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第2章 過保護な皇子と恋の落とし穴
6.
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凪乃羽もまた、桁外れの災いが地球を襲ったことは知っているけれど、人類が滅びたことを見届けてもいなければ確かめてもいない。実感が湧くはずはなく、だから可能性は残っていて、わずかに絶望が和らいだ。
「何を考えている?」
つぶさに凪乃羽を見つめていたヴァンは、小さな表情の変化にも気づいたらしい。
「……考えるよりも不安なの」
「もっともだ」
大丈夫だという安易な言葉ではなく、ヴァンは気持ちを共有しているように深くうなずいた。
頬に添えられた手の甲に手を重ねると、ヴァンの手は頬から離れて、凪乃羽の手のひらの中でくるりと反転する。凪乃羽の手は大きな手でくるまれ、膝もとにおりた。
「わたしはここで生きていけるの?」
「普通に呼吸できているだろう。食べるものもある。おれは食べる必要ないが……ああ……コーヒーが飲めなくなったのは残念だが」
その言葉にハッとして、凪乃羽は知未から預かっていたものがあったことを思いだす。
「ヴァン、わたしのバッグはなくなった?」
出し抜けの質問にわずかに眉間にしわを寄せ、ヴァンは部屋の隅を指差した。そこを見ると、脚付きのチェストの上に凪乃羽のバッグは載っていた。
「この世界にいて役に立つものが入っているとは思えないが……遙か遠く生きたさきで思いだす楽しみにはなるだろう」
「“遙か遠く”? すごく大げさに聞こえる。……そういえば、ここは永久の世界って云ってたけど……地球みたいにならないってこと? 自然災害も戦争もない?」
地球みたいに、とそう口にすることをためらったのは一瞬だった。この場所が見知らぬ場所であることは抜きにして、髪の色が違うだけのヴァンとふたりきり、地球上ではないという証拠を目にしたわけでもなく、違う世界にいることが現実だと実感するまでには至っていない。
「シュプリムグッドは秩序が保たれてきた国だ。それなりに自然は自然の流れに沿うが、禍を司る精霊のタワーによって良くも悪くもなる。よほどの怒りを買わないかぎり悪くはならない」
「……精霊? 精霊が存在するの?」
「上層に存在するのは、人の形をしているが、おまえの基準に合わせれば、厳密に云えば人ではない。永久の国とはどういうことか。『遙か遠く』というのは即ち永久に存在するということだ。下層の民にはそれなりに寿命はあるが、上層の我々には命が尽きるということがない」
凪乃羽は呆気にとられる。あまりにも常識とはかけ離れすぎて、すぐには理解できなかった。
ただ、二十九歳という年齢だったわりに、見かけはともかく余裕がありすぎるとは感じていた。銀髪のヴァンを見て、さらに大人に見えると思ったのは、実際にそれ以上に生きてきたせいなのか。
「ヴァンは永遠に生きてるってこと? いま何歳?」
そう訊ねると、ヴァンは可笑しそうに笑う。
「年を数える必要があるのか? 何歳かと気にしたのは、地球に降りていたときくらいだ。はじめはアメリカに降り立った。そのときに、いくつかと訊かれて、いくつに見えるのか逆に質問した結果が二十九歳だった」
「おじいちゃんにはならないの?」
「どうだろうな。長い年月を経て赤ん坊からここまで成長したことは確かだ」
「時間がゆっくりすぎてるってことじゃなくて? ヴァンよりもわたしのほうがすぐ年取っちゃうってこと?」
「時間の観念はそう変わらないと思うが……」
ヴァンは曖昧に濁し、そしてため息をついた。
何やら問題がありそうな気配だが、自分が云ったことを再考してみると、凪乃羽はあと八年もすればヴァンの“詐称”年齢に追いつくことになって、それから見た目が釣り合うとしてもせいぜい十年だと気づいた。
ヴァンも同じことをいま考えて、その結果が嘆息になって現れたのだろうか。
いまからそんなことを考えても仕方がない。そう思うけれど、焦りのようなものを感じてしまう。
「永遠て退屈しそう」
ヴァンが答えにくいだろうこと、凪乃羽自身があまり考えたくないこと、その二つが相まって、凪乃羽はごまかすように肩をすくめた。
「その見解は、命に限りある者の想像力の限界だろう。永久があたりまえという立場になれば、当然それはあたりまえにあることで永久と退屈を結びつけることはない」
やはりヴァンが語ることはもっともだ。
「ヴァンは自分を愚かな放浪者だって云ったけど、全然愚かじゃない」
ヴァンは微笑を見せ、それからごく生真面目に、もっといえば深刻そうにした。
「それは人前では禁句だ。念のために云えば、“人”に見える上層の連中にもだ」
「なぜ?」
「おれは愚かでなければならないからだ」
「……よくわからない。どういうこと?」
「絶対的な存在があるということだ。それを支える者が従順な賢者であればいいが、反逆の賢者は自分の立場を脅かす。そうだろう?」
「ヴァンはその人から敵視されてるってこと?」
「敵視とまではいかなくても、警戒されている。そして、凪乃羽」
中途半端に言葉を切り、ヴァンは語りかけるような眼差しを凪乃羽に注ぐ。襟を正して聞くべきところだろうが、あいにくと羽織りものに襟はない。そのかわりに、こくんとうなずいて応えた。
「凪乃羽を助けたのはおれの一存だ。いまシュプリムグッドは秩序の精霊ワールが消えて、あまり穏やかな状況ではない。そういうときに異世界人の存在が明らかになれば、そのおまえが元凶だと捉えられかねない。あくまでシュプリムグッドの民であるふりをしろ。地球から来たことを打ち明けてはならない」
ヴァンの言葉は、この世界では凪乃羽独りが異質なのだということを思い知らせる。ヴァンを頼っていいことはわかっているけれど、心細さは消えきれない。
「この部屋に……ずっとこもってたほうがいい? そうしなくちゃならない?」
「そんなことはない。おれが連れていく、どこにでも。それではだめか?」
凪乃羽の心情を察してか、ヴァンの口調はいつになくなぐさめるようにやさしかった。
「……そんなことない」
ためらったのち同じ言葉で返すと、ヴァンは薄らと笑った。
「それなら、さっそく外に出てみるか」
「宇宙服みたいな窮屈なものを着なくていいなら」
気分を変えようと少しおどけてみると、ヴァンは声に出して笑った。
「ああいう見苦しいものはおれもごめん被る」
「何を考えている?」
つぶさに凪乃羽を見つめていたヴァンは、小さな表情の変化にも気づいたらしい。
「……考えるよりも不安なの」
「もっともだ」
大丈夫だという安易な言葉ではなく、ヴァンは気持ちを共有しているように深くうなずいた。
頬に添えられた手の甲に手を重ねると、ヴァンの手は頬から離れて、凪乃羽の手のひらの中でくるりと反転する。凪乃羽の手は大きな手でくるまれ、膝もとにおりた。
「わたしはここで生きていけるの?」
「普通に呼吸できているだろう。食べるものもある。おれは食べる必要ないが……ああ……コーヒーが飲めなくなったのは残念だが」
その言葉にハッとして、凪乃羽は知未から預かっていたものがあったことを思いだす。
「ヴァン、わたしのバッグはなくなった?」
出し抜けの質問にわずかに眉間にしわを寄せ、ヴァンは部屋の隅を指差した。そこを見ると、脚付きのチェストの上に凪乃羽のバッグは載っていた。
「この世界にいて役に立つものが入っているとは思えないが……遙か遠く生きたさきで思いだす楽しみにはなるだろう」
「“遙か遠く”? すごく大げさに聞こえる。……そういえば、ここは永久の世界って云ってたけど……地球みたいにならないってこと? 自然災害も戦争もない?」
地球みたいに、とそう口にすることをためらったのは一瞬だった。この場所が見知らぬ場所であることは抜きにして、髪の色が違うだけのヴァンとふたりきり、地球上ではないという証拠を目にしたわけでもなく、違う世界にいることが現実だと実感するまでには至っていない。
「シュプリムグッドは秩序が保たれてきた国だ。それなりに自然は自然の流れに沿うが、禍を司る精霊のタワーによって良くも悪くもなる。よほどの怒りを買わないかぎり悪くはならない」
「……精霊? 精霊が存在するの?」
「上層に存在するのは、人の形をしているが、おまえの基準に合わせれば、厳密に云えば人ではない。永久の国とはどういうことか。『遙か遠く』というのは即ち永久に存在するということだ。下層の民にはそれなりに寿命はあるが、上層の我々には命が尽きるということがない」
凪乃羽は呆気にとられる。あまりにも常識とはかけ離れすぎて、すぐには理解できなかった。
ただ、二十九歳という年齢だったわりに、見かけはともかく余裕がありすぎるとは感じていた。銀髪のヴァンを見て、さらに大人に見えると思ったのは、実際にそれ以上に生きてきたせいなのか。
「ヴァンは永遠に生きてるってこと? いま何歳?」
そう訊ねると、ヴァンは可笑しそうに笑う。
「年を数える必要があるのか? 何歳かと気にしたのは、地球に降りていたときくらいだ。はじめはアメリカに降り立った。そのときに、いくつかと訊かれて、いくつに見えるのか逆に質問した結果が二十九歳だった」
「おじいちゃんにはならないの?」
「どうだろうな。長い年月を経て赤ん坊からここまで成長したことは確かだ」
「時間がゆっくりすぎてるってことじゃなくて? ヴァンよりもわたしのほうがすぐ年取っちゃうってこと?」
「時間の観念はそう変わらないと思うが……」
ヴァンは曖昧に濁し、そしてため息をついた。
何やら問題がありそうな気配だが、自分が云ったことを再考してみると、凪乃羽はあと八年もすればヴァンの“詐称”年齢に追いつくことになって、それから見た目が釣り合うとしてもせいぜい十年だと気づいた。
ヴァンも同じことをいま考えて、その結果が嘆息になって現れたのだろうか。
いまからそんなことを考えても仕方がない。そう思うけれど、焦りのようなものを感じてしまう。
「永遠て退屈しそう」
ヴァンが答えにくいだろうこと、凪乃羽自身があまり考えたくないこと、その二つが相まって、凪乃羽はごまかすように肩をすくめた。
「その見解は、命に限りある者の想像力の限界だろう。永久があたりまえという立場になれば、当然それはあたりまえにあることで永久と退屈を結びつけることはない」
やはりヴァンが語ることはもっともだ。
「ヴァンは自分を愚かな放浪者だって云ったけど、全然愚かじゃない」
ヴァンは微笑を見せ、それからごく生真面目に、もっといえば深刻そうにした。
「それは人前では禁句だ。念のために云えば、“人”に見える上層の連中にもだ」
「なぜ?」
「おれは愚かでなければならないからだ」
「……よくわからない。どういうこと?」
「絶対的な存在があるということだ。それを支える者が従順な賢者であればいいが、反逆の賢者は自分の立場を脅かす。そうだろう?」
「ヴァンはその人から敵視されてるってこと?」
「敵視とまではいかなくても、警戒されている。そして、凪乃羽」
中途半端に言葉を切り、ヴァンは語りかけるような眼差しを凪乃羽に注ぐ。襟を正して聞くべきところだろうが、あいにくと羽織りものに襟はない。そのかわりに、こくんとうなずいて応えた。
「凪乃羽を助けたのはおれの一存だ。いまシュプリムグッドは秩序の精霊ワールが消えて、あまり穏やかな状況ではない。そういうときに異世界人の存在が明らかになれば、そのおまえが元凶だと捉えられかねない。あくまでシュプリムグッドの民であるふりをしろ。地球から来たことを打ち明けてはならない」
ヴァンの言葉は、この世界では凪乃羽独りが異質なのだということを思い知らせる。ヴァンを頼っていいことはわかっているけれど、心細さは消えきれない。
「この部屋に……ずっとこもってたほうがいい? そうしなくちゃならない?」
「そんなことはない。おれが連れていく、どこにでも。それではだめか?」
凪乃羽の心情を察してか、ヴァンの口調はいつになくなぐさめるようにやさしかった。
「……そんなことない」
ためらったのち同じ言葉で返すと、ヴァンは薄らと笑った。
「それなら、さっそく外に出てみるか」
「宇宙服みたいな窮屈なものを着なくていいなら」
気分を変えようと少しおどけてみると、ヴァンは声に出して笑った。
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