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第2章 過保護な皇子と恋の落とし穴
5.
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「ヴァン、『この国』って……ここはどこ?」
「シュプリムグッド帝国。地球の最上層になる」
ヴァンはあっさりと答えたけれど、凪乃羽にはさっぱりわからない。驚くよりも困惑して口がきけないでいると、ヴァンは促すようにかすかに首を斜め向ける。
「シュプリムグッド帝国って……聞いたことない。最上層って、それは会社のグループとか財閥とか……あ、秘密結社とかそういう名前?」
さえぎることなく凪乃羽の言葉を聞いていたヴァンは、おもむろに笑みを浮かべた。
「下層しか知らず、常識を逸脱したことに対面すると、人の思考はそういうふうに在来の型に嵌めるべく働くものなのか? 自分の知識と認識に沿って、うまく辻褄を合わせにきたな」
「下層って……」
「さっき云っただろう、おれには下層の人間にはない能力がある。シュプリムグッドは、ごく一部の力を持った上層によって保たれた秩序の下、多くの下層の民が暮らす永久の世界だ。この国の民は、地球でいう“奇跡”が奇跡でないことを知っている」
「ここは……地球にある国じゃないってこと?」
「そうだ」
「でも、それじゃあ……」
凪乃羽は云いかけて、自分でも何を云いたいのかわからなくなってしまう。訊きたいこと、知りたいことが多すぎて整理がつけられない。
「混乱するのも当然だ。思いついたときに質問してくれていい。ただし、おまえもまた永久にここにいることになる。地球には帰れない」
凪乃羽はその言葉に肝心なことをないがしろにしているとに気づいた。自分がなぜここにいるのかも思いだす。
凪乃羽は選んだのだ。死から逃れるべく地球を離れるためでもなく、シュプリムグッドに来たかったわけでもなく、ヴァンといることを選んだ。
「東京はどうなったの?」
「あれは東京だけではない。おまえも云っていただろう、あちこちで天変地異があっていると」
「……それで……?」
「地球上の生命体は一掃された」
「……一掃ってどういうこと?」
「滅びた、ということだ」
「なぜ?」
ついさっき、質問はいつでもいいようなことを云って、それは答えるという前提のもとにあったはずが、ヴァンは凪乃羽をじっと見つめて、すぐには口を開かなかった。
「天変地異、おまえはそう云った」
ようやく答えたかと思えば、それはさっきの繰り返しで、ヴァンの答えではなかった。
「ヴァン?」
「氷点下と焦熱、その間が嵐に襲われ、地殻の変動によって海底火山をはじめとして活発化。災いが発生するための様々な条件が整ったすえ、その連鎖が起こった。それが自然現象というものだろう」
わからなくはないけれど、そもそも地球上の生命体のすべてが一掃されるほど呆気なく滅びてしまうものだろうか。
「でも、わたしは生きてるし、ほかに助けだされてこの国に来てる人がいるかもしれない」
シュプリムグッドの地球における位置関係、あるいは最上層という立場も理解できないまま、凪乃羽は希望的観測を云ってみた。
「だれが助ける?」
ヴァンが問い返した言葉はもっともであり、残酷でもあった。
凪乃羽は呆然として、しばらく何も考えられなかった。
自分がどうやってヴァンに救われてこうやってこの国にいるのか、思い起こせば、滝つぼの水底に果てしなく沈んでいく感覚が甦った。息苦しいような気がして凪乃羽は喘ぐ。
「ここは地球からどれくらい離れてるの? どうやってここに来たの?」
「地球はすぐそこにある。簡単には行き来ができないだけで」
「ヴァンには能力があるって云ったけど……行き来できたこともそう?」
「そうだ」
「さっき、この国には力を持った上層があるって……その力って、それはヴァンも上層にいるってこと? だったら、ほかにも地球にだれかがいて、救われただれかがここにいるかも……」
「残念だが」
ヴァンは凪乃羽が云っているさなかにさえぎってほんのわずかな希望を打ち砕いた。
「確かに、地球に降りる道はあった。だが、そこを通過できるのは放浪者のおれだけだ。補足すれば、おれと交わることで凪乃羽も通過できるようになった」
「通過って、じゃあそこから地球に帰れ……」
ヴァンは今度は首を横に振ってさえぎった。悪あがきをしているのはわかっている。けれど信じたくない。
「憶えていないというよりは気づいていないのか。それに、ちゃんと聞いてもいないようだ。通過点はいくつかあったが、すべて水中だ。地球は火山活動によって枯渇したんだ。通過点はなくなった。存在するとしても、一人で戻って何をする? 飢え死にするだけだ」
ヴァンは亡くなった生命に対してなんの未練もなく、淡々としている。わからなくなった。
ヴァンはだれ?
いや、ヴァンはヴァンだ。けれど、何者なのか。
そう考えたとき、凪乃羽は講演会の日からあったことを自ずと反すうしていた。すると、見えなかったものが見えてくる。正確には、いろんな疑問が湧いてきた。
「ヴァンは……なんのために地球にいたの?」
ヴァンは口を結んだまままたじっと凪乃羽を見つめる。
「放浪していた。いつもの退屈しのぎだ」
それが本当ならすぐにでも云えることだ。躊躇するのは、きっと別に確かな理由があったからに違いなかった。
「ヴァンは、限界だとか、待ちくたびれたとか、わたしを守るためだとか云ってた。もしかしてみんな死んじゃうって知ってたの?」
「そんなことはない」
「それじゃあ、限界ってなんのこと?」
「おまえをはじめて見たときから手に入れようと思ってきた。おまえの国ではひと目惚れという言葉があったな。だからといって、おれが一方的に迫れば、おまえはどうする? 逃げられないよう、おれは待った。当然、おまえの全部を自分のものにしたかったし、やっと手に入れたんだ、守りたくもなる」
これもまたもっともな云い分だったけれど――それ以上に、自分が住んでいた世界でそう云われたのなら、うれしくて舞いあがっていたかもしれないのに、凪乃羽の本能がどこか違うと告げている。
問い詰めたところで、ヴァンが答えないのは察するに易い。
「お母さんは……」
凪乃羽は云いかけて口を噤んだ。その質問に確定された答えなど聞きたくない。
けれど、ヴァンは質問を察しているのだろう、凪乃羽の頬に手を添えた。そうして、なぐさめるように親指が頬を撫でる。
「地球が……人が滅びてしまったのをちゃんと見たの?」
凪乃羽は質問を変え、切実にヴァンを見つめた。
「見なくてもわかる」
即座に返ってきた言葉は断言されたにもかかわらず、わずかに希望が残っていることに気づいた。
「シュプリムグッド帝国。地球の最上層になる」
ヴァンはあっさりと答えたけれど、凪乃羽にはさっぱりわからない。驚くよりも困惑して口がきけないでいると、ヴァンは促すようにかすかに首を斜め向ける。
「シュプリムグッド帝国って……聞いたことない。最上層って、それは会社のグループとか財閥とか……あ、秘密結社とかそういう名前?」
さえぎることなく凪乃羽の言葉を聞いていたヴァンは、おもむろに笑みを浮かべた。
「下層しか知らず、常識を逸脱したことに対面すると、人の思考はそういうふうに在来の型に嵌めるべく働くものなのか? 自分の知識と認識に沿って、うまく辻褄を合わせにきたな」
「下層って……」
「さっき云っただろう、おれには下層の人間にはない能力がある。シュプリムグッドは、ごく一部の力を持った上層によって保たれた秩序の下、多くの下層の民が暮らす永久の世界だ。この国の民は、地球でいう“奇跡”が奇跡でないことを知っている」
「ここは……地球にある国じゃないってこと?」
「そうだ」
「でも、それじゃあ……」
凪乃羽は云いかけて、自分でも何を云いたいのかわからなくなってしまう。訊きたいこと、知りたいことが多すぎて整理がつけられない。
「混乱するのも当然だ。思いついたときに質問してくれていい。ただし、おまえもまた永久にここにいることになる。地球には帰れない」
凪乃羽はその言葉に肝心なことをないがしろにしているとに気づいた。自分がなぜここにいるのかも思いだす。
凪乃羽は選んだのだ。死から逃れるべく地球を離れるためでもなく、シュプリムグッドに来たかったわけでもなく、ヴァンといることを選んだ。
「東京はどうなったの?」
「あれは東京だけではない。おまえも云っていただろう、あちこちで天変地異があっていると」
「……それで……?」
「地球上の生命体は一掃された」
「……一掃ってどういうこと?」
「滅びた、ということだ」
「なぜ?」
ついさっき、質問はいつでもいいようなことを云って、それは答えるという前提のもとにあったはずが、ヴァンは凪乃羽をじっと見つめて、すぐには口を開かなかった。
「天変地異、おまえはそう云った」
ようやく答えたかと思えば、それはさっきの繰り返しで、ヴァンの答えではなかった。
「ヴァン?」
「氷点下と焦熱、その間が嵐に襲われ、地殻の変動によって海底火山をはじめとして活発化。災いが発生するための様々な条件が整ったすえ、その連鎖が起こった。それが自然現象というものだろう」
わからなくはないけれど、そもそも地球上の生命体のすべてが一掃されるほど呆気なく滅びてしまうものだろうか。
「でも、わたしは生きてるし、ほかに助けだされてこの国に来てる人がいるかもしれない」
シュプリムグッドの地球における位置関係、あるいは最上層という立場も理解できないまま、凪乃羽は希望的観測を云ってみた。
「だれが助ける?」
ヴァンが問い返した言葉はもっともであり、残酷でもあった。
凪乃羽は呆然として、しばらく何も考えられなかった。
自分がどうやってヴァンに救われてこうやってこの国にいるのか、思い起こせば、滝つぼの水底に果てしなく沈んでいく感覚が甦った。息苦しいような気がして凪乃羽は喘ぐ。
「ここは地球からどれくらい離れてるの? どうやってここに来たの?」
「地球はすぐそこにある。簡単には行き来ができないだけで」
「ヴァンには能力があるって云ったけど……行き来できたこともそう?」
「そうだ」
「さっき、この国には力を持った上層があるって……その力って、それはヴァンも上層にいるってこと? だったら、ほかにも地球にだれかがいて、救われただれかがここにいるかも……」
「残念だが」
ヴァンは凪乃羽が云っているさなかにさえぎってほんのわずかな希望を打ち砕いた。
「確かに、地球に降りる道はあった。だが、そこを通過できるのは放浪者のおれだけだ。補足すれば、おれと交わることで凪乃羽も通過できるようになった」
「通過って、じゃあそこから地球に帰れ……」
ヴァンは今度は首を横に振ってさえぎった。悪あがきをしているのはわかっている。けれど信じたくない。
「憶えていないというよりは気づいていないのか。それに、ちゃんと聞いてもいないようだ。通過点はいくつかあったが、すべて水中だ。地球は火山活動によって枯渇したんだ。通過点はなくなった。存在するとしても、一人で戻って何をする? 飢え死にするだけだ」
ヴァンは亡くなった生命に対してなんの未練もなく、淡々としている。わからなくなった。
ヴァンはだれ?
いや、ヴァンはヴァンだ。けれど、何者なのか。
そう考えたとき、凪乃羽は講演会の日からあったことを自ずと反すうしていた。すると、見えなかったものが見えてくる。正確には、いろんな疑問が湧いてきた。
「ヴァンは……なんのために地球にいたの?」
ヴァンは口を結んだまままたじっと凪乃羽を見つめる。
「放浪していた。いつもの退屈しのぎだ」
それが本当ならすぐにでも云えることだ。躊躇するのは、きっと別に確かな理由があったからに違いなかった。
「ヴァンは、限界だとか、待ちくたびれたとか、わたしを守るためだとか云ってた。もしかしてみんな死んじゃうって知ってたの?」
「そんなことはない」
「それじゃあ、限界ってなんのこと?」
「おまえをはじめて見たときから手に入れようと思ってきた。おまえの国ではひと目惚れという言葉があったな。だからといって、おれが一方的に迫れば、おまえはどうする? 逃げられないよう、おれは待った。当然、おまえの全部を自分のものにしたかったし、やっと手に入れたんだ、守りたくもなる」
これもまたもっともな云い分だったけれど――それ以上に、自分が住んでいた世界でそう云われたのなら、うれしくて舞いあがっていたかもしれないのに、凪乃羽の本能がどこか違うと告げている。
問い詰めたところで、ヴァンが答えないのは察するに易い。
「お母さんは……」
凪乃羽は云いかけて口を噤んだ。その質問に確定された答えなど聞きたくない。
けれど、ヴァンは質問を察しているのだろう、凪乃羽の頬に手を添えた。そうして、なぐさめるように親指が頬を撫でる。
「地球が……人が滅びてしまったのをちゃんと見たの?」
凪乃羽は質問を変え、切実にヴァンを見つめた。
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