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第4章 二十三番めの呪縛
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ヴァンフリーが凪乃羽を連れ、遥か高い断崖からアルカヌム城を臨む城下町へと降りるのにそう時間はかからなかった。子供たちの“悪戯”のもと、道なき道に導かれて森のなかを難なく抜けられた。
ウラヌス邸は大きいだけではなく、欧州の古い街並みに残ったような重厚な趣を放つ。さながら中世といった様相だ。ゆえに町というものが、凪乃羽が生まれ育った環境とは違うとは承知している。まるで想像がつかず、好奇心を抱きつつも心底からわくわくしているかといえば、そうではない。
森と城下町の境を仕切るように設けられた水路は大きく、そこに架かった橋を渡ってまもなく、ふたりは広場に差しかかった。
車ではなく小さな馬車であったり手押し車であったり、それらが人を掻き分けるようにしながら石畳の上をゆっくりと走る景色は、人通りが多いなかでも凪乃羽からすると長閑に感じられた。
広場では市場が開かれ、いろんな露天が並ぶ。
「いい匂いがする」
歩きながら鼻を利かせてつぶやくと、ヴァンフリーは凪乃羽を見下ろした。
「やっと笑ったな。おれといても不機嫌なくせに、食べるものでそうなるなど到底、納得はいかないが」
凪乃羽は足を止めてヴァンフリーを覗きこむ。手を繋いでいるから必然的にヴァンフリーも立ち止まった。
「わたし……笑ってない?」
不思議そうに首をかしげると、ヴァンフリーは先刻、口にしたとおり納得できないことを首をひねるというしぐさで、あらためて示した。
「昨日、森から帰って以来、何か考えこんでいる。違っているか?」
ヴァンフリーは凪乃羽をよく見ている。
昨日、ヴァンフリーが探しているハングと遭遇したことも、そうして何を云われたかも、凪乃羽はヴァンフリーに打ち明けられていない。
ハングは黙っていろとも秘密だとも云わなかった。ヴァンフリーに相談してもいいはずが、ヴァンフリーに関したことだけに凪乃羽はためらったのだ。もしかしたら、そうなると見越して、口止めをする必要はないとハングが判断したのか。それとも、話すか話さないか、そこで凪乃羽の器が量られているのか。
「考えこんでいない、疲れてたんだと思う。昨日、出かけるまで、ヴァンにずっと部屋に閉じこめられたから」
「そんなに連れまわされたのか」
ヴァンは顔をしかめた。
「だから、子供たちのせいじゃなくてヴァンのせいって云ってるの。自分の非を認めなくて、子供たちに責任転嫁しようとしてる? それが無意識だったら最悪です」
わざと責めるように云ってみると、ヴァンフリーはわずかに目を見開き、それから苦笑した。
「そんなつもりはなかった」
「愚者が“フリ”だって云うなら、実際は賢いって云ってるのと同じなのに、正しく理解できないなんてあり得なくない?」
「やけに絡むな」
ヴァンフリーはゆったりと首をひねった。
確かに、いまの凪乃羽はしつこかった。ハングが植えつけた、疑惑とまではいかないものの疑いのせいであり、不安だからこその反応かもしれない。
「ここは山の頂と違って、にぎやか。シュプリムグッドは穏やかじゃないって云ってたけど、そんなふうには見えない。ヴァンがわたしをウラヌス邸に閉じこめようとして嘘を云ってるんじゃないかって、ちょっと怒ってるかも」
それは口先だけで、凪乃羽が怒っていることはなく、“不機嫌”を追求される危うさから逃れるための口実にすぎない。ヴァンフリーが凪乃羽の言葉を真に受けて心外だといったふうに首を横に振ると、内心でほっとした。
「閉じこめたいのはやまやまだが、こうやって連れだしているだろう。この国が不穏なのは事実だ」
「アルカナ・ハングを探しているのもそのせい? 見つけないとどうなるの?」
「皇帝を倒すための唯一の手段をハングが探し当てて利用するまえに、確かめたいことがあるからだ」
「確かめたいことって?」
「呪いが真実か否か、だ」
「呪いって何? それをハングが知ってるの?」
「呪いを預言したハーミットは見つけようと思っても見つからない。ハーミットが出てくるのを待つよりはハングを探したほうが早い。ハングの脱走を手伝ったのがだれか、おれの想像に間違いがなければ、知っているはずだ。だが、その想像は迂闊に話せることじゃない。特に凪乃羽、おまえはボロを出しやすそうだからな」
「そんなことはない」
「だとしたら、自分をわかってない。いまのは褒め言葉だ」
「褒め言葉?」
「凪乃羽には人に対して悪意という裏がない」
「わたしの裏側なんて、ヴァンにはわからないと思うけど」
「やっぱり突っかかる。まずは美味しいものでも食べさせて機嫌をとったほうがよさそうだ」
肝心の呪いについては、結局はごまかされた。つまり、呪いが鍵なのだ。
「美味しいもので機嫌が直るのはわたしだけじゃないから。ヴァンもコーヒーを飲むときは、すごく油断してる」
ヴァンフリーは片方の眉を跳ねあげ、おどけて肩をすくめる。
「飲めなくなったのは本当に残念だな」
と、ため息交じりで云ったヴァンフリーは凪乃羽の手を引いて広場のなかへと歩きだした。
ウラヌス邸は大きいだけではなく、欧州の古い街並みに残ったような重厚な趣を放つ。さながら中世といった様相だ。ゆえに町というものが、凪乃羽が生まれ育った環境とは違うとは承知している。まるで想像がつかず、好奇心を抱きつつも心底からわくわくしているかといえば、そうではない。
森と城下町の境を仕切るように設けられた水路は大きく、そこに架かった橋を渡ってまもなく、ふたりは広場に差しかかった。
車ではなく小さな馬車であったり手押し車であったり、それらが人を掻き分けるようにしながら石畳の上をゆっくりと走る景色は、人通りが多いなかでも凪乃羽からすると長閑に感じられた。
広場では市場が開かれ、いろんな露天が並ぶ。
「いい匂いがする」
歩きながら鼻を利かせてつぶやくと、ヴァンフリーは凪乃羽を見下ろした。
「やっと笑ったな。おれといても不機嫌なくせに、食べるものでそうなるなど到底、納得はいかないが」
凪乃羽は足を止めてヴァンフリーを覗きこむ。手を繋いでいるから必然的にヴァンフリーも立ち止まった。
「わたし……笑ってない?」
不思議そうに首をかしげると、ヴァンフリーは先刻、口にしたとおり納得できないことを首をひねるというしぐさで、あらためて示した。
「昨日、森から帰って以来、何か考えこんでいる。違っているか?」
ヴァンフリーは凪乃羽をよく見ている。
昨日、ヴァンフリーが探しているハングと遭遇したことも、そうして何を云われたかも、凪乃羽はヴァンフリーに打ち明けられていない。
ハングは黙っていろとも秘密だとも云わなかった。ヴァンフリーに相談してもいいはずが、ヴァンフリーに関したことだけに凪乃羽はためらったのだ。もしかしたら、そうなると見越して、口止めをする必要はないとハングが判断したのか。それとも、話すか話さないか、そこで凪乃羽の器が量られているのか。
「考えこんでいない、疲れてたんだと思う。昨日、出かけるまで、ヴァンにずっと部屋に閉じこめられたから」
「そんなに連れまわされたのか」
ヴァンは顔をしかめた。
「だから、子供たちのせいじゃなくてヴァンのせいって云ってるの。自分の非を認めなくて、子供たちに責任転嫁しようとしてる? それが無意識だったら最悪です」
わざと責めるように云ってみると、ヴァンフリーはわずかに目を見開き、それから苦笑した。
「そんなつもりはなかった」
「愚者が“フリ”だって云うなら、実際は賢いって云ってるのと同じなのに、正しく理解できないなんてあり得なくない?」
「やけに絡むな」
ヴァンフリーはゆったりと首をひねった。
確かに、いまの凪乃羽はしつこかった。ハングが植えつけた、疑惑とまではいかないものの疑いのせいであり、不安だからこその反応かもしれない。
「ここは山の頂と違って、にぎやか。シュプリムグッドは穏やかじゃないって云ってたけど、そんなふうには見えない。ヴァンがわたしをウラヌス邸に閉じこめようとして嘘を云ってるんじゃないかって、ちょっと怒ってるかも」
それは口先だけで、凪乃羽が怒っていることはなく、“不機嫌”を追求される危うさから逃れるための口実にすぎない。ヴァンフリーが凪乃羽の言葉を真に受けて心外だといったふうに首を横に振ると、内心でほっとした。
「閉じこめたいのはやまやまだが、こうやって連れだしているだろう。この国が不穏なのは事実だ」
「アルカナ・ハングを探しているのもそのせい? 見つけないとどうなるの?」
「皇帝を倒すための唯一の手段をハングが探し当てて利用するまえに、確かめたいことがあるからだ」
「確かめたいことって?」
「呪いが真実か否か、だ」
「呪いって何? それをハングが知ってるの?」
「呪いを預言したハーミットは見つけようと思っても見つからない。ハーミットが出てくるのを待つよりはハングを探したほうが早い。ハングの脱走を手伝ったのがだれか、おれの想像に間違いがなければ、知っているはずだ。だが、その想像は迂闊に話せることじゃない。特に凪乃羽、おまえはボロを出しやすそうだからな」
「そんなことはない」
「だとしたら、自分をわかってない。いまのは褒め言葉だ」
「褒め言葉?」
「凪乃羽には人に対して悪意という裏がない」
「わたしの裏側なんて、ヴァンにはわからないと思うけど」
「やっぱり突っかかる。まずは美味しいものでも食べさせて機嫌をとったほうがよさそうだ」
肝心の呪いについては、結局はごまかされた。つまり、呪いが鍵なのだ。
「美味しいもので機嫌が直るのはわたしだけじゃないから。ヴァンもコーヒーを飲むときは、すごく油断してる」
ヴァンフリーは片方の眉を跳ねあげ、おどけて肩をすくめる。
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