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62.世間知らず(3)

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 智奈の認識と七海の認識の間には、ニュアンスという生易しいものではない違いがあった。智奈の中で、いくつかの言葉がピックアップされていく。
 “行方をくらますはずだった。”
 “うんざりしてた。”
 “結婚して、子供ができたら後を継げる。”
 “子供ができたんです。”
 “身を退く。昇進してもらう。”
 “結婚はしない。”
 それらを並べ替えて解釈すれば、結婚して子供を持つことを条件にして京介は京吾に後継を約束した。
 智奈を偵察することと、結婚の相手が智奈であること、その二つが同時任務だったのかははっきりしない。それに、もしかしたら結婚相手は別の人でもかまわないのかもしれなかった。
 後継者は欲しい。それは京吾と京介の共通の問題だと考えつくのはたやすい。継ぐべきものがあるのだから。少なくとも京介は強く望んでいる。だから子供を条件にした。
 京介の命令にうんざりして智奈の前から行方をくらますはずだった京吾が、どの時点でか、心変わりした結果、智奈のおなかの中に赤ちゃんがいる。
 そして、ほんの数時間前、京介は京吾に後を譲ると約束した。
 でも……同棲はしても結婚はしない。それは、すべてがおじいちゃんの思いどおりにはならないとう、京吾のぎりぎりの抵抗?
 悦子が会社に押しかけたとき、京吾は『おじいさんの思う壺だ』と云っていた。その云いぶりが気に喰わなそうで、反抗心を裏付けている。
 京吾は智奈に愛していると云う。それが心変わりの結果なのだろうけれど。
 何か順番が違うような気がした。もしくは何かしら智奈が認識している結果が間違っている。
「何か心配?」
 七海は黙りこんだ智奈を覗きこむように首を傾けた。
「……心配も不安もいろいろ尽きません。せめて、見せかけだけでも自信があるように見えるといいのにと思ってます。京吾に比べたら、ずっと世間知らずなので」
「堂貫の人間が知りすぎているのよ、たぶん。それ以上に、もしかしたら、わたしたちが得る知識を作る側の人間かもって思うこともある。血族もいなくて、文字どおり孤高の堂貫家がどんな力を持っているのか、はっきりは知らないけど知るつもりもない。そのほうがきっとラクで安全だわ」
 七海は堂貫家のことを深くは知らないようだ。智奈のほうが理解できている。京吾にもっとはっきりと聞かされたから。
 堂貫京介は独りでひとつの帝国を築き、その孫――挑戦者である以上に勝ちに行く京吾なら、それに負けたくないと思うはず。智奈が京吾に感じる憧憬、それを通り越して京吾が祖父に抱いているのはやはり本人が云うようにコンプレックスだ。
 そしてもうひとつ、七海が云った『ラクで安全』は、京吾が結婚を拒んだ理由――『守るため』と符合するのかもしれない。
 理由――それはひょっとしたら、“愛していること”、“同棲”、“子供ができたこと”にも付随しているのだろうか。何より、『子供ができるのは承知で抱いていた』と京吾は云った。
 知らないことは知らないほうがいい。そういうことも多々ある。いま、智奈は心底そう思う。
 京吾が好きで、すごく幸せで、疑うことなど必要ない。それなのに気にしてしまうのは、きっと独占欲と、人の気を引く魅力が自分には到底ないと自覚しているせいだ。
 いつかのために、いま追及するべきなのか、この不安はただの気の迷いとして忘れていいのか。忘れたほうが幸せでいられるのは確かだ。七海が現れる直前は、ただ京吾といられて満ち足りていた。
「でも知らないで後悔するときもあって……難しいですね」
「そういう経験があるの?」
 七海はすかさず問い返した。
「半年くらい前に父が亡くなって、知らなかったことをたくさん知って……いろいろ思うことはありました」
「ああ、そうだったのね。ごめんなさい。お悔やみを云うわ」
「ありがとうございます」
「お母さんはいるの?」
「います。どうしようもない人ですけど」
 智奈がついそのままを云ってしまうと、七海は賛同するようにうなずいた。
「家族って、他人じゃないぶん厄介になったらとことん厄介よ。家族じゃないからこそ尊重し合えるファミリーもある。堂貫会長がどんな方か、表面的なことしか知らないけど、京吾のことは大学の頃から知ってる。ホストをやり始めた頃ね。京吾の周りには人が集まる。しかも、京吾に仕えたがる人に限って何かしら優秀なの、不思議と。京吾が集まる人を取捨選択しているのかもしれないけど」
 津田も七海と似たようなことを云っていた。京吾は京吾で、祖父とは違った帝国をすでに築いているのかもしれない。
「京吾も家族のことは面倒そうです」
 智奈の言葉に七海は吹くように笑った。
「わかるわ。悦子さん、押しが強いから。京吾がよく母親の言い成り人生にハマらなかったと感心するくらいにね」
 七海はふと智奈から目を逸らし、すぐに戻すと、さてと、と思考を切り替えるようにつぶやいた。
「智奈ちゃん、もしかして面倒事を抱えてない?」
「え?」
 急に話が変わって、智奈は問われたことがぴんとこない。すると。
「電話ですむことをなんなんだ。だれの企みだ」
 いきなり京吾の声が近くに聞こえて、智奈はハッとして振り向いた。
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