
「親愛なる凪乃羽、さあ、いらっしゃい」
凪乃羽はペンタに手招きされ、店の奥に引っこむとまずは採寸をされた。
次にペンタは布を持ちだした。
「わたしのお勧めから試してみてよろしいですか」
と伺いつつも返事を聞くまえに凪乃羽の躰に布を当て、ペンタは器用に針で留めながらドレスの形へと整えていく。
「ペンタ、わたしが着てるこの服もここでつくってもらったんですね?」
ウラヌス邸に住む使用人の衣服と、凪乃羽のそれは明らかに生地の質が違う。訊ねてみると、ペンタは大きくうなずいた。
「そうですよ。凪乃羽さまが気に入ってくださってると聞いています」
「それは本当です。わたしの……わたしが生まれ育ったところにはこんな生地なかったから」
凪乃羽が云うと、うれしそうにしていたペンタはふと顔を曇らせた。
「どうかしました?」
凪乃羽の問いにペンタは憂えた面持ちでため息をつく。
「いま、何もかもが不安定な世、生地の調達もままならなくなっているんですよ。もともと高価なものだけれど、このままではもっと手の届かないものになってしまいます。わたしたちもお得意さまも」
「アルカナ・ワールがいなくなったせい?」
「そうなんですけど……そもそもはアルカナ・フィリルの悲劇から始まったことだと、最近になってわたしたちの耳に入るようになりました」
「……アルカナ・フィリルの悲劇?」
ペンタの言葉から、上人のなかでは公然の事実でも、民には知っていること知らないことがあるとわかった。
やがて目的の仕立て屋にたどり着いた。
木製の扉には、真鍮でできた天使の羽を思わせるようなドアノッカーがついている。それを軽く叩いて音を鳴らす、ヴァンフリーのしぐさは優雅に見えた。出てきた男はセギーに似て厳格な執事風だったけれど、ヴァンフリーを認識したと同時に相好をくずして丁重に挨拶をこなした。凪乃羽に向けた眼差しも温和で歓迎を示している。
案内されるままなかに入ると、生地を並べた棚があり、お針子が作業台に向かってせっせと手を動かしていた。
凪乃羽から見れば、店の雰囲気もつくりもアンティークだ。市場の雰囲気もそうだけれど、ただ、市場にあった店とは明らかに格が違うことはわかった。
お針子は目を上向けて客を見、すると、これでもかというほど顔を綻ばせた。
ほかに客は見当たらず、そこでヴァンフリーはあらためて凪乃羽とふたりを対面させた。迎えに出た男、バトがセギーの弟だと聞くと、凪乃羽は最初の印象どおりで納得した。お針子のペンタは妻で、夫婦水入らずで仕立て屋を営んでいるという。
ヴァンフリーが用件を云いつけるとお針子は快諾してうなずいた。
「果実酒を買ってこよう。焼き菓子を食べては喉も渇くだろう」
気を利かせているようで、それはきっと“ふり”だ。
「ヴァン、服をつくるのに付き合うのが退屈なんでしょ?」
凪乃羽が推し量った本音を口にしてみると、的中しているのかヴァンフリーは可笑しそうにした。
「何かあればすぐに飛んでくる。ヴァンと、おまえがそう呼べば。あのときのように忘れるな」
ヴァンフリーは促すように首をひねる。
何をほのめかしているのか、凪乃羽が把握したのは一瞬のちで、あのときは――天変地異に見舞われたときは冗談めかしていたけれど、おざなりの言葉ではなく本当に『ヴァン』と呼ぶだけで目の前に現れるのだとやっと理解に至った。
ヴァンフリーが自由に一瞬にして移動できることは、実際に見てもう知っている。いや、あのときも現に突然、ヴァンフリーは凪乃羽の前に現れた。しかも、宙に浮いて、だ。
「さっきみたいな乱暴な人が現れたらちゃんとそうする。またヴァンの闘いぶりが見たいから」
「あれは闘いとは云えない。戯れだ。おれとしても見せ足りないが、そういう輩が現れても困る。ここは上流階級しか入らない店だ、大丈夫とは思うが」
ヴァンフリーは興じること半分、あとの半分は懸念が窺える。店を出ると云ったときは大したこととは捉えていなかったのだろう。凪乃羽の何気ない言葉に影響されている。
「大丈夫。ヴァンがすごいってことはわかってるから」
はじめて町に降りて、そのうえ慣れない世界だ、そこに一人だけ取り残されれば不安になるところだけれど、バトとペンタがヴァンフリーの正体をわかっているから安心できる。
凪乃羽の声に淀みはないはずで――
「そのとおりだ」
吹くように吐息を漏らしたその笑みを見ると、懸念もなくなったように見える。
「じゃあ、いってらっしゃい」
「ああ。おまえが干からびるまえに戻ってくる」
ヴァンフリーは冗談めかして云い、頼む、とバトに声をかけて出ていった。
「親愛なる凪乃羽、さあ、いらっしゃい」
凪乃羽はペンタに手招きされ、店の奥に引っこむとまずは採寸をされた。
次にペンタは布を持ちだした。
「わたしのお勧めから試してみてよろしいですか」
と伺いつつも返事を聞くまえに凪乃羽の躰に布を当て、ペンタは器用に針で留めながらドレスの形へと整えていく。
「ペンタ、わたしが着てるこの服もここでつくってもらったんですね?」
ウラヌス邸に住む使用人の衣服と、凪乃羽のそれは明らかに生地の質が違う。訊ねてみると、ペンタは大きくうなずいた。
「そうですよ。凪乃羽さまが気に入ってくださってると聞いています」
「それは本当です。わたしの……わたしが生まれ育ったところにはこんな生地なかったから」
凪乃羽が云うと、うれしそうにしていたペンタはふと顔を曇らせた。
「どうかしました?」
凪乃羽の問いにペンタは憂えた面持ちでため息をつく。
「いま、何もかもが不安定な世、生地の調達もままならなくなっているんですよ。もともと高価なものだけれど、このままではもっと手の届かないものになってしまいます。わたしたちもお得意さまも」
「アルカナ・ワールがいなくなったせい?」
「そうなんですけど……そもそもはアルカナ・フィリルの悲劇から始まったことだと、最近になってわたしたちの耳に入るようになりました」
「……アルカナ・フィリルの悲劇?」
ペンタの言葉から、上人のなかでは公然の事実でも、民には知っていること知らないことがあるとわかった。
0
お気に入りに追加
162
あなたにおすすめの小説
小野寺社長のお気に入り
茜色
恋愛
朝岡渚(あさおかなぎさ)、28歳。小さなイベント企画会社に転職して以来、社長のアシスタント兼お守り役として振り回される毎日。34歳の社長・小野寺貢(おのでらみつぐ)は、ルックスは良いが生活態度はいい加減、デリカシーに欠ける困った男。
悪天候の夜、残業で家に帰れなくなった渚は小野寺と応接室で仮眠をとることに。思いがけず緊張する渚に、「おまえ、あんまり男を知らないだろう」と小野寺が突然迫ってきて・・・。
☆全19話です。「オフィスラブ」と謳っていますが、あまりオフィスっぽくありません。
☆「ムーンライトノベルズ」様にも掲載しています。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる