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第3章 恋に秘された輪奈
5.
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ヴァンフリーの言葉を素直に受けとめればうれしいはずが、いま話していた事柄に関するかぎり、凪乃羽には到底、楽観視することはできない。首を横に振って拒むと、ヴァンフリーはまたしかめ面に戻った。
「ヴァン、だれとも違うって、特別だって云ってるように聞こえるけど、だれだってだれとも違っててあたりまえのことだし……双子だって三つ子だって顔が同じだけで中身は同じじゃない」
凪乃羽の云い分を聞き、口を噤んでしまったヴァンフリーはさっきと違って窮しているのではなく、考えこんでいる気配だ。やがて、むやみに長いため息をこぼした。
「おまえにものを云うときは隅々まで神経を配る必要があるようだ」
「……ごめんなさい。考え方が面倒くさくなってるって自分でもわかってる」
嫌味にしては不機嫌そうでもなく、ヴァンフリーの言葉をどう受けとめていいのかわからず、ただ自分でも屁理屈をこねているのもわかっていて、凪乃羽は弁解したあと下くちびるを咬んだ。
ふとした言葉に絡んでしまうのは、まだシュプリムグッドになじめていないからだ。このウラヌス邸の敷地内から一歩も出ることはなく、アルカナと呼ぶ人を除けば、セギーをはじめとした最小限の使用人しか知らない。国の様子もわからないし、普通に暮らしている人の習慣もわからないのだ。
ヴァンフリーは習慣を教えるよりも凪乃羽の習慣を優先している気がする。
初めの日、バブーシュのような靴を履いて外に出たあと、そのまま家のなかに入るところまではあまり気にならなかったけれど、夕刻に湯を浴びて躰を清めたあとに同じ靴で移動することには違和感を覚えた。寝台に上がるときに靴を脱ぐという習慣は、ホテルや海外ではそれがあたりまえでも、旅行ではなく毎日のことになると話が違ってくる。そうして、凪乃羽をそれに慣れさせるよりも、ヴァンフリーは外と内では履き替えるようにウラヌス邸の習慣を変えてしまった。東京で暮らしていたのだから、ヴァンフリー自身がその習慣に抵抗を感じなかったこともあるだろう。
入浴は、気候が安定していることもあり湯船に浸かるのではなく湯を浴びて終わる。それも数日前から湯船に浸かれるようになった。ヴァンフリーが短い脚のついた陶器の浴槽を調達させたのだ。
そして、ヴァンフリーは『この国にいると腹がへるな』と日本を指して云っていたけれど、アルカナは食べ物を必要としないのをここに来て知った。永遠に生きるとは、常に自ら活力を生みだせるということで、なお且つ自力で治癒、もしくは再生する力も保持しているということなのだ。
凪乃羽が用意された食事を食べる傍らで、ヴァンフリーは果実酒を飲みながら付き合う。セギーに訊ねれば、普通の人は凪乃羽と同じように食し、一日に朝晩二回の食事と、その間にデザートのようなものを食べるという。
わざわざ違うものを用意させるのは忍びなく、その習慣を知って以後、凪乃羽もそれに合わせたいとヴァンフリーに頼んで、ようやく躰が慣れた頃だ。
「おまえが自分を面倒くさく思おうと、おれがそう思っていることはない。まだ来たばかりで不安に陥りやすいというのは理解しているつもりだ。この国に慣れるまでには時間がかかるだろう。だが、その時間はあとになれば些細な時間に感じるだろうこともはっきり云っておく」
ヴァンフリーのことを――古尾万生のことを年齢よりもずっと大人だと感じていたけれど、その実、大人以上に果てしなく生き続けていて、そう思うのも不思議なことではなかった。だからだろうか。
「ヴァンはこっちに来て、ずっと大きくなった気がする。わたしを抱えても普通に歩けるくらい力持ちだし」
いままでの会話からすれば、的外れの発言に違いなく、ヴァンフリーは急に言葉が通じなくなったように眉間にしわを寄せて考えこんだ。そうして、言葉が通じないのではなく発言が出し抜けすぎたことに気づいた様子で、理解に至ったのだろう、ヴァンフリーはため息まがいで笑みを吐いた。
「大きく成長するには充分に年を取りすぎている。力持ちについては、自由に動けるぶん身軽ってことだ。地球にいるときと変わらない」
「でも、ヴァンは地球にいるときと違うことがある」
「この髪の色のことなら、染められるが……」
「そうじゃなくて、わたしを必要以上に守ろうとしてるところ。エロファンが云ってたけど、過保護すぎて、わたしはこの国に慣れる機会を奪われてる。そうじゃない?」
「確かに……一理ある。つまり?」
「つまり、慣れるべきだと思ってるなら、もっと外に出てもいいんじゃないかって……そうしたら不要なことを考える時間も減るし、気が紛れるかもしれない」
ヴァンフリーが気に喰わなそうに目を細め、「退屈って意味じゃないから」と凪乃羽は慌てて付け加えた。
「わたしの髪の色が異質だっていうんなら染めればすむみたいだし、でもセギーの髪は黒くて、それにラヴィもエロファンもわたしを辺境に住む人間だと信じてるみたいだし、異質だとか思ってる感じはしない。だれかに見られても目立つわけじゃないってことでしょ?」
「どうしても外に出たいようだな」
「東京に戻れなくて、ここで暮らさなきゃいけないなら」
選択しようのない条件を挙げると、ヴァンフリーはお手上げだと云ったふうに首を横に振った。
「いいだろう。町に降りるには今日は時間がない。手始めにいまから連れていこうとしていた森の中でいいな?」
「充分」
凪乃羽が大きくうなずいた直後、ヴァンフリーは何かに突かれたような様で綻んだくちびるに口づけた。
「ヴァン、だれとも違うって、特別だって云ってるように聞こえるけど、だれだってだれとも違っててあたりまえのことだし……双子だって三つ子だって顔が同じだけで中身は同じじゃない」
凪乃羽の云い分を聞き、口を噤んでしまったヴァンフリーはさっきと違って窮しているのではなく、考えこんでいる気配だ。やがて、むやみに長いため息をこぼした。
「おまえにものを云うときは隅々まで神経を配る必要があるようだ」
「……ごめんなさい。考え方が面倒くさくなってるって自分でもわかってる」
嫌味にしては不機嫌そうでもなく、ヴァンフリーの言葉をどう受けとめていいのかわからず、ただ自分でも屁理屈をこねているのもわかっていて、凪乃羽は弁解したあと下くちびるを咬んだ。
ふとした言葉に絡んでしまうのは、まだシュプリムグッドになじめていないからだ。このウラヌス邸の敷地内から一歩も出ることはなく、アルカナと呼ぶ人を除けば、セギーをはじめとした最小限の使用人しか知らない。国の様子もわからないし、普通に暮らしている人の習慣もわからないのだ。
ヴァンフリーは習慣を教えるよりも凪乃羽の習慣を優先している気がする。
初めの日、バブーシュのような靴を履いて外に出たあと、そのまま家のなかに入るところまではあまり気にならなかったけれど、夕刻に湯を浴びて躰を清めたあとに同じ靴で移動することには違和感を覚えた。寝台に上がるときに靴を脱ぐという習慣は、ホテルや海外ではそれがあたりまえでも、旅行ではなく毎日のことになると話が違ってくる。そうして、凪乃羽をそれに慣れさせるよりも、ヴァンフリーは外と内では履き替えるようにウラヌス邸の習慣を変えてしまった。東京で暮らしていたのだから、ヴァンフリー自身がその習慣に抵抗を感じなかったこともあるだろう。
入浴は、気候が安定していることもあり湯船に浸かるのではなく湯を浴びて終わる。それも数日前から湯船に浸かれるようになった。ヴァンフリーが短い脚のついた陶器の浴槽を調達させたのだ。
そして、ヴァンフリーは『この国にいると腹がへるな』と日本を指して云っていたけれど、アルカナは食べ物を必要としないのをここに来て知った。永遠に生きるとは、常に自ら活力を生みだせるということで、なお且つ自力で治癒、もしくは再生する力も保持しているということなのだ。
凪乃羽が用意された食事を食べる傍らで、ヴァンフリーは果実酒を飲みながら付き合う。セギーに訊ねれば、普通の人は凪乃羽と同じように食し、一日に朝晩二回の食事と、その間にデザートのようなものを食べるという。
わざわざ違うものを用意させるのは忍びなく、その習慣を知って以後、凪乃羽もそれに合わせたいとヴァンフリーに頼んで、ようやく躰が慣れた頃だ。
「おまえが自分を面倒くさく思おうと、おれがそう思っていることはない。まだ来たばかりで不安に陥りやすいというのは理解しているつもりだ。この国に慣れるまでには時間がかかるだろう。だが、その時間はあとになれば些細な時間に感じるだろうこともはっきり云っておく」
ヴァンフリーのことを――古尾万生のことを年齢よりもずっと大人だと感じていたけれど、その実、大人以上に果てしなく生き続けていて、そう思うのも不思議なことではなかった。だからだろうか。
「ヴァンはこっちに来て、ずっと大きくなった気がする。わたしを抱えても普通に歩けるくらい力持ちだし」
いままでの会話からすれば、的外れの発言に違いなく、ヴァンフリーは急に言葉が通じなくなったように眉間にしわを寄せて考えこんだ。そうして、言葉が通じないのではなく発言が出し抜けすぎたことに気づいた様子で、理解に至ったのだろう、ヴァンフリーはため息まがいで笑みを吐いた。
「大きく成長するには充分に年を取りすぎている。力持ちについては、自由に動けるぶん身軽ってことだ。地球にいるときと変わらない」
「でも、ヴァンは地球にいるときと違うことがある」
「この髪の色のことなら、染められるが……」
「そうじゃなくて、わたしを必要以上に守ろうとしてるところ。エロファンが云ってたけど、過保護すぎて、わたしはこの国に慣れる機会を奪われてる。そうじゃない?」
「確かに……一理ある。つまり?」
「つまり、慣れるべきだと思ってるなら、もっと外に出てもいいんじゃないかって……そうしたら不要なことを考える時間も減るし、気が紛れるかもしれない」
ヴァンフリーが気に喰わなそうに目を細め、「退屈って意味じゃないから」と凪乃羽は慌てて付け加えた。
「わたしの髪の色が異質だっていうんなら染めればすむみたいだし、でもセギーの髪は黒くて、それにラヴィもエロファンもわたしを辺境に住む人間だと信じてるみたいだし、異質だとか思ってる感じはしない。だれかに見られても目立つわけじゃないってことでしょ?」
「どうしても外に出たいようだな」
「東京に戻れなくて、ここで暮らさなきゃいけないなら」
選択しようのない条件を挙げると、ヴァンフリーはお手上げだと云ったふうに首を横に振った。
「いいだろう。町に降りるには今日は時間がない。手始めにいまから連れていこうとしていた森の中でいいな?」
「充分」
凪乃羽が大きくうなずいた直後、ヴァンフリーは何かに突かれたような様で綻んだくちびるに口づけた。
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