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65.闇に紛れる真相
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京吾がアンダーグラウンドからオーバーグラウンドに浮揚して八年、いまは地上三十階をひとつのテリトリーとしてまさに浮揚している。
社長室はGUビルの南側にあり、今日は八月初旬の正午すぎ、太陽はほぼ真上を通って室内に光が差すことはないが、京吾が棲むもうひとつの裏の世界とは相容れない眩さがある。
「ご用はなんですか。お忙しいでしょうに」
客人を社長室に案内した長友が出ていくと、京吾は席を立ち、デスクをまわって応接ソファへと行った。
めずらしくGUを訪れた京介は、皮肉っぽく応じた孫を見やって苦笑を返す。ふたりはほぼ同時に向かい合わせでソファに腰をおろした。
「忙しいのは私よりもおまえのほうだろう」
「おかげさまで。もっとも、ここももう僕の出番はほぼない。優秀な人材がそろっているので」
京吾の返事から嗅ぎとったのだろう、京介は何やら思い当たった顔つきになった。
「GUはだれかに引き継ぐのか?」
「はい。僕は会長職に退いて、長友に任せるつもりです。株主からも異論は出ないでしょう。ホテルとクラブのほうはオーナーというだけで、すでに任せきりですし、グランド総研を片手間でやって潰すような真似はしませんよ。おじいさんがそこを懸念されているとしたら」
「大学生で起業するだけではなく、早々に成功する人間を無能だとは思っていない。ましてや、表裏でそれをやってのけるおまえを否定したことは一度もない」
「僕のやることなすこと先回りして、おじいさんの口利きがあれば当然の成功でしょう」
京吾の言葉に、京介は目を瞠り、そして手のひらを上向けて両手を広げた。身の潔白を示すようなしぐさだ。
「京吾、孫とはいえ、私はそんなに甘くないぞ。親ばかでいたことはない。それはおまえ自身がわかっているだろう。有能でなければ、高々三十の若造にグランド総研は預けられない。解散させたほうがマシだ」
独りでやってきた。京介と同じでその自負はあれど、真相は闇に紛れていることが多い。京吾は鎌をかけてみたのだが、京介はとりあえず否定をし、その様子も取り繕っているようには見えなかった。
もとい、京介が自らの主義を語ったとおり、能力がなければ身内に譲ることもしないだろう。そのつもりなら、悦子のほかにも子供をもっと持ったはずだ。
京介の妻は早くに――悦子が小学生だったときに病で亡くなったという。京介は八十歳になったいまでさえ精悍な風貌だ、再婚の機会はいくらでもあったはずが、愛人を持つことはあっても一時に限って手を切るということを繰り返し、結婚には至らなかった。
そもそも京介は人を信用していない嫌いがある。だからこそ吟味を重ね、確かな情報を提供できるのだろう。
「それを聞いて安心しました。裸の王様ほどみっともないものはありませんから。とはいえ、おじいさんの名があったから易かったというのは否定できませんが」
京吾は肩をすくめ、京介は満足げに薄らと笑った。
「七光りがあっても無能な人間は無能なままだ。おまえは確かに自立した。すでにグランド総研のために動いているとわかって安心したぞ」
納得した素振りで京介は何度も首を縦に振った。
「まさか、それを確認するためだけに来たわけではないでしょう? 本題はなんです?」
京吾が促すと、京介は俄に慮った様子で、前のめりになっていた躰をソファの背に預けた。じっくり話そうと居座る気が満々だ。
「本当に結婚しないつもりか?」
それは出し抜けに聞こえたが、本題がそれなら、わざわざ会社に訪ねてきてまで話すことなのか。
三枝行雄が守秘を貫いたか、娘はどこまで知得しているか、その調査が京介から京吾が与えられた最初のミッションだ。娘が知っているか否かにかかわらず、結婚することで口封じは可能、というのが二番め、最終的に子供を持ったら――というのがグランド総研を後継する条件だった。それをひとつ飛ばしただけのこと。
自分が跡継ぎを持たなかったくせに、なお且つ七光りの後継を許すより潰すほうがましだと云っておきながら、京吾に子供を持つよう押しつけるのは矛盾している。年を取って自分の功績が後世に遺らないことは惜しい。そんな気持ちもあって揺らいでいるせいか。
「何が不満なんです? 智奈と一緒に住んでいる。子供ができた。事実婚ですよ」
京介はどうしようもないといった素振りで首を横に振った。
「京吾、おまえは自分の子を、おまえと同じ目に遭わせようとしている。おまえは自分の立場に納得していないんだろう?」
「いいえ。認知はしますよ。夫婦別姓が叫ばれる世ですから、大した問題にはならない」
「なぜ、“結婚しない”というところにこだわる? おまえが智奈さんのために手を尽くしていることは私の耳にも入っている。行いがこれまでになく、おまえにとっての風紀を逸脱していることもな」
悦子を介して七海からプールで戯れていた話でも仕入れたのか、京介はちくりと揶揄した。
「まさに手を尽くしているんですよ。僕がやっていることは――これからやることも含めて、綱渡りですから」
京吾は明言はしなかったが、智奈に云ったとおりの結婚しない理由を語った。
しばらく思考に耽っていた京介だったが、何やら思い当たったようだ。大きく嘆息した。
「わからんでもないが……気が変わることを願う」
わからないでもない。その言葉は京吾を驚かせた。
結婚できないほど愛している。
それを、本当に理解できているのか。
いまになって祖父が打算を抜きにして、干渉してくる理由は何か。ただ、結婚については京介にとってよほどの重大案件らしく、用はすんだとばかりにすっくと立ちあがると京介は引きあげていった。
京吾にとっても、ふたりのことだ、重大であることにはかわりない。京介以上に。
窓の外を見やると晴天の空がやけに眩しい。長年、闇に棲みついたせいだろう。闇は、智奈には似合わない世界だ。
京吾はグリーングラスをかけた。そうしたことで、はじめて自分の脆弱さが浮き彫りになった。
京吾がアンダーグラウンドからオーバーグラウンドに浮揚して八年、いまは地上三十階をひとつのテリトリーとしてまさに浮揚している。
社長室はGUビルの南側にあり、今日は八月初旬の正午すぎ、太陽はほぼ真上を通って室内に光が差すことはないが、京吾が棲むもうひとつの裏の世界とは相容れない眩さがある。
「ご用はなんですか。お忙しいでしょうに」
客人を社長室に案内した長友が出ていくと、京吾は席を立ち、デスクをまわって応接ソファへと行った。
めずらしくGUを訪れた京介は、皮肉っぽく応じた孫を見やって苦笑を返す。ふたりはほぼ同時に向かい合わせでソファに腰をおろした。
「忙しいのは私よりもおまえのほうだろう」
「おかげさまで。もっとも、ここももう僕の出番はほぼない。優秀な人材がそろっているので」
京吾の返事から嗅ぎとったのだろう、京介は何やら思い当たった顔つきになった。
「GUはだれかに引き継ぐのか?」
「はい。僕は会長職に退いて、長友に任せるつもりです。株主からも異論は出ないでしょう。ホテルとクラブのほうはオーナーというだけで、すでに任せきりですし、グランド総研を片手間でやって潰すような真似はしませんよ。おじいさんがそこを懸念されているとしたら」
「大学生で起業するだけではなく、早々に成功する人間を無能だとは思っていない。ましてや、表裏でそれをやってのけるおまえを否定したことは一度もない」
「僕のやることなすこと先回りして、おじいさんの口利きがあれば当然の成功でしょう」
京吾の言葉に、京介は目を瞠り、そして手のひらを上向けて両手を広げた。身の潔白を示すようなしぐさだ。
「京吾、孫とはいえ、私はそんなに甘くないぞ。親ばかでいたことはない。それはおまえ自身がわかっているだろう。有能でなければ、高々三十の若造にグランド総研は預けられない。解散させたほうがマシだ」
独りでやってきた。京介と同じでその自負はあれど、真相は闇に紛れていることが多い。京吾は鎌をかけてみたのだが、京介はとりあえず否定をし、その様子も取り繕っているようには見えなかった。
もとい、京介が自らの主義を語ったとおり、能力がなければ身内に譲ることもしないだろう。そのつもりなら、悦子のほかにも子供をもっと持ったはずだ。
京介の妻は早くに――悦子が小学生だったときに病で亡くなったという。京介は八十歳になったいまでさえ精悍な風貌だ、再婚の機会はいくらでもあったはずが、愛人を持つことはあっても一時に限って手を切るということを繰り返し、結婚には至らなかった。
そもそも京介は人を信用していない嫌いがある。だからこそ吟味を重ね、確かな情報を提供できるのだろう。
「それを聞いて安心しました。裸の王様ほどみっともないものはありませんから。とはいえ、おじいさんの名があったから易かったというのは否定できませんが」
京吾は肩をすくめ、京介は満足げに薄らと笑った。
「七光りがあっても無能な人間は無能なままだ。おまえは確かに自立した。すでにグランド総研のために動いているとわかって安心したぞ」
納得した素振りで京介は何度も首を縦に振った。
「まさか、それを確認するためだけに来たわけではないでしょう? 本題はなんです?」
京吾が促すと、京介は俄に慮った様子で、前のめりになっていた躰をソファの背に預けた。じっくり話そうと居座る気が満々だ。
「本当に結婚しないつもりか?」
それは出し抜けに聞こえたが、本題がそれなら、わざわざ会社に訪ねてきてまで話すことなのか。
三枝行雄が守秘を貫いたか、娘はどこまで知得しているか、その調査が京介から京吾が与えられた最初のミッションだ。娘が知っているか否かにかかわらず、結婚することで口封じは可能、というのが二番め、最終的に子供を持ったら――というのがグランド総研を後継する条件だった。それをひとつ飛ばしただけのこと。
自分が跡継ぎを持たなかったくせに、なお且つ七光りの後継を許すより潰すほうがましだと云っておきながら、京吾に子供を持つよう押しつけるのは矛盾している。年を取って自分の功績が後世に遺らないことは惜しい。そんな気持ちもあって揺らいでいるせいか。
「何が不満なんです? 智奈と一緒に住んでいる。子供ができた。事実婚ですよ」
京介はどうしようもないといった素振りで首を横に振った。
「京吾、おまえは自分の子を、おまえと同じ目に遭わせようとしている。おまえは自分の立場に納得していないんだろう?」
「いいえ。認知はしますよ。夫婦別姓が叫ばれる世ですから、大した問題にはならない」
「なぜ、“結婚しない”というところにこだわる? おまえが智奈さんのために手を尽くしていることは私の耳にも入っている。行いがこれまでになく、おまえにとっての風紀を逸脱していることもな」
悦子を介して七海からプールで戯れていた話でも仕入れたのか、京介はちくりと揶揄した。
「まさに手を尽くしているんですよ。僕がやっていることは――これからやることも含めて、綱渡りですから」
京吾は明言はしなかったが、智奈に云ったとおりの結婚しない理由を語った。
しばらく思考に耽っていた京介だったが、何やら思い当たったようだ。大きく嘆息した。
「わからんでもないが……気が変わることを願う」
わからないでもない。その言葉は京吾を驚かせた。
結婚できないほど愛している。
それを、本当に理解できているのか。
いまになって祖父が打算を抜きにして、干渉してくる理由は何か。ただ、結婚については京介にとってよほどの重大案件らしく、用はすんだとばかりにすっくと立ちあがると京介は引きあげていった。
京吾にとっても、ふたりのことだ、重大であることにはかわりない。京介以上に。
窓の外を見やると晴天の空がやけに眩しい。長年、闇に棲みついたせいだろう。闇は、智奈には似合わない世界だ。
京吾はグリーングラスをかけた。そうしたことで、はじめて自分の脆弱さが浮き彫りになった。
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