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第2章 過保護な皇子と恋の落とし穴

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 薄手のガウン一枚を羽織った上から腰の辺りに幅の広い黄金色のベルトを巻いて結ぶという、簡素な恰好で凪乃羽は部屋から連れだされた。下着を身につけていないから、少し心もとない。
 ヴァンは同じように黄金色のベルトを巻き、上から臙脂えんじ色の羽織り物を身につけている。
 廊下に出て、つた模様が彫られた木製の分厚い扉を閉めたとき、それを待っていたかのように足音が聞こえ始める。
 見ると、凪乃羽の倍くらいの歳だろうか、その男は少し厳つい雰囲気を纏い、ヴァンから四歩くらい離れたところでぴたりと立ち止まると、四十五度の角度で会釈をした。こうべがそれ以上に下がらないよう、見えない壁にさえぎられたかのような様で、まるでぜんまい仕掛けの人形だ。
「ヴァンフリー皇子、城にいらっしゃるのでは?」
 男はヴァンの恰好を上から下まで見やる。賛成できないといった気配が感じられ、ヴァンも同様に感じたのか、うんざりとした気配でため息を漏らす。
 凪乃羽はけれど、そのことよりも男の言葉が気になった。この国の言葉を語っていて、凪乃羽は翻訳するまでもなく頭の中で自動的に理解できているわけだが、その機能が聞き間違っているのか。
「あとから行くと伝えてくれたのだろう? それで足りないのなら、あるじは遊戯にふけって困り果てているとでも泣きつけばいい。そのとおりだからな」
 ヴァンが凪乃羽に目をやるのに合わせて、男もまた凪乃羽へと目を転じる。
 凪乃羽は無意識に縋るようなしぐさでヴァンの腕をつかんだ。
「凪乃羽、この男はセギーという。この住み処の番人だ。小うるさいが信用はできる」
 ヴァンはセギーに向き直ると、「凪乃羽を頼むぞ」とめいを下した。
「凪乃羽です。セギーさん、よろしくお願いします」
 セギーが口を開きかけるのと凪乃羽が一礼をしたのは同時だった。
 セギーはいったん口を閉じ、そして何か気持ちを切り替えるように短く息をつくと、ヴァンにしたときと同じ姿勢で挨拶を返した。
「失礼しました。どうぞ、セギーとお呼びつけください。家内はただいま出かけておりますが、私共々なんなりとお声をいただければありがたく存じます」
 丁寧すぎる言葉に戸惑いつつ、凪乃羽は、ありがとうございます、と再び頭を下げた。
「この辺りを案内してくる。城へはその後に赴く。いいな」
「はい、失礼いたします」
 セギーの服装は聖職者のように足首まですっぽりと躰を覆い隠す。その白いチュニックの上には袖なしの濃紺の羽織り物を着ている。セギーは長い裾をひるがえして立ち去った。
 ヴァンは腕をつかんだ凪乃羽の手の甲に手を重ねる。捕まっていろといったしぐさで、それからセギーのあとを追うように歩きだした。
「ヴァン、さっきセギーさんが……」
「セギーでいい。本人がそう云っていただろう。話は外に出てからだ」
 ヴァンはさえぎって廊下を進んでいく。
 寝室とは廊下を挟んだ向かい側にもなんらかの部屋がある。それが途中から途切れると外が覗けるようになった。ヴァンの歩みは早く、じっくりとは見られなかったものの、格子窓の向こうには緑の景色が広がっていた。
 廊下が途切れたさきは広間で、ちょっとした客を迎えられるよう、ソファとテーブルが置かれている。そこから続く玄関へと行き、大きな扉を開けて外に出た。
 玄関先にある階段をおりるまえにヴァンは立ち止まった。凪乃羽を見下ろし、それから促すように正面へと目を転じた。それに釣られ、凪乃羽は辺りを一望した。広大な庭園を前にして、凪乃羽は目を見開く。背の低い生け垣は幾何学的模様が施され、迷路のようだ。その庭を背の高い木々が取り囲んでいるけれど、あまりに広大な敷地のため狭苦しさもないし、影も差さない。
「すごい……こんなに広いお庭、普通の家で見たことない。ヴァンのもの?」
「おれの管理下にあるから、おれのものなんだろうな」
 曖昧な答えは、こだわりがないせいか。欲がないとはどういうことかと考えれば、欲しいものがあるというほど不自由していないからではないか。そう推測したところで、さっきの疑問が自ずと浮上してきた。
「ヴァン、セギーさん……セギーがヴァンのことをヴァンフリー皇子って……皇子ってわたしの聞き間違いじゃない? ヴァンはシュプリムグッドの皇子なの?」
「皇帝夫妻の間に生まれたからそうなんだろうな」
 まるで他人事のような返事だ。不思議そうに覗きこむ凪乃羽を見て、ヴァンはくちびるを歪めた。
「あんまり長く生きすぎて、親子という関係よりも対等だという意識のほうが強くなったかもしれない」
 確かに、親を当てにする子供時代は、永久という時間からするとほんの一瞬だろう。
「ヴァンフリーが正式な名前? それともフリーはファミリーネーム?」
「ヴァンフリーが正式だ。皇帝一族だけではなく、上人かみびとにファミリーネームはない。民が名乗ることがあってはならない、唯一無二の名だ」
「神様って感じ」
「神はロードとして別にいた」
 何気なく云ったことに、意外な言葉が返ってきた。
「……『いた』っていまはいないの?」
 ヴァンに問いながら、ふと凪乃羽の思考が止まる。ロードという響きには聞き覚えがあった。
「ああ。ロードはあることに激昂し、秩序の精霊・ワールを抹殺して消えた」
 この世界がいま穏やかではないとヴァンが云ったけれど、それは果たしてワールが抹殺されたことが元凶のすべてか、それともロードが不在であることも関係するのか。いずれにしても、凪乃羽には確かめたいことがあった。
「ヴァン、ロードはタロ様? 皇帝の名前はロー……?」
 シッ。
 云いかけたときヴァンは素早く人差し指を立て、凪乃羽の口もとに当てて言葉をさえぎった。
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