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第4章 二十三番めの呪縛
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ヴァンフリーは、広場を縁取るように店の連なった市場には行かず、店の合間にある細い通りに入りこんだ。すぐに道が交差した場所に出ると、広場を囲むようにつくられているらしい、緩やかに曲がった広い道に沿って歩く。
やがて目的の仕立て屋にたどり着いた。
木製の扉には、真鍮でできた天使の羽を思わせるようなドアノッカーがついている。それを軽く叩いて音を鳴らす、ヴァンフリーのしぐさは優雅に見えた。出てきた男はセギーに似て厳格な執事風だったけれど、ヴァンフリーを認識したと同時に相好をくずして丁重に挨拶をこなした。凪乃羽に向けた眼差しも温和で歓迎を示している。
案内されるままなかに入ると、生地を並べた棚があり、お針子が作業台に向かってせっせと手を動かしていた。
凪乃羽から見れば、店の雰囲気もつくりもアンティークだ。市場の雰囲気もそうだけれど、ただ、市場にあった店とは明らかに格が違うことはわかった。
お針子は目を上向けて客を見、すると、これでもかというほど顔を綻ばせた。
ほかに客は見当たらず、そこでヴァンフリーはあらためて凪乃羽とふたりを対面させた。迎えに出た男、バトがセギーの弟だと聞くと、凪乃羽は最初の印象どおりで納得した。お針子のペンタは妻で、夫婦水入らずで仕立て屋を営んでいるという。
ヴァンフリーが用件を云いつけるとお針子は快諾してうなずいた。
「果実酒を買ってこよう。焼き菓子を食べては喉も渇くだろう」
気を利かせているようで、それはきっと“ふり”だ。
「ヴァン、服をつくるのに付き合うのが退屈なんでしょ?」
凪乃羽が推し量った本音を口にしてみると、的中しているのかヴァンフリーは可笑しそうにした。
「何かあればすぐに飛んでくる。ヴァンと、おまえがそう呼べば。あのときのように忘れるな」
ヴァンフリーは促すように首をひねる。
何をほのめかしているのか、凪乃羽が把握したのは一瞬のちで、あのときは――天変地異に見舞われたときは冗談めかしていたけれど、おざなりの言葉ではなく本当に『ヴァン』と呼ぶだけで目の前に現れるのだとやっと理解に至った。
ヴァンフリーが自由に一瞬にして移動できることは、実際に見てもう知っている。いや、あのときも現に突然、ヴァンフリーは凪乃羽の前に現れた。しかも、宙に浮いて、だ。
「さっきみたいな乱暴な人が現れたらちゃんとそうする。またヴァンの闘いぶりが見たいから」
「あれは闘いとは云えない。戯れだ。おれとしても見せ足りないが、そういう輩が現れても困る。ここは上流階級しか入らない店だ、大丈夫とは思うが」
ヴァンフリーは興じること半分、あとの半分は懸念が窺える。店を出ると云ったときは大したこととは捉えていなかったのだろう。凪乃羽の何気ない言葉に影響されている。
「大丈夫。ヴァンがすごいってことはわかってるから」
はじめて町に降りて、そのうえ慣れない世界だ、そこに一人だけ取り残されれば不安になるところだけれど、バトとペンタがヴァンフリーの正体をわかっているから安心できる。
凪乃羽の声に淀みはないはずで――
「そのとおりだ」
吹くように吐息を漏らしたその笑みを見ると、懸念もなくなったように見える。
「じゃあ、いってらっしゃい」
「ああ。おまえが干からびるまえに戻ってくる」
ヴァンフリーは冗談めかして云い、頼む、とバトに声をかけて出ていった。
「親愛なる凪乃羽、さあ、いらっしゃい」
凪乃羽はペンタに手招きされ、店の奥に引っこむとまずは採寸をされた。
次にペンタは布を持ちだした。
「わたしのお勧めから試してみてよろしいですか」
と伺いつつも返事を聞くまえに凪乃羽の躰に布を当て、ペンタは器用に針で留めながらドレスの形へと整えていく。
「ペンタ、わたしが着てるこの服もここでつくってもらったんですね?」
ウラヌス邸に住む使用人の衣服と、凪乃羽のそれは明らかに生地の質が違う。訊ねてみると、ペンタは大きくうなずいた。
「そうですよ。凪乃羽さまが気に入ってくださってると聞いています」
「それは本当です。わたしの……わたしが生まれ育ったところにはこんな生地なかったから」
凪乃羽が云うと、うれしそうにしていたペンタはふと顔を曇らせた。
「どうかしました?」
凪乃羽の問いにペンタは憂えた面持ちでため息をつく。
「いま、何もかもが不安定な世、生地の調達もままならなくなっているんですよ。もともと高価なものだけれど、このままではもっと手の届かないものになってしまいます。わたしたちもお得意さまも」
「アルカナ・ワールがいなくなったせい?」
「そうなんですけど……そもそもはアルカナ・フィリルの悲劇から始まったことだと、最近になってわたしたちの耳に入るようになりました」
「……アルカナ・フィリルの悲劇?」
ペンタの言葉から、上人のなかでは公然の事実でも、民には知っていること知らないことがあるとわかった。
やがて目的の仕立て屋にたどり着いた。
木製の扉には、真鍮でできた天使の羽を思わせるようなドアノッカーがついている。それを軽く叩いて音を鳴らす、ヴァンフリーのしぐさは優雅に見えた。出てきた男はセギーに似て厳格な執事風だったけれど、ヴァンフリーを認識したと同時に相好をくずして丁重に挨拶をこなした。凪乃羽に向けた眼差しも温和で歓迎を示している。
案内されるままなかに入ると、生地を並べた棚があり、お針子が作業台に向かってせっせと手を動かしていた。
凪乃羽から見れば、店の雰囲気もつくりもアンティークだ。市場の雰囲気もそうだけれど、ただ、市場にあった店とは明らかに格が違うことはわかった。
お針子は目を上向けて客を見、すると、これでもかというほど顔を綻ばせた。
ほかに客は見当たらず、そこでヴァンフリーはあらためて凪乃羽とふたりを対面させた。迎えに出た男、バトがセギーの弟だと聞くと、凪乃羽は最初の印象どおりで納得した。お針子のペンタは妻で、夫婦水入らずで仕立て屋を営んでいるという。
ヴァンフリーが用件を云いつけるとお針子は快諾してうなずいた。
「果実酒を買ってこよう。焼き菓子を食べては喉も渇くだろう」
気を利かせているようで、それはきっと“ふり”だ。
「ヴァン、服をつくるのに付き合うのが退屈なんでしょ?」
凪乃羽が推し量った本音を口にしてみると、的中しているのかヴァンフリーは可笑しそうにした。
「何かあればすぐに飛んでくる。ヴァンと、おまえがそう呼べば。あのときのように忘れるな」
ヴァンフリーは促すように首をひねる。
何をほのめかしているのか、凪乃羽が把握したのは一瞬のちで、あのときは――天変地異に見舞われたときは冗談めかしていたけれど、おざなりの言葉ではなく本当に『ヴァン』と呼ぶだけで目の前に現れるのだとやっと理解に至った。
ヴァンフリーが自由に一瞬にして移動できることは、実際に見てもう知っている。いや、あのときも現に突然、ヴァンフリーは凪乃羽の前に現れた。しかも、宙に浮いて、だ。
「さっきみたいな乱暴な人が現れたらちゃんとそうする。またヴァンの闘いぶりが見たいから」
「あれは闘いとは云えない。戯れだ。おれとしても見せ足りないが、そういう輩が現れても困る。ここは上流階級しか入らない店だ、大丈夫とは思うが」
ヴァンフリーは興じること半分、あとの半分は懸念が窺える。店を出ると云ったときは大したこととは捉えていなかったのだろう。凪乃羽の何気ない言葉に影響されている。
「大丈夫。ヴァンがすごいってことはわかってるから」
はじめて町に降りて、そのうえ慣れない世界だ、そこに一人だけ取り残されれば不安になるところだけれど、バトとペンタがヴァンフリーの正体をわかっているから安心できる。
凪乃羽の声に淀みはないはずで――
「そのとおりだ」
吹くように吐息を漏らしたその笑みを見ると、懸念もなくなったように見える。
「じゃあ、いってらっしゃい」
「ああ。おまえが干からびるまえに戻ってくる」
ヴァンフリーは冗談めかして云い、頼む、とバトに声をかけて出ていった。
「親愛なる凪乃羽、さあ、いらっしゃい」
凪乃羽はペンタに手招きされ、店の奥に引っこむとまずは採寸をされた。
次にペンタは布を持ちだした。
「わたしのお勧めから試してみてよろしいですか」
と伺いつつも返事を聞くまえに凪乃羽の躰に布を当て、ペンタは器用に針で留めながらドレスの形へと整えていく。
「ペンタ、わたしが着てるこの服もここでつくってもらったんですね?」
ウラヌス邸に住む使用人の衣服と、凪乃羽のそれは明らかに生地の質が違う。訊ねてみると、ペンタは大きくうなずいた。
「そうですよ。凪乃羽さまが気に入ってくださってると聞いています」
「それは本当です。わたしの……わたしが生まれ育ったところにはこんな生地なかったから」
凪乃羽が云うと、うれしそうにしていたペンタはふと顔を曇らせた。
「どうかしました?」
凪乃羽の問いにペンタは憂えた面持ちでため息をつく。
「いま、何もかもが不安定な世、生地の調達もままならなくなっているんですよ。もともと高価なものだけれど、このままではもっと手の届かないものになってしまいます。わたしたちもお得意さまも」
「アルカナ・ワールがいなくなったせい?」
「そうなんですけど……そもそもはアルカナ・フィリルの悲劇から始まったことだと、最近になってわたしたちの耳に入るようになりました」
「……アルカナ・フィリルの悲劇?」
ペンタの言葉から、上人のなかでは公然の事実でも、民には知っていること知らないことがあるとわかった。
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