悪い男は愛したがりで?甘すぎてクセになる

奏井れゆな

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71.そして悪人は途方に暮れる

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 車の速度が遅々として感じる。それが、京吾が焦り、逸っているせいなのは明々白々だ。悶々とするなか、どうにか自分をなだめすかしつつ、智奈のマンションまであと五分ほどのところでコージから電話が来た。
「どうだった」
 連絡が智奈からではなくコージからなのは、即ち問題が起きているということにほかならない。通話モードにするのももどかしく、だが冷静にと努めて京吾は問いかけた。
『智奈さんはマンションに不在です。部屋は鍵が開けっぱなしでした。スマホもバッグも置いたまま、荒らされた形跡はありません』
 いくつかのパターンを想定することで覚悟はしていたが、その覚悟に沿って未練を残さず思考を切り替える、とそんなふうにいつものようにはいかなかった。京吾は握り拳をつくって自分の腿を叩きつける。
「コージ、管理会社と連絡を取って――」
『防犯カメラのことなら、この電話よりさきに手配をすませました。いまからそこに向かうところです』
 その言葉どおり、はじめの電話のときと同様にコージは移動しながら話している気配が感じとれる。
「頼む」
 ひと言のあと、互いに通話を切った。
「智奈さんは?」
 せっかちに長友が訊ねた。
「いない」
「いない?」
「ああ。スマホも含めて荷物は置きっぱなし、家の鍵もかかっていない」
「まさか……誘拐ですか。安藤が?」
「なぜ安藤は智奈のマンションを知ってる? なんのために誘拐する?」
 心の内の疑問がそのまま声になって京吾は自問自答をする。
 会社の前に来て智奈を待ち伏せするくらいだ。安藤はずっと智奈を付け狙っていたのかもしれない。だが、ホスト時代の悪行と違って、誘拐には相当なリスクが伴う。そこまで単純に愚かなのか、それとも、京吾と智奈の関係を知り、何かしら思いついたのか。いや、純粋に智奈を自分のものにしたいという理由でないかぎり、さらうなら京吾を脅迫するためとしか考えられなかった。
 京吾は再度、之史に連絡を入れた。
『連絡しようとしていたところだ』
「之史さん、智奈は行方不明です。これも念のためですが、事件事故に巻きこまれていないか、警察への通報を調べてもらえませんか」
『了解した。安藤の行方だが、今朝八時十分頃、智奈さんのマンション近くの駅にいるところまでつかめている』
「ありがとうございます」
『引き続き追ってる。京吾、冷静になれよ。わかっているだろうが』
「はい」
 之史の云うとおり、わかっているが、冷静に――それがうまくいっているとは到底感じられない。焦りばかりが募る。
「安藤がマンションの近辺に来たことまでわかった」
 冷静な自分の声になだめられる傍らで、長友は最悪の事態に直面したかのようにすっと息を呑む。
「警察には通報しないんですか?」
「すでに初動対応しているこっちが有利だ。裏から手をまわしている。それをさえぎられたら、逆に滞る。元も子もない。それに、いま本当に智奈の行方にあの男が関わっているなら、警察に引き渡すつもりはない。おれが片付ける」
「賛成です。行き先はどうします?」
「このままでいい。自分の目で確かめたい」
 智奈と電話で話してからおよそ二時間、どの時点で異常が起きたのか、その時間は取り戻せない。京吾はコージと之史からの連絡を待つしかなかった。
 程なくマンションに着くと、京吾は一緒に降りかけた長友を止めた。
「遠回りさせて悪かった。おまえは帰れ」
「ですが……」
「できることは、いま、おれにもそうないんだ。車はここに置いてるし、手を貸してほしいときは連絡する。おまえは夜の懇親会に備えてくれ」
「わかりました。智奈さんのこと、連絡を待ってますから」
「ああ」
 京吾は車を降りるなり、足早にエントランスに向かった。
 建物内に入って暗証番号を押しながら、安藤が訪ねてきたとしても智奈が解錠するはずがないと、京吾はどこか安心材料を探す自分に待ったをかけなければならなかった。こんなときに安心材料を求めるのは逃避にほかならない。
 オートロックであってもだれかが解錠した隙に侵入するのは簡単だ。
 だが、なぜ智奈の部屋を知っている? だれが手引きした? 手当たり次第で部屋を当たれば、たどり着けないことはないが。
 五階に到着して急ぎ足で智奈の部屋に向かう。
 京吾の住み処と同様、ここの鍵もコージに預けていて、鍵は閉められていたが、室内に入ってみるとコージが報告したとおり、智奈のバッグはリビングのソファに、スマホはソファの前のテーブルに置きっぱなしだった。
 浴室からベランダまで、隈無く見てまわったが智奈はどこにもいない。荒らされたあとも見当たらない。つけっぱなしのエアコン、溶けたマンゴーと飲みかけのペットボトル、それらがやけに生々しく見えて京吾の心底を揺さぶる。途方にくれて立ち尽くした。
 そうしたのは一時だったのか久しかったのか。バッグとスマホを拾いあげてエアコンを切ると、京吾は部屋を出た。
 上階から降りてくるエレベーターを待ち、すると扉が開いたとたん京吾を見て、「あら!」と乗っていた住人が目を見開いた。
 ここに住んでいた頃、朝出かけるときによくエレベーターで一緒になった女性うちの一人だ――と、認識して軽く会釈した刹那。
「彼女、大丈夫だった?」
 唐突に質問され、直後、その意味を把握すると目まぐるしく思考が回転し始めた。
「どういうことです? いま来たところですが彼女がいないので……」
「まあ! 救急車が来てたいへんだったのよ」
 女性が云い、京吾はその意味が理解できないほど一瞬、頭が真っ白になった。
「――救急車?」
「ええ。避難階段で転んだらしいの。彼女のお母さんていう人が付き添ってたわ。それはもう大騒ぎで」
 京吾がいちいち訊ねなくとも、女性は端的に必要な情報を提供した。が――
「彼女、意識なくて……」 
 血の気が引く。京吾は経験したことのない、そんな恐怖に襲われた。
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