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75.LOVE全開(1)
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伸ばした手を京吾がすくい、車椅子を押していたスタッフが配慮して止まった隙に、京吾は上体を折って、同時に智奈の手を持ちあげて手の甲に口づけた。さり気なくこういうしぐさができる人は、周りにはいない。人からどう見えるか、そんな問題はさておき、京吾からのお姫さま扱いは単純に気分がよくなる。
そして、車椅子を押すスタッフが先導して入った個室は、智奈が想像していたものとはまったく違った。
「京吾、この部屋って必要?」
スタッフが室内の使い勝手や診察についてひととおり説明したあと出ていくなり、智奈は車椅子に座ったまま京吾を見上げて訊ねた。
床は絨毯貼りで、続き部屋も見える。病室ではなくホテルのスイートルームの雰囲気だ。
「様子を見るための入院だ。特に治療が必要なわけでもないし、それなら快適にすごすほうが得策だろう? それに、おれが泊まれる」
京吾はそう云って、ベッドの横に平行して窓際に置かれた長いソファを指差した。
「ここは病院に泊まっていいの?」
「だめと云われても泊まる。泊まったからってなんの弊害があるんだ? 意味のないルールだな。なんならボディガードと云えばいい。病院は、警備という点では隙がありすぎる」
京吾は自分ルールを主張して智奈を笑わせた。
「いま何時? 夜、懇親会があったよね?」
「いま三時をすぎたところだ。懇親会なら、おれは欠席する。長友だけでも充分、対応可能だ」
「でも……」
「若手の企業家たちの集まりだ。情報交換は挨拶程度で、あとは、乱痴気騒ぎとまではいかないけど、ただの飲み会になる」
京吾は肩をすくめると、「肩、動かすなよ」と身をかがめ、智奈を車椅子からすくい上げた。お姫さま抱っこのときの習性で、抱きつこうと腕を上げたとたん智奈は呻いた。
「ほら、云っただろう」
京吾は小言を云い、処置室にあったパイプベッドとは違う、木製のベッドに智奈を横たえた。
「肩、痛い?」
「大丈夫」
「目眩いは?」
京吾は薄めのふとんを智奈に掛けながら気遣う。
「大丈夫」
と、うなずきながら智奈はくすっと笑った。
「何?」
「しばらく、大丈夫って口癖になりそうだと思って」
「ああ。うるさいくらい、云わせることになると思う」
京吾はあっさり認めて、にやりと片方の口角を上げた。
そのとき、ドアの開閉音が聞こえた。ドアは死角になって見えなかったが、そちらのほうに顔を向けてまもなく、典子が現れた。
「その……大丈夫なの?」
京吾とはベッドの反対側に来て、典子はいつになくしおらしく智奈に訊ねた。
「大丈夫だけど」
つっけんどんになってしまうと、智奈は少し反省しながら――
「ありがとう、妊娠してること、お医者さんにちゃんと伝えてくれて」
と云い直した。
「当然よ。子供はあなたを保障することになるんだから」
「……保障って?」
「智奈、結婚をしないってどういうことかわかってるの? 別れるのは簡単なのよ。そのときに子供がいれば交渉できるでしょ」
ついさっきの遠慮がちな様子はどこへやら、典子はいかにも典子らしい持論でもって智奈に忠告をした。
「お母さんは、京吾のことを知らないだけ。わたしのこともそう。未来のことなんてわからないけど、京吾とこうなっていない時間はいらない」
断固として智奈が云うと、典子はどうでもいいことのようにひょいと肩をすくめた。
「そう。それでもいいけど、今日のことはこんなふうになるなんて思ってなかった。あなたのことはいつも気にかけてるの。それは本当だから」
「お母さん自身の次にね。わかってる」
智奈の言葉は急所を突いたのか、典子は圧されたように躰をぴくりとさせた。
「いまお母さんを責めるつもりはないけど、よけいな口出しはもうしないで。それと、お盆だし、お父さんのお墓参りにちゃんと行って」
「そんなこと云われなくても行くわよ。わたしが云いたいのは、何かあったときには連絡してってこと。仕事を変えたとか、引っ越ししたとか妊娠したとか。そうしてくれてたら、今日のこともなかったわ」
典子は自分を正当化すると、京吾を見やって――
「智奈のことを頼んだから。しっかりやってちょうだい」
「云われなくても」
黙って成り行きを見守っていた京吾は、警告するような様で顎をしゃくって典子に放った。
京吾のそのしぐさは、父の事務所で典子と対面したときの様子と違い尊大で、イニシアチブは自分が握っていることを明確に宣言しているように見えた。
典子が出ていくと、ふたりのため息が重なって、顔を見合わせると今度は笑みが重なった。
京吾は、ベッドの横にある一人掛けのソファに座って智奈の手を取り、互いの指を絡ませた。
「京吾、お母さんと何かあった?」
「というより、智奈と連絡が取れなくなって処置室で会うまで、いろいろありすぎてパニクってた」
処置室に来た京吾は確かに動揺していたけれど、大げさすぎる反応にも思えた。
「怒るの通り越して?」
「怒るにはおれに非がありすぎた」
「非、って?」
「危険だとわかっていながら、おれはあの男を放置してた」
「今日のこと、わかってた? 京吾って……予言者?」
「そんなわけないだろう」
信じられないものを――例えば本物の予言者を目にしたかのように、京吾は呆気に取られている。
「わかってる。でも、京吾はやっぱり人を見る目あると思って。わたしも反省してる」
「おれの警告を、今度から真剣に、深刻に受けとめてくれるなら、智奈はそれでいい。おれの非はチャラにはならない。取り返しがつかなくなる可能性もあった。判断ミスだ。連絡が取れなくてマンションに行ったら、もぬけの殻、誘拐だとわかったときは最悪だった」
「お母さんには、京吾は仕事中だからお昼すぎた頃に、わたしは大丈夫っていうショートメールしててって頼んだけど……仕事が長引いてるみたいだったけど早く終わってた?」
その問いかけに、京吾は嘆息しながらその顔に何かをよぎらせた。それは迷いにも見えて、「京吾?」と智奈は問うように呼んだ。
すると、京吾は心を決めたようにうなずいた。
「どの道、智奈はおれの本性の一面を見ることになる」
「京吾、なんのこと?」
「お母さんから連絡は受けてない。おれはいろいろ手をまわして智奈のもとにたどり着いたんだ。むしろ、やっと智奈の居場所を探り当ててこの病院まで来たのに、お母さんにストーカー呼ばわりされて阻まれていた」
そして、車椅子を押すスタッフが先導して入った個室は、智奈が想像していたものとはまったく違った。
「京吾、この部屋って必要?」
スタッフが室内の使い勝手や診察についてひととおり説明したあと出ていくなり、智奈は車椅子に座ったまま京吾を見上げて訊ねた。
床は絨毯貼りで、続き部屋も見える。病室ではなくホテルのスイートルームの雰囲気だ。
「様子を見るための入院だ。特に治療が必要なわけでもないし、それなら快適にすごすほうが得策だろう? それに、おれが泊まれる」
京吾はそう云って、ベッドの横に平行して窓際に置かれた長いソファを指差した。
「ここは病院に泊まっていいの?」
「だめと云われても泊まる。泊まったからってなんの弊害があるんだ? 意味のないルールだな。なんならボディガードと云えばいい。病院は、警備という点では隙がありすぎる」
京吾は自分ルールを主張して智奈を笑わせた。
「いま何時? 夜、懇親会があったよね?」
「いま三時をすぎたところだ。懇親会なら、おれは欠席する。長友だけでも充分、対応可能だ」
「でも……」
「若手の企業家たちの集まりだ。情報交換は挨拶程度で、あとは、乱痴気騒ぎとまではいかないけど、ただの飲み会になる」
京吾は肩をすくめると、「肩、動かすなよ」と身をかがめ、智奈を車椅子からすくい上げた。お姫さま抱っこのときの習性で、抱きつこうと腕を上げたとたん智奈は呻いた。
「ほら、云っただろう」
京吾は小言を云い、処置室にあったパイプベッドとは違う、木製のベッドに智奈を横たえた。
「肩、痛い?」
「大丈夫」
「目眩いは?」
京吾は薄めのふとんを智奈に掛けながら気遣う。
「大丈夫」
と、うなずきながら智奈はくすっと笑った。
「何?」
「しばらく、大丈夫って口癖になりそうだと思って」
「ああ。うるさいくらい、云わせることになると思う」
京吾はあっさり認めて、にやりと片方の口角を上げた。
そのとき、ドアの開閉音が聞こえた。ドアは死角になって見えなかったが、そちらのほうに顔を向けてまもなく、典子が現れた。
「その……大丈夫なの?」
京吾とはベッドの反対側に来て、典子はいつになくしおらしく智奈に訊ねた。
「大丈夫だけど」
つっけんどんになってしまうと、智奈は少し反省しながら――
「ありがとう、妊娠してること、お医者さんにちゃんと伝えてくれて」
と云い直した。
「当然よ。子供はあなたを保障することになるんだから」
「……保障って?」
「智奈、結婚をしないってどういうことかわかってるの? 別れるのは簡単なのよ。そのときに子供がいれば交渉できるでしょ」
ついさっきの遠慮がちな様子はどこへやら、典子はいかにも典子らしい持論でもって智奈に忠告をした。
「お母さんは、京吾のことを知らないだけ。わたしのこともそう。未来のことなんてわからないけど、京吾とこうなっていない時間はいらない」
断固として智奈が云うと、典子はどうでもいいことのようにひょいと肩をすくめた。
「そう。それでもいいけど、今日のことはこんなふうになるなんて思ってなかった。あなたのことはいつも気にかけてるの。それは本当だから」
「お母さん自身の次にね。わかってる」
智奈の言葉は急所を突いたのか、典子は圧されたように躰をぴくりとさせた。
「いまお母さんを責めるつもりはないけど、よけいな口出しはもうしないで。それと、お盆だし、お父さんのお墓参りにちゃんと行って」
「そんなこと云われなくても行くわよ。わたしが云いたいのは、何かあったときには連絡してってこと。仕事を変えたとか、引っ越ししたとか妊娠したとか。そうしてくれてたら、今日のこともなかったわ」
典子は自分を正当化すると、京吾を見やって――
「智奈のことを頼んだから。しっかりやってちょうだい」
「云われなくても」
黙って成り行きを見守っていた京吾は、警告するような様で顎をしゃくって典子に放った。
京吾のそのしぐさは、父の事務所で典子と対面したときの様子と違い尊大で、イニシアチブは自分が握っていることを明確に宣言しているように見えた。
典子が出ていくと、ふたりのため息が重なって、顔を見合わせると今度は笑みが重なった。
京吾は、ベッドの横にある一人掛けのソファに座って智奈の手を取り、互いの指を絡ませた。
「京吾、お母さんと何かあった?」
「というより、智奈と連絡が取れなくなって処置室で会うまで、いろいろありすぎてパニクってた」
処置室に来た京吾は確かに動揺していたけれど、大げさすぎる反応にも思えた。
「怒るの通り越して?」
「怒るにはおれに非がありすぎた」
「非、って?」
「危険だとわかっていながら、おれはあの男を放置してた」
「今日のこと、わかってた? 京吾って……予言者?」
「そんなわけないだろう」
信じられないものを――例えば本物の予言者を目にしたかのように、京吾は呆気に取られている。
「わかってる。でも、京吾はやっぱり人を見る目あると思って。わたしも反省してる」
「おれの警告を、今度から真剣に、深刻に受けとめてくれるなら、智奈はそれでいい。おれの非はチャラにはならない。取り返しがつかなくなる可能性もあった。判断ミスだ。連絡が取れなくてマンションに行ったら、もぬけの殻、誘拐だとわかったときは最悪だった」
「お母さんには、京吾は仕事中だからお昼すぎた頃に、わたしは大丈夫っていうショートメールしててって頼んだけど……仕事が長引いてるみたいだったけど早く終わってた?」
その問いかけに、京吾は嘆息しながらその顔に何かをよぎらせた。それは迷いにも見えて、「京吾?」と智奈は問うように呼んだ。
すると、京吾は心を決めたようにうなずいた。
「どの道、智奈はおれの本性の一面を見ることになる」
「京吾、なんのこと?」
「お母さんから連絡は受けてない。おれはいろいろ手をまわして智奈のもとにたどり着いたんだ。むしろ、やっと智奈の居場所を探り当ててこの病院まで来たのに、お母さんにストーカー呼ばわりされて阻まれていた」
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