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第3章 恋に秘された輪奈

3.

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 エロファンやラヴィと違い、ヴァンフリーが影ではなく実体として突然に現れることは知っていても簡単には慣れない。
「ヴァン……おかえりなさい」
 気の抜けたような声で云いながら、凪乃羽は自分を軽々と横向きに抱きかかえたヴァンフリーを見上げた。
「退屈とはどういうことだ」
 ヴァンフリーはどこから聞き耳を立てていたのだろう。凪乃羽の言葉はその場しのぎにすぎないのに、よほど気に障ったのかヴァンフリーが受け流す気配はない。凪乃羽がやるべきなのはあくまで釈明であって、説明ではないのだ。
「いまが退屈ってことじゃない。字を憶えたいし、知らないことのほうがずっと多いし、だから驚いておもしろいって思うことのほうが多くて退屈にしてる暇がないから。外に出るなってことはわかってるけど、ここはヴァンの敷地だから大丈夫って思ったの。違った?」
「まったく違う」
 凪乃羽の言葉を跳ね返すようにヴァンフリーはぴしゃりと云いきった。
 ラヴィのくすくすと笑う声が聞こえた。そこにエロファンの笑い声も加わる。
「ヴァンフリー、凪乃羽には一から十まで躾が必要なようね」
「躾ける必要はない」
 ヴァンフリーはラヴィにも不機嫌に答える。
「言葉を間違えたかしら。教育、って云い直したらいい?」
 ラヴィがこたえたり反省したりすることは、まさに永久にないのだろう。変わらずくすくすと笑いながら飄々ひょうひょうとヴァンフリーに応じた。
 顔をしかめたヴァンフリーと違って、おもしろがっているのはエロファンだ。
「躾も教育も、ラヴィが口にすれば意味は一緒だろう。云い直しても意味がない」
 エロファンの指摘につんと顎を上げたラヴィには、抗議ではなく、“だから何?”といった挑戦的な様子が見える。
 エロファンは肩をすくめて、ヴァンフリーに目を転じた。
「外に出るなって、どこまで過保護なんだ? 相当のお気に入りらしい」
「わかってるなら、おれの不在中に凪乃羽にちょっかいを出すな」
「心外だ。少なくとも、おまえのお気に入りにちょっかいは出さないさ。絶交だったり、恨まれたり、それが永久に続くかと思うとうんざりする」
 なるほど、永久に生きる者の弊害のひとつだと、凪乃羽は妙に感心した。
「何を笑ってる」
 その声は傍で低く響き、凪乃羽はエロファンに向けていた目をヴァンフリーに戻した。伏せがちにした目が見ているのは凪乃羽で、いまの言葉は自分に向けられたものらしいと気づいた。
「それが、“笑いかけている”のであれば、家から一歩も出られなくするが。玄関から客間も出入り禁止だ」
 凪乃羽は意味もわからず、横暴な口ぶりに半ば唖然と見上げるのみで、ラヴィが眉をひそめるのにも、エロファンが吹きだすのにも気づかなかった。
「柄にもなく重症なのか、ヴァンフリー?」
「エロファン、役目を放りだして息抜きするのはいい。だが、逃げ場所はたがえないほうがいい。帰れ」
「はいはい。ではまた、凪乃羽」
 エロファンは思わせぶりに雅な笑みを凪乃羽に向けると、さようなら、と凪乃羽が声をかけているうちに空中に溶けるように消えていった。
「ラヴィ、きみも帰るべきだ。マジェスが探していた。おれはおれで、凪乃羽に教育する時間が必要らしいからな」
 ラヴィが云ったことを口実に持ちだすと、ころころと転がるような笑い声が立った。
「父のことなんてどうでもいいんだけど」と、ちらりと円卓を見やったラヴィは再びヴァンフリーを見上げて首をかしげた。
「わたしには話してくれるんでしょうね。いま起きていることを」
「ゆくゆくは」
 曖昧な答えにもかかわらず、ラヴィは納得したように顔を綻ばせた。
「だったら。わたしもいろいろ準備しなくちゃ」
 凪乃羽を一瞥したあと、じゃあね、とラヴィもまた空気に同化するように姿を消した。
「おろしてくれる?」
 タイミングを逸して云いだせなかったことを頼んでみると、ヴァンフリーは首をひねった。
「帰ってきても少しもうれしそうではない」
「いちいちうれしそうにしていられないくらい、ヴァンは消えたり現れたりすることが多くない?」
「小賢しいことを云う」
 ヴァンフリーは以前にも同じことを云った。そのときが遥か昔のように感じるのは、あまりに世界が違いすぎるせいか。
 凪乃羽を抱きあげたまま顔をおろし、ヴァンフリーはぶつかるようにしながらくちびるをふさいだ。舌でくちびるを割り、わずかに開いた歯の間に押しつけるようにしながら凪乃羽の口内に侵入した。
 抱きあげられているのは躰を拘束されているのとかわりない。首をのけ反らせても逃げきることはできなくて、ヴァンフリーの気がすむのを待つしかない。
 けれど、ただ受け身でいたのはつかの間、呼吸が思うようにできない息苦しさとともに現れたのは、のぼせるほどの心地よさだ。舌が絡み合っているのに、凪乃羽にはそうしている意識はなく――ヴァンフリーの舌に踊らされているだけで、それが甘噛みされて吸い着かれると舌が痺れたように痙攣し、躰中の力が奪われて喘いだ。
 その重みを感じたのかもしれない。ヴァンフリーの腕に力がこもり、そうしてキスから解放された。
「おまえは甘い酒と同じだ」
 くぐもった声は、けっしてキスにのめっていたのが凪乃羽だけではないという証拠かもしれない。目を開くと、玉虫色の瞳が理性を見失ったようにけぶって見えた。
「少々ばかがすぎる。が――」
 ヴァンフリーは独り言のようにつぶやくと、歩きだしてあずまやの下から陽の下へと出た。
「ヴァン?」
「出歩きたいらしいからな。ちょっと遠出だ」
 そう云って、ヴァンフリーは崖の方向とは反対に向かった。
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