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第1章 恋は悪夢の始まり
6.
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古尾はタクシーに乗りこむと、運転手に会社ではない住所を告げた。
思わず隣を振り仰ぐと、凪乃羽に挑みかかっているような眼差しが注がれる。逃げることを恥だと思わせ、戦闘心を煽る眼差しだ。
それにどう反応していいかわからず――
「あの……古尾先生、車は持ってないんですか? このまえは社用車のお迎えだったし」
凪乃羽はどうにか雰囲気を変えようと、思い立った質問をしてみた。すると。
「不便なものをわざわざ持つ必要があるか」
好きなときに自由にできる移動手段だと思っていた凪乃羽には理解しにくい答えが返ってきた。
「不便て……駐車場を確保するのがってことですか?」
思考力をフルに動かして理由を探しだしたのに、古尾は、見当外れだな、とくちびるを歪める。
「おまえにその理由はわからないだろう。この世界にいるかぎり」
古尾の言葉のチョイスはいちいち大げさだ。
「教えてもらえないんですか」
「いつかわかる」
そんな言葉で、おそらくはこの話は打ち切りだとばかりにあしらわれた。
それから車中は専ら、凪乃羽から今日の講義の内容について質問するという、復習を兼ねた話題で占めていった。最初は丁寧に応じていた古尾だったが、途中で気分を害したのか、単に面倒になったのか、講義を聞いていなかったのか、という言葉でまた打ち切られる。
古尾がお喋り好きでないことははっきりした。
車中に沈黙がはびこったのもつかの間、やがてタクシーは近未来的な建物の乗降スペースに侵入して止まった。到着したところは、イベント会場でもどこかの会社というわけでもなく、どう見てもハイクラスマンションの佇まいだ。
「あの……ここで何かイベントあったりするんですか」
「コーヒーを淹れてもらうのに他人の領域を借りてどうする」
即ち、ここには古尾のプライベート領域があるということだ。
セキュリティフル装備といった、エントランス、ロビー、そしてエレベーターに乗ると、古尾は最上階のボタンを押した。
エレベーターのなかはふたりきりで、そう意識してしまうと凪乃羽はそわそわと落ち着かなくなる。
「こういうマンションに住めるって、イベント会社ってそんなに景気がいいんですか」
お喋りは嫌いだろうし、質問は不躾かもしれないが、密室で黙りこんでいるより呆れられるほうがましだった。
「さあな。景気がいいかどうかは興味ない」
意外すぎる返事が来て、凪乃羽は目を丸くして古尾を見つめた。
「興味ないって……古尾先生、社長ですよね」
「必然的に選んだ仕事だ。それが意外に楽しかったってところだな。仕事するっていうことに興味もあったが」
まるでお気楽で、仕事に懸ける意欲が見られない。そんな印象どおり、古尾は軽く肩をすくめた。
「必然的にって、両親の跡を継いだとかですか」
「いや、人探しをするためだ。イベントは人が集まる」
ここでも意外な答えが返ってきた。どれだけ驚けばすむのか、古尾のプロフィールは公になっているはずが、その実、謎だらけだ。
「人探しなら探偵に頼んだほうが見つかりやすくないですか」
「名前も顔も知らないでどうやって探す?」
え? と一瞬あ然としたのち、凪乃羽は古尾の言葉を反すうしなければならなかった。そうしたところで疑問しか出てこない。
「それって……イベント会場に来てるとしてもなおさらわからない気がします。なんの手がかりもないってことでしょう?」
「それがわかるって云ったら?」
「……わかったんですか」
「だから、おまえの大学で講師をしてる」
どう繋がるのか、凪乃羽は混乱させられた。
「つまり、その……」
考えつつ口を開きかけると、エレベーターは一度も停止することなく最上階で止まった。
古尾のあとをついていくと、解錠された音に続いてドアが開かれた。さきに入れといわんばかりに古尾がドアを支えて待つ。
俄に自分が無謀な誘いに乗ってしまった危うさがくっきりとして、レストランであった出来事が甦る。とにかく、古尾との接点を切らしたくないという気持ちがあって、凪乃羽はそのことを考えないようにしてきた。
すくんだ理由を察しているに違いなく、古尾は、「つまりその」と凪乃羽のさっきの言葉を復唱した。
「探しものを見つけて、だから大学に入りこんだ。ここまで近づくまでに相応の時間が必要だったが、準備は整った。そうだろう?」
探しものが見つかってその人が大学にいるというところまでは凪乃羽にも察せられていたが、そのあとに続けられた言葉は簡単に理解できるものではない。
なぜ、凪乃羽に同意を求めるのだろう。
「……どういうことですか」
「もうそろそろ限界が来ている。入るのか、入らないのか、どっちだ」
二者択一はともかく、やはり『限界』の意味がわからない。凪乃羽から答えが出ないのを見越してだろう、古尾は短く息をついて、云い換えよう、とすぐさま口を開く。
「おれが好きか嫌いか、おれを手に入れたいか手に入れたくないか、どっちだ。おれはおまえが欲しい」
凪乃羽に選択権を与えているようで、古尾はずるい言葉を付け加えて、凪乃羽から選択権を奪った。
嫌いじゃない。手に入れたいというよりは、手に入れてほしい。
古尾は何よりも凪乃羽が望んだことを発したのだ。
凪乃羽は覚悟を決めるようにひとつ息を呑んで玄関に入った。
思わず隣を振り仰ぐと、凪乃羽に挑みかかっているような眼差しが注がれる。逃げることを恥だと思わせ、戦闘心を煽る眼差しだ。
それにどう反応していいかわからず――
「あの……古尾先生、車は持ってないんですか? このまえは社用車のお迎えだったし」
凪乃羽はどうにか雰囲気を変えようと、思い立った質問をしてみた。すると。
「不便なものをわざわざ持つ必要があるか」
好きなときに自由にできる移動手段だと思っていた凪乃羽には理解しにくい答えが返ってきた。
「不便て……駐車場を確保するのがってことですか?」
思考力をフルに動かして理由を探しだしたのに、古尾は、見当外れだな、とくちびるを歪める。
「おまえにその理由はわからないだろう。この世界にいるかぎり」
古尾の言葉のチョイスはいちいち大げさだ。
「教えてもらえないんですか」
「いつかわかる」
そんな言葉で、おそらくはこの話は打ち切りだとばかりにあしらわれた。
それから車中は専ら、凪乃羽から今日の講義の内容について質問するという、復習を兼ねた話題で占めていった。最初は丁寧に応じていた古尾だったが、途中で気分を害したのか、単に面倒になったのか、講義を聞いていなかったのか、という言葉でまた打ち切られる。
古尾がお喋り好きでないことははっきりした。
車中に沈黙がはびこったのもつかの間、やがてタクシーは近未来的な建物の乗降スペースに侵入して止まった。到着したところは、イベント会場でもどこかの会社というわけでもなく、どう見てもハイクラスマンションの佇まいだ。
「あの……ここで何かイベントあったりするんですか」
「コーヒーを淹れてもらうのに他人の領域を借りてどうする」
即ち、ここには古尾のプライベート領域があるということだ。
セキュリティフル装備といった、エントランス、ロビー、そしてエレベーターに乗ると、古尾は最上階のボタンを押した。
エレベーターのなかはふたりきりで、そう意識してしまうと凪乃羽はそわそわと落ち着かなくなる。
「こういうマンションに住めるって、イベント会社ってそんなに景気がいいんですか」
お喋りは嫌いだろうし、質問は不躾かもしれないが、密室で黙りこんでいるより呆れられるほうがましだった。
「さあな。景気がいいかどうかは興味ない」
意外すぎる返事が来て、凪乃羽は目を丸くして古尾を見つめた。
「興味ないって……古尾先生、社長ですよね」
「必然的に選んだ仕事だ。それが意外に楽しかったってところだな。仕事するっていうことに興味もあったが」
まるでお気楽で、仕事に懸ける意欲が見られない。そんな印象どおり、古尾は軽く肩をすくめた。
「必然的にって、両親の跡を継いだとかですか」
「いや、人探しをするためだ。イベントは人が集まる」
ここでも意外な答えが返ってきた。どれだけ驚けばすむのか、古尾のプロフィールは公になっているはずが、その実、謎だらけだ。
「人探しなら探偵に頼んだほうが見つかりやすくないですか」
「名前も顔も知らないでどうやって探す?」
え? と一瞬あ然としたのち、凪乃羽は古尾の言葉を反すうしなければならなかった。そうしたところで疑問しか出てこない。
「それって……イベント会場に来てるとしてもなおさらわからない気がします。なんの手がかりもないってことでしょう?」
「それがわかるって云ったら?」
「……わかったんですか」
「だから、おまえの大学で講師をしてる」
どう繋がるのか、凪乃羽は混乱させられた。
「つまり、その……」
考えつつ口を開きかけると、エレベーターは一度も停止することなく最上階で止まった。
古尾のあとをついていくと、解錠された音に続いてドアが開かれた。さきに入れといわんばかりに古尾がドアを支えて待つ。
俄に自分が無謀な誘いに乗ってしまった危うさがくっきりとして、レストランであった出来事が甦る。とにかく、古尾との接点を切らしたくないという気持ちがあって、凪乃羽はそのことを考えないようにしてきた。
すくんだ理由を察しているに違いなく、古尾は、「つまりその」と凪乃羽のさっきの言葉を復唱した。
「探しものを見つけて、だから大学に入りこんだ。ここまで近づくまでに相応の時間が必要だったが、準備は整った。そうだろう?」
探しものが見つかってその人が大学にいるというところまでは凪乃羽にも察せられていたが、そのあとに続けられた言葉は簡単に理解できるものではない。
なぜ、凪乃羽に同意を求めるのだろう。
「……どういうことですか」
「もうそろそろ限界が来ている。入るのか、入らないのか、どっちだ」
二者択一はともかく、やはり『限界』の意味がわからない。凪乃羽から答えが出ないのを見越してだろう、古尾は短く息をついて、云い換えよう、とすぐさま口を開く。
「おれが好きか嫌いか、おれを手に入れたいか手に入れたくないか、どっちだ。おれはおまえが欲しい」
凪乃羽に選択権を与えているようで、古尾はずるい言葉を付け加えて、凪乃羽から選択権を奪った。
嫌いじゃない。手に入れたいというよりは、手に入れてほしい。
古尾は何よりも凪乃羽が望んだことを発したのだ。
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