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69.招かれざる客(1)
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盆休みに入った“山の日”、智奈は朝からマンションの家で定期的にやっている掃除に励んだ。
父の月命日に近い休日、墓参りをしてマンションの掃除というのは智奈のルーティンになっていて、京吾もそれに付き合ってくれるけれど、最近の京吾はとかく忙しい。
GUの表舞台から退き、運営はほぼ長友に任せるという。もともと任せていたと云っていたけれど、いざ引き継ぐとなると簡単にはいかない部分があるのだろう。
今日も京吾は都合をつけようとしていたけれど、墓参りはあらためて十三日に行くことにしているし、盆休みは六日間もある。その初日、室内で掃除するだけだから独りで大丈夫だと、京吾を説得しなければならなかった。
つわりはあるけれど、寝込むほどではなく、むしろ会社で隠せるほど軽いほうだ。動いているほうが気が紛れるというのもある。
京吾は心配しすぎだ。そう云えば、逆に智奈が楽観的すぎると判断したすえ、京吾は監視を始めそうな気もして、本人には云わないけれど。
掃除といっても、水回りは使っていないから汚れることもなく、全体的に埃払いをするくらいのものだ。
京吾の住み処に引っ越して四カ月、つまりこの部屋が住人不在になって四カ月になる。なんだろう、生気がない、とまさにそうだけれど、住んでいた頃とは温かさが違う。父がいなくなって独り暮しをしていた間、智奈はぽつんと独り取り残されたように感じていた。いまはこの部屋が取り残されている。
ここまで送ってもらったとき、車の中で京吾にそう云ったら、マンションの部屋はお父さんと一心同体なんだろう、と、京吾は半ば問うように云った。その言葉に智奈は気づかされた。この部屋の掃除は、たぶん父を弔う智奈なりの儀式だ。
『気がすむまで続ければいい。そうなったときは、きっとそのときの智奈の姿にお父さんも安心できた、そういうことだろう』
そういうことなんだ、と思った。納得すると、さみしさはあってもこの部屋に温もりが戻った。今日は智奈独りだけれど、京吾とふたりで掃除をすることにも意味がある気がした。いつも掃除をして帰る頃には人の体温が感じられて、それは智奈たちを眺める父の眼差しがあるからかもしれなかった。
『子供が生まれたら、連れてきて、お父さんに見てもらわないとな』
そんな京吾の言葉にちょっと感動した。いや、ちょっとどころではない。運転中なのに、抱きつきたくなるくらい、なんだろう、とにかく胸がいっぱいになったのだ。
京吾とする掃除は共同作業で楽しいと感じる。今日は独りだけれど、いつにも増して掃除が楽しい。クーラーを入れながら窓は全開にして空気の入れ換えをしつつ、床の埃取りはロボット掃除機に任せている。智奈は棚の上などの高いところの拭き掃除をしたあと、床のモップ掛けを残して休憩した。
十一時近くになっていて、少し小腹が空いた頃合いだ。来る途中、コンビニで買った紅茶と冷凍マンゴーをクーラーボックスから取りだした。最近、やたらとフルーツが食べたくなるのは妊娠のせいだ。食べたくなるというより、フルーツを食べるとつわりでもやもやした気分がおさまるのだ。
紅茶を飲んで、程よく溶けた一口マンゴーを頬張ると、口の中で蕩けていく。胃の辺りがひんやりして、汗ばんだ躰にちょうどいい。
食べすぎに気をつけないと、と思いながら二個めを口に入れた直後、ドアホンが鳴った。
だれだろう。モニターを見ると、智奈は驚き、そしてため息をついた。モニターに映ったのは母だった。エントランスではなく、すぐそこの玄関ドアの前にいる。
母がここに出入りしていることは、このまえ京吾の家に突撃訪問されたときに聞かされてわかっていた。なんの用事があって、智奈がここにいることをなぜ知っているのだろう。
先週やってきてまた今日訪ねてきたということは、何かあってのことだろう。ひょっとしたら父の初盆のことを聞きたいのかもしれない。そうだったら、父も浮かばれるだろうけれど。
今度、エントランスの暗証番号を変えておこう。
反省しながらドアを開けると、智奈が入らせまいとするのを予測してか、「いて、よかった」と智奈の顔もろくに見ることをせず、典子は割りこむようにしてなかに入ってきた。いま、智奈に拒むつもりはなかったけれど、そんな典子の振る舞いにはうんざりする。
「今日は何?」
智奈は、奥のリビングに行った母のあとを追い、久しぶりに入った部屋を見渡している典子に訊ねた。
「確かめたいことがあって来たのよ。堂貫さんは?」
典子は居座るつもりか、ソファにどっかりと腰をおろした。
「仕事だけど。京吾に何か用? 何を確かめたいの……?」
と、智奈がソファのところに向かいつつ問い返したとき、スマホの着信音が鳴った。その音からすると、京吾からの着信だ。智奈は典子の前のテーブルに置いたスマホを手に取った。
『智奈?』
通話モードにしたとたんの、問うような京吾の呼び方はすごく好きだ。
「うん。どうかした?」
『一時間くらい遅れそうだ。迎えはコージを行かせる。予定どおり、十二時でいい……』
「大丈夫。一時間くらい遅れても飢え死にはしないから。いまマンゴーを食べてる」
『はっ。食べすぎるなよ。買ってやったおれが云うのもおかしいけど。出産する頃には智奈まで丸々になってるかもな』
「まん丸になったら嫌になる?」
『産んだあと、ダイエットしたいなら協力してやる。やり方はいくらだってあるだろう? 例えば、耐久セックスとか……』
「京吾っ、もういいから!」
笑い声がひとしきり智奈の耳をくすぐる。
『掃除、無理するなよ。貧血とか、気分が悪くなったら……』
「だから、いま中休みしてる。貧血もないし、気分も悪くない」
智奈が応じると、京吾はため息を漏らしている。
『おれはうんざりさせてる?』
「そんなことない。前より二倍、京吾に気を遣わせてる気がして申し訳ない感じ」
『そんなことはない』
同じ言葉が帰ってきて智奈は笑う。
「何かあったらちゃんと電話する」
智奈は、スマホを弄っている典子をふと見下ろしながら云い――
『ああ、そうして。じゃ、またあとで』
うん、という智奈の返事になんの懸念もなく電話は切れた。
つい先週末の京吾の怒り具合を見れば、母が来ていることを告げるべきだったけれど、そうしたら仕事を無理やり切りあげてきそうで、智奈は黙っておくことにした。あとで云えばいい。少しは怒るかもしれないけれど。
「智奈、もしかして妊娠してるの?」
斜め向かいのソファに智奈が座るなり、典子は問いかけた。察しがいいのは、母親だからだろうか。
「そうだけど、問題ある?」
「問題があるわけないじゃない。おめでたいことだわ。あなたも安泰ね」
「どういう意味?」
「玉の輿でしょ」
返ってきた言葉は智奈が予想していたとおりだった。もしかして集るつもりか。
「残念だけど、京吾とは結婚はしてないの。一緒に住んでるし、子供もできて家族になるけど、結婚はしないから」
京吾は結婚しない理由を智奈を守りたいからと云っていたけれど、ここでそれが役に立つ。母に渡せるお金はないと明確に云いきれた。
父の月命日に近い休日、墓参りをしてマンションの掃除というのは智奈のルーティンになっていて、京吾もそれに付き合ってくれるけれど、最近の京吾はとかく忙しい。
GUの表舞台から退き、運営はほぼ長友に任せるという。もともと任せていたと云っていたけれど、いざ引き継ぐとなると簡単にはいかない部分があるのだろう。
今日も京吾は都合をつけようとしていたけれど、墓参りはあらためて十三日に行くことにしているし、盆休みは六日間もある。その初日、室内で掃除するだけだから独りで大丈夫だと、京吾を説得しなければならなかった。
つわりはあるけれど、寝込むほどではなく、むしろ会社で隠せるほど軽いほうだ。動いているほうが気が紛れるというのもある。
京吾は心配しすぎだ。そう云えば、逆に智奈が楽観的すぎると判断したすえ、京吾は監視を始めそうな気もして、本人には云わないけれど。
掃除といっても、水回りは使っていないから汚れることもなく、全体的に埃払いをするくらいのものだ。
京吾の住み処に引っ越して四カ月、つまりこの部屋が住人不在になって四カ月になる。なんだろう、生気がない、とまさにそうだけれど、住んでいた頃とは温かさが違う。父がいなくなって独り暮しをしていた間、智奈はぽつんと独り取り残されたように感じていた。いまはこの部屋が取り残されている。
ここまで送ってもらったとき、車の中で京吾にそう云ったら、マンションの部屋はお父さんと一心同体なんだろう、と、京吾は半ば問うように云った。その言葉に智奈は気づかされた。この部屋の掃除は、たぶん父を弔う智奈なりの儀式だ。
『気がすむまで続ければいい。そうなったときは、きっとそのときの智奈の姿にお父さんも安心できた、そういうことだろう』
そういうことなんだ、と思った。納得すると、さみしさはあってもこの部屋に温もりが戻った。今日は智奈独りだけれど、京吾とふたりで掃除をすることにも意味がある気がした。いつも掃除をして帰る頃には人の体温が感じられて、それは智奈たちを眺める父の眼差しがあるからかもしれなかった。
『子供が生まれたら、連れてきて、お父さんに見てもらわないとな』
そんな京吾の言葉にちょっと感動した。いや、ちょっとどころではない。運転中なのに、抱きつきたくなるくらい、なんだろう、とにかく胸がいっぱいになったのだ。
京吾とする掃除は共同作業で楽しいと感じる。今日は独りだけれど、いつにも増して掃除が楽しい。クーラーを入れながら窓は全開にして空気の入れ換えをしつつ、床の埃取りはロボット掃除機に任せている。智奈は棚の上などの高いところの拭き掃除をしたあと、床のモップ掛けを残して休憩した。
十一時近くになっていて、少し小腹が空いた頃合いだ。来る途中、コンビニで買った紅茶と冷凍マンゴーをクーラーボックスから取りだした。最近、やたらとフルーツが食べたくなるのは妊娠のせいだ。食べたくなるというより、フルーツを食べるとつわりでもやもやした気分がおさまるのだ。
紅茶を飲んで、程よく溶けた一口マンゴーを頬張ると、口の中で蕩けていく。胃の辺りがひんやりして、汗ばんだ躰にちょうどいい。
食べすぎに気をつけないと、と思いながら二個めを口に入れた直後、ドアホンが鳴った。
だれだろう。モニターを見ると、智奈は驚き、そしてため息をついた。モニターに映ったのは母だった。エントランスではなく、すぐそこの玄関ドアの前にいる。
母がここに出入りしていることは、このまえ京吾の家に突撃訪問されたときに聞かされてわかっていた。なんの用事があって、智奈がここにいることをなぜ知っているのだろう。
先週やってきてまた今日訪ねてきたということは、何かあってのことだろう。ひょっとしたら父の初盆のことを聞きたいのかもしれない。そうだったら、父も浮かばれるだろうけれど。
今度、エントランスの暗証番号を変えておこう。
反省しながらドアを開けると、智奈が入らせまいとするのを予測してか、「いて、よかった」と智奈の顔もろくに見ることをせず、典子は割りこむようにしてなかに入ってきた。いま、智奈に拒むつもりはなかったけれど、そんな典子の振る舞いにはうんざりする。
「今日は何?」
智奈は、奥のリビングに行った母のあとを追い、久しぶりに入った部屋を見渡している典子に訊ねた。
「確かめたいことがあって来たのよ。堂貫さんは?」
典子は居座るつもりか、ソファにどっかりと腰をおろした。
「仕事だけど。京吾に何か用? 何を確かめたいの……?」
と、智奈がソファのところに向かいつつ問い返したとき、スマホの着信音が鳴った。その音からすると、京吾からの着信だ。智奈は典子の前のテーブルに置いたスマホを手に取った。
『智奈?』
通話モードにしたとたんの、問うような京吾の呼び方はすごく好きだ。
「うん。どうかした?」
『一時間くらい遅れそうだ。迎えはコージを行かせる。予定どおり、十二時でいい……』
「大丈夫。一時間くらい遅れても飢え死にはしないから。いまマンゴーを食べてる」
『はっ。食べすぎるなよ。買ってやったおれが云うのもおかしいけど。出産する頃には智奈まで丸々になってるかもな』
「まん丸になったら嫌になる?」
『産んだあと、ダイエットしたいなら協力してやる。やり方はいくらだってあるだろう? 例えば、耐久セックスとか……』
「京吾っ、もういいから!」
笑い声がひとしきり智奈の耳をくすぐる。
『掃除、無理するなよ。貧血とか、気分が悪くなったら……』
「だから、いま中休みしてる。貧血もないし、気分も悪くない」
智奈が応じると、京吾はため息を漏らしている。
『おれはうんざりさせてる?』
「そんなことない。前より二倍、京吾に気を遣わせてる気がして申し訳ない感じ」
『そんなことはない』
同じ言葉が帰ってきて智奈は笑う。
「何かあったらちゃんと電話する」
智奈は、スマホを弄っている典子をふと見下ろしながら云い――
『ああ、そうして。じゃ、またあとで』
うん、という智奈の返事になんの懸念もなく電話は切れた。
つい先週末の京吾の怒り具合を見れば、母が来ていることを告げるべきだったけれど、そうしたら仕事を無理やり切りあげてきそうで、智奈は黙っておくことにした。あとで云えばいい。少しは怒るかもしれないけれど。
「智奈、もしかして妊娠してるの?」
斜め向かいのソファに智奈が座るなり、典子は問いかけた。察しがいいのは、母親だからだろうか。
「そうだけど、問題ある?」
「問題があるわけないじゃない。おめでたいことだわ。あなたも安泰ね」
「どういう意味?」
「玉の輿でしょ」
返ってきた言葉は智奈が予想していたとおりだった。もしかして集るつもりか。
「残念だけど、京吾とは結婚はしてないの。一緒に住んでるし、子供もできて家族になるけど、結婚はしないから」
京吾は結婚しない理由を智奈を守りたいからと云っていたけれど、ここでそれが役に立つ。母に渡せるお金はないと明確に云いきれた。
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