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第2章 過保護な皇子と恋の落とし穴
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凪乃羽を見下ろしたままヴァンはほのかに息をつき、ゆっくりと瞬きをして見せた。任せておけ、あるいはよけいなことを口にするな、とそんな言葉のかわりだろうか。
「ラヴィ、無粋だな。こういう場合、見て見ぬふりではないのか。特に、きみは愛の象徴だろう」
ヴァンはおもむろに背後を振り向きながら、女性に声をかけた。かすかにおもしろがっている声音だ。
ヴァンが躰の向きを変えたことで、突如として現れた女性が凪乃羽の視界にも入った。ラヴィと呼ばれた彼女をしっかりと捉えたとき、凪乃羽は目を瞠った。
絶世の美女、あるいはヴィーナスとはラヴィのことだ。ヴァンの女性版というべきか、それほど容姿も躰の線も、些細なぶれもなく整っていた。
淡いピンクゴールドのまっすぐな髪は腰に届くほど長く、大きな瞳の目尻は細く切りこんでいて鼻もすっと筋が通っている。くちびるは薄くありながらふわりとして見えてけちがつけられない。マーメイド型のドレスを纏っているが、パフ袖が可憐で、肩から膝もとまで躰の線があらわになっている。胸は充分に存在感があり、腰はくびれて臀部になるとまた張っているという、女性から見てもうらやましくなるくらい魅惑的な体型だ。
人間離れしているというけれど、ヴァンと同じ“上人”なら納得もいく。ひょっとしたら、ヴァンの妹かもしれない。ふたりにはいかにも親し気な、遠慮のなさがある。
「だって、うるさいんですもの」
ラヴィはうんざりとした様子でわずかに肩を落として見せた。
「何がうるさい?」
「ロードの渾身の労作が壊されたことは知ってるでしょう?」
ヴァンに訊ねたラヴィの目がふと凪乃羽に向かった。それまで凪乃羽の存在はどうでもいいと無視するようだったけれど、いざ目が合うと内心まで窺うような眼差しになる。人に見えて人ではない存在を知ったいま、本当に心を読まれてしまったらという不安を抱いた。
「知っている。残酷なことだ。ロードはおれたちの前から消えただけでその存在まで消えたとは限らない。いまこそ皇帝の力を見せるべきというときに、寝た子を起こすような真似をするなどどうかしている」
ヴァンの返事を果たして聞き遂げたのか、ラヴィは凪乃羽に目を留めたまま口を開いた。
「ヴァンフリーが自由を好んでいることは知っているけど、いくらなんでも下層の愛人の分際で、上人に頭を垂れることもしない無礼さには感心しないわ」
なんのことかと思ったのは一瞬で、凪乃羽は慌てて頭を下げた――つもりが、不意打ちで腕を取られて思わずヴァンを見上げ、一礼することは果たせなかった。
「凪乃羽はシュプリムグッドの辺境で暮らしていた。この国のこと自体をよくは知らない。作法も習慣もこれから学ぶだろう。きみはおざなりの礼儀で満足するほど傲慢か? 自発的でなければ意味がないと思うが」
ラヴィはヴァンが云い終えたところで、凪乃羽からヴァンへと目を転じた。
「愚かなヴァンフリーがもっともなことを云ってるけど、わたしはこの子をどう捉えたらいいの?」
ラヴィがいう『この子』は自分のことだというのは凪乃羽にも容易に察せられる。ヴァンと同じで、彼女も永久を生きているのだ。凪乃羽はほんの子供に見えるだろう。
「ラヴィ、いまきみ自身が云っただろう。そのとおりだ」
「こんなときに本気で遊戯に耽ってるの? 地球に行ってたっていうのはまるきり嘘で、国の果てでこの子を口説いてたって云うの?」
ラヴィは呆れ果てた口調で云い、ヴァンは軽薄そうな様で吹くように笑った。
「これはおれのお気に入りだ。いちいち驚くし、傍で甘やかすのが楽しくてたまらない」
「さっきはお父さまを扱きおろすようなことを云ってたのに……ヴァンフリーってほんとに人を愚弄するんだから」
「いまさら云うか。旧知の仲だろう」
「そうね」
と、尖らせていた口を緩めていったんにっこりしたラヴィは、一転して深刻そうにため息をついた。
「ヴァンフリー、いくら息子だからって皇帝のお叱りは受けることにならない? それでなくても不機嫌なのに。命を受けて地球に行ったふりしてただけなんて……結局、正体はわからないままだわ」
「いずれにしても、父はおれに命じたのと同時に、ジャッジにも命じていることがあった。呪いはロードの悪戯なのか、もしくは目覚めないまま地球が終わるのと一緒にその存在は終わったのかもしれない」
「シュプリムグッドはどうなるの?」
ラヴィは心配そうに首をかしげた。
「云うまでもない。皇帝次第だろう。ラヴィ、何をそんなに案じている?」
「永遠の囚人が脱獄したらしいの」
「ハングが?」
「そう、この騒動の合間に。ワールがいなくなって秩序は確実に乱れてる。それが上人にも影響してるなんて……もしかしたら“永久”がなくなったのかもしれないっていう噂も出始めてるの」
「皇帝は戦々恐々としているだろうな」
「ヴァンフリーはのんびりしてるのね」
その言葉は責めているようにも聞こえ、ヴァンは肩をすくめてかわす。
「彼女に庭を案内しているところだ。皇帝のもとへはあとで行く。めったに見られない――いや、はじめての皇帝の慌てぶりを眺めていたらどうだ?」
ラヴィは賛同できないとばかりに首を横に振る。
「わたしを追い払いたいんでしょう。せいぜい永遠のすき間を楽しめばいいんだわ。ヴァンフリーを連れてくるって逃げる口実に使ってしまったから、とりあえず顔を出しただけ。わたしの心は広いのよ。わざと邪魔したなんて思わないで」
「それでこそ、愛の化身だ」
ヴァンがからかうように云うと、ラヴィはつんと顎を上げ、それからにっこりしたあと――
「じゃあ、あとでね」
と、凪乃羽をちらりと見やり、それから背中を見せて遠ざかっていく。
ラヴィの後ろ姿も、歩き方と相まって完成している。同性――と限定していいのかどうかはわからないが、少なくとも同じ躰つきをした凪乃羽がついつい、足を進めるたびにぷるんと揺れる臀部に目が行ってしまうくらいだ、ヴァンがそうあってもおかしくない。
ちょっと心細くなりながらヴァンを見上げると、予想と違って目が合った。
「……あんまりきれいでびっくりしてる」
何をごまかしているのか自分でもはっきりしないままそうしなければならない気がして、凪乃羽は他愛ないことを口走った。
「ラヴィ、無粋だな。こういう場合、見て見ぬふりではないのか。特に、きみは愛の象徴だろう」
ヴァンはおもむろに背後を振り向きながら、女性に声をかけた。かすかにおもしろがっている声音だ。
ヴァンが躰の向きを変えたことで、突如として現れた女性が凪乃羽の視界にも入った。ラヴィと呼ばれた彼女をしっかりと捉えたとき、凪乃羽は目を瞠った。
絶世の美女、あるいはヴィーナスとはラヴィのことだ。ヴァンの女性版というべきか、それほど容姿も躰の線も、些細なぶれもなく整っていた。
淡いピンクゴールドのまっすぐな髪は腰に届くほど長く、大きな瞳の目尻は細く切りこんでいて鼻もすっと筋が通っている。くちびるは薄くありながらふわりとして見えてけちがつけられない。マーメイド型のドレスを纏っているが、パフ袖が可憐で、肩から膝もとまで躰の線があらわになっている。胸は充分に存在感があり、腰はくびれて臀部になるとまた張っているという、女性から見てもうらやましくなるくらい魅惑的な体型だ。
人間離れしているというけれど、ヴァンと同じ“上人”なら納得もいく。ひょっとしたら、ヴァンの妹かもしれない。ふたりにはいかにも親し気な、遠慮のなさがある。
「だって、うるさいんですもの」
ラヴィはうんざりとした様子でわずかに肩を落として見せた。
「何がうるさい?」
「ロードの渾身の労作が壊されたことは知ってるでしょう?」
ヴァンに訊ねたラヴィの目がふと凪乃羽に向かった。それまで凪乃羽の存在はどうでもいいと無視するようだったけれど、いざ目が合うと内心まで窺うような眼差しになる。人に見えて人ではない存在を知ったいま、本当に心を読まれてしまったらという不安を抱いた。
「知っている。残酷なことだ。ロードはおれたちの前から消えただけでその存在まで消えたとは限らない。いまこそ皇帝の力を見せるべきというときに、寝た子を起こすような真似をするなどどうかしている」
ヴァンの返事を果たして聞き遂げたのか、ラヴィは凪乃羽に目を留めたまま口を開いた。
「ヴァンフリーが自由を好んでいることは知っているけど、いくらなんでも下層の愛人の分際で、上人に頭を垂れることもしない無礼さには感心しないわ」
なんのことかと思ったのは一瞬で、凪乃羽は慌てて頭を下げた――つもりが、不意打ちで腕を取られて思わずヴァンを見上げ、一礼することは果たせなかった。
「凪乃羽はシュプリムグッドの辺境で暮らしていた。この国のこと自体をよくは知らない。作法も習慣もこれから学ぶだろう。きみはおざなりの礼儀で満足するほど傲慢か? 自発的でなければ意味がないと思うが」
ラヴィはヴァンが云い終えたところで、凪乃羽からヴァンへと目を転じた。
「愚かなヴァンフリーがもっともなことを云ってるけど、わたしはこの子をどう捉えたらいいの?」
ラヴィがいう『この子』は自分のことだというのは凪乃羽にも容易に察せられる。ヴァンと同じで、彼女も永久を生きているのだ。凪乃羽はほんの子供に見えるだろう。
「ラヴィ、いまきみ自身が云っただろう。そのとおりだ」
「こんなときに本気で遊戯に耽ってるの? 地球に行ってたっていうのはまるきり嘘で、国の果てでこの子を口説いてたって云うの?」
ラヴィは呆れ果てた口調で云い、ヴァンは軽薄そうな様で吹くように笑った。
「これはおれのお気に入りだ。いちいち驚くし、傍で甘やかすのが楽しくてたまらない」
「さっきはお父さまを扱きおろすようなことを云ってたのに……ヴァンフリーってほんとに人を愚弄するんだから」
「いまさら云うか。旧知の仲だろう」
「そうね」
と、尖らせていた口を緩めていったんにっこりしたラヴィは、一転して深刻そうにため息をついた。
「ヴァンフリー、いくら息子だからって皇帝のお叱りは受けることにならない? それでなくても不機嫌なのに。命を受けて地球に行ったふりしてただけなんて……結局、正体はわからないままだわ」
「いずれにしても、父はおれに命じたのと同時に、ジャッジにも命じていることがあった。呪いはロードの悪戯なのか、もしくは目覚めないまま地球が終わるのと一緒にその存在は終わったのかもしれない」
「シュプリムグッドはどうなるの?」
ラヴィは心配そうに首をかしげた。
「云うまでもない。皇帝次第だろう。ラヴィ、何をそんなに案じている?」
「永遠の囚人が脱獄したらしいの」
「ハングが?」
「そう、この騒動の合間に。ワールがいなくなって秩序は確実に乱れてる。それが上人にも影響してるなんて……もしかしたら“永久”がなくなったのかもしれないっていう噂も出始めてるの」
「皇帝は戦々恐々としているだろうな」
「ヴァンフリーはのんびりしてるのね」
その言葉は責めているようにも聞こえ、ヴァンは肩をすくめてかわす。
「彼女に庭を案内しているところだ。皇帝のもとへはあとで行く。めったに見られない――いや、はじめての皇帝の慌てぶりを眺めていたらどうだ?」
ラヴィは賛同できないとばかりに首を横に振る。
「わたしを追い払いたいんでしょう。せいぜい永遠のすき間を楽しめばいいんだわ。ヴァンフリーを連れてくるって逃げる口実に使ってしまったから、とりあえず顔を出しただけ。わたしの心は広いのよ。わざと邪魔したなんて思わないで」
「それでこそ、愛の化身だ」
ヴァンがからかうように云うと、ラヴィはつんと顎を上げ、それからにっこりしたあと――
「じゃあ、あとでね」
と、凪乃羽をちらりと見やり、それから背中を見せて遠ざかっていく。
ラヴィの後ろ姿も、歩き方と相まって完成している。同性――と限定していいのかどうかはわからないが、少なくとも同じ躰つきをした凪乃羽がついつい、足を進めるたびにぷるんと揺れる臀部に目が行ってしまうくらいだ、ヴァンがそうあってもおかしくない。
ちょっと心細くなりながらヴァンを見上げると、予想と違って目が合った。
「……あんまりきれいでびっくりしてる」
何をごまかしているのか自分でもはっきりしないままそうしなければならない気がして、凪乃羽は他愛ないことを口走った。
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