皇子は愛を秘匿できない~抱き溺れる愚者~

奏井れゆな

文字の大きさ
上 下
46 / 83
第4章 二十三番めの呪縛

2.

しおりを挟む
 ヴァンフリーが最初に寄ったのは籠屋で、持ち手のついた小ぶりの籠を一つ買い、それから香ばしい匂いをたどり、焼き菓子が並ぶ場所へと行った。
 簡易の天幕も半分は捲られて、所狭しと積みあげられた品にが注ぎ、艶々として食をそそる。凪乃羽は目移りして選択を迷う。
「とりあえず選択肢をあげてみろ」
 人だかりのなか、凪乃羽の背中にぴたりと躰を添わせたヴァンフリーは頭上から声をかける。
 迷いすぎて、待ちくたびれているのだろうか。考えてみれば、ヴァンフリーはよく二者択一を迫る。シュプリムグッドに来てからは鳴りを潜めているものの、本来はせっかちな性格だ。
「えっと……」
 と、凪乃羽は五種類の焼き菓子を指差した。すると背後からヴァンフリーが籠を差しだす。
「いまのを全部だ」
 その言葉は凪乃羽に向けられたものではない。店主が、はいよ! と籠の中に次々と焼き菓子を入れていく。
「取っておけ」
 ヴァンフリーは金貨を一枚、渡すと、店主は信じられないものに遭遇したかのように自分のてのひらを見て瞠目どうもくした。
「旦那、こ、こんなによろしいんですか」
 店主は驚きすぎたのか、痞えながら、なお且つ、砕けた対応から一転、恐縮そうに態度を変えた。
「取っておけと云ってる」
 ヴァンフリーは面倒くさそうに繰り返した。
 髪を黒く染めたヴァンフリーを上人だとわかる人はいないけれど、尊大さは身に染みついて消しようがない。
 店主は感謝と媚びと入り混じった面持ちで破顔し――
「ありがとうございます。ちょっと待ってくださいよ……」
 と云いながら後ろを向いて、そこにあった布を捲っている。
 その下の籠の中から何やら取りだすと、店主は向き直ってヴァンフリーから手渡された籠の中に二つ、新たに焼き菓子を忍ばせた。
「お得意さんにお配りする特別なお菓子です。いま焼きあがったばっかりですよ。できたては絶品ですから、どうぞ召し上がってください」
 背後を振り仰ぐと、ヴァンフリーはかすかにうなずき、凪乃羽は店主に目を戻した。
「はい、いただきます。ありがとうございます」
「とんでもない」
 凪乃羽の礼に、すっかり気をよくした店主は若干ずれた返事をして、またお越しください、と威勢よく送りだした。
「ヴァン、あの金貨一枚で本当はどれくらい買えるの?」
 ヴァンフリーに促されるまま、来た道を引き返しながら凪乃羽は訊ねてみた。すっかり金銭を扱う場面から遠ざかり、金貨という交換媒体をよけいに新鮮だった。
「あの店の品を全部を買っても釣り銭がくる」
 凪乃羽は目を丸くした。金の価値は地球でも高い。ヴァンフリーが使った金貨は、金膜を施したものではなく本物の金なのだろうけれど。
「さっきの、幻ってことにならないですよね」
 気づいたら、ちょっと浮かんだ疑問を凪乃羽は口にしていた。
「なんのことだ」
「この国はなんでもありって感じだから、さっきの金貨も上人の能力で作りだしたもので、時間がたったら蒸発したりしない?」
「はっ。変わった発想をする。いや、疑り深いか?」
 ヴァンフリーはおもしろがって返した。
「じゃあ本物なんですね?」
「いくら愚者でも民を愚弄するつもりはない。真っ当に仕事の対価として手に入れた金貨ではないが」
「……盗んだの?」
「面倒なことはしない。マジェスの役割を憶えているか」
「四元素の支配者?」
「そうだ。つまり?」
「……金貨が作れるの?」
「非合法みたいに云うな」
 ヴァンフリーは可笑しそうに凪乃羽を見やる。ちょうど水路まで来たところで、その水路を縁取る石に腰かけるよう、凪乃羽に促した。
 縁石は奥行きがあって、よほど愚かしいことをやらないかぎり水路に落ちる心配はない。周囲には、水路側に足を下ろして座ってくつろぐ人たちもいる。
「そもそも、知ってのとおり食する欲はなく、必要なものはマジェスが創造するから、上人が通貨を利用する必要はない。アルカヌム城もマジェスの建造物だ。地球の歴史にあったような、民を奴隷扱いして城を建てることはない」
 凪乃羽が座るのを見届け、ヴァンフリーは釈明をしながら隣に腰をおろした。
「ウラヌス邸も?」
「凪乃羽は鋭いところを突いてくるな」
 ヴァンフリーは感心した声音で云い、薄く笑う。
「……アルカナ・マジェスが建てたものじゃないの?」
「マジェスに頼めば、邸宅の構造は筒抜けになる。おれは自由人だ。そうやって影の侵入者を許すつもりはない。ウラヌスは民が建てた。セギーの先代もそのなかの一人だ。もちろん、正当な労働に正当な対価を支払った。そこを心配してるなら」
 凪乃羽の驚きがヴァンフリーにはどう映ったのか、云い訳のように付け加えた。
「そういうことじゃなくて、徹底して独りになりたかったんだなって思って感心してる」
「永遠だからこそ、そこは譲れない」
 肩をすくめたヴァンフリーは、笑う凪乃羽に籠を指差して示した。
「できたてを食べたらどうだ?」
「そう云ってもらえるのを待ってました」
 すかさず凪乃羽が応じると、ヴァンフリーは失笑した。
 凪乃羽は籠の中から店主が云う絶品のお菓子を取りだす。その見た目はデニッシュパン風だ。ねじった生地をさらにぐるぐるに巻いて、真ん中に赤いジャム、その上から艶々としたコーティングがなされている。
「いただきます」
 頬張って歯を立てるとパリパリッと音がして、それからふわりと生地の中に埋もれていく。コーティングは焦がしキャラメルで、ジャムはベリー系の風味がする。食感の違いも甘酸っぱい組み合わせも、店主の云うとおり絶品だ。
「美味しい。お得意さん用って裏メニューみたいな楽しみありますね。ほかの店もあるの?」
「さあな。おれは買い物をしないから」
 訊ねた相手を間違っていた。凪乃羽は自分で自分を笑う。そうして、ヴァンフリーの口もとに向かってお菓子を差しだす。
「ヴァンも食べてみて――」
「おいおいおい、そこのおふたりさん、人前で見せつけてんじゃねぇぞ」
 凪乃羽が云いかけた言葉はまったく知らない声の主にさえぎられた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

処理中です...