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第4章 二十三番めの呪縛
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ヴァンフリーが最初に寄ったのは籠屋で、持ち手のついた小ぶりの籠を一つ買い、それから香ばしい匂いをたどり、焼き菓子が並ぶ場所へと行った。
簡易の天幕も半分は捲られて、所狭しと積みあげられた品に陽が注ぎ、艶々として食をそそる。凪乃羽は目移りして選択を迷う。
「とりあえず選択肢をあげてみろ」
人だかりのなか、凪乃羽の背中にぴたりと躰を添わせたヴァンフリーは頭上から声をかける。
迷いすぎて、待ちくたびれているのだろうか。考えてみれば、ヴァンフリーはよく二者択一を迫る。シュプリムグッドに来てからは鳴りを潜めているものの、本来はせっかちな性格だ。
「えっと……」
と、凪乃羽は五種類の焼き菓子を指差した。すると背後からヴァンフリーが籠を差しだす。
「いまのを全部だ」
その言葉は凪乃羽に向けられたものではない。店主が、はいよ! と籠の中に次々と焼き菓子を入れていく。
「取っておけ」
ヴァンフリーは金貨を一枚、渡すと、店主は信じられないものに遭遇したかのように自分の掌を見て瞠目した。
「旦那、こ、こんなによろしいんですか」
店主は驚きすぎたのか、痞えながら、なお且つ、砕けた対応から一転、恐縮そうに態度を変えた。
「取っておけと云ってる」
ヴァンフリーは面倒くさそうに繰り返した。
髪を黒く染めたヴァンフリーを上人だとわかる人はいないけれど、尊大さは身に染みついて消しようがない。
店主は感謝と媚びと入り混じった面持ちで破顔し――
「ありがとうございます。ちょっと待ってくださいよ……」
と云いながら後ろを向いて、そこにあった布を捲っている。
その下の籠の中から何やら取りだすと、店主は向き直ってヴァンフリーから手渡された籠の中に二つ、新たに焼き菓子を忍ばせた。
「お得意さんにお配りする特別なお菓子です。いま焼きあがったばっかりですよ。できたては絶品ですから、どうぞ召し上がってください」
背後を振り仰ぐと、ヴァンフリーはかすかにうなずき、凪乃羽は店主に目を戻した。
「はい、いただきます。ありがとうございます」
「とんでもない」
凪乃羽の礼に、すっかり気をよくした店主は若干ずれた返事をして、またお越しください、と威勢よく送りだした。
「ヴァン、あの金貨一枚で本当はどれくらい買えるの?」
ヴァンフリーに促されるまま、来た道を引き返しながら凪乃羽は訊ねてみた。すっかり金銭を扱う場面から遠ざかり、金貨という交換媒体をよけいに新鮮だった。
「あの店の品を全部を買っても釣り銭がくる」
凪乃羽は目を丸くした。金の価値は地球でも高い。ヴァンフリーが使った金貨は、金膜を施したものではなく本物の金なのだろうけれど。
「さっきの、幻ってことにならないですよね」
気づいたら、ちょっと浮かんだ疑問を凪乃羽は口にしていた。
「なんのことだ」
「この国はなんでもありって感じだから、さっきの金貨も上人の能力で作りだしたもので、時間がたったら蒸発したりしない?」
「はっ。変わった発想をする。いや、疑り深いか?」
ヴァンフリーはおもしろがって返した。
「じゃあ本物なんですね?」
「いくら愚者でも民を愚弄するつもりはない。真っ当に仕事の対価として手に入れた金貨ではないが」
「……盗んだの?」
「面倒なことはしない。マジェスの役割を憶えているか」
「四元素の支配者?」
「そうだ。つまり?」
「……金貨が作れるの?」
「非合法みたいに云うな」
ヴァンフリーは可笑しそうに凪乃羽を見やる。ちょうど水路まで来たところで、その水路を縁取る石に腰かけるよう、凪乃羽に促した。
縁石は奥行きがあって、よほど愚かしいことをやらないかぎり水路に落ちる心配はない。周囲には、水路側に足を下ろして座ってくつろぐ人たちもいる。
「そもそも、知ってのとおり食する欲はなく、必要なものはマジェスが創造するから、上人が通貨を利用する必要はない。アルカヌム城もマジェスの建造物だ。地球の歴史にあったような、民を奴隷扱いして城を建てることはない」
凪乃羽が座るのを見届け、ヴァンフリーは釈明をしながら隣に腰をおろした。
「ウラヌス邸も?」
「凪乃羽は鋭いところを突いてくるな」
ヴァンフリーは感心した声音で云い、薄く笑う。
「……アルカナ・マジェスが建てたものじゃないの?」
「マジェスに頼めば、邸宅の構造は筒抜けになる。おれは自由人だ。そうやって影の侵入者を許すつもりはない。ウラヌスは民が建てた。セギーの先代もそのなかの一人だ。もちろん、正当な労働に正当な対価を支払った。そこを心配してるなら」
凪乃羽の驚きがヴァンフリーにはどう映ったのか、云い訳のように付け加えた。
「そういうことじゃなくて、徹底して独りになりたかったんだなって思って感心してる」
「永遠だからこそ、そこは譲れない」
肩をすくめたヴァンフリーは、笑う凪乃羽に籠を指差して示した。
「できたてを食べたらどうだ?」
「そう云ってもらえるのを待ってました」
すかさず凪乃羽が応じると、ヴァンフリーは失笑した。
凪乃羽は籠の中から店主が云う絶品のお菓子を取りだす。その見た目はデニッシュパン風だ。ねじった生地をさらにぐるぐるに巻いて、真ん中に赤いジャム、その上から艶々としたコーティングがなされている。
「いただきます」
頬張って歯を立てるとパリパリッと音がして、それからふわりと生地の中に埋もれていく。コーティングは焦がしキャラメルで、ジャムはベリー系の風味がする。食感の違いも甘酸っぱい組み合わせも、店主の云うとおり絶品だ。
「美味しい。お得意さん用って裏メニューみたいな楽しみありますね。ほかの店もあるの?」
「さあな。おれは買い物をしないから」
訊ねた相手を間違っていた。凪乃羽は自分で自分を笑う。そうして、ヴァンフリーの口もとに向かってお菓子を差しだす。
「ヴァンも食べてみて――」
「おいおいおい、そこのおふたりさん、人前で見せつけてんじゃねぇぞ」
凪乃羽が云いかけた言葉はまったく知らない声の主にさえぎられた。
簡易の天幕も半分は捲られて、所狭しと積みあげられた品に陽が注ぎ、艶々として食をそそる。凪乃羽は目移りして選択を迷う。
「とりあえず選択肢をあげてみろ」
人だかりのなか、凪乃羽の背中にぴたりと躰を添わせたヴァンフリーは頭上から声をかける。
迷いすぎて、待ちくたびれているのだろうか。考えてみれば、ヴァンフリーはよく二者択一を迫る。シュプリムグッドに来てからは鳴りを潜めているものの、本来はせっかちな性格だ。
「えっと……」
と、凪乃羽は五種類の焼き菓子を指差した。すると背後からヴァンフリーが籠を差しだす。
「いまのを全部だ」
その言葉は凪乃羽に向けられたものではない。店主が、はいよ! と籠の中に次々と焼き菓子を入れていく。
「取っておけ」
ヴァンフリーは金貨を一枚、渡すと、店主は信じられないものに遭遇したかのように自分の掌を見て瞠目した。
「旦那、こ、こんなによろしいんですか」
店主は驚きすぎたのか、痞えながら、なお且つ、砕けた対応から一転、恐縮そうに態度を変えた。
「取っておけと云ってる」
ヴァンフリーは面倒くさそうに繰り返した。
髪を黒く染めたヴァンフリーを上人だとわかる人はいないけれど、尊大さは身に染みついて消しようがない。
店主は感謝と媚びと入り混じった面持ちで破顔し――
「ありがとうございます。ちょっと待ってくださいよ……」
と云いながら後ろを向いて、そこにあった布を捲っている。
その下の籠の中から何やら取りだすと、店主は向き直ってヴァンフリーから手渡された籠の中に二つ、新たに焼き菓子を忍ばせた。
「お得意さんにお配りする特別なお菓子です。いま焼きあがったばっかりですよ。できたては絶品ですから、どうぞ召し上がってください」
背後を振り仰ぐと、ヴァンフリーはかすかにうなずき、凪乃羽は店主に目を戻した。
「はい、いただきます。ありがとうございます」
「とんでもない」
凪乃羽の礼に、すっかり気をよくした店主は若干ずれた返事をして、またお越しください、と威勢よく送りだした。
「ヴァン、あの金貨一枚で本当はどれくらい買えるの?」
ヴァンフリーに促されるまま、来た道を引き返しながら凪乃羽は訊ねてみた。すっかり金銭を扱う場面から遠ざかり、金貨という交換媒体をよけいに新鮮だった。
「あの店の品を全部を買っても釣り銭がくる」
凪乃羽は目を丸くした。金の価値は地球でも高い。ヴァンフリーが使った金貨は、金膜を施したものではなく本物の金なのだろうけれど。
「さっきの、幻ってことにならないですよね」
気づいたら、ちょっと浮かんだ疑問を凪乃羽は口にしていた。
「なんのことだ」
「この国はなんでもありって感じだから、さっきの金貨も上人の能力で作りだしたもので、時間がたったら蒸発したりしない?」
「はっ。変わった発想をする。いや、疑り深いか?」
ヴァンフリーはおもしろがって返した。
「じゃあ本物なんですね?」
「いくら愚者でも民を愚弄するつもりはない。真っ当に仕事の対価として手に入れた金貨ではないが」
「……盗んだの?」
「面倒なことはしない。マジェスの役割を憶えているか」
「四元素の支配者?」
「そうだ。つまり?」
「……金貨が作れるの?」
「非合法みたいに云うな」
ヴァンフリーは可笑しそうに凪乃羽を見やる。ちょうど水路まで来たところで、その水路を縁取る石に腰かけるよう、凪乃羽に促した。
縁石は奥行きがあって、よほど愚かしいことをやらないかぎり水路に落ちる心配はない。周囲には、水路側に足を下ろして座ってくつろぐ人たちもいる。
「そもそも、知ってのとおり食する欲はなく、必要なものはマジェスが創造するから、上人が通貨を利用する必要はない。アルカヌム城もマジェスの建造物だ。地球の歴史にあったような、民を奴隷扱いして城を建てることはない」
凪乃羽が座るのを見届け、ヴァンフリーは釈明をしながら隣に腰をおろした。
「ウラヌス邸も?」
「凪乃羽は鋭いところを突いてくるな」
ヴァンフリーは感心した声音で云い、薄く笑う。
「……アルカナ・マジェスが建てたものじゃないの?」
「マジェスに頼めば、邸宅の構造は筒抜けになる。おれは自由人だ。そうやって影の侵入者を許すつもりはない。ウラヌスは民が建てた。セギーの先代もそのなかの一人だ。もちろん、正当な労働に正当な対価を支払った。そこを心配してるなら」
凪乃羽の驚きがヴァンフリーにはどう映ったのか、云い訳のように付け加えた。
「そういうことじゃなくて、徹底して独りになりたかったんだなって思って感心してる」
「永遠だからこそ、そこは譲れない」
肩をすくめたヴァンフリーは、笑う凪乃羽に籠を指差して示した。
「できたてを食べたらどうだ?」
「そう云ってもらえるのを待ってました」
すかさず凪乃羽が応じると、ヴァンフリーは失笑した。
凪乃羽は籠の中から店主が云う絶品のお菓子を取りだす。その見た目はデニッシュパン風だ。ねじった生地をさらにぐるぐるに巻いて、真ん中に赤いジャム、その上から艶々としたコーティングがなされている。
「いただきます」
頬張って歯を立てるとパリパリッと音がして、それからふわりと生地の中に埋もれていく。コーティングは焦がしキャラメルで、ジャムはベリー系の風味がする。食感の違いも甘酸っぱい組み合わせも、店主の云うとおり絶品だ。
「美味しい。お得意さん用って裏メニューみたいな楽しみありますね。ほかの店もあるの?」
「さあな。おれは買い物をしないから」
訊ねた相手を間違っていた。凪乃羽は自分で自分を笑う。そうして、ヴァンフリーの口もとに向かってお菓子を差しだす。
「ヴァンも食べてみて――」
「おいおいおい、そこのおふたりさん、人前で見せつけてんじゃねぇぞ」
凪乃羽が云いかけた言葉はまったく知らない声の主にさえぎられた。
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